和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

マニュアルなし。

2013-02-28 | 短文紹介
今日は28日。2月も終りですね。
先月の下旬に発売予定だった
曽野綾子著「不幸は人生の財産」(小学館)が
今月の下旬にようやく発売。
うん。ゆっくりと読んであげる。

この本については

「本書は『週刊ポスト』の2010年8月13日号から2013年1月1日・11日合併号に隔週連載された『昼寝するお化け』を再編集したものです。・・」と目次のあとに説明されておりました。
どうも日付は前後しながら、一冊になっているようです。
貴重なのは、東日本大震災が間にはさまっていた時期の週刊誌連載ということ。
さてっと、どんな内容となっておりますか?

ちなみに、11年4月8日号は「マニュアルなし」と題しておりました。
そこに、
「前の戦争を知っている私たちの世代は、今回の地震に遭ってもあまり慌てていない。戦争中は非常時だったから、今までの生活環境がすべて壊れる現実の経過を、目のあたりにして育ったからである。」(p16)

うん。きちょうな戦中世代の心構えを教わるつもりで、
これから、読んでみます。

そういえば、
池上彰著「学び続ける力」(講談社現代新書)に
こんな箇所がありました。

「私が東工大で教えるきっかけになったのは、『はじめに』でも書いたように、2011年3月11日の東日本大震災、そして福島第一原発事故がきっかけでした。」(p40)

「もう一コマ、一年生対象の講義は『現代日本を知るために』です。これは第二次世界大戦後から現在までの、日本現代史です。・・・東日本大震災で大打撃を受けた東北地方のこれからの復旧・復興を考えるうえで、1945年の終戦後、焼け野原から復興し、成長してきた日本の歴史を振り返ることは、役に立つヒントになるのではないか、精神的に打ちひしがれている若者たちに、先輩たちの努力を伝えることで、勇気づけることができたら、と思いました。」(p49)

この「先輩たちの努力」を伝える語部に、曽野綾子氏もくわえておきましょう。
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トモダチ作戦の費用。

2013-02-27 | 短文紹介
WILL4月号の「蒟蒻問答」に、こんな箇所がありました。

堤堯】 ・・トモダチ作戦の費用は68億円で、その請求書が来たというじゃないか。おトモダチと言ったってタダじゃない(笑)。


これが本当かどうか、私は知りませんが
さもありなんと思えるのでした。
それで、思い浮かぶのは、
日下公人著「日本精神の復活」(PHP)のこの箇所。

「戦後すぐにアメリカはガリオア・エロア援助を行い、日本の国会は感謝決議をしたが、その後、アメリカは日本に返済を迫った。その総額は20億ドルだった。日本は当惑したが、強圧に負けて『債務と心得る』という国会決議を出し、『国会は国権の最高決議機関である』として超法規的に返済した。国民は食糧援助を配給で受け取ったので、そのとき代金は払っているのに、そのうえアメリカに支払うために納税したから、二度払いだった。日本はそれを三分の一だけ返し、さらに『終戦処理費』という名目で、日本の国家予算の四分の一を在日米軍などの諸経費としてアメリカに納めたこともある。
昭和21(1946)年から始まった猛烈なインフレは、戦争に負けたから起こったわけではない。米軍が日本でぜいたくな暮らしをしていて、その経費を日本が払っていたから起こったのである。アメリカにお金を渡すために、日本銀行はやたらとお金を印刷したから、たちまちインフレになった。
そのことは当時のアメリカ連邦議会でも問題になっていた。『世界で一番豊かな国の兵隊が、世界で一番貧乏な、焼け野原の住人から金を巻き上げて遊んでいる』という理由でマッカーサーが批判された。・・・」(p88~89)


ちなみに、WILL4月号の
堤堯の今月の一冊は
ポール・クルーグマン著「さっさと不況を終わらせろ」(早川書房)でした。
その本の紹介にこうあります。

「加えて、円をジャブジャブ刷り増しているという反論は事実に反する。世界で通貨を発行する国は189ヵ国。その通貨発行量の伸び率をここ十年で見ても、日本は189位の最下位だ。それほど日本は通貨発行量を抑えに抑えてきた。
くらべて、アメリカはドルを三倍に刷り増した。FRB総裁バーナンキは『不況脱出にはドルを刷りまして、ヘリコプターからバラ撒けばいい』として、『ミスター・ヘリコプター』と呼ばれた。おかげでアメリカ経済は回復基調に乗り、住宅市場は24%の回復を示している。
一方、ポンドは四倍、ユーロは二倍に刷り増している。なのに安倍首相が金融緩和策に出るや、欧米は非難の大合唱だ。・・・自国の通貨刷り増しについては棚に上げてひと言もない。為替操作の言いがかりといい、通貨安戦争の元凶呼ばわりといい、むしろ仕掛けたのは欧米ではないか。」

そして、堤氏は、この本の紹介文の最後を、こう締めくくっておりました。

「内外でアベノミクス非難の大合唱が聞こえるいま、必読の書として推したい。」


う~ん。読もうかどうか。
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無地のネクタイ。

2013-02-26 | 短文紹介
新刊・丸谷才一著「無地のネクタイ」(岩波書店)が届く。
以前に「図書」に連載していたもの。
私は、連載「バオバブに書く」を読んだような気がしています。
たしか鶴見俊輔氏の連載があったので、その期間読んでいたのでした。

