和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

富士は眠りて。

2011-04-30 | 短文紹介
地震予測は、百年単位となるため、十年二十年の誤差は想定内と、たしか尾池氏は語っておりました。
うんうん。尾池氏の古本を漁るのも、それはそれで良いことなんだと、なんだかお墨付きをもらったような気持ちで、とりあえず、私にもわかりそうな本を注文。それが何冊か手許に届いております(もちろん私のことですから、まだ開かない本ばかり)。

まずは、気になるこの箇所。
尾池和夫著「新版 活動期の入った地震列島」(岩波科学ライブラリー138)。これは2007年に新版として書き加えられた本なのですが、そこに阪神・淡路大震災を紹介したあとに、こんな箇所がありました。

「以上のように西南日本は1995年、本格的な地震活動期に入ったと考えられます。東北日本では、すでに地震活動が続いています。・・・・・・・
東北日本の東側のプレート境界近くには、1994年北海道東方沖地震や三陸はるか沖地震があり、その南の方の関東の沖に至る境界に沿って、まだ大きな地震が起こっていないところが残っています。
フィリピン海プレートと日本列島の境界では、相模トラフに沿って、1923年に関東大震災を起こした地震がありました。ここではほぼ70年に一度大きな活動が起こっています。関東大震災の前には1853年の小田原の地震や1855年の安政江戸地震がありました。さらに前には1782年の相模の地震。1703年の元禄江戸地震などがありました。そろそろ次の大地震があってもいい頃です。関東で中小規模の地震が最近増えているのは、一種の前兆現象と考えられます。」(p78~79)


まあ、それはそれとして、
物理と俳句とくれば、寺田寅彦を思い浮かべます。
地球物理学の尾池和夫氏に、句集がありました。
さっそく古本なので、注文。
そこから、すこし

みちのくの地酒辛口春の雪

   戦争の最後の世代夏深し

   速達を出して身軽や寅彦忌

   漱石忌赤シャツ嫌ひが還暦に

   花散りて地球科学を開講す

   会議場出づれば都心の山桜

   万緑や富士は眠りて三世紀


     以上は、尾池和夫句集「大地」(角川書店・平成16年)より
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地震学の常識。

2011-04-29 | 短文紹介
「新潮45」5月号の鎌田浩毅vsビートたけしの対談を読んで、その前のページにある尾池和夫氏の文章を読みました。ちなみに鎌田氏は京都大学院、人間・環境学研究科教授という肩書きで、尾池氏は前京都大学総長・国際高等研究所所長。さて、尾池氏の文にはこうあります。

「・・・最近、地震に関する講演のときには、わたしは必ず、このスマトラ・アンダマン地震のM9.0の巨大地震の説明をした後、日本列島の地図をインドネシアの地図と同じ縮尺で描いて、それを90度回転させて並べて示していた。両者がほどんど同じ形と同じ大きさであることを見てもらった上で、そのような列島が形成されたのは、同じような巨大な現象が、1000年に1度くらいは起こっているからであり、日本列島にも起こる可能性があると話してきた(例えば講演録、【地震を知って震災に備える】高等研選書22)。
ニュージーランドの昨年の大地震を今年の震災を起こした余震の説明のときにも、このインド・オーストラリアプレートの境界に沿った一連の活動の次は、日本列島のプレートの方に活動が移ってくると話していた。
今回の平成23年(2011年)東北地方太平洋沖M9.0の巨大地震は、太平洋プレートが潜り込む境界の、三陸沖から北関東の沖までの岩盤が一挙に動いて起こったものである。そのような巨大な現象は、1000年に1度というような自然現象で、それほどたびたびあるものではない。そのように念を押しながら、決してないというわけではないという気持ちで、巨大地震のことを話してきた。しかし、その本番が、これほどすぐに起こるとは思いたくないという気持ちもあった。」(p118)

 すこし端折っていきます。800年代頃の巨大地震について日本の歴史をひもといていきながら

「・・この三陸沖の巨大地震が18年後、887年に南海トラフ沿いの巨大地震が起こっている。その後は、日本列島全体がまたしばらく静かになって、次にM7クラスの大地震は、938年(天慶1年)の京都あたりの大地震まで起こらなかった。
このような例を挙げる意味は、巨大な現象が一度発生してしまうと、2004年12月から、インド・オーストラリアプレートの潜り込む境界で起こったのと同じように、連鎖的な大地震や火山噴火の発生がありうるということを伝えたいからである。・・・
また、このようなときには、火山の噴火活動にも注目していなければならない。・・・」(p120)

ちなみに、尾池氏の文の最後はこうでした。

「3月9日の宮城県沖M7.3地震と、その後10日までの地震群が、10日の時点で、Mが大きな地震の発生率が高いという典型的な『前震』の性質を示していた。これは、直後にさらに大きな本震が起こるということが、10日にはわかっていたということを意味する。この地震学の常識が防災に活かされなかったことが残念でならない。」(p121)


ネット検索。
私の場合ネット書店BK1で人名検索してみたら、岩波書店から出ている「日高敏隆の口説き文句」が出てきた。これなら、たしかあったはずとさっそくひらいてみると、尾池和夫氏の「日高さんに学ぶ」という六ページほどの文がしみいるように読めたのでした。あと、ビートたけし対談「ラジオ北野」(新潮社)を取り寄せてみると、そこに2009年5月号「新潮45」に掲載された尾池和夫氏との対談が載っている。

たけし】 ・・ご専門の地震学では間違いなく第一人者ですね。阪神淡路大震災が起きる前に、大地震が起きることを警告していたと聞きました。・・・(p186)

まあ、こんな風に対談ははじまっておりました。

尾池】 関西地方が地震の活動期に入るだろうというのは、1994年から講演などで発言していました。自分の講演の記録を見ると、「21世紀に入るか入らない頃から地震の活動期に入ります」と言っています。阪神・淡路にも野島断層がありましたから、地震が起きてもおかしくなかった。ただ95年に地震が起きてしまったから、少し予想よりも早かったことになります。・・・(p189)

尾池】 地震の場合は「百年に一遍」というような時間で話をしているわけですから、「間もなく」といっても、十年、二十年の誤差は想定内なんですけれど。(p193)


