和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

茶壺。茶杓。薬匙。

2024-09-30 | 温故知新・在庫本
桑田忠親著「定本千利休」(角川文庫)を
パラパラとひらいているのですが、茶道の素人の門外漢には、
はじめの方に、印象深い箇所があるのでした。

おそらく再度読めばちがう所へと興味がうつるのでしょうが、
最初に読むと、こんな箇所が私の印象に残るという
そんな箇所を引用しておくことに。

まずは、茶壺。

「 ・・・精選し燻製された葉茶を茶壺に保存し、
  季節と時期とを考えて茶壺の口を切り、
  葉茶を茶臼でひいて粉末とし、その抹茶を
  茶杓(ちゃしゃく)で茶碗にすくい入れ、
  熱湯を注ぎ、茶筅(ちゃせん)で練り、
  またはかきまわして泡をたて、それを
  神仏にそなえたり、来客にすすめたりする。

  これをいただくお客の方も、
  清純な気持で、その泡だった緑色のお茶を飲む。
  それをたててくださった亭主の厚いこころを汲みとり、
  緑の抹茶をば、ゆっくりとすすり味わいながらいただくことになる。 」

茶杓の記述も印象に残ります。

「 茶の湯に用いる抹茶式飲茶法を宋からはじめて
  わが国に伝えたのは栄西禅師であった。・・・・

  鎌倉三代将軍源実朝が、宴会で酒を飲みすぎて
  二日酔いで苦しんだ際に、治療剤として栄西が
  抹茶を進めたところが、ほどなく快癒したので、
  実朝はひじょうに喜んだ。そこで栄西は、
  『喫茶養生記』を献上し、抹茶の薬用的価値を
  説明したということが、『吾妻鏡』に見えている。

  抹茶がもともと薬剤として用いられたのは、
  古い形式の茶杓が薬匙(やくひ)の形である
  ことによっても知られよう。・・・ 」(~p11)


うん。このあと明恵上人へとつながるのですが、
また、長くなるのでこのくらいにしておきます。
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落語の主人公

2023-12-05 | 温故知新・在庫本
吉田光邦著「日本の職人像」(河原書店)には、
職人をめぐって、竹取物語・今昔物語・徒然草・宇治拾遺物語
古今著聞集・狂言・更級日記などをとりあげてゆきます。

そして江戸時代になると近世畸人伝・耳袋のあとに、
浄瑠璃が登場しておりました。そこを引用しておきます。

「・・庶民芸術といわれる浄瑠璃の主人公はことごとく商人ばかりだった。
 庶民の代表は農でもなく工でもなく商人であった。

 曽根崎心中の徳兵衛は醤油商平野屋の手代、
 五十年忌歌念仏の清十郎は米問屋但馬屋の手代、
 冥途の飛脚の忠兵衛は飛脚問屋亀屋の養子、
 博多小女郎浪枕の小町屋惣七は京の商人、
 心中天網島の治兵衛は紙商、
 女殺油地獄の与兵衛は油屋、
 心中宵庚申の半兵衛、八百屋お七の家はともに八百屋
 という有様であった。・・・・・・

 かの『日本永代蔵』『世間胸算用』『西鶴織留』などの
 町人物を連作した井原西鶴の作品のなかで、
 いきいきと活動するのはこれまた商人ばかりだった。・・ 」(p124)


「・・随筆類に偶然のように現われるもの以外には、
 職人はあまり江戸文芸の立役者となることはできなかった。
 立役者は武士か町人、町人のなかでも商人だった。・・・・

 そして職人は裏長屋に住む人びとであり、
 せいぜい落語の対象、笑の対象としかならなかった。 」(p123~124)


井原西鶴のあとに、吉田光邦氏が登場させるのが明治にはいって、
幸田露伴。つぎに長谷川伸。

うん。幸田露伴は、丁寧に作品を追って紹介してゆき、
長谷川伸は、わかりやすく職人像を浮き彫りにします。
次回は、長谷川伸が語られる箇所から引用してみます。
あれ。次回の予告になっちゃった(笑)。
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この夏、『井戸を掘る』。

2023-07-20 | 温故知新・在庫本
渡部昇一著「知の井戸を掘る」が、新刊で出ている。
渡部昇一氏は2017年4月17日逝去。享年86歳でした。
あらためて新刊なのかなと思いながら買ってしまう。

