和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

私の心の大空に。

2015-10-31 | 詩歌
井伏鱒二の詩をめくる。


   紙凧   井伏鱒二

 私の心の大空に舞ひあがる
 はるかなる紙凧 一つ
 舞ひあがれ舞ひあがれ
 私の心の大空たかく舞ひあがれ


本を読んでもいないし
ブログも更新してなかった。
そんな空白の頭に
こういう詩は、染みてきます。
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恋しく思う。

2015-10-30 | 詩歌
暑くなってくると
中村草田男の俳句を思い。
寒くなってくると
井伏鱒二の詩を恋しく思う。
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今月の月夜。

2015-10-29 | 地域
夜7時半頃に車に乗っていると。
東の空に、ほとんどまんまるい月が
照っているように明るい。
それを見ると、
神無月という言葉が浮かぶ。
神を忘れる
神無き、月夜の明り。
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かたづけ。

2015-10-26 | 地域
かたづけをしていたら、
パソコンが使いづらい
そんな場所に移動してしまいました(笑)。
それだからか、パソコンを使うのが億劫。

そのぶん、家の片づけがはかどり、
今月末には年賀はがきが発売らしく、
これは、年末の片付けの序章。

片づけも癖になります。
どうやら、片づけと読書は別の機能かも(笑)。

うん。
パソコンと読書を忘れた十月も過ぎる
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必読文献としたい。

2015-10-17 | 産経新聞
産経新聞の10月16日正論欄は
平川祐弘氏の文でした。
題は「安倍談話を『必読文献』としたい」。
私は平川ファンです。引用しなくっちゃ(笑)。

そのはじまりは

「安倍晋三首相の『戦後70年談話』は
日本人の過半の賛成を得たが、反対もいる。
『「戦後70年談話」は日本人がこれから先、
何度も丁寧に読むに値する文献だ』と
私が言ったら、
『どの程度重要か』と問い返すから
『明治以来の公的文献で「五箇条ノ御誓文」
には及ばぬが「終戦ノ詔勅」と並べて読むがよい。
これから日本の高校・大学の試験に必ず
日英両文とも出題されるだろう』と答えた。
『「教育勅語」と並べてどうか』と尋ねるから
『文体の質が違うが、これからの必読文献は
「戦後70年談話」の方だ』と答えた。
・・・・」

真中は思いっきり端折って
最後を引用。


「・・私が定年で駒場を去って23年、
その昔大学で教えた学生もまた定年を迎えつつある。
私はそんな老骨だが、年配の男女でも賛否両論、
議論に花が咲く。
外国人研究員は『「朝日」は日本の良心』で、
慰安婦報道で『朝日』が謝罪したのは
安倍政権が圧力をかけたからだという程度の
日本理解である。
教え子の女性も配偶者の職業やキャリアによって
賛否が異なる。極端に安倍首相を嫌う人は、
本人か配偶者に学校づとめや弁護士が多かった。

『朝日』は『この談話は出す必要がなかった。
いや、出すべきではなかった』と8月15日の社説に
書いた。そんな新聞を半世紀以上読んできた夫婦が
反対を口にするのは当然だろう。
しかし周辺の名誉教授連は『「朝日」があれだけ
けちをつけるのだから安倍談話はきっといいのだろう』
とシニカルな口を利く。
ただ皆さんお利口さんで、
私のようにはっきりと意見を活字にしない。
根が正直な私は『ろくに歴史も知らないくせに
どこぞの論説主幹は偉そうな口を利く』と
心中で感じたことをすぐ口にする。
口にするばかりかこのように『正論』欄に書く。

すると意外やそんな私に賛同する教え子の女性がいたりする。
本人がたとえ教師でも、配偶者が官僚や商社とかで
外国も長く社交も広いと
『日本人に生まれて、まあよかった』と思うらしい。
そこは大新聞中毒となった人たちの
井の中の大合唱と違って面白い。・・・」


う~ん。井の中の大合唱新聞。
そして、井の中の合唱感染者。
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文章は正直に弛緩する。