とりあえず、パラリパラリ。
目にとまったのは、「名前をつける」というエッセイ。
その書き出しはというと、

「日本海軍の軍艦名は趣味がよかつた。
戦艦は国名によるきまりで、伊勢、河内、薩摩、長門、武蔵、陸奥、大和など。榛名、比叡、富士、三笠など山名によるものはいはば例外だが、いづれも由緒正しく、音調も字面もよく、立派である。一等巡洋艦は浅間、足柄、畝傍、鳥海、羽黒などと山にちなみ、二等巡洋艦は天龍、利根、長良、最上、吉野といふ具合に河川のゆかりでゆく。みな風韻に富み、美しい。とりわけ心をゆさぶるのは駆逐艦で、萩、菫、椿、柿、桃、梨、梅、松、檜、榎、樺、楠、樅、杉、柳と植物で揃へたり、陽炎、雷、吹雪、白露、海風、島風、磯風、と天象づくしや気象でづくしで行つたりして、大和ことばの美を競ひながら詩情をただよはす。
いけないのは航空母艦のときである。これは空を飛ぶ瑞祥動物にあやからうとした魂胆がよくなかつたのか、漢字の取合せに手古摺(てこず)つたのか、雲龍、翔鶴、祥鳳、瑞鶴、蒼龍、大鳳、鳳翔、龍驤(りゅうじょう)、龍鳳と、何となく騒々しく、品がなく、馬鹿ばかしい。この手の艦名を評して、田村隆一は『あれでもうお終い。堕落、デカダンスね。(中略)あれでもうわかるだろ、日本の近代化の文化度が』とくさしてゐた。航空母艦はおほむね昭和にはいつてからのものだから、時代が下るにつれて海軍軍人の語感も落ちてきたのか。・・・」

うん。ついつい引用してしまいました。
これがはじまりで、そのあとに相撲の醜名(しこな)となり、
中頃から
「などと話をはじめたのは、もちろん今出来の地名について論じたいからである。」となるのでした。
うん。けなしていくのですが、最後にほめております。

「しかしめつぽう気に入つた新地名もある。一つは石川県の白山市。名山にちなんで柄が大きくまことに楽しい。・・・もう一つは静岡県の裾野市。富士を誇つて言ふほのめかし方に風情がある。・・・」(~p140)

うん。5頁ほどのエッセイで、私は満腹・満足(笑)。
困るのは、この本の残りのエッセイを読む気がしなくなること。
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WILL100号記念号。

2013-02-25 | 短文紹介
定期購読のWILL4月号が、今日、ポストに届く。
100号記念の特大号。


タイムリーなのが
堤尭・久保紘之対談「蒟蒻問答 第83回」。そこに、
予算委員会での石原慎太郎氏を話題にした箇所がありました。
うん、うんとうなづきながら読みました(笑)。


堤】 ・・・12日の予算委員会見ましたか?
石原慎太郎が質問をしたけど、久し振りに面白かったなぁ。(p245)

堤】 ・・石原が最後のほうで環境問題について聞いたら、安倍が「環境問題は大事な問題で重視している。だからこそ、息子さんの石原伸晃議員を環境相に任命した」と返したのは秀逸、余裕の答弁だったね(笑) (p246)

そして、この号の対談の最後を引用しなくちゃ。

堤】 それにしても、予算委員会で安倍と麻生が並んで坐っている。片や吉田茂、片や岸信介の孫だ。鳩山一郎の孫はロクなものじゃなかったけど(笑)、まんざら世襲も悪いものじゃないとわかるね。
久保】 世襲自体は悪いものではありませんよ。大事なのは、先代の教育如何にかかっています。たとえば、細川護貞は息子である護煕を常に「彼」と呼び、首相になった時に「彼は、新聞の見出し的人間ですから」と冷徹に突き放して分析した。つまり首相になれる資格じゃない、と言っているんです。さすが細川幽斎の血統は違うな、と僕は思わず唸ったものです。これは逆説的な帝王学と言えるでしょう。・・・・(p251)

世襲といえば、
渡部昇一氏の連載「書物ある人生」は、この号で
高田保の「ブラリひょうたん」をとりあげておりました。
そこに

「随筆の他に、高田保には『二つの椅子』と題する対談集がある。・・・幸田文とか辰野隆などの対話は、いま読んでも面白い。たとえば、いまの内閣の名前を聞かれても言えないから、歌舞伎の役者のように何代目を使ったらどうかという提案が出たりする。外務大臣なら何代目小村寿太郎とか。文部大臣なら二代目森有礼と言ったら、当時、問題があった国語国字廃止などには名実ともにピッタリするという。
現在でもこれ式に、デフレ脱却を目標にしている安倍内閣の財務大臣の名前が二代目高橋是清と言ったら、なるほど面白いだろう。いまの政治家の誰かがこの何代目になるような改名をやったらどうなるだろうか。誰か自分の尊敬する政治家の二代目を襲名する形にするのは不可能だろうか。ナポレオンにも三世くらいあったはずだ。安倍首相は二代目岸信介とか。」(p298~299)