対談の最後の方も引用しとかなくちゃ。

たけし】 ・・・先生が急に海外に出かけたら、いよいよ日本に巨大地震が来る予兆。それが一番の前兆現象じゃないか(笑)。
尾池】  いえいえ。僕は今、活断層の上に住んでいるんですよ。皆さんは「あいつが住んでいるから、大丈夫だ」と思うらしいんですけれど、逆です。地震の被災者にとっては不謹慎な発言かもしれませんが、何とか一度でもいいから、震度7を体験したいと思っているんです。
たけし】 あっ、むしろ逆なのか。
尾池】 それはそうです。火山学者で火山が噴火し出したと聞いて、噴火に向かって走った人がいる。・・学者にはそういうところがある(笑)。ですから、僕はグラッと揺れると、「おっ、これはええ地震や」とか言う癖があるんです。それを聞いて、うちの子供が笑って「うちのお父ちゃん、役立たへん」って。
たけし】 学者の先生の生態は面白いね(笑)。
尾池】 学生たちにも言っています。「これから西日本は活動期に入るから君らは幸せだ」と(笑)。
たけし】 おいらは死ぬ前に一度富士山の大爆発を見たい。それが見れたらもう本望かもしれない。
尾池】 2038年としたら、あと約30年です。・・・私はそれまで何とか生き延びて南海大地震を見たいと思っています。・・・・・



う~ん。ちなみに、鎌田浩毅氏などは、「君らは幸せだ」という尾池氏の謦咳に接して活動しておられたのじゃないでしょうか。
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週刊新潮のコラム。

2011-04-28 | 短文紹介
昨日、週刊誌を2誌買う。
週刊新潮と週刊文春。
花田紀凱氏は、2誌をプロとアマに喩えたのでした。
とりあえず、買うには買ったのですが、
別に読む気もおこらず、グラビアとコラムへと目がむかいます。
そういえば、コラムで比較すると、
週刊文春は市民派の若手が並んでいるような感じで、
震災について、思わず聞いてみたくなるような顔ぶれとは違う。
それに対して、週刊新潮は、グラビアにあるのが、
もと山本夏彦氏が書いていた指定席に、「管見妄語」という連載の藤原正彦。あと気になるのは「変見自在」の高山正之。そして櫻井よし子の「日本ルネッサンス」。
ここでは、櫻井氏の連載コラムから引用。

「・・・菅直人首相は復旧ではなく、新たな社会の創造を目指すとして4月11日、復興構想会議を設置した。議長の五百旗頭真氏は4月14日の初会合で、首相の意思に従って会議では原発問題に触れないと述べ、批判を浴びたが、エネルギー政策における原発の位置づけを明確にすることなしには、復興計画は語り得ない。氏はまた、自身の復興案も語っている。農業従事者は海岸から離れた高台に住み、平地の水田や港に車で通う。作業中に津波が襲えば適切な位置に建設予定の堅牢な建物の上層階に避難する。住居となる高台は地震と津波で生じた瓦礫を利用して整地するなどである。
一連の事業の財源は基本的に復興税に求める姿勢も明らかにした。原発問題は取り上げないとしたのと同様、この点も首相持論の増税を表明したと見られており、岡田克也幹事長が取りまとめる、民主党の復興計画も増税とセットである。・・・」(p180)

このあとに、「幾つかの助言」が書かれています。なるほどなるほどと傾聴に値するご意見。こういう助言が、復興構想会議にとりあげられればなあ。まず何よりも、復興構想会議の面々へと共有されることを望みたくなるコラムなのでした。

そうそう思い浮かぶのは、福沢諭吉。

「福沢諭吉という人は、石橋湛山の回想録にもありますように、政府が実行できないようなことを政府にねだる論説はやめろという人でした。福沢諭吉は時事新報を主宰していましたから、『これを読んだら政府が実行したくなるようなものを書け』と言っていた。これは福沢の持っているひとつの魅力であります。」
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「新潮45」5月号。

2011-04-27 | 地域
「新潮45」5月号が、印象深い。
たとえば、鎌田浩毅VSビートたけし「達人対談」。
最初にたけしさんが紹介しております。

「今回の東日本大震災が来る前から、政府の地震調査委員会の報告では、宮城県沖自身、三陸沖北部自身、茨城県沖自身が今後三十年以内に起こる確率90パーセントを超えていたそうで、先生もそのことを昨年末、雑誌で警告していた。特に宮城県沖自身は99パーセントだった。そのことに驚きましたね。」

ちょっとしたヒントもはじめにあります。

たけし】 ・・・先生も論文の中で津波が来たら『遠くへ逃げるより、高い場所に駆け上がれ』とお書きになっていますね。その予見の確かさに感服したんですが。
鎌田】 ややこしいことはいいから、『高いところへ逃げろ』とか、簡単な標語でいいんです。それを知っているかいないかで明暗が分かれます。


そして、肝心なことも語られております。

鎌田】  戦後の復興期は地震も少なかった。その地震が少ない恵まれた時代が終わったのが、1995年の阪神・淡路大震災です。日本のの復興期と高度経済成長期に地震がなかったのは、本当にラッキーなことでした。・・・・今回の地震はアメリカの「9・11」同様、「3・11」と名付けられるようになると思うのですが、「9・11」が世界を変えたのと同様、「3・11」も日本とアジアを変えるだろうと思います。日本人はこれからどうやって生きていくべきか、もう一度考え直すことになるでしょうね。(p132)


あと、私が気になったのは、この対談の前にある尾池和夫氏の文。
気になるので、尾池氏の本を古本屋で取り寄せております。

とりあえず、ここまで。
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裸の王様。

2011-04-26 | 短文紹介
谷沢永一対談集「人間万事塞翁が馬」(潮出版社)にて、
阪神大震災を経験した谷沢氏は、時の首相をかたって、

谷沢】 さらに、呆れ果てたのは、1月23日の衆議院本会議で、村山首相は、『今回の震災について私は最善を尽くしました』といったんですね。この世に最善というものがあるもんですか。ことに不幸な出来事があったときに、もっとああすればよかった、こうもしたらよかったという、そういう後悔の念がまず先に立つはずです。それを、あれだけの災害のあとで最善を尽くしたといえる。これは尋常じゃありませんよ。
会田】 一般的に官僚とはそういうものです。村山首相という人はその官僚よりもっと無責任でいられる立場ですごしてきた人でしょう。

谷沢】 私が不満でたまらないのは、『村山首相やめろコール』が、国民のあいだでまったく起こらないことです。・・・・・


さて、東日本大震災の場合は、どうだったか。
「WILL」6月号が出たところです。その最初に掲載されているのが
「記者会見で私はこう迫った・菅総理、あなたの存在が不安材料だ」
産経新聞記者・阿比留瑠比。