2015-10-14 | 書評欄拝見
10月11日の新聞書評が気になりました。

産経新聞では
長谷川三千子氏の書評で
小川榮太郎著「小林秀雄の後の二十一章」(幻冬舎)。
そこから引用。

「本当に読むにたる文章を書くためには、
古典芸能にたづさはる人々と同様の、
たえざる自己鍛錬が必要とされるのである。
言葉と向きあふ自己自身のうちに、
少しでも緩みがあれば、
文章は正直に弛緩する。
心にこはばりがあれば、
文章も硬直し、から回りする。
目が曇り、耳がふさがつてゐれば
文章も迷走する。
それを自ら推敲しつくすことによつて・・」


読売新聞の「文庫新書」コーナーに

清水義範著
「ちょっと毒のあるほうが、人生うまういく!」。
短い書評なので全文引用。

「『枕草子』には、何でもない日常に輝きを見出す感性、
意表をつくユーモア、そして豪胆な毒がある。
嫌なものを並べまくる物尽くしは〈悪口のオンパレード〉。
そこが読み所と著者は目を凝らす。
政治的逆境に屈せず力強く生きた清少納言から
人生のコツを学ぶ、異色の古典注釈。
(知的生きかた文庫、630円)」


毎日新聞は
磯田道史氏の評による
原武史著「『昭和天皇実録』を読む」(岩波新書)

そこに、こんな箇所。

「実録は『官製史』である。
官製史は官にとって不都合なことは割愛するか
小さく触れるか曲げて書くきらいがある。
著者はそれを見逃さない。
実録が触れたがらなかった『史実』を
浮き彫りにする。」

毎日には、また
沼野充義氏の評になる
村上春樹著「職業としての小説家」
(スイッチ・パブリッシング)が
載っていて買いたくなります(笑)。


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花納め。

2015-10-12 | 地域
昨日の山車引き回し。
今日の後片付け。
そして、夜7時からの花納め。
次に2次会へ行って、
今帰ってきました(笑)。
ということで、今日の報告。

うん。ブログに語れないほどの
縁を得たことをここにご報告いたします。
では、おやすみなさい。
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山車引き回し。

2015-10-11 | 地域
私の地域の、山車引き回しが今日無事終了。
午前中は雨。午後は曇り。
私は手伝いなのですが、
やはり、無事終了のうれしさ。
夜の十時半で青年館から帰ってきました(笑)。
青年長を受けてくれた方には感謝。
連休なので、実家に帰ってきた方も
多く参加された踊りの広場がよかった。
明日は花納め。
生ビールが飲めるかなあ(笑)。
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古本届く。

2015-10-08 | 地域
黒沢勉著「病者の文学――正岡子規」(信山社)
が今日届く。
古本です。
ちなみに新刊としての定価は、
3980円+税。

どうかこの本を水先案内人として、
子規の三大随筆を丁寧に読めますように。
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子規への敬愛の念が。

2015-10-07 | 書評欄拝見
毎日新聞10月4日(日曜日)の今週の本棚。
そこにある「この3冊」のコーナーは、
正岡明選で「正岡子規」の3冊が紹介されておりました。
その最初の1冊は
黒沢勉著「病者の文学ー正岡子規」(信山社)

それを紹介する明氏の文を紹介。

「・・子規の特異な点は、その大半が病気を抱えながら
行ったことである。それも22歳で当時不治の病とされた
結核にかかり、最後の数年は激痛に苛まれ、死と隣り合
わせであった。そんな過酷な状況で、何故あれほど明る
く活発に生きられたのか。この疑問を解くには、
黒沢勉著『病者の文学ー正岡子規』が最適の名著である。
著者は元岩手医科大学の教授で、病気が子規の作品と
生き方にどのように影響したかを、主に子規の三大随筆
『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病牀六尺』を中心に詳細に
読み解き、子規の死生観と生き様を深く掘り下げている。
その底流には子規への敬愛の念が息づいている。」

さて「この3冊」はというと、
まず、「病者の文学」で
つぎ、「仰臥漫録」
あと、司馬遼太郎著「ひとびとの跫音」


ところで、アマゾンで注文した古本
「病者の文学」が昨日発送とのメール。
日曜日は早く起きたので、新聞を読み、
そこで、注文しておいたもの。

哲学堂書店(杉並区上井草)
164円+送料257円=421円
支払いは、クレジットカード



昨日は
古本の小泉信三全集が届く。
小泉信三全集全28巻の内
第25巻上下が欠の不揃26冊。
月報付函入り。
ちなみに、25巻上下は書簡集みたいです。

株式会社まつおか書房(八王子市中野上町)
4000円+送料600円=4600円
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そのとき蓮舫が。