発行所:青志社。編集人・発行人は阿蘇品蔵。
2023年6月24日第一刷発行とあります。

はい。目次を見ていたら、何か格言が並んでいるようで、
かってに目次から選んで、福沢諭吉の『心訓』よろしく、
目次の言葉をならべてみたくなりました。


〇 ≪よい人間関係≫は滋養のように≪じんわり≫効いてくる

〇 ≪感謝する心≫はすべての人間をハッピーにする

〇 師でもライバルでも≪発見する≫のは自分

〇 情報氾濫の時代だからこそ≪グルメな読書≫を

〇 生き方の≪襟≫を正してくれる古典

〇 ≪相性の合う≫本にはどんどん書き込みを

〇 まずは自分の≪興味の波長≫をしっかり決めること

〇 情報を生かせる人、情報に振り回される人

〇 ≪関心のブレークダウン≫を試みるのも一つの手

〇 ≪情報の捨て方≫に有能さが問われる時代

〇 自分の頭を刺激し続ける情報・資料は身近に置く

〇 ≪感謝する≫ことには敏感、≪感謝される≫ことには鈍感であれ



はい。目次だけで9ページある(文字も大きいのですけれど)
はい。目次だけでもう元をとった気持ちになれる不思議(笑)。


ちなみに、本文の最後には

「この作品は月刊『BOSS』1996年12月号から97年5月号に連載した
 『新・知的生活の方法』に大幅な加筆・改編を施し、1999年4月、
 株式会社三笠書房より刊行した『ものを考える人考えない人』を
 改題して新装復刊したものです。」( p243 )

とありました。はい。私は新刊が出た時のようにひらきました。
目次だけですけれど。気になった目次のページをひらきました。
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みずから水やり。

2023-04-02 | 温故知新・在庫本
丸谷才一著「思考のレッスン」が身近にあるので、パラリとひらく。
こんな箇所がありました。

「 自分が読んだ本で、『これは大事だ』という本がありますね。
  あるいは、一冊の本の中で、『ここは大事だ』という章がある。

  そういうものは、何度も読むことが大切ですね。
  繰り返し読んだり、あるいは何年か間隔をおいて読む。 」

           (単行本p135 「レッスン3思考の準備」 ) 

はい。ちょうどこうして『何年か間隔をおいて』読んでおります。
今回ひらいていて、気になった箇所はここでした。

「 よく自分の疑問を人に話す人がいますが、これはお勧めしません。
  というのは、そんなことを他人に話したって、だいたい相手にされない。

  相手にされないと、『 これはあまりいい疑問じゃないのかなあ 』
  と自信をなくして、せっかくの疑問が育たないままで終ってしまう。

  一番大事なのは、謎を自分の心に銘記して、
  常になぜだろう、どうしてだろうと思い続ける。
  思い続けて謎を明確化、意識化することです。・・・ 」

     ( 単行本p188 「レッスン5考えるコツ」 )

うん。こんな私にも『思い続ける謎』があったのかどうか?
私の中で枯れてしまい、ちっとも育てなかった疑問の数々。

そういえば、『 みずから水やりを怠っておいて 』
と詩なかに一行しのばせておいた詩人がおりました。
うん。ここには、詩のはじまりの三行を引用しとこ。


   ぱさぱさに乾いてゆく心を
   ひとのせいにはするな
   みずから水やりを怠っておいて




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俳人と歌人と詩人たち。

2023-03-23 | 温故知新・在庫本
篠田一士といえば、「三田の詩人たち」(講談社文芸文庫)。
わかりやすくて、講演の記録なので、スラスラ飲み込める。
あんまりスラスラ読めちゃうので、忘れるのもはやかった。
けれども、この一冊は紹介しときたい本です。

文庫の解説は池内紀。ここから引用してみます。

「語り口はやさしいが、しかし、この点でもやさしいだけではなさそうだ。
 選ばれた五人にしても、ふだん『詩人たち』と呼ばれるタイプではないだろう。
 
 久保田万太郎は俳人・劇作家、
 折口信夫は歌人・国文学者、
 佐藤春夫は小説家、
 堀口大學はフランス文学の翻訳。
 西脇順三郎にきて、はじめて詩人らしいが、
 英文学者としても知られていた。
 さらに六人目、永井荷風に詩作めいたものがなくもないが・・  

 作品紹介にしても、やさしいなんてものじゃない。
 俳句なり短歌なり詩なりをとりあげるとき、
 たいていの語り手は当の作品にまつわり必要と思われる
 事情を合わせて話すものだが、そんな手続きはいっさいない。

『 ここに二十ばかりの俳句を選んでみました 』
 それがそっくり掲げてあって、直ちに作品に入っていく。 
 堀口大學によるアポリネールの訳詩には・・・・・・

 むしろべつのことがわかってくる。
 これが可愛らしい本でも、やさしい詩の鑑賞でもないということ。
 日本の近代詩にかかわり、とりわけ重要な事柄が語られ、
 それをこのように語れるのは、篠田一士という人のほか、
 二人といないということ。

