大村はま著「学習慣用語句辞典」(三省堂)は、
ちょっとかわっておりまして、ことばの説明は後回し。
言葉の使い方を、会話形式でもってそのニュアンスを
大切にしております。普段つかう教室での場面を舞台にして、
そこでの、言い回しに腐心した身近な一冊となっております。
うん。何を言っているのやら、これじゃ分かりづらいですね。
そんなことを思っていたら、古本で200円で手にしたのが、
秋田実著「日本語と笑い」(日本実業出版社・昭和51年)。
その「まえがき」には、こんな箇所がありました。
「・・徹頭徹尾、習うより慣れろ、それを言い通して来た。
・・お手本はわれわれの日常生活で、
自分や周囲のつかっているふだんの言葉や言い廻しに注意する。
その癖や習慣をつける、それが・・第一歩である。・・・」
うん。言葉の意味を習うよりも、ふだんの言葉や言い廻しに注意する。
さりげなくも、大村はまさんの「学習慣用語句辞典」の着眼点はそれ。
はい。ちなみに、この秋田実の本の「まえがき」の終りの方に
こんな箇所がありました。こちらも引用。
「この本の原稿を書いている間、いつも傍らに二才になる男子の孫が
来ては邪魔していたが、私は、この孫が大きくなった時に読ませたい、
孫に遺す一冊の本、そんな気持ちで書いて来た。・・・」
はい。こういう引用をしちゃえば、本文からも引用しないと不自然ですね。
第一章のはじまり『おじゃん』の全文を引用しておきます。
「ふだん何気なく使っている言葉の中には、
ふだんは気がつかないが、その言葉のいわれや
はじまりを考えると、面白い言葉が随分ある。
例えば『おじゃん』という言葉がある。
楽しみにしていた計画が何かの都合でお流れになった時とか、
その他色々な場合に『おじゃんになった』と使われるが、
あれは昔、今以上に火事を怖がった時代、
火事が起こったことを知らす半鐘からの譬え言葉である。
昔はどこの町内にも火の見櫓があり、火事が起こった時には
半鐘を叩いたが、その叩く数で火事の遠い近いが分った。
町内が燃えている場合には早半鐘でジャンジャンジャンジャンと連打したし、
町内でなくても近い場合にはジャンジャンジャン、ジャンジャンジャンと
三つの半鐘で知らした。
そして火消が出て、消火に当り、完全に火が消えた時に
知らせる合図の鐘がジャンと一つなのである。ジャンで火事はおしまい。
ジャンに『お』を付けてオジャン、
皆にとって切実な火事の時の半鐘を譬えにした、当時の新語・モダン語、
面白い言葉として皆の間に流行っていったのである。 」( p10~11 )
こうしてはじまり、
『おじゃん』のあとは、「左利き」「とどのつまり」「揚句の果て」
「ケリをつける」「ぬれぎぬ」「道灌」とつづいてゆくのでした。
さて、秋田実のお孫さんは、ご健在なら、
今頃は46歳くらいでしょうか?