2015-10-05 | 短文紹介
高山正之の新刊
「習近平よ、『反日』は朝日を見倣え」(新潮社)が
気になるのですが、買わない(笑)。
そのかわり、
雑誌「正論」11月号の
巻頭随筆・山正之の「折節の記」から
この箇所を引用することに。


「民主党が政権を取るという悪夢の時代が
数年前にあった。そのとき蓮舫が200年に一度の
大洪水に備えるスーパー堤防計画を仕分け、
つまり無用として切り捨てた。
これは高さの30倍の底辺を持ち、
かつ今回の鬼怒川のように越水しても崩壊しない
知恵が施され上辺は市街の建設も予定される優れもので、
国交省では東京湾沿岸などに約900キロの建設を
進めていた。
この切り捨てに驚いた石原慎太郎が再考を求めたが、
蓮舫は200年先を憂う神経を笑った。」


今回の巻頭随筆の最後も引用。

「ついでにもう一つ、聞きたい。
200年先を笑いながら民主党は
10万年に一度動く断層を根拠にして
原発を止めた。それはどういう理由づけをするのか。」


うん。何ということだ。
「そのとき」の蓮舫を、私は
あっさりと、忘れておりました。
これじゃ、私はザルで水を掬うような発想しか
もてないのだろうなあ。
揚げ足取りの党には
なりたくないけれど、
忘れてはいけないことがある。
歴史は常に、
現代の雑事に霞んで忘れ去られるばかり。
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克也氏的『原則』。

2015-10-03 | 産経新聞
10月3日の産経抄が興味深い。それでつい
朝日新聞だけしか、読んでいない方に
教えてあげたくなる。

はじまりは

「民主党は、藪をつついて蛇を出してしまった。
ジャーナリストの櫻井よしこさんがNHK番組で
岡田克也代表について述べた発言に撤回と謝罪を
求める質問状を送り、手厳しい反論をくらったのである。
かえって自分たちの無定見ぶりをさらす結果となった。」


おわりの箇所は、
少し長く引用。

「そもそも民主党にも、行使容認論者は少なくない。
野田佳彦元首相は著書で『やはり認めるべきだ』と
明言する。玄葉光一郎元外相は平成25年11月の
シンポジウムで赤裸々に本音を述べていた。
『(憲法)解釈見直しは、自民党政権のうちに
きちっとやってほしい』。前原誠司元外相や
長島昭久元防衛副大臣も行使容認派だ。
今回の安全保障関連法の審議での奇観は、
こうした人たちが、積極的に声を上げたり、
感情論にとらわれた同僚議員らをたしなめたり
する場面がほとんどなかったことだ。
結局、安保関連法を憲法違反だと批判するためには、
内なる行使容認論は都合が悪く、
引っ込めざるをえなかったのだろう。
民主党は今夏、流動的で急変する国際環境に
向き合う安保政策の選択肢を失った。
このまま硬直化して旧社会党化するようでは、
二度と政権は担えまい。」


興味深いので
10月1日の産経新聞をひらいて見る。
そこに「民主党抗議への櫻井氏の反論(全文)」
が掲載されているのでした。

そこからも少し引用。

「17年7月号の『中央公論』誌上で、
読売新聞編集員の橋本五郎氏の取材を受けて・・・
・・・・・
岡田『そうだ。集団的自衛権の議論にすると、
神学論争に陥ってしまう。また、集団的自衛権を
安易に認めてしまうと、地球の裏側であっても
行使できるということになりかねない。
仮に集団的自衛権を憲法なり法律なりで認める
としても、きちんと制限を明示したほうがいいだろう。
いずれにせよ、より具体的な形で議論すべきだ。
そして、最後にはその時々のリーダーが政治生命を
賭けて決断しなければならない』
・・・・・
事実上、集団的自衛権は必要だと言っているとの
私の理解は間違っていないと考えます。
ところが、今年6月17日の党首討論で岡田氏は
『集団的自衛権の行使は要らないんです』と断定して、
発言を締めくくりました。これは180度の転換では
ありませんか。」