この渡部昇一氏の文のはじまりも魅力。ということで、長くなるけれど引用しておきますか。

「戦後の新聞のコラムで一世を風靡した感があったのは、高田保が東京日日新聞に連載した『ブラリひょうたん』と、それが中絶した後釜に登場した大宅壮一の『蛙のこえ』である。実に軽妙でありながらピリリと諷刺が効いて、毎回、ただただ感服したものである。文学部に入ったら、いつかはこんな文章を書きたいものだと思ったものである。」

「こう思ったのは私だけではない。同じ寮にいて、一、二年上級生で新聞科の河尻寛という男もそう考えていた。・・・たまたまその頃、大宅壮一は上智の新聞科に非常勤で出講していた。大宅の随筆を読んでいた河尻は、自分でもそれぐらいのものは書けるのではないかと思ったらしい。彼は努力して、『蛙のこえ』風の随筆を書いて大宅先生に見せに行った。そうしたら大宅はこういう主旨の答えをして、彼の作品をその場で返したとのことである。『随筆というのは文章の上手下手の前に、誰が書いたのかが重要なんだ。それぞれの分野で、しかるべき名のある人が書けば、はじめて人が読んでくれるものなんだよ』そう言われて、河尻は納得して引き退って来たと私に語った。そして、二人とも人生の現実を教えられた気がしたのであった。」(p292)


コラムといえば、
「石井英夫の今週のこの一冊」は
竹内政明著「『編集手帳』の文章術」をとりあげて

「『編集手帳』のマクラの博学さには舌を巻くばかりで、これぞ日頃の勉強や蓄積がものを言っている。」(p135)とあります。それから以降が、ここでは書けない面白さなんですが、ここでは書けない(笑)。

そうそう。蓄積といえば
曽野綾子氏の連載「小説家の身勝手」が
1996年、牧師のアルジェリア事件をとりあげて必読。

「1996年のアルジェリア事件は、あまりにも生々しく今回の日揮の事件の背後の空気を語っているように思えたので、私がその概要を紹介する許可を得たのである。」(p121)

あれこれ、100号にふさわしい特大号となっております。

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想定外の20年。

2013-02-24 | 短文紹介
岩井克己著「天皇家の宿題」(朝日新書)の序章は
こうはじまっておりました。

「私が社会部の宮内庁担当を命じられたのは、昭和61年(1986)2月、38歳の時でした。大学で経済学を専攻した私にとっては、社会部に配属されたこと自体、志とは違っていました。ですから社会部でも、せめて建設省や運輸省といった霞ヶ関の中央官庁の担当を、と希望していました。それが中央官庁でも、宮内庁など全くの想定外です。なにしろ『天皇制は日本の諸悪の根源』と言わんばかりの歴史書や論文を読んでいた団塊の世代です。『せっかくのお話ですが、考えたこともありません』と、最初は抵抗しました。でも、社会部長から『君、宮内庁は「やりたい」という記者では困るんだよ』『まあ二年ほどだから』と説得され、そういうものかと思って引き受けました。それが20年も担当することになるとは、思いもよりませんでした。そして、20年間見つめ続けても、いまだによくわからないのが皇室です。5年目くらいから『これは総合社会学だな』と考えるようになりました。あと何年生きられるかわかりませんが、死ぬまで極めることはできない対象だと思っています。」(p13)

第四章のはじまりは

「私の皇室取材駆け出し時代は、浩宮(現皇太子)との登山に明け暮れたような気がします。それが彼との出会いであり、またほぼ同じ時期に雅子妃とも出会いました。昭和61年だけでも、棒ノ折山(六月)、四阿山(八月)、南アルプス荒川三山(同)、利尻山(同)、八ケ岳(同)、平ケ岳(十月)。・・・・
これらのほとんどに同行登山し、時には山頂で親しくウィスキーを酌み交わしながら懇談したこともありました。」(p155)

おざなりの言葉や、公式の言葉で、皇室をくくる愚をおかすことはしない、読み甲斐があって「心にひびく」新書一冊となっておりました。うん。読んでよかった。
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おことば。

2013-02-23 | 短文紹介
山折哲雄氏が「面白く、心に響いた」という新書
岩井克己著「天皇家の宿題」(朝日新書)がとどく。
これ、2006年10月発行なのですが、
ネット古書店では探せずに、新刊本屋さんへ注文しました。
まだ、半分しか読んでいないのですが、
すくなくとも、前半は読み甲斐がありました。

たとえば、
「内閣の助言と承認を得て、といいつつ、様々な『おことば』には当然、ご本人たちの意思も入り込んでいます。現天皇は、『おことば』は自分自身の肉声であるべきだと考えているように見えます。長年取材してきた私から見ても、役人の作文力は落ちていますし、役人の作った文章を読み上げただけでは、いかにも素っ気なくて、しらじらしい内容になりがちです。『心の通い合い』が平成の皇室のキーワードです。現天皇、皇后としては、心の通い合いがなくて何が親善なのか、という気持ちでいるのではないかと私は思います。そして、心のこもった言葉を心がけるとすれば、両国の歴史を振り返り、ぎりぎりの表現も時にはしなくてはならないのだ、という覚悟すら感じます。」(p58)
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宗教の話を。

2013-02-22 | 短文紹介
日経の古新聞をもらってくる。
経済は読まないので、文化欄のチェック。
すると、ありました。
1月30日に安岡章太郎氏死去。
社会面には秋山駿氏の話が載っておりました。