そのテレビ中継を見ていなかったので、残念だったのですが、
阿比留氏の文のはじまりは、その箇所からでした。

「『現実問題として、与野党協議にしても最大の障害となっているのは菅直人首相の存在であり、後手に回った震災対応でも首相の存在自体が国民の不安材料になっていると思う。一体、何のためにその地位にしがみついているのか、考えを聞かせてほしい』私は12日の菅首相の記者会見で、こう質問した。与野党が一丸となって震災対応に取り組む妨げとなっているのは、自民党をはじめ野党側に根強い菅首相への不信感だ。また、原発事故への対応の混乱も被災者支援の遅れも、菅首相が今、まず何をやるべきかという物事の優先順位を理解せず、自分の不要不急の関心事項やパフォーマンスを優先させてきたことから生じている。・・・」

「『日本(政府)は無能だ』韓国のキムファンシク首相は4月7日の国会答弁で、東京電力福島第一原発から放射性物質を含む水が海に放出される際、日本政府から事前連絡がなかった問題でこう言明した。外国からわが国が公式の場で無能呼ばわりされたのだから、国民の一人として普通は腹が立つ場面だ。ところが、そう言われても妙に納得してしまうのが悲しい。内閣のスポークスマンである枝野幸男官房長官ですら、8日の記者会見では次のように述べるのが精いっぱいだった。『今、外交ルートで発言の真意を確認しているところだ。関係諸国に対して、あらかじめより詳細かつ丁寧な説明が必要であったと思っていて、真摯に受け止めていきたい』無能と指摘されても、堂々と反論の一つもできないのが菅首相だ。それもそのはず、トップの菅首相の目を覆わんばかりの無能さは、誰も否定できない。おそらく、それに気付いていないのは、もはや【裸の王様】となっている菅首相ただ一人ではないだろうか。・・・」

以下記者が見て聞いていた官邸のようすが語られていくのですが、
身近に記者が味わった雰囲気はよく伝わってくるのでした。
でも、審議ではどうなるか。
そうこんな箇所もありました。

「ところが、菅首相は震災発生後、官邸執務室に閉じこもり、新聞や雑誌に載った自分に関する記事を切り抜くばかり。」

記者にしかわからない情報が、身近な臨場感とともに活写されていきます。
この『菅首相やめろコール』に、火がつくのかどうか。

昔話では、【裸の王様】と指摘する大人はいませんでした。
ここでは、あらためて阿比留瑠比氏の名前を明記しておきます。
江戸時代ならば、お上に楯突く者として、直訴は、
記者のぶんざいで、とっくに切腹を申し渡される場面。それにしても、
「官僚よりももっと無責任でいられる立場ですごしてきた」裸の王様。

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虚言(そらごと)する人。

2011-04-25 | 短文紹介
徒然草の第117段に「友とするに悪き者・・・よき友・・」というのがあります。
友とするに悪き者のなかに、「虚言(そらごと)する人」というのがあり、
よき友のなかには、「智恵ある友」というのがあるのでした。

ちなみに、「論語」では益者三友、損者三友。
益者(えきしゃ)はというと、
「直言して隠すところなき者を友とし、信実にして裏表なき者を友とし、博学多識な者を友とするのは益であります。」
損者はというと、
「体裁ばかり飾って率直でない者を友とし、顔つきだけをよくするへつらい者を友とし、口先ばかりで腹のない者を友とするのは、損であります。」
    【「新訳論語」穂積重遠著(講談社学術文庫)p434 】

なんで、こんなことが思い浮かんだかといいますと、
普段買いなれない週刊誌を、この東日本大震災に際して買ったわけです。そこでの水先案内人は産経新聞連載の「花田気凱(かずよし)の週刊誌ウォッチング」でした。今日は、それを切り抜いてみました。3月は19日27日。4月は3日9日16日23日と掲載されております。

ではっと、3月27日の文は、こうはじまっておりました。

「『週刊文春』はアマチュア、『週刊新潮』はプロ、両誌を比較して、ぼくはこう言ってきた。アマにはアマの、プロにはプロの良さ、悪さがある。発売中の3月31日号の大震災特集を読んで、つくづくそう思った。」

では週刊文春の「虚言(そらごと)」を指摘する花田氏

「東電に対して『文春』はこんなふうに書く。たとえばリードに【肝心の社長は雲隠れ】、サブタイトルに【自殺説も流れた清水社長】。だが、本文を読んでみると、【地震発生から一週間後、その清水社長が行方不明になったという噂が流れた。「自殺したと言いだす議員もいた」(民主党関係者)無責任なデマだが(以下略)】自らデマと書いているのにこんなタイトルやリードをつける。何が何でも東電を悪者にしたい『文春』の姿勢がうかがえる。ガキの正義を振り回すなかれ。むろん東電に全く責任がないと言っているのではない。だが、今は東電を責めるときではあるまい。」

比べて週刊新潮を語ります。

「そこへいくと『新潮』はさすがにプロだ。いや大人だ。
『「暴走原発」最奥部に留まった人々の死闘』
『放射能より怖い『流言飛語』!
 日本列島を席巻した『デマ』と『噂』に惑った人々』
『首相官邸「240時間」の機能不全』
・・・ワイド特集が・・活動をきちんと伝えている。」


4月になると、「週刊ポスト」を薦めております。
4月16日の連載では、こうはじまります。


「『週刊文春』(4月21日号)は
【東京電力『福島第一原発』の反乱】と
相変わらず東京電力批判を繰り返しているし、
『週刊現代』(4月23日号)は
【放射能汚染列島「20年後の発病」その危険性】などと
原発、放射能の恐怖を煽るような記事ばっかり。
もう少し冷静な報道を望みたい。
先週も書いたが、『週刊ポスト』が今週(4月22日号)も
抑制の効いた報道ぶりで際立っている。
【「煽りメディア」の非科学、無知は放置できない
  原発と放射能「過激な嘘」が暴走する】
と『週刊現代』などを真っ向から批判。


そして4月23日の花田氏の文には、こうありました。


「『週刊ポスト』(4月29日号)の言うとおり、
【原発反対派や「煽り派」のなかには、正しい情報であっても(中略)「安全デマ」などと呼んで否定し、「もっと悲惨なことが起きている」と言い張る者もいる。原発の危険を訴える人ほど原発は危険であってほしい、と願っているような奇妙なねじれが生じている】・・・『ポスト』のこの記事【「煽らない」本誌が徹底検証!福島第一原発 考えうる「最悪のシナリオ」】。冷静にかつ行き届いたリポートだ。必読!」



