和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

救助の最前線。

2011-10-31 | 短文紹介
Jレスキュー編「ドキュメント東日本大震災 救助の最前線で」(イカロス出版)は、「Jレスキュー」というのは、消防・レスキューの専門雑誌なのだそうです。その雑誌に掲載された文を中心に一冊の本として出ておりました。全部で18の文が掲載されております。
私は消防団をとりあげた「最前線で闘った消防団の苦悩」という文に、感銘しました。
そこを、紹介してみたいと思います。
陸前高田市消防団高田分団の大坂淳分団長をとりあげております。
ここで、消防団員の声を引用してみます。

「地震発生は下校前の時間だった。マニュアル通りであれば、子どもたちは間違いなく校庭に避難していたはず。・・子どもたちがどうにも心配だった。幸い、4百数十名の児童は裏山に無事避難したということだった。大津波がここまで来ると察知した消防団員が『逃げろーっ!』と大きな声で2回言い、その声にはじかれるように子どもたちがいっせいに動いたという。が、小学校に避難してきたお年寄りは子どもたちのようには走れないから、何人もの犠牲者が出た。津波は小学校の二階の下まで押し寄せ、校舎が堤防になって瓦礫がせき止められた。学校を再開させるため、瓦礫の撤去は小学校から始めることにしたが、この瓦礫の中からも何体ものお年寄りの遺体が発見された。」(p67~68)

「後日、記憶を頼りに各部の名簿を作り、生存者を確認して団員に27名の犠牲者が出たことがわかった。犠牲者の中には実動中に亡くなった団員もいれば、仕事中に亡くなった団員もいる。仕事を終えて屯所に移動中に亡くなった団員もいる。『最前線にいた人間は誰もが危機一髪だった。ほんの1つの判断が生死を分けた』と大坂分団長は言う。5部のポンプ車は、いつもは寡黙な団員がその時だけ大きな声で『マイヤだ!』と叫んで直進する車を左に切り替えさせた。マイヤは3階建ての大きなスーパーマーケット。団員らは外の非常階段を屋上までかけ上がり、津波をかわすことができた。直進したら、あるいは内階段を使っていたら、命はなかった。」(p68~69)

それでは、大坂分団長は、どのように語っていたのか。
文を書いた方は、質問をしておりました。

「最後に大坂分団長に一番腹が立ったことを聞くと、こういう答えが帰ってきた。
『いっぱいあるけど言えない。死ぬまで腹の中においておこうと思う。オレはその日から怒りまくっている。その日から家はない、嫁はない、娘はいない。が、怒れば怒るほど自分が情けなくなるから、怒らないことにした。いちいち腹を立てていたら、怒りの矛先が飛び火するし、人間が下がっちまう』(p84)

分団長のご家族のことも書き込まれておりました。

「大坂分団長自身も写真店である自宅の一切が流され、最愛の妻と娘を失った。助かっているものとばかり思っていた妻と娘は避難所のどこを捜しても見つからなかった。」(p76)

この本の最後は「日本で初めての公的災害救助犬出動」という文でした。
そこに、宮城県へむかった救助の様子が書かれております。

「前日には消防団が入って遺体を発見し、今日もさらに発見しているが、遺体そのものは警察が来るまで触れてはいけないと言われている。しかし警察官にも限りがあり、遺体引き上げの手がまわらない。・・」(p314)

もう一度、大坂分団長の話にもどりますと、

「高田分団の当面の主たる仕事は遺体の捜索だった。遺体の捜索だった。遺体の搬送や管理は本来警察の仕事だが、最初の2,3週間は消防団が搬送まで行った。遺体の数が多く搬送が追いつかないのだ。」(p75)

この本は消防署員やレスキューが主眼となっていると思うのですが、そこにあらわれる地元の消防団員の姿が読後も鮮やかに浮かび上がります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古本を買う楽しみ。

