今日は、病院の日。
今日で、ギブスともお別れ。
今日から、補助器具の靴をはくことに。
松葉杖は使用することになっておりますが、
家では、補助器具の靴だけで、
杖にたよらずに歩けるようになりました。
病院に持っていった本は、
刊行時に、とりあえず読んだ、
向井敏著「文章読本」(文藝春秋・1988年)。
「序に代えて」は題して「名文の条件」となっており。
そのはじまりは、
「林達夫に『三木清の思い出』と題する文章がある」
でした。
昨日、竹山道雄の「安倍能成先生のこと」を読んでから、
この「序に代えて」を、あらためて読み直したわけです。
序の内容が、噛みしめられるような気がしてきます。
うん。向井敏著「文章読本」の序のスタートラインに
今回、はじめて立てたような、そんな心持。
ちなみに、林達夫の「三木清の思い出」は
昭和21年11月号の雑誌に掲載されたもの。
では、向井敏氏の「序にかえて」を引用。
「・・しかし、ここが『三木清の思い出』の大事なところなのだが、個々の章節だけについてみれば、どんなに邪険な告発者でもここまでは言えないだろうと思えるほど、手きびしい観察と辛辣な批評をあえてしながら、それでいて、読むうちに、故人への格別の親愛の情と深い悼みが透明な潮のように行間を満たしていることに気づかされる。こういう友情の表現の仕方もあるのだと知らされて、粛然とした思いに誘われる。・・・」
うん。「安倍能成先生のこと」という文章にも、友人と先生との違いはありますが、
「こういう・・表現の仕方もあるのだと知らされて、粛然とした思いに誘われる」という言葉をあてはめてみたくなる、そういう同方向の文章の面持ちを味わえるのでした。
さてっと、向井敏氏は『三木清の思い出』を丁寧に引用したあとに、この「序にかえて」をこうしめくくっているのでした。
「・・・世に湿った文章は数知れず、湿った名文というのもけっして少なくないのである。それだけに、陰湿な情念による浸蝕を可能なかぎり制御した、カラリと晴れて快い文章、乾いて気持ちのいい文章が望まれる理屈だが、それはたとえばどんな文章なのか。その最もすぐれた例の一つが、右に掲げた林達夫の『三木清の思い出』にほかならない。・・」
私には、いまだ『三木清の思い出』の読解は無理。
それにしても、
「カラリと晴れて快い文章」
「透明な潮のように行間を満たしている」
という文句。
これなど、夏に読むと格別。
ところで、
谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」の
人名索引で竹山道雄をひくと、
一箇所だけですが、ありました。
そこを引用(p200)。
題して「おとなの人物論」となっております。
はじまりは
「今日出海が『新潮』昭和25年2月号に書いた。『三木清における人間の研究』は、文化人のかくされたいやらしさを思いきってバクロしながら、しかもモラリスト風の思いやりを忘れないオトナの人物論の傑作だった。・・・」
その頁の最後に、竹山道雄が登場しておりました。
その一箇所だけ登場する箇所を引用しておきます。
「竹山道雄が『新潮』昭和45年11月号に高見順の内幕を描いた『ジャングルの魂』に対して川村二郎が『出版ニュース』11月上旬号で、高見の文学を不健康と非難する竹山は陰湿だ、とかみついている。しかし竹山は高見の人間的弱点を伝えただけで、だから高見の文学がゆがんでいるなどとは言わず、人柄と文学とを混同する愚を犯していない。才能ある人物のやむを得ない人間的欠点を、鋭く、しかし暖かく、距離をおいて見るのが、本当の人間通ではないか。」(1971年)
今日で、ギブスともお別れ。
今日から、補助器具の靴をはくことに。
松葉杖は使用することになっておりますが、
家では、補助器具の靴だけで、
杖にたよらずに歩けるようになりました。
病院に持っていった本は、
刊行時に、とりあえず読んだ、
向井敏著「文章読本」(文藝春秋・1988年)。
「序に代えて」は題して「名文の条件」となっており。
そのはじまりは、
「林達夫に『三木清の思い出』と題する文章がある」
でした。
昨日、竹山道雄の「安倍能成先生のこと」を読んでから、
この「序に代えて」を、あらためて読み直したわけです。
序の内容が、噛みしめられるような気がしてきます。
うん。向井敏著「文章読本」の序のスタートラインに
今回、はじめて立てたような、そんな心持。
ちなみに、林達夫の「三木清の思い出」は
昭和21年11月号の雑誌に掲載されたもの。
では、向井敏氏の「序にかえて」を引用。
「・・しかし、ここが『三木清の思い出』の大事なところなのだが、個々の章節だけについてみれば、どんなに邪険な告発者でもここまでは言えないだろうと思えるほど、手きびしい観察と辛辣な批評をあえてしながら、それでいて、読むうちに、故人への格別の親愛の情と深い悼みが透明な潮のように行間を満たしていることに気づかされる。こういう友情の表現の仕方もあるのだと知らされて、粛然とした思いに誘われる。・・・」
うん。「安倍能成先生のこと」という文章にも、友人と先生との違いはありますが、
「こういう・・表現の仕方もあるのだと知らされて、粛然とした思いに誘われる」という言葉をあてはめてみたくなる、そういう同方向の文章の面持ちを味わえるのでした。
さてっと、向井敏氏は『三木清の思い出』を丁寧に引用したあとに、この「序にかえて」をこうしめくくっているのでした。
「・・・世に湿った文章は数知れず、湿った名文というのもけっして少なくないのである。それだけに、陰湿な情念による浸蝕を可能なかぎり制御した、カラリと晴れて快い文章、乾いて気持ちのいい文章が望まれる理屈だが、それはたとえばどんな文章なのか。その最もすぐれた例の一つが、右に掲げた林達夫の『三木清の思い出』にほかならない。・・」
私には、いまだ『三木清の思い出』の読解は無理。
それにしても、
「カラリと晴れて快い文章」
「透明な潮のように行間を満たしている」
という文句。
これなど、夏に読むと格別。
ところで、
谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」の
人名索引で竹山道雄をひくと、
一箇所だけですが、ありました。
そこを引用(p200)。
題して「おとなの人物論」となっております。
はじまりは
「今日出海が『新潮』昭和25年2月号に書いた。『三木清における人間の研究』は、文化人のかくされたいやらしさを思いきってバクロしながら、しかもモラリスト風の思いやりを忘れないオトナの人物論の傑作だった。・・・」
その頁の最後に、竹山道雄が登場しておりました。
その一箇所だけ登場する箇所を引用しておきます。
「竹山道雄が『新潮』昭和45年11月号に高見順の内幕を描いた『ジャングルの魂』に対して川村二郎が『出版ニュース』11月上旬号で、高見の文学を不健康と非難する竹山は陰湿だ、とかみついている。しかし竹山は高見の人間的弱点を伝えただけで、だから高見の文学がゆがんでいるなどとは言わず、人柄と文学とを混同する愚を犯していない。才能ある人物のやむを得ない人間的欠点を、鋭く、しかし暖かく、距離をおいて見るのが、本当の人間通ではないか。」(1971年)