普段はいざしらず、
こういう時に、よき友、益者を探し出せる、
千載一遇のチャンスなのかもしれませんね。
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桜前線。

2011-04-24 | 地域
昨日、新聞の歌壇をとりあげたせいか。
そういえば、日曜日の東京新聞には
岡野弘彦・佐佐木幸綱お二人が選者になっている東京歌壇があったなあと、朝コンビニへ新聞を買いにいってきました。
佐佐木幸綱選の一首目は

 照明を落とした暗いスーパーに卵はありて牛乳はなし
      (千葉市 石橋佳の子)

選評は「明るいスーパー、いつも何本でも好きなだけ買える牛乳。
    かつての日常が日常ではなくなった感慨。」


岡野弘彦氏が選んだ歌は、桜前線と花が最初にならんでおりました。
その二首を引用するまえに、
「1995年1月・神戸 『阪神大震災』下の精神科医たち」(みすず書房)から引用させてください。そこに中井久夫の「災害がほんとうに襲った時」という文が掲載されておりました。そこに花にまつわる話があります。

「・・・2月6日、加賀乙彦氏は一ボランティアとして大学精神科に来られた。氏は私の要請に応えて多量の花を背負い子にかついでやってこられた。黄色を主体とするチューリップなどの花々は19箇所の一般科ナース・ステーション前に漏れなくくばられ、患者にもナースにも好評であった。暖房のない病棟を物理的にあたためることは誰にもできない相談である。花は心理的にあたためる工夫の一つであった。・・・・看護管理室に居合わせたナースたちは加賀さんに会いたいと五、六人が用を作って現れた。一人が色紙をさし出した。私は、これは『ミーハー』的行為ではないと思った。皆、加賀さんの花のことを知っていた(「花」が大事だという発想は皇后陛下と福井県の一精神科医とがそれぞれ独立にいだかれたものという。『花がいちばん喜ばれる』ということを私は土井先生からの電話で知った)。」(p56~58)


別の箇所では、ナースのことにも触れておられました。

「・・・・被災ナースは百人を越えた。にもかかわらず、彼女らは勤務を優先させ、帰宅さえしなかった。彼女らの多くは家財を掘り出しにゆく時間さえなかった。既婚ナースの夫と子どもとはよくその負担に耐えた。・・・三日不休で働き、おにぎり一つありついたのは三日目だったという。総じてロジスティックス(兵站)という概念の欠如がめだった。このように飲まず食わずでも持ち場を放棄しない日本人の責任感にもたれかかって補給を軽視した50年前の日本軍の欠陥は形を変えて生き残っていた。」(p32)


もう一箇所、花にまつわるところ。

「現在、もっとも喜ばれた一つに、福井県の精神科医がかついできた大量の水仙の花がある。われわれスタッフも、避難所を訪問する時に花を携えてゆくようにしたいが、いかんせん、入手が困難である。皇居の水仙を皇后が菅原市場跡に供えて黙禱されたのは非常によいタイミングであったというほかない。・・・両陛下にまさる、心のこもった態度を示せた訪問政治家がいなかったことである。」(p61)


引用が長すぎたでしょうか。
では岡野弘彦選の一首目と二首目を

 一億の心なごませ北上す桜前線まもなく被災地
     (港区 松井須美江)

選評は「日本列島を咲きのぼる桜前線は、
    いま被災地の野山にとどこうとしている。
    心のなごむ日もない人々の心の鎮めのために。」

 いつまでも地震の衝撃引きずりてうつろなるわれも花になごまむ
     (狛江市 舘岡靖子)

選評は「東日本はまだ余震のつづく不安感からのがれられないでいる。
    人の心を浄化してくれるような桜に、心をゆだねよう。」
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地震(なゐ)。

2011-04-23 | 詩歌
古新聞をもらって来て、読みもせず、パラパラとめくっておりました。
そうすると、4月を過ぎてから、新聞の歌壇俳壇に地震のことが登場しはじめております。それが目につきましたので、以下その引用を。


救援のヘリの音にも馴れ眠る 知りたる人は海の中なるに
         (岩手 三尾恭子)

  これは毎日歌壇・米川千嘉子選の第一首(4月10日)
  次は第二首

地震の間を少しく睡る妻を見つすべなき我の何と恥(やさ)しき
        (南相馬市 児玉邦一)

  第四首目は

救助隊員家具をかき分け叫びゆく「だれかいますか」「だれかいますか」
        (鹿嶋市 加津牟根夫)
    


  つぎは、産経歌壇・伊藤一彦選の第一首(4月20日)


夢なれと目覚めし度に思ふらむ硬き床の上(へ)の避難所の朝
      (羽曳野市 西村真千子)

選評は「多くの人がまだ避難所で不便な暮らしを強いられている。
    朝がた目がさめるたび、被災が夢でなく現実だったとの
    厳しい思いを、人びとは噛みしめている。」


   読売歌壇・小池光選の第二首(4月18日)は

体育館の床の冷たさおもいつつ布団の上でわれは眠れり
     (長岡市 中野順子)

選評は「避難所での生活の苦難と不安はいかばかりか。
    それを思えば布団の上で眠るあたり前の生活が
    罪ぶかいことのように思えてならぬ。
    がんばろう、日本。」



   毎日歌壇・伊藤一彦選の第一首(4月17日)は

込み合える車内に席を譲る人増えた気がする大地震より
      (町田市 冨山俊朗)

    毎日歌壇・伊藤一彦選(4月10日)に

情報が無いと繰り返すレポーター家の屋根に船乗るが見ゆ
      (大和郡山市 四方護)


    読売歌壇・俵万智選(4月18日)に

行列に二回並べば一日が終ってしまう震災の町
    (塩釜市 佐藤龍二)

    毎日歌壇・伊藤一彦選(4月17日)に

前の日に車で通ったあの道は地面ごとないこの先ずっと
    (岩手 奈瀬あすみ)

    毎日歌壇・米川千嘉子選(4月17日)に

国道を歩いていたら三回も聞かれた安置所のスポーツセンター
    (岩手 奈瀬万由美)

地震走る合間合間にピアノ弾く羽根あるやうなわが孫娘
    (鹿嶋市 岡しをり)