 なぜ俳人や歌人が入ったのか。
 はじめにきちんと理由が述べてある。
 詩を語るなかに、俳句や短歌がまじるのはおかしいと
 言う人がいるかもしれないが、おかしいと思うほうがおかしい。

 この三つを合わせて考えなくては『日本の詩的創造の全貌』はつかめない。
 それぞれが別個の世界として閉ざされていることこそ、
 異様であり、不幸な文学現象というものだろう。

 言葉をかえながら、くり返し述べてある。     」(p199~p200)


はい。自慢じゃないですが、私など最初の久保田万太郎でもう満腹。
それから先へすすめなくなっちゃった(笑)。

ということで、読んださわりを引用しておわり。

「久保田万太郎の小説は読んで面白い。
 特に大震災や戦争で壊れちゃった江戸の感受性のありか、
 ありようを知りたければ、久保田万太郎の小説を読むのが
 一番てっとり早いと思いますよ。」(p14)

はい。一番てっとり早いと言われても、小説を読んでないのでここでつまづく。

「 俳人、歌人は長生きです。長生きしなきゃできない。
  八十までじゃダメ、土屋文明さんなんか確か九十代の半ばですよ。」(p15)


ここにある『 長生きしなきゃできない。 』なんてジーンと印象深い。
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隠し味。

2022-05-01 | 温故知新・在庫本
丸谷才一著「思考のレッスン」(文芸春秋)が好きで、
本棚から思い出してはとりだすことがあります。

はい。今年取り出し、気になった箇所は
『 レッスン3 思考の準備 』でした。
レッスン3のはじまりで( p103・単行本 )

「考えるための準備と言われてまず思い浮かぶのは、『読書』でしょう。
 ものを考えるには、本を読むことが最も大事なことだという気がします。」

とあるのですが、この章の最後はどうだったか。

「  ・・しかし一番大事なことがもう一つある。
 それは、まとまった時間があったら本を読むなということです。
 本は原則として忙しいときに読むべきものです。
 まとまった時間があったらものを考えよう。
 ・・・・・・・とにかく手ぶらで、ものを考えよう。

 きょうは暇だから本を読もうというのは、あれは間違いです。
 きょう暇だったら、のんびりと考えなくちゃあ。
 考えれば何かの方向が出てくる。
 何かの方向が出てきたら、それにしたがってまた読めばいい。

 そして、考えたあげく、これは読まなければならない本だとわかれば、
 毛嫌いしていた〇〇でも、〇〇〇〇でも、
 その必要のせいでおもしろく読めるんですよ。 」 (p141)


うん。本を読みなさい、といってみたり、本を読むな、といってみたり。
この振幅が、はじめて読んだ際にとても新鮮で面白かった。
なんでしょう。ちょっと本を読んでいる人には思いつかない広さがある。
そんなことを感じて、ウキウキしながらめくっておりました。

今年読み返していたら、この本の隠し味は、俳諧じゃないかと思いました。
たとえば、柳田国男は「女性と俳諧」のはじめの方で、

「 それが芭蕉の実作指導によって、天地はまだこの様に
   広かったといふことを、教へられたのであります。」

と指摘されておりました。うん。如来の掌みたいな天地の広大さ。
ということで、岩波新書の「歌仙の愉しみ」(2008年)をひらくことに。

これは大岡信・岡野弘彦・丸谷才一の3人して、歌仙をたのしんでいる一冊。
そのはじまりに丸谷才一氏が「わたしたちの歌仙」と題して9ページの文を
載せておりました。そのなかに

「 とにかくこれがわたしたちの歌仙事始。
  1960年代の半ばごろのことだから、40年も前の話です。」

とあります。うん。「思考のレッスン」の
広やかな楽しみの隠し味は、俳諧なのだと、
そう思うのですよわたしは。ということで、
この本の隠し味を探す楽しみがまたひとつ。
         
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考えるレッスン。思考のヒント。

2018-04-09 | 温故知新・在庫本
丸谷才一著「思考のレッスン」に
小林秀雄が言及されている箇所あり。

「ホーム・グランド問題に関して、
僕は年来疑問に思っていることがあるんです。
それは、小林秀雄という人のホーム・グランドは
一体何なのだろうということですね。
これが昔からよくわからない。」(p150)


はい。丸谷さんは昔からの疑問を語られています。
そういえば、
こんな箇所もありました。

「よく自分の疑問を人に話す人がいますが、
これはお勧めしません。というのは、
そんなことを他人に話したって、
だいたい相手にされない(笑)。
相手にされないと、
『これはあまりいい疑問じゃないのかなあ』
と自信をなくして、せっかくの疑問が
育たないままで終ってしまう。