「日本の風土の中に深く下りていき、複雑にして微妙な作品を生みだした。知的で難解な作品を書いた戦後派文学に対し、安岡さんは、故郷の懐かしさの根源となるようなものを、すくい上げた。震災後の日本は、ふるさとを探し求めようとしているが、その心情を先駆的に表現した。座談の名手で、会話はいつも機知に富んでいた。戦後の文学に大きな役割を果した作家だった。」

次の日の1月31日文化欄に瀬戸内寂聴さんが
「はにかみながら励ます人」という文を載せておりました。
そこからも、すこし

「安岡さんと逢う時はたいてい誰かと一緒だったが、一度だけ、二人で三時間も話しこんだことがある。私が出家し、七、八年たっていた。・・・安岡さんは呑むほどに口がなめらかになり・・・ふっと口調をかえると、私の髪のない姿を改めて見直す表情になっていた。『瀬戸内さんが出家した時ね、ぼくは開高健とパリにいたのよ。朝刊に瀬戸内さんの出家の報がでかでか出ているのをホテルで開高と二人で見たんだよ。・・・』・・それから遠藤さんから聞いているらしく、私が出家する前カトリックの洗礼を受けかけた話までして、宗教の話を熱心につづけた。・・・このあと何年かたち、安岡さんはカトリックの信者になった。・・・」

ちょうど、この瀬戸内さんの追悼文が載った文化欄の「交遊抄」は中野三敏氏が書いておりました。

瀬戸内さんと宗教といえば、
梅原猛さんとの対談「生ききる。」(角川oneテーマ21新書)に
こんな箇所があるのを思い浮かべました。

瀬戸内】 私はね、坊さんになる時は本当に自分のために出家したんですよ。もっといい小説を書きたいと思ったけれど、私には哲学もなければ何もない。何かしっかりとした背骨が欲しいと思って坊さんになりました。
キリスト教でもよかったんです。初めは遠藤周作さんに頼んでクリスチャンになりかけた。けれど結局、坊さんになった。そうしたら、天台宗は最澄の忘己利他(もうこりた)が根本でしょう。人のために尽すのがもっとも大切な行です。義務です。やっぱり人のために何かしなきゃいけないと思うようになった。これはえらいことになったと思ったけれど、今さらやめられないでしょ。還俗なんて考えられない。
しかし大変でした。義務は果さなければいけない。戒律は守らなければいけない。でも戒律って守れないことばかり書いてある(笑)。嘘をつくなっていったって、私は小説家。・・・・
戒律はおよそできないことばかり書いてある。ああ、これはお釈迦さんができないことを並べて、人間にはできないことがたくさんあるんだって、それをわからせようとしたんだな、と思いました。それじゃ一番できないことを絶とうと決心して『色』を絶った。私は51歳で出家して以来、色恋はまったくしてないですよ。(p54~55)


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半年間我慢。

2013-02-21 | 本棚並べ
日下公人著「日本精神の復活」(PHP)
小川榮太郎著「約束の日 安倍晋三試論」(幻冬舎)
中西輝政著「賢国への道」(到知出版社)
渡部昇一著「取り戻せ、日本を。安倍晋三・私論」(PHP)

とりあえず、4冊読んだわけですが、
たいてい、ここまでで
あとは読み返すことがなかった私であります。
今年は、ちょっと机の脇において、なんとか、
もう一度パラパラとめくろうと思います(笑)。

たとえば、
渡部昇一氏の本と中西輝政氏の本の微妙な違いは、
こんな箇所なのかなあ。

「本当の安倍政治が始まるのは、参院選のあとなのです。それを見たければ、安倍さん自身も、彼を支持する人たちも、半年間我慢しなくてはなりません。・・参院選に勝てば、第一次安倍政権が掲げた『戦後レジームからの脱却』を改めて掲げて、前政権でやり残したことを次々と実現していくはずです。歴史問題も真正面から取り組んでいくでしょう。・・・まさに『日本を取り戻す』のです。そのために、より手前の今日明日をどうするかを考える。そういう発想が、安倍さんにも、また日本の国民一人ひとりにも求められてきます。今までであれば、『こうあるべき』と論じていれば済んでいたのですが、もはや『べき』論は通用しない時代です。『実際問題、一番いいのは、どちらなんだ』という明確な選択をしなくてはいけません。強い信念があるからこそできるような、そういう大人の判断が一人ひとりの国民に求められているのです。」(中西輝政著「賢国への道」p200~201)
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政治的センス。

2013-02-20 | 短文紹介
渡部昇一著「取り戻せ、日本を。 安倍晋三・私論」(PHP研究所)を読みました。

石原慎太郎氏の国会質問と、けっこう重なる箇所があるなあ、などと読んでおりました。
渡部昇一氏の発言は、きちんと繰り返し発言される重要さにあると思っております。

ああ、こんな箇所もありました。

「昔も今も、『朝日新聞』は安倍さんを毛嫌いしています。第一次安倍政権当時の、マスコミの執拗なバッシング報道は、小川榮太郎著『約束の日 安倍晋太郎試論』(幻冬舎)に詳しく述べられています。」(p179)