2011-10-30 | 短文紹介
本を読んでいると、参考文献が気になります。
ということで、本の中で紹介されている本、というのは、
おおむね、古本だったりします。
今という時代は、ネットで、それが簡単に手に入る。
これは、こたえられません。
雑誌WILL12月号の巻頭随筆は
日下公人氏。そのはじまりでした。

「山之内秀一郎著『新幹線がなかったら』(東京新聞出版局)は、名著中の名著である。JR東日本の会長だった13年前に書かれたものだが、仕事をするとはどういうことか、改革するとはどういうことか教えてくれる聖書のような本である。何度読み返しても心が洗われるから、是非もう一度再刊してほしい。東日本の復興について考える人は、この本を読めば、官はもちろん民の人でも、いろいろ教えられて新たに元気が出ると思う。」

うん。こうして文がはじまっているわけなんですが、
ネットの古本屋で、さっそくその本を注文したのでした。
なんとも、贅沢な気分。

WILLのこの号の連載対談「蒟蒻問答」は第67回。


堤】 10月3日、菅がお遍路を再開したけど、ある記者が『お宗旨はなんですか?』と聞いたら、『日蓮宗かな』と答えた。・・・

対談は、こうしてはじまっておりました。

久保】 ・・もしいま空海がいたら、彼は迷うことなく東北を修行地に選ぶでしょう。それに空海は土木工学の天才で、彼の作った溜池はいまでも水不足の香川県で立派に機能している。東日本大震災の被災地だって、空海なら迅速に復旧したことでしょう。・・四国なんて安全地帯をへらへら笑いながら巡るんじゃなくて、お遍路というなら東北を回れッ!


この箇所も引用しておかなくちゃ。

堤】 ・・・日本はますます素っ裸にされるだけだ。米韓のFTA協定で、『日本もバスに乗り遅れるな』と大騒ぎしているけど、FTAとTPPは違う。TPPは関税をゼロにするだけではない。日本の独自の文化やシステムを守る非関税障壁まで撤廃を迫られる。FTAなら互いの国情を汲んだ除外品目も可能で、柔軟な関税ルールが望める。だから韓国も中国、インドもTPPには見向きもしない。・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とっかかり。

2011-10-29 | 他生の縁
中西輝政氏の著作は、読まなければなどと思っていたのですが、
案の定、いままで、読まずにすごしてまいりました。
最近、きっかけがあって、2冊を読み。
これは。と遅まきながら思ったというわけです。
「情報を読む技術」を、たのしく読んだので。
この7月にサンマーク文庫で出た
「本質を見抜く『考え方』」を注文。
昨日届きました。
これが、私にはおもしろい。
たとえば、丸谷才一著「思考のレッスン」を読んだときのような
そんなドキドキ感。おもしろいと、私の場合、次のページを読めなくなるのでした。
え~と、いつもは、それで読み進めずに、読まずに終わることも多々あったりします。
考えるヒントを教えてくれるものですが、こちらは、考える足場を踏み固めているような読み応えがあります。こういう基礎を固めなさいと、何げなさを装いながら、きちんと語りかけてくれております。ありがたい。

ということで、とりあえず。きっかけをふりかえってみます。
いままで月刊雑誌での中西輝政氏の文に惹かれていたのですが、
そこまででした。今回きっかけになったのが
VOICE2011年9月号の「【脱原発】総理の仮面を剥ぐ」という文。
うん。東日本大震災との関連で読んだわけです。
ちょうど、新刊で「国民の覚悟」というのが出てたので、それを読み。
つぎに、古本で「情報を読む技術」を読みました。
これで、中西輝政氏へのとっかかりが出来た感じ。
あとは、新刊と古本と、読まずにあった新書と。
昨日、古本が届きましたので、手にした本を
読む前に題名の列挙。

「本質を見抜く『考え方』」(サンマーク文庫)
「情報を読む技術」(サンマーク出版)
「国民の覚悟」(到知出版社)
「日本人が知らない世界と日本の見方」(PHP)
「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」(PHP新書)
「なぜ国家は衰亡するのか」(PHP新書)
「大英帝国衰亡史」(PHP)
「国まさに滅びんとす」(集英社)
「いま本当の危機が始まった」(集英社)