    読売歌壇・小池光選(4月18日)に

音もなく大蛇がしのびよるにも似てみるみる津波が町をのみこむ
    (京都市 末広正己)

選評は「短歌には機会詩という側面があり、
    大きな事件、出来事があったときは
    いっせいにその事象を歌った短歌が作られる。
    まさにその猛威は大蛇のごとく、息を呑む。」

    読売歌壇・岡野弘彦選(4月18日)に

巨いなる八岐大蛇船も家ものみて津波は陸を浸しくる
    (横浜市 赤塚初江)

選評は「神話の八岐大蛇(やまたのおろち)も
    川の洪水や大暴風雨の具象化だという説があるが、
    未曾有の大地震が引きおこした大津浪の荒らぶる姿は、
    神話の表現を思い出させる。」


産経歌壇・伊藤一彦選(4月13日)に

月へなど行けずともよし地の底のあばれる大蛇鎮むる神あれ
     (東京・葛飾 鯉淵道子)

    読売歌壇・岡野弘彦選(4月18日)に

岸壁を越えくる津波滝のごとくビルの間をたぎり落つなり
     (三鷹市 原田尚志)

    産経歌壇・伊藤一彦選(4月6日)に

家倒し畑を覆ひハウス呑み不気味に進む津波に息止む
     (豊中市 平位隆二)

嘘だらうまばたく暇(いとま)なかりけり強き怒濤に町並み呑まる
    (八王子市 福岡悟)

浮かぶのは過ぎ去りし日のことばかり過去は見えれど先は見えざる
    (静岡市 増田一昭)


    産経歌壇・伊藤一彦選(4月13日)の第一首に

「負けへんで」負けへんでと口癖に何が有るやらわからぬこの世
     (岸和田市 奥田澄子)

選評は「大地震の歌を何首も投稿してきた作者の一首。
    何はともあれ『負けへんで』と呟くことで  
    自分を支えようとしているのだ。
    われわれは『負けへんで』と。」



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心強い。

2011-04-22 | 短文紹介
週刊文春4月28日号は、私には読みどころ薄し。
産経新聞4月21日にダニエル・カールさんが動画投稿サイトで
英語で語っているのだそうです。
「チェリノブイリ原発事故と福島の事故を一緒にしている。国際原子力機関(IAEA)などのホームページを見て、バランスのある見方をしてほしい」。
記事には、
「嵐の中のろうそく一本かもしれねぇけれども、これからも情報発信をしていきたい」と力を込めた。 
とあります。

GOO検索で、ドナルド・キーン氏の言葉を探してみました。 
以下その引用。

「  法務省は15日、震災直後の3月12日から4月8日までの4週間に日本から出国した外国人は延べ53万1000人で、このうち発生後1週間では24万4000人だったと発表した。震災発生前の1週間は14万人だった。
 震災と福島第1原発事故を受けて、各国が一時的な出国検討を勧告したり、被災地からの帰国支援を実施したことが影響した。
 NHKのインタビューに応じたキーンさんは「日本は危ないからと、(外資系の)会社が日本にいる社員を呼び戻したり、野球の外国人選手が辞めたりしているが、そういうときに、私の日本に対する信念を見せるのは意味がある」と語った。
 「私は自分の感謝のしるしとして、日本の国籍をいただきたいと思う」とし、夏までに日本国籍を取得する考えだ。
 独身を通してきたキーンさんは「私は『日本』という女性と結婚した。日本人は大変優秀な国民だ。現在は一瞬打撃を受けたが、未来は以前よりも立派になると私は信じる」と、新たな祖国になる日本の復活を信じている。 」


GOO検索では、そばに天皇陛下のご様子が

「 天皇、皇后両陛下は22日、東日本大震災の被災者を見舞うため、茨城県北茨城市を訪問された。
 両陛下は正午過ぎ、沿道で迎えた大勢の人たちに手を振りながら、北茨城市役所に到着された。夕方までに、津波で大きな被害を受けた大津漁港周辺を視察するほか、避難所にも足を運び、帰京される。
 両陛下が皇居外で被災者を見舞われるのは、東京都足立区、埼玉県加須市、千葉県旭市に次いで4カ所目。被災地に入られるのは旭市に続き2カ所目。
 大型連休前後には、被害が大きかった東北地方の各地域に順次入られる見通しとなっている。 」


どれほどにも、心強い励ましとなります。






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自粛。

2011-04-21 | 短文紹介
いつもは週刊誌などご法度なのに、今回は特別。
ということで、今日発売の
「週刊新潮」4月28日号を買ってきました。
気になったのが、最後のページ「週刊鳥頭ニュース」。
上半分が西原理恵子の漫画。
下の活字は、佐藤優。
二人が「今週の御題」、「自粛」を描いて語っております。
その佐藤優氏の文のはじまりは、
「自粛にも合理的なものとそうでないものがある。」
つぎに9行とばして10行目から
「・・当面、自粛が必要な分野もある。政治だ。
東北の被災地域では統一地方選挙も実施できなかった。
近未来に総選挙を行うことは不可能だ。
それにあぐらをかいて菅直人首相と
その取り巻きたちが権力を握り続けているのは不愉快だ。
徹底的に叩き潰してやろうという気持ちが
ときどき筆者の心の底から湧いてくるが、
激しい表現で政権批判をすることは自粛している。
福島第一原発の冷却が軌道に乗るまでは、
国家非常事態であると筆者が認識しているからだ。
筆者と同じような気持ちで、菅首相批判を自粛している
政治家、マスコミ関係者、有識者はかなりいると思う。
われわれは合理的自粛をしているつもりなのだが・・・」

つぎに気になったのが
高山正之連載の「変見自在」。
題は「復興の邪魔」。戦後のどさくさを描写(うん。ここも引用したいのですが)したあとに、最後にこうしめくくっていました。
「・・・・今回の復興ではかつての障害だった米国も台湾、韓国も協力してくれた。ただ政府はいけない。在日から違法献金を受けた菅はこのどさくさを利用して逃げ、復興を口実に反自衛隊の辻元を返り咲かせ、まともな日本人なら大嫌いな五百旗頭(いおきべ)まで担ぎ出す。国民に喧嘩売っているのかみたいな人事だ。天下の大事、どんなに嫌いでも菅の下に結集をという高邁な意見はよく聞く。しかし前は国を当てにせず復興した。菅など当てにしたら末代までの恥になる。」
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コダマでしょうか?

