百目鬼恭三郎著「乱読すれば良書に当たる」(新潮社)の
はじめの方に、こんな箇所がありました。
「案内が必要なのは、物見遊山にとどまらない。
音楽や美術などの教養を少し身につけようとするときにも、
案内つまり入門書や読書の手引きは必要である。が、実際には、
この入門書というものの選択がなかなかむずかしい。
下手をすると、とんでもない所へ連れて行かれてしまうからだ。
私もひどい道案内によってわき道に入りこんでしまった
苦い経験を随分重ねている。・・・」(p18)
つい、最近。ああ、これかもしれないという、
私への道案内人に出会えた気がしております。
西尾実著「道元と世阿弥」(岩波書店)をひらきました。
そこに『文学』が語られる箇所があるのでした。
うん。うん。と、うなずき読みました。
「わが国には、近代になるまで、
いまわれわれが使っている『文学』ということばで
あらわしている文学意識はなかった。なるほど、
歌はあった。物語はあった。日記・紀行・随筆等々はあった。
しかし、それらを通じ、それらのすべてを被う
『文学』という意識は十分には発達していなかった。
それは、近代になって、訳語として行われてきた。そうして、いまは、
短歌も、俳句も、詩も、小説も、随筆も、評論も、形はさまざまだが、
通じて文学であるという立て前で書かれ、読まれている。
しかし、われわれの文学は、まだ、そういう、
いわゆる文学だけが文学だという狭さに閉じこめられている。
歴史家の業績にも文学があり、
哲学者・科学者の著述にも文学があり、
宗教家の述作にも文学があることを、
われわれの間では、まだ十分に発見し得ていないもののようである。
それは、何よりも、われわれの持っている
日本文学史とか、国文学史とかいうものを開いて、
よその国々の文学史と比べてみれば、明らかなことである。
わたしが、道元の遺著に、
いわゆる文学ではない文学を見いだすというのは、
日本文学史が書き直されなくてはならぬと
言われてきたことからいっても、
そんなに、ひとりよがりな考えかたではないと思う。
・・・・」(p11~12)
ちなみに、これは西尾実氏が、
「道元遺著の放つ光輝」と題して
昭和25年4月に発表された文にあるのでした。
はじめの方に、こんな箇所がありました。
「案内が必要なのは、物見遊山にとどまらない。
音楽や美術などの教養を少し身につけようとするときにも、
案内つまり入門書や読書の手引きは必要である。が、実際には、
この入門書というものの選択がなかなかむずかしい。
下手をすると、とんでもない所へ連れて行かれてしまうからだ。
私もひどい道案内によってわき道に入りこんでしまった
苦い経験を随分重ねている。・・・」(p18)
つい、最近。ああ、これかもしれないという、
私への道案内人に出会えた気がしております。
西尾実著「道元と世阿弥」(岩波書店)をひらきました。
そこに『文学』が語られる箇所があるのでした。
うん。うん。と、うなずき読みました。
「わが国には、近代になるまで、
いまわれわれが使っている『文学』ということばで
あらわしている文学意識はなかった。なるほど、
歌はあった。物語はあった。日記・紀行・随筆等々はあった。
しかし、それらを通じ、それらのすべてを被う
『文学』という意識は十分には発達していなかった。
それは、近代になって、訳語として行われてきた。そうして、いまは、
短歌も、俳句も、詩も、小説も、随筆も、評論も、形はさまざまだが、
通じて文学であるという立て前で書かれ、読まれている。
しかし、われわれの文学は、まだ、そういう、
いわゆる文学だけが文学だという狭さに閉じこめられている。
歴史家の業績にも文学があり、
哲学者・科学者の著述にも文学があり、
宗教家の述作にも文学があることを、
われわれの間では、まだ十分に発見し得ていないもののようである。
それは、何よりも、われわれの持っている
日本文学史とか、国文学史とかいうものを開いて、
よその国々の文学史と比べてみれば、明らかなことである。
わたしが、道元の遺著に、
いわゆる文学ではない文学を見いだすというのは、
日本文学史が書き直されなくてはならぬと
言われてきたことからいっても、
そんなに、ひとりよがりな考えかたではないと思う。
・・・・」(p11~12)
ちなみに、これは西尾実氏が、
「道元遺著の放つ光輝」と題して
昭和25年4月に発表された文にあるのでした。