小田嶋隆著「場末の文体論」(日経BP社)を
ぱらりとひらいてみると、
こんな箇所がありました。
「・・文章を書く人間は、
言葉を並べることはできても、
行間を書くことはできない。
そして、最も普遍的なメッセージは、
行にではなく、行間に現れることになっている。
ということはつまり、
文章を書く人間は
内心を隠すことができないのである。
・・・・
だからこそ、嫌いな人物について書く時は、
極力上品な書き方を心がけなければならない。
具体的には、感情的な物言いを避けて、
つとめて理性的に、抑制をきかせた
文体で書かねばならないということだ。
でないと、嫌いな対象についての文章は、
読者をげんなりさせる、
なんとも下品な読後感を醸すことになる。
その点、好きなものについて書く時は、
自由に書いてさしつかえない。
多少行き過ぎの表現があっても、
独善的な決め付けが並んでいても、
対象への愛情が欠点をカバーしてくれるからだ。」
(p146~147)
ハイ、来年こそ「好きなものについて書く」。
そう心掛けることにいたします(笑)。
ぱらりとひらいてみると、
こんな箇所がありました。
「・・文章を書く人間は、
言葉を並べることはできても、
行間を書くことはできない。
そして、最も普遍的なメッセージは、
行にではなく、行間に現れることになっている。
ということはつまり、
文章を書く人間は
内心を隠すことができないのである。
・・・・
だからこそ、嫌いな人物について書く時は、
極力上品な書き方を心がけなければならない。
具体的には、感情的な物言いを避けて、
つとめて理性的に、抑制をきかせた
文体で書かねばならないということだ。
でないと、嫌いな対象についての文章は、
読者をげんなりさせる、
なんとも下品な読後感を醸すことになる。
その点、好きなものについて書く時は、
自由に書いてさしつかえない。
多少行き過ぎの表現があっても、
独善的な決め付けが並んでいても、
対象への愛情が欠点をカバーしてくれるからだ。」
(p146~147)
ハイ、来年こそ「好きなものについて書く」。
そう心掛けることにいたします(笑)。