2011-04-20 | 短文紹介
谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」(文芸春秋)の自注に、
山崎正和対談集「沈黙を誰が聞く」(PHP研究所)からの引用があったので、それでは、というのでその対談集をひらいてみました。
すると、谷沢永一氏が引用した箇所は、最初のページからありました。

「私は大体、日本人の精神のバネはいつでも天災と、それに対する復興のエネルギーにあると思っているんです。・・・」

ちょい、気になったのは、谷沢氏が引用した箇所で、一部がカットされていることがわかります。うん。ここはそのままに引用してしまうと、すぐに誤解する方がおられるだろうという配慮からだと、察しがつきます。そのカットされた箇所を引用してみます。


「ある意味では黒船も災難でしたし、第二次大戦も私はその意味で災難だったと思うんです。普通いろいろな人が言うように、あれはりっぱなイデオロギーに立った聖戦でもないし、逆にいえば侵略戦争でもなく日本人にとっては自然の災難に近いものだったと思うんですよね。」

この省略したあとに谷沢氏は「その、災難があるとはね返していくというのが日本人のエネルギーの源泉だとすると、『戦後』が終わったというか、大体60年ごろに災難は一応終わったという感じがきたんじゃないか。」という引用をつづけておりました。


思うのは、菅直人首相で、首相は昭和21年生まれ。
戦後生まれが大手を振って議論をしてゆくなか、
戦中世代は、どんどんといなくなってしまうのでした。
たとえば、もうすぐ曽野綾子さんのようなコラムは読めない、
ということになってゆくのでしょうね。このままだと、
戦後世代を見守る世代が、あとわずかで消えてゆくなか、
菅直人のような方が、どんどんとお増えになってゆく潮流となります。歴史は関東大震災のあとにはもう戦争への足音。さきに引用した箇所で、この戦争を山崎正和氏は「あれは・・逆にいえば侵略戦争でもなく日本人にとっては自然の災難に近いものだったと思うんですよね」と語っておりました。この東日本大震災の政府の舵取りが、戦争回避への舵取りとなってゆくわけです。数日前の参議院会議で首相は「国民にも一定の評価を頂いている」と堂々語っておりました。その評価する「国民」には、私は入りたくありませんと、明確な意思表示をしなければ(ちゃんと言っておかないと)、どうもこうも認めたことになりそうです。

4月18日に国会中継がありました。
「参議院予算委員会集中審議」それを私は午後の途中から見ておりました。
ああ、首相の言葉はコダマなんだなあ。と思いながら。
ところで、山崎正和対談集「沈黙を誰が聞く」には大岡信氏との対談も入っておりまして、
そこから、一箇所引用。おそらく、ここがこの対談集の題名になった箇所なんだと思えるところです。

山崎】 ・・・いった世界は不可解なものだと知り、自然は何も自分に語りかけてくれないという恐怖感に落ち込んで、その沈黙の中にことばを発する。それがおそらく聖書の最初のことばであったろうと思うんです。そういうふうに考えると、キリスト教文明にしろ仏教文明にせよ、あらゆるものが沈黙の中にことばを出すことであったと思う。・・・・・最初のうちは沈黙の中に自分がことばを投げ出す緊張感があったのでしょうけれども、やがて他人のことばに対して自分のことばを出してゆく。良く言えば対話ですけれども、悪く言えばコダマみたいなものですね。そういうかたちでやってゆくようになった。・・・・全部、ある他人に対する個性であり、ある他人に対する独創性であって、沈黙の中への投げ入れという緊張感はなくなってきたんじゃないか。それが現在までくると一種のアニミズムまで来た。そこでつぎにくるのはもう一度沈黙であって、だれが最初にその沈黙を聞くかというところに来ているんじゃないかという気がする。」(p162~163)

震災のあとに、各党首会談をひらいてみたり、どんどん会議を発足していく方向性というのは、私には、ただ恐怖感から目をそらして、ただただ緊張感なく「他人のことばに対して自分のことばを出してゆく・・・悪く言えばコダマみたいなもの」にもたれる構図と見えてくるのでした。



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女狐詩人。

2011-04-19 | 詩歌
3.11東日本大震災の記事で満たされた新聞が続いていた4月のはじめに、岸田衿子の死亡記事がありました。昭和4年生まれの詩人の詩を、最後に見かけたのは2005年2月号「文芸春秋」。
そこに、わたしが見かけた最新の詩がありました。



  固い実    岸田衿子


 海辺の崖っぷちで育った木の実も

 火山灰地に生えた木の実も

 なぜ みんなまるいのだろう

 どうして みんな光るのだろう

 一粒ずつ誰かが磨いたかのように

 この 荒れ果てた異国の街の

 人々が立ち去ったあとの道ばたの木も

 今年のまるい固い実を結ぼうとしている


「荒れ果てた・・街」が、忽然と東日本にあらわれ
その情報を固唾を呑んで見守るなかでの、岸田衿子さんの死亡記事。
そのうち、思い浮かんできたのは、田村隆一の詩でした。

   命令形   田村隆一

  ゆき
  ゆき
  もっと ふりなさい

 狐のような女の詩人が歌いながら
 ぼくの夜の森から出て行ったが
 この歌の命令形が好きだ

  追ってゆきなさい、詩人よ、まっすぐ追って
  夜の奥底までもゆきなさい、
  束縛をとき放つあなたの声で
  喜び祝えと、われわれにすすめてください。

 ライオンのような詩人が
 心の病いをいやす泉をもとめて
 死せるアイルランドの詩人に祈った命令形が好きだ

 人は人に命令できない
 命令形が生きるのは
 雪
 そして詩の構造の光りと闇の
 谷間にひびく
 人間の言葉



「狐のような女の詩人」というのが岸田衿子。
この詩に引用されている最初の3行は、
岸田衿子の童謡からの引用とあります。
「ライオンのような詩人」はW・H・オーデン。
引用されている詩は「W・B・イェイツをしのんで」から。



「谷間にひびく 人間の言葉」かあ。
ところで、
テェリノブイリ原発は「石棺」。
福島第一原発事故の際の首相は「菅直人」。
4月18日読売新聞には、原発安定への
東電の工程表が掲載されていて、
4面には「3か月で『水棺実現』」とありました。
田村隆一の詩に、そういえば、「立棺」があったなあ。
「立棺」には、こんな箇所があったりします。