うん。私のことですから読まない。という可能性もあるわけですが、
とりあえず、題名とにらめっこ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

認知していない。

2011-10-28 | 短文紹介
麻生幾著「前へ!」(新潮社)には、最後に
「もし事実関係に間違いがありましたら、それはすべて私の責任です」(p295)とあります。私が始めて知った第二章。東北地方整備局の活躍の一部始終。
もちろん一冊ぜんぶが読み甲斐があります。
どういう読み甲斐かといえば、
津波には寄せる波と引き波とがあり、
私たちの記憶も、喉元すぎればなんとやらで、
時間の経過という引き波に、漠然とした記憶は、ス―ッと消えてゆくのだなあと、この「前へ!」を読みながら、その経過をたどりながら、あらためて想い返されるのでした。

とりあえず、第三章からの引用。
そこに「内閣危機管理センター」が語られる箇所があるのでした。
そこからの引用です。

「全省庁が、すべての情報を共有することが重要だ、と内閣危機管理監の伊藤が判断したからだった。伊藤が強調したのは、入って来る情報に対してひとりでその評価を行うべからず、ということだった。全員が情報を共有する――伊藤はその言葉を何度も繰り返した。11日深夜、日付が変わろうとしていた頃、雰囲気の違う、なじみのない集団がセンターに参集してきた。・・・新しく姿を見せた、原子力安全・保安院という経済産業省の外局の官僚たちは余りにも異質だった。・・福島第一原子力発電所で今、起きていることについて、保安院の幹部が説明を始めると、センターの多くの幹部たちは困惑することとなった。聞いたこともない専門用語を躊躇せず、連発する。特殊な専門用語をふんだんに使いながら、ひたすらロジック(経緯)を延々と説明し続ける。最後になっても、なんら結論が導かれない――。」(p212~213)

「菅直人首相がセンターに姿を見せたのは、11日、震災発生直後のことだった。幹部会議室で、内閣危機管理監の伊藤の横に陣取り、同じく駆けつけた、枝野幸男官房長官とともに、溢れる情報の洪水の真っ直中で指揮を執った。しかし、各省庁の多くの幹部は、菅首相がいかにして陣頭指揮を行ったのか、その具体例をなかなか思い出せない。
菅首相が幹部会議室に存在したのはわずかな時間だった。その後は内閣危機管理センターの奥にある『総理専用室』へこもった。その専用部屋へ、東京電力、保安院、また原子力安全委員会の最高幹部が足しげく通い始めたのを、多くのセンター要員たちが目撃することとなった。一方、枝野の指揮ぶりには鮮明な記憶が残っている。・・」(p214)

そして、3月12日午後。
福島県警本部へと、「島第一原発1号機から煙が上がっている」というヘリ乗務員からの報告が飛び込んでくる。県庁ビルから、福島署へと本部を移転していたので、ヘリテレ映像が入手できるシステムがない。口頭で県警から内閣危機管理センターへ、同じく口頭での情報として上げられてくる。センターのスタッフはどうしたか。

「しかしそれでも、東京電力本店と原子力安全・保安院に問い合わせた。照会を受けた保安院は困惑した。そんな重大なことがあれば、東電から通報されてくるはずである。案の定、問い合わせてみるときっぱりと否定された。保安院はすぐに官邸へ回答を返した。『(爆発は)認知していない』。緊迫感のない回答だった。しかも、原発にほど近い、東電オフサイトセンターも確認していない、と付け加えた。保安院は、誤報だと一蹴したのである。そして、福島県警災害警備本部に届いた回答は、『官邸としては(爆発を)確認していない』という結論だった。災害警備本部は苛立った。ヘリの乗組員が、誤報をするはずがない。しかし、官邸を説得する材料がないことを悔しがった。ヘリテレ映像は、東京のセンターへもダイレクトに繋げることができる。しかし、今はそれが稼動できないのだ。・・・ヘリの乗組員から、