ここでは、この本に登場する渡部昇一氏の経験に即して、引用していってみます。

まずは、岸信介氏について、

「岸は戦後、『A級戦犯』容疑者となりますが、不起訴となって公職追放されました。公職追放は昭和27年に解除され、政界に復帰しますが、じつはその直前、岸は西ドイツを訪問しています。戦勝国のアメリカではなく、西ドイツを選んだのが、岸の政治センスの優れたところでしょう。当時の西ドイツは奇跡的な復興を遂げていました。
私は昭和31年に西ドイツに留学しましたが、このころの東京はバラックだらけで、大学寮も、冬は外と同じくらい寒く、夏は外よりも暑かったのです。トイレや洗面所は別の建物。雨の夜は大変でした。ところが、西ドイツは街中が廃墟になったにもかかわらず、そのころは再建が進み、学生寮でさえ、セントラルヒーティングが行き渡っていたのです。
当時の西ドイツは、アデナウアー初代連邦首相が圧倒的な支持を受けていました。私は知人の家を訪ねたとき、普及しはじめたばかりのテレビで彼の演説を聞きました。アデナウアー首相はこのとき、三つの方針を示しました。

① アメリカと足並みを揃える
② 共産主義とは妥協しない
③ 統制経済をやめて自由主義経済を採用する

のちの岸首相も、アデナウアーとまったく同じ方針をとりました。日米新安保条約を結び、共産主義とは相いれず、統制経済を次から次へと解除したのです。」(p155~156)

「ちょうど、日本中が『安保反対、岸を倒せ』と合唱していた当時、私は初めて大学の教員になりました。・・私は、どう考えても岸の言っていることが正しいと思い、勤務先の上智大学で『岸首相を励ます会』をつくって、自ら会長になりました。・・・」(p202)

今回はどうだったのか?

「安倍晋三さんが、まだ総理総裁となる前の話です。先日お亡くなりになった政治評論家の三宅久之さんから、『安倍さんを総理にしょう』という呼びかけがありました。
三宅さんは生前、『六年間、美しい日本をつくろうと首相の座につき、厚い官僚の壁と戦い、利権構造打破に挑んだ安倍晋三氏。今、病を克服し日本のリーダーとして復活を期しています。この安倍氏に日本の未来を託すべく、私たち有志が立ち上がりました。志を同じくする方々の参加、応援を宜しくお願い致します』と声を上げ、同志の皆さんに呼びかけたのです。そうして生まれたのが『安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会』です。私も発起人の一人となりました。代表発起人の三宅さん以下、37名の著名人が名を連ねています。詳しくは、有志の会の公式サイトをご覧いただきたく存じます・・・」(p88)

そうした際に、朝日新聞はどうしたのかが、この本に書かれております。

「安倍晋三候補が当選した昨年(2012年)の自民党総裁選の結果を受けた9月27日付の『朝日』社説は、題して『安倍新総裁の自民党 不安ぬぐう外交論を』でした。文字どおり、表題から読者の『不安』を煽った社説です。本文でも冒頭から、こう安倍当選を揶揄しました。」

 うん。このあと社説を引用しております(p180~181)
いまさら、引用する気にならない私は、ここをカットしてつぎにいきます。

「長々と引用しましたが、本当なら、全文を紹介したいくらいです。あまりにひどい内容でした。もはや細かく論評するまでもありません。露骨な世論誘導ではないでしょうか。事実上、総裁選に突入していた昨年9月7日付の社説は、さらに酷(ひど)いものでした。・・本文の最後を『一国の政治指導者として不適格だ』と締めて、烙印を押したのです。」(p182)

せっかくなので、もうすこし引用をつづけます。

「今後もそうでしょう。第二次安倍内閣にとって最大の敵は、『朝日』に代表される反日マスコミなのかもしれません。そこに救いがあるとすれば、天下の『朝日』を筆頭に、ここまで露骨な世論誘導が図られたにもかかわらず、わが国民が下した審判は、『朝日』が求めた結果とは正反対になったことでしょう。もはや、かつての日本とは違う。『朝日新聞』が社説で『不適格』と決めつけた人物が、一国の政治指導者になる時代です。・・」(p184)
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という評論家。

2013-02-19 | 短文紹介
昨日は、中西輝政著「賢国への道」(到知出版社)を読みました。
スラスラと読めます。今日になって一箇所だけ引用するとしたなら、私はこれ。