   わたしの屍体を地に寝かすな
   おまえたちの死は
   地に休むことができない
   わたしの屍体は
   立棺のなかにおさめて
   直立させよ

      地上にはわれわれの墓がない
      地上にはわれわれの屍体をいれる墓がない




こんなふうな、引用をしていると、つぎに
田村隆一著「詩人のノート」をひらきたくなります。
さて、どこにあったかなあ。

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プラスになるように。

2011-04-18 | 短文紹介
今日発売の「新潮45」を買ってきました。
読み甲斐があります。
たとえば、ビートたけし達人対談。
対談相手は鎌田浩毅。

たけし】 先生は火山の専門家ですが・・・今回の東日本大震災が来る前から、政府の地震調査委員会の報告では、宮城県沖地震、三陸沖北部地震、茨城県沖地震が今後三十年以内に起こる確率は90パーセントを超えていたそうで、先生もそのことを昨年末、雑誌で警告していた。特に宮城県沖地震は99パーセントだった。そのことに驚きましたね。

 こう警告した鎌田浩毅氏は、対談でこう語っております。

鎌田】 日本列島は今、地震の活動期に入ったと言われています。
ここ20年ぐらいは今のような頻度で内陸の地震が起きます。その最後に、東海、東南海、南海地震が起きる。地震学者の間では、これからの地震は2030年代に来ると言われています。つまり2030年から40年の間にほぼ確実に大地震がくる。この三つは連動して同時に起こる可能性があって、その後に富士山が噴火するかもしれない。江戸時代にも同じようなことがあって、三連動した宝永大地震が起きた49日後に富士山が噴火しているんです。・・・いや、地球科学は常にプラスマイナス20年ぐらいの誤差がありますから、実は今年起きてもおかしくないんです。

詳しくかたられてゆくので、読まれるのがよいと思います。
その先生にあたられるのじゃないかと思うのですが、尾池和夫氏の「日本列島の大地震、大噴火は今後数十年つづく」も、同じように目を通しておく内容。

「新潮45」での曽野綾子の連載「作家の日常、私の仕事」は今回が最終回。

「今回事件についてもっとも硬直した考えしかできない人種を生んでいたのはマスコミだったように見える。しかし私は彼らを非難することもできない。彼らの多くは若すぎたのである。つまり電気のない社会が、この地球上に存在することを理解できなかったのだ。・・・彼らの硬化した頭は、非常時に対応し切れていないように見えた。彼らは平和の落とし子であった。」(p20)

この号には、特別対談・曽野綾子VS藤原正彦もありました。
それに養老孟司の文からすこし引用。

「いままで抽象的な言葉で語られていた問題がたくさんあったわけです。省エネの大切さは言われて久しかった。でもどこか議論は抽象的でした。これから先は、具体的に議論ができます。これから先は、具体的に議論ができます。どのくらいの停電であれば世の中は回るのか、どのくらいならば不満が出るか。・・・・
確かに戦後最大の天災なのは間違いありません。津波の後の三陸地方を見ると、東京、福岡、神戸等、空襲後の日本の都市を思い出します。原子力という点からは、広島、長崎との関係が連想されます。まさに敗戦のときの日本が今回、あの地域に再現されているかのようです。」

そして、養老さんは最後に、こうしめくくっておりました。

「生きていれば、さまざまな悪いことが起こります。しかし、何かあたときには最終的にプラスになるように考えるしかないのです。・・・この場合、むしろ人生が完成する、より成熟する、より良い答えになるということです。自分の人生がよりいい作品になる。そう思えばいいのです。」

読み甲斐のある一冊。何やらDVDもついている。
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曽野・サザエさん。

2011-04-17 | 短文紹介
ふだん定期購読の雑誌はWILLのみ。
それでもって、週刊誌など買い求めると、週刊ポストにも曽野綾子さんの連載があったりして驚きます。この人連載をどのくらいもっているのだろうという驚きです。まあ、産経新聞の曽野綾子さんの週一回の連載をたのしく読んでいるから目にとまるのでしょうか。気になったのがVoice5月号でした。
その「私日記 137」の3月11日に

「午前中、食料品の買い物に出かけた。キンメはお腹を出し、イカは庭で一夜乾しにした。明日はここを来訪される方があるので、カニやお土産用の干物も買った。他のものは冷凍にして片づけたところで午後になった。
我が家としては珍しく、昼間からテレビがついていた午後二時四十六分に、緊急地震速報という奇妙な音声を聞いた。初めての体験である。数分後にどんと突き上げるような振動。その途端、停電。Mは8.8と発表される(後で9.0に訂正された)。
停電か、仕方がないなあ、と思う。この海の傍の家は、プロパンガスは各戸で持っているから燃料には困らないのだが、水は溜めたタンクから電気で上げるようになっている。しかし特別な水栓で汲みだせるようにはなっていたのですぐに、容器に貯水する。私一人が戦争とアフリカの暮らしで鍛えられているので、少しも動揺していない。幸いラジオが二台生きていたし、私は高性能のランプと懐中電灯と、それぞれに適合する予備の電池を持っていた。電話は不通。」

ここで旦那さんも登場します(笑)。

「まもなく東京の朱門から電話。大井町の日本民謡協会で理事会に出席していたという。『そこにソファくらいあるでしょう。今夜は泊めてもらってください』と言ったら返事をしなかった。果たしてこの85歳は、大井町駅で電車が止まっているのを知ると、さっさと歩いて帰って来たのである。大井町から我が家まで約10キロ。中原街道は渋滞していたので、自動車をどんどん追い越した。『電車は、人間の歩くのの四倍早いだけなんだなあ、ということがわかった』と発見したようなことを言う。」


う~ん。「戦争とアフリカの暮らし」という体験がベースにあるのか。
小説は読まないので、曽野綾子氏とは、どういう人なのか改めて思ったりするのでした。
思い浮かんだのは、漫画家の西原理恵子のイメージ。
そういえば、潮出版社「三酔人書国悠遊」という鼎談があったなあ。
そこに、「安堵のひと 曽野綾子」という題で三人が語っておりました。
そこに、こんな箇所がありました。

谷沢永一】 曽野綾子は正装してないんです。サザエさんです。
山野博史】 普段着ですね。しかし、逆に彼女の場合、平常でないときのほうがいいものが書けるということがあると思いますよ。・・・・(p181~182)

 連載についても、興味深い指摘だなあという箇所。

谷沢】 この人の批評は日めくり批評だと私はいってる。ほら、あるでしょう、毎日一言、名言が書いてある日めくり。それと同じで、いつかどこかで聞いたことのある御宣託ばかり。・・・