永栄潔著「ブンヤ暮らし三十六年」(草思社)
に、岡田克也氏が登場する場面がありますので、
この機会に引用することに。

「イオングループの岡田卓也前会長とは、
前身のジャスコ社長時代によくお会いした。・・・
余談を続ければ、岡田さんの次男坊、克也・元副総理には、
1993年の春先、ローマ在住の塩野七生さんから
『近く日本に行くので、各党の若手議員と話をしたい』と
言われて座談会を設定した折、当時、自民党の一年生議員
だった克也氏に出席してもらった。党本部の推薦だった。
社会党は松原脩雄氏、公明党は東祥三氏を指名した。
塩野さんは当時、大作『ローマ人の物語』を執筆中だった。
愛読しているという松原さんや東さんが塩野さんと息を合わせ
るなか、克也氏は塩野さんが何を語ろうが、
『なぜ、そうした発想になるのか、それが分からない』
『現実の世界は、塩野さんがおっしゃることと反対』と、
克也氏的『原則』を譲らず、仕舞には中座してしまった。
・・・・」(p160~161)
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パリサイ人たちよ。

2015-10-02 | 書評欄拝見
正論11月号が出ている。
その雑誌の書評欄をひらくと
小川榮太郎著「小林秀雄の後の二十一章」(幻冬舎)
の書評が掲載されている。
評者は先崎彰容(東日本国際大学教授)氏。
この小川氏の著作は本体が5500円。
はなから、購入は見合わせたものですが、
内容は気になっておりました。
そこで、この書評を引用することに。

「第一に、著者はひたすら日本文明の特徴を、
『弱さ』に見出していること。それは弱者などと
いう陳腐な言葉とはまったく違う。文明には必ず、
自らの生命を奪われかねない『ぎりぎり』の瞬間がある。
危機を自覚したとき、人は何かを後世に遺そうと思う。
文明であればそれは言葉に他ならず、
勅撰和歌集はこうして生まれた。
『政治的勝利とは根本的に異質な、このような
自覚と美こそが『日本』であつた』(8頁)
よって第二として、著者は現在の日本語の衰退こそ
政治外交経済の不安以上に注目すべき問題なのだと
指摘したこと。伝統とは、古典を読み破る学者の
存在が連綿と数百年に渡って続いてきたことを
指すのである。『国語の保守は、そのやうな意味で、
紛糾せざるを得ない政治的主張ではない。大東亜戦争
や戦後を肯定しようが否定しようが、国語を否定する
理由など、全くない』(464頁)
思いだして欲しい、江戸時代、伊藤仁斎と荻生徂徠は
『論語』を、本居宣長は『古事記』を精読することで、
『日本』を後世へと手渡した。
つまり現代であれば、最も深い水準で
マルクスやニーチェを読むこと、世界が驚愕するような
深い読みを遺すことが、宣長が『古事記』で行ったのと
同じく、日本の文化を守ることなのだ。・・・」

この書評の最後を引用。

「ルソーの自己告白は、日本古典を読むことと
矛盾しないのだ。
今、私たちに求められているのは、
政治外交における自己顕示ではない。
日本語の伝統に自らも参与したいという
『熾烈な感情』(12頁)なのである。」

う~ん。とりあえず。
買わなくてよかった(笑)。
この金額で、小泉信三全集の古本が
買えるのだ。


次のページ。中宮崇氏による書評は
潮匡人著「護憲派メディアの何が気持ち悪いのか」
(PHP新書)が取り上げられておりました。
そこから、チラリ引用。

「潮は『戦前の日本が、
軍国主義という名前の孤立主義に陥ったとすれば、
戦後の日本はむしろ
平和主義という名前の孤立に陥っている』
と、サヨク勢力の弊害についての問題を提起する。
そして、聖書からマタイによる福音書を引用し、
サヨクを〈現代のパリサイ人〉になぞらえて批判するのだ。
『彼らのすることには、ならうな。
彼らは言うだけで、実行しないから。(中略)
自分では指一本も貸そうとはしない。
そのすることは、すべて人に見せるためである。(中略)
宴会の上座、会堂の上座を好み、広場であいさつされることや、
人々から先生と呼ばれることを好んでいる。(中略)
偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。
あなたがたは、わざわいである。(中略)
外側は人に正しく見えるが、
内側は偽善と不法とでいっぱいである』」
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