「あの反日デモのあとで、私は田原総一朗さんの司会するテレビ番組に出ました。そこに元外交官の孫崎享(まごさきうける)という評論家が出てきて、こんな発言をしました。
『昭和53年に日中平和友好条約の締結のために小平が日本へ来たとき、尖閣の問題は我々の世代は知恵がないから、知恵のある将来の世代に委ねようという話をした。あの頃から日中は棚上げで合意している。その後、ずっと現状凍結できて何も起こっていないじゃないか。それなのに今回、日本政府は国有化に踏み切った。これが中国を怒らせているんだ』と。
これには驚いて、私は『棚上げなんか中国側はしていませんよ』と反論しました。一緒に出演していた外務省出身のもう一人の方も『日本政府は当時も今も棚上げに合意したという事実は一切ない』と言いました。小平が勝手に発言しただけなのです。
私はいつも強く言うのですが、中国側は自ら言い出した棚上げを、その後、一切反古にしているのです。小平の言葉は完全に嘘だったと証明されていることを知らなければなりません。『棚上げ』発言から14年後の1992(平成4)年に、中国は小平の承認を得て『領海法』という法律を制定していますが、その条項の中には『尖閣諸島は中国領土である』とはっきり書かれています。これは棚上げどころか、中国の国内法上、『国有化』したも同然なのです。この法律を制定した時点で、中国側は棚上げをやめていたのです。
私が尖閣の問題に危機感を持った最初の出来事も、この領海法の制定でした。・・・・
・ ・・・・・・・
この領海法一つ考慮に入れず、『日本側が先に現状を変更した』などという話をする日本人識者は、到底誠実な知識人、専門家とは言えません。一体全体どこの国の利益を代表してものを言っているのだろうかと思うほど、おかしな議論です。
ですから、日本は『尖閣国有化を撤回せよ』という中国の要求は何があっても呑めない、と明示しておく必要があります。もしも日本がこれを撤回したら、その瞬間に、世界は日本が尖閣を中国に返したのだと受け止めます。将来、国際裁判を起こしても絶対に勝てません。国有化は日本が最低限死守すべきラインなのです。・・・」(p76~79)


とかく、本などでは、名指しで論評するのは避けがちなものです。けれども、一読者にとっては、名前をあげていただかないと、なかなかに選別がむずかしいものです。うん。おかげで『誠実な知識人・専門家』の範囲の外に、孫崎享氏を置くことができました。読書のピントをあわせて、少しずつですが、焦点が定まってくるような気分になれます。
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真っ当な展開。

2013-02-18 | 短文紹介
今日は、「新潮45」の発売日。
巻頭随筆は徳岡孝夫。そのつぎに曽野綾子の連載。
そしてつぎが山折哲雄氏の「皇太子殿下、ご退位なさいませ」という9頁の文。
岩井克己著「天皇家の宿題」(朝日新書)に啓発されたという箇所があります。
まずは、そこの引用。

「・・それを読んで私は大いに啓発された。皇室問題を検証するのは、まさに『総合社会科学だな』と書かれていたのも面白く、心にひびいた。現在の天皇・皇后両陛下が大規模災害の直後の被災地を見舞うようになったのは平成になってから、という指摘にもハッとしたのである。」

う~ん。皇太子の際には、見舞わなかったのかなあ?
そこいらは、ちょっとこの新書を読んでみないとわからないなあ。


「平成三年(1991)七月、雲仙普賢岳の火砕流被災地への訪問を皮切りに、平成五年の北海道南西沖地震で津波の被害をうけた奥尻島、平成七年の阪神淡路大震災の被災地、そして今回の3・11の大災害で東北の被災地へと、その慰問と励ましの旅は国民のそば近く身を寄せ、犠牲者のために祈りを捧げるというスタイルを貫かれていた。沖縄への慰霊の旅もその一環だったと考えられるだろう。」

「とりわけ私が岩井氏の本によって教えられ、胸を衝かれる思いをしたのがつぎのようなエピソードである。」

「現天皇がまだ皇太子時代、報道機関から天皇の理想のあり方を問われたときのことだ。『伝統的に政治を動かす立場にない』として、平安時代の嵯峨天皇以来の『写経の精神』を挙げられたという。自らの身近な祖先である明治、大正、昭和の近代の天皇、つまり帝国憲法下の天皇は、いまや戦後の象徴天皇のモデルにはなりえない。むしろ天皇家が衰微していた遠い過去の時代の天皇に『象徴』としての理想像を求め、人々にじかに精神的な慰めや励ましを与える存在であろうとする、そのような現天皇の静かな決意が、そこにはあらわれていたのではないかと、氏はかいていた。」(p23)

ここから、現皇太子の問題へと展開してゆくのでした。

昨日読んだ「約束の日 安倍晋三試論」では、朝日新聞への冷静的確な指摘があり、ハッとさせられたのでした。
どうして雑誌には、そういう包括的な指摘ができないかというのを、「新潮45」の玉木正之氏の文「スポーツは本来『暴力』とは対極にある」を読みながら、あらためて考えさせられます。

「日本のメディアは、ことスポーツに関する限り、ジャーナリズムとしての報道や批判以上に、主催新聞社や後援放送局としてスポーツに関わっているケースが多い。」

「高校野球で、それを主催するのは朝日新聞社や毎日新聞社。従って問題の本質に迫る高校野球批判は、系列のテレビ局も含めて、なかなか表立っては出てこない。」

「全国高校サッカー選手権の決勝戦が大雪で延期され、センター試験と同じ日に行われたことも・・・日本テレビ系列などの民放43社が主催し、読売新聞が後援するなかで、ジャーナリズムは、真っ当な批判を展開できなかった。」

「他にも様々なスポーツ・イベントがマスメディアと結びつき、スポーツ・ジャーナリズムは機能しないことが多く、日本のスポーツや体育は、大きく歪められている。・・」(p77)


昨日書き込んだブログの「約束の日 安倍晋三試論」について。
読後に明快になったひとつは、大きく歪んだジャーナリズム朝日新聞を正々堂々屈託なく批判展開していることでした。それが、雑誌などからはうかがい知れない眺望として読めたのでした。文芸評論の地平が、現代社会・政治へとひろがったという手ごたえを昨日はもったのでした。と、今日になって書き足しておきます。
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安倍晋三試論。