いろいろと、あれこれ俎上にのせられて語られたあとの、しめくくりはというと。
 
加地伸行】 彼女、今回のような厳しい批評を受けてこなかったんじゃないかなあ。私は大ファンですけれども。
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際立っている。

2011-04-16 | 短文紹介
産経新聞4月16日(土曜日)には、「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」が掲載されておりました。そのはじまりは、

「『週刊文春』(4月21日号)は『東京電力「福島第一原発」の反乱』と相変わらず東京電力批判を繰り返しているし、『週刊現代』(4/23)は『放射能汚染列島「20年後の発病」その危険性』などと原発、放射能の恐怖を煽るような記事ばかり。もう少し冷静な報道を望みたい。先週も書いたが、『週刊ポスト』が今週(4/22)も抑制の効いた報道ぶりで際立っている。」

その例が並ぶのですが、ひとつ引用。

「『煽り報道』は、溶け出した燃料が容器も溶かして地中に深く浸透していくと指摘し、『いわゆるチャイナシンドローム(地球の裏側まで届くような深刻な放射線被害)と言われるような現象』などと書く。『チャイナシンドローム』とは、〈起きもしない問題を大袈裟に騒ぐこと〉を揶揄するジョークの表現だが、わかって書いているのだろうか」

う~ん支那ジョーク。

そういえば、週刊新潮(4/21)の高山正之の連載「変見自在」は、こうはじまっておりました。

「大阪空港に着陸したYS11が滑走路を飛び出し、タクシーウェー(taxiway)に突っ込んだ。乗客乗員に怪我はなかった。毎日新聞はこれを『YS機、タクシー専用道路に突っ込む』と報じた。タクシーウェーは誘導路のこと。毎日はご丁寧に事故当時『タクシーは走っていなかった、巻き添え事故は避けられた』と書いた。エジプト航空機がニューヨークを離陸後、間もなく大西洋に突っ込んだ。副操縦士が乗員乗客200余人を道連れにしたあちら版片桐機長事件だが、特異なのは遺体がほとんど回収できなかったことだ。そんな中でアホなNHKが『18遺体を確認』とやった。なんかの間違いと誰もが思ったものだが、結果はやっぱり大間違い。勤務明け乗務員が平服で客席に座って帰るのをdeadheadという。それが18人。NHKは18個の死に首が上がったと思い込んだのだ。報道にも専門知識が必要な時代だ。半可通では『恥を書く』ことになる。」

このあとに、高山氏は、「その意味で出色だったのが朝日新聞の原発専門編集委員、竹内敬二の記事だ。・・・いい加減な嘘を並べて世間を騒がせ、東電叩きを煽る。いい趣味ではない。・・・」
まあ、あとは読んでのお楽しみ。
だからって、朝日新聞を捜して読む趣味はないし。
ところで、週刊ポストのコラムに
大前研一氏の名前があります。
4月22日号には
大前研一の「〈計画停電〉〈出荷停止〉〈避難指示〉で二次被害を生み出した政府の大罪」という文がありました。隔週掲載には曽野綾子氏のコラムも週刊ポストにはありました。

ここで、ちょっと話題を変えます。
昨日、テレビを見ていたらドナルド・キーン氏が日本にいる外国人が国外へ脱出していることを踏まえながら、日本国籍を取得すると語っておりました。残念ながら今日の産経新聞にはドナルド・キーン氏の記事はなし。
もうちょっと詳しく内容を知りたかったのに残念。
読売新聞には掲載されていたかなあ。そういえば、
ドナルド・キーンの「私と20世紀のクロニクル」は読売新聞に連載されたのでした。
その連載のなかに「41 司馬遼太郎の『冗談』から駒」という箇所がありました。
そこからの引用。

「1982年、朝日新聞の後援で『緑樹』をテーマに会議が開かれた。都会生活における緑の重要性が、発言者すべてによって力説された。さすがに、樹木の大量伐採を提唱する人は誰もいなかった。参加者たちは終了後、お礼に料亭に招待され、そこには鰻と、ふんだんな酒が彼らを待っていた。宴の途中で、座敷の上席にあたる席に座っていた司馬遼太郎が立ち上がり、下座にいる朝日の編集局長の方にやって来た。見るからに司馬は、かなり酒を飲んでいた。彼は大きな声で、『朝日は駄目だ』と言った。編集局長は、当然のことながらびっくりした。司馬は続けた。『明治時代、朝日は駄目だった。しかし夏目漱石を雇うことで良い新聞になった。今、朝日を良い新聞にする唯一の方法は、ドナルド・キーンを雇うことだ』と。・・・・しかしながら私たちは、誰もが司馬の発言を酒の上での冗談と受け取った。私は自分が第二の夏目漱石のような大層な役割を果たすことなど、まったく不可能だということを知っていた。しかし一週間ほど経って、永井道雄(当時、朝日の論説委員だった)が私に告げたのは、朝日が司馬の助言に従うことに決めたということだった。・・・最初の連載
『百代の過客』は・・・・」

ついでに、司馬さんはドナルド・キーンをどう語っていたか。
「司馬遼太郎が考えたこと 11」に「キーンさんの学問と芸術」がありました。
そこから、すこし引用。


「・・・キーン先生の学問的業績というようなものは、たいへんなものであります。さらにはゆたかな芸術鑑賞の感覚と、まれなほどの芸術的文章の才をあわせもっていらっしゃるのです。こういう人を、神様は一世紀に何人も生みださないと思うのですが、そういう方が、よりにもよって、当時、世界文学の中でも辺境ともいうべき日本文学を専攻してくださったことは、日本にとっても、近松などにとっても、なんとしあわせなことであったでしょう。おそらくこのようなかたはもう二度とお出にならないということは、みなさんも思っていらっしゃるだろうと思います。・・・キーン先生は、年齢でいいますと、私より一つ上であります。そしてあのまことに不幸であった戦争に私も駆り出されまして、キーン先生も駆り出されまして、私が先生にお会いした時は、互いに、およそ兵隊、軍人にむかない人間がここに二人、かつての戦争の戦友としてあいまみえることにやや感動を覚えたことがあります。・・」

谷沢永一氏の言葉が浮かんだり、
今回はドナルド・キーン氏。そうおもうにつけ。
司馬遼太郎氏が今生きておられたら、この大震災をどう語られるのだろうなあ。申しわけありません。つい、そんなことが頭をかすめました。
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