一番大事なのは、
謎を自分の心に銘記して、
常になぜだろう、どうしてだろうと思い続ける。
思い続けて謎を明確化、意識化することです。
そのためには、自分のなかに他者を作って、
そのもう一人の自分に謎を突きつけて行く必要があります。

普通の意味で他者と言えば、世間のことですね。
ところが、世間を相手にしてはならない。
なぜかと言えば、世間は謎を意識しないからです。
そんなことにいちいちこだわっていると
成り立って行かないから、
もっぱら流行に従って暮す。
それが世間というものなんですね。
しかも世間は実に臆病です。」(p188)

「たちまちにしてみんな沈黙した。
なぜそうなったかと言えば、
世間というものが実に臆病だからです。
しかも、世間は非常に付和雷同型です。」(p190)



う~ん。
そういえば、小林秀雄に「考えるヒント」
という短文のつらなりがありました。

丸谷才一の「思考のレッスン」は
「考えるヒント」へのレッスン教本に
読めなくもない(笑)。
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きょうは暇だから。

2018-04-08 | 温故知新・在庫本
以前に読んですっかり忘れていた本。
そんな本をたまには取りだす。

パラリとひらくのは
丸谷才一著「思考のレッスン」(文芸春秋)

読んだときは、
何度も読み返そうと思っていて、
そのまま本棚に置いたままでした(笑)。

さてっと、
パラリとひらくと。

「自分が読んだ本で、『これは大事だ』
という本がありますね。
あるいは、一冊の本の中で、『これは大事だ』
という章がある。そういうものは、
何度も読むことが大切ですね。
繰り返し読んだり、
あるいは何年か間隔をおいて読む。」
(p135)

はい。「何年か間隔をおいて読む。」
手持ちのこの本は1999年発行とある。
もうすぐ20年が過ぎようとしてる。


また、パラリ。

「きょうは暇だから本を読もうというのは、
あれは間違いです。
きょう暇だったら、
のんびりと考えなくちゃあ。
考えれば何かの方向が出てくる。
何かの方向が出てきたら、
それにしたがってまた読めばいい。

そして、考えたあげく、
これは読まなければならない本だとわかれば、
毛嫌いしていたサドでも、徳富蘇峰でも、
その必要のせいでおもしろく読めるんですよ。」
(p141)

ああ、「考えたあげく」
というのは、私には無理(笑)。
なんて、茶々をいれての、パラパラ再読。


「とにかく本というものは、
読まないで大事にとっておいた
ところでまったく意味はないんです。
読むためのものなんだから、
読みやすいように読めばいい。」
(p169)

はい。古本を購入するようになって
古いのに、どのページも真新しい本に
出会うと、パラパラ読みでも、
開けばいいのだ。と思います。
それにしても、古本を買っても、
開かなかったりする私です(笑)。


「思考のレッスン」のはじめの方には
こんな箇所。

「文筆業者は、まず第一に、
新しいことを言う責任がある。
さらに言えば、
正しくて、おもしろくて、
そして新しいことを、上手に言う、
それが文筆家の務めではないか。
もっとも、
『正しくて、おもしろくて、新しいことを、上手に』
と、四拍子全部そろうことはなかなかむずかしい。
それならせめて、新味のあることを
言うのを心がけるべきではないか。
単なるイミテーションによる文章、
総まとめの文章、調べて報告する文章、
それだけのものを書くんだったら、
黙って寝ころんでいるほうが
マシじゃないかなあ(笑)。」
(p9)

はい。ブログに毎日書こうと思いながら、
書けずに、高望みばかりする私には
なんとも、耳が痛い言葉です(笑)。

「思考のレッスン」は
最初に、こうあって、
これで、最後まで読ませる。

いったい、この本のどこが良かったのか?
暇なとき、考えてみよう、などと思ったまま、
そのまま、本棚でホコリをかぶっておりました。

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本をして語らしめよ、お前は語るな。

2015-08-14 | 温故知新・在庫本
ここ数日、パソコンわきに、雑誌
BRUTUS2013年6月15日号
「古本屋好き。」を置いて、
ときどきぱらり(笑)。

いながらにして全国の古本屋125店を
めくれる楽しみ。

お店の本棚にかこまれて、
たたずむ店主の姿がまぶしい。
うん。これを見ちゃうと、
本棚だけの写真の味気なさ(笑)。



「古書目録は、店主の心意気を語るもの。
・・目録作りで自戒とする言葉は、
『本をして語らしめよ、お前は語るな』。
精読に基づく引用で本を語り、
いかに効果的に並べるか。そして
古本に新たな価値を与えて送り出す。」
(p85)

これは、月の輪書林さんの言葉。


昨日は、我が家の在庫本
「幅書店の88冊 あとは血となれ、肉となれ。」
が見つかったので、この雑誌の近くに置くことに(笑)。





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