2013-02-17 | 短文紹介
注文してあった小川榮太郎著「約束の日 安倍晋三試論」(幻冬社・2012年8月発行)が、昨日とどく。とりあえず。読み終わる。
最後のほうにこうありました。

「安倍は、池田勇人の『所得倍増』以来、経済政策しか語らなかった歴代首相の中で唯一、『戦後レジームからの脱却』という国家の物語を語り、その物語に、政治家として息を吹き込もうとしたのだ。
安定した社会では政治家は『実際的利益』にだけ配慮していればよい。だが、『実際的利益』への配慮だけでは、その利益さえも得られなくなる時がくる。それは個人の人生でも国家の命運でも同じである。価値への希求がなければ、何が真の利益かも見えなくなってしまう瞬間があるのだ。
安倍が首相として登場したのは、日本にとって、まさにそういう局面だった。・・その意味で、安倍の『戦後レジームからの脱却』という理念政治は、日本の『実際的利益』を担保するという本来の役割を政治が果し直せるようになるためにも、土台造りとして、必要不可欠な試みだったのである。・・・
だが、これらを国民的な物語にしようとした安倍の志は、政策として果実を結ぶ前に、いやそもそも国民に届く前に、葬られてしまった。日本人の自己回復の戦いに、共に挑戦しようと訴えかけた総理が、その理念や業績とはまるで無関係なバッシングで引きずり降ろされ、国民はその仕組みと仕掛けとに気づきもしなかった。たった五年前の、この強烈な政治闘争は、それを正しく理解する者が殆んどいないまま、完全に封印されてしまった。
そして、その後、マスコミや有識者の誘導に乗って誕生した民主党政権は、日本の国力を日々消耗し、マスコミはその失政を容認し続けている。『安倍革命』の壮大なヴィジョンと、沸騰し続ける政権運営からは信じ難い政治の劣化だが、人々は、手を拱(こまね)いてため息をつくばかりだ。『決められない政治』という冴えないリフレインが、時代の合言葉になり、有識者ですら、日本の政治はこの二十年いつもそうだったと思い込んで、怪しまない。・・・・
安倍政権の挫折は、安倍晋三個人の敗北ではない。
日本国民の敗北だったのだ。 」(p206~208)


もし、この言葉に興味を覚えるようでしたなら、
どうぞ、お読みください。
私はこの試論を堪能させていただきました。
安倍氏に対する朝日新聞の数々の振る舞いに、
これで、引導を渡すのことが出来たのだと、そう信じます。
拍手。
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同級生たち。

2013-02-16 | 短文紹介
曽野綾子著「この世に恋して」(WAC)は、読んでよかった。
その関連で、「歴史通」2013年3月号の
「アッキーのスマイル対談」(p128~)を読んだのでした。
17ページほどの対談を読んでよかった。
総理夫人・安倍昭恵(あきえ)さんと曽野綾子さんの対談。
ちなみに、安倍昭恵さんの略歴に
「聖心女子学院初等科・中等科から聖心女子専門学校へ」とあります。

曽野】 ・・目の不自由な方たちとイスラエルなどへ行く聖地巡礼の旅を53歳のときに企画しました。ボランティアですから、目の見える方も見えない方も同じ旅費を払って、一緒に旅行します。この旅は2006年まで、23回続いたのですが、初めて昭恵さんに来て頂いてイタリアに行ったのは、このボランティア旅行でしたね。
・ ・・・・・・・・
安倍】 あれが2003年で、翌年にアフリカのマダガスカルと南アフリカへ連れて行っていただきました。
曽野】 マダガスカルというのはなかなか大変な国なんです。あの時も行けない都市はありましたけど、アフリカというのが地球上で経済状態が一番悪いから、それを見ていただくのもいいなと思いました。昭恵さんなら、将来、いいところはほっておいてもいくらでもごらんになれる・・・・

「海外邦人宣教者活援助後援会(JOMAS=ジョーマス)」にふれた箇所があります。

曽野】 そうですね。JOMASはNGOですが、40年間務めさせてもらって計画通り退任しました。そもそもJOMASは、私がマダガスカルの修道院にある産院を取材させていただいたときに、あまりの現実の悲惨さと貧しさを知り、それを書いた小説や私の話で知った知人たちが、お金を送ってくれるようになったことが始まりなんです。・・・・私が代表となり、聖心女子学院時代からの同級生たちが手伝ってくれました。活動としては、海外に住んで活躍している修道女と神父さまがやっていらっしゃる事業に、直接お金を支援することです。実働したのは聖心女学院時代の友人で、私と同じ年代の四人だったのです・・・ちなみに、受けたお金を無駄にしないことが大切ですから、事務の経費は私や仲間が負担し、寄付は全額援助にまわすという原則を決めました。

シスターたちについても引用しておきます。

安倍】 ・・日本のシスターたちは素晴らしいですよね。・・・
曽野】 この間もまた一人チャドで亡くなったんですよ、現地で。でも、ご遺体なんて持って帰りません。全部そこで埋葬するんです。たとえば大使館はもちろんですが、政府の機関に仕えるところや、青年協力隊も何かあったらすぐに引き上げます。それは当たり前ですよね。命が危険にさらされるわけですから。でもシスターたちは帰りません。だから帰ってしまうようなところに我々はお金を出せないわけです。マダガスカルの場合は、外科室をシスターたちが管理していますから、それで昭和大学のドクターが手術をできるわけです。ボリビアの場合ですが、私たちは青年協力隊に外科室の修理を託したんですが、政変があったときに青年協力隊がすぐに帰ってしまったので、国立病院が管理することになりました。通常、国が管理するとめちゃくちゃになるのですが、そこはイタリアの修道会が入って見張っていてくれたので大丈夫でした。
やはり修道会というのは命を懸けていますから、外国の修道会でもちゃんとやるんですね。それを私は見て育ったものですから、人生に対する見方がちょっと違うんです。
ちなみに、マダガスカルの修道女は70代ですし、チャドにいたっては83歳か84歳が現役ですよ。
安倍】 シスター自体も若い方はほとんどいなくなっていますよね。日本の修道会も養老院のようになってきていて。・・・・



うん。なんだか、曽野綾子自伝「この世に恋して」の続篇を読んでいるような気分になります。
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石原慎太郎録画。

2013-02-15 | テレビ
録画しといた2月11日の国会中継を、このまえ見ました。
「衆議院予算委員会質疑」の午後の部。
維新の石原慎太郎氏が質問している箇所を再生。
けっこう長く質疑応答をしているのでありがたい。
じっくりと見て聞く甲斐があります。大切に、
ときどき、再生して見ることにします。
さりげなくも、大胆にして、
つっこんだ話をしているのが、
聞いていて快いのでした。

こういう質疑を聞けるよろこび。
その語り口や雰囲気をお伝えしたいのですが、
といっても、すぐに忘れているので(笑)、
いつでも再生して見れるのは、
何よりも、ありがたいなあ。
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ついに目覚めた。

2013-02-14 | 短文紹介
日下公人著「日本精神の復活」(PHP)は、たのしい一冊。
序章に、こんな言葉があります。

「約三年半の民主党政権について、私は『あの政権があって良かった』と考えている」(p15)

「民主党政権の素人政治主導が招いた外交、経済、国政の惨状を目の当たりにし、ついに日本の大衆が目覚めた。民主党政権は立派に『歴史的使命』を果たし、お役御免とばかりに政権の座から下ろされた。大変結構なことである。」(p20)

第四章には、こんな箇所がありました。

「いまも経営者の感想やアイデアは有益だが、言論界はそれを取り上げない。マスコミは『財界人は儲けることしか考えていない』と言うが、それは学者も新聞記者も官僚も同じで、儲ける才能に自信がないので学界や官界に入り、言論界では売らんかなの記事を書いたりしていたのではないか。自分が選んだ道に誇りがあれば、他人のことは気にならないはずである。
最近はアメリカに留学して、すっかり洗脳されて帰ってきて、自分では無自覚のうちに『内通者』になっている人がいるという新たな問題も出てきた。本人は一所懸命なのだが、頑張るほど日本の損になることに気がつかない。
付け加えて言うと、アメリカにはそのための情報工作機関がある。『アメリカに都合のよいことを発信し続けていれば、いくらでも情報を流してやる。ただし、おまえが反米的なことを書いたら、もう教えてやらない。アメリカへ取材に来るというビザもやらない。見学したいと言っても、絶対に見学させない』と脅す。そうなるとアメリカをネタに書いたり研究できなくなってしまうから、従わざるをえない。」(p147~148)


第五章はこうはじまっておりました。

「日本は平和ボケだと言われるが、ありがたいことに『目を覚ませ』とばかりに日本の領土や資産を掠め取ろうとする国が現れてきた。この現在を予見し国防に関する備えを進めた政治家は、安倍晋三氏ただ一人である。安倍晋三氏の外交感覚の鋭さを知ったのは、私が働いていた東京財団が主催する講演会に氏を招いたときのことである。2003年・・・大勢の観客を前に、正々堂々と正論を言える政治家がわが国にも現れた、と私は思った。だが安倍氏以外の政治家から、そうした正論は聞こえてこない。」(p160~161)

「2012年9月『約束の日 安倍晋三試論』(小川榮太郎著、幻冬舎)が出版され、ベストセラーになった。日本人がどれほど安倍氏を求めているか、反対に『朝日新聞』をはじめとするマスコミがどれほど血眼になって『安倍叩き』をしたかがよく分かる本である。朝日新聞社の幹部は『安倍の葬式はうちで出す』とまで言い放ったというが、世界最高の日本の庶民は安倍政権を正当に評価し、再び首相となった安倍氏に期待している。同書が売れたのは、その証拠である。・・・・・
この本の小川榮太郎という著者は文藝評論や音楽評論が専門で、政治とは遠い世界にいる。だから安倍晋三という人物や『戦後レジームからの脱却』というスローガンに込めた政権の真意に迫れたのだろう。物知り顔の政治記者が政治を正しく捉えていると考えるのは大きな誤りで、政治家より小説や音楽のほうが物事の本質を見抜くことがよくある。経済学の専門家が実体経済の何たるかを知らないのと同じである。」(p162~163)

うん。遅ればせながら、さっそく『約束の日 安倍晋三試論』を注文。
「ついに日本の大衆が目覚めた」とするベストセラーを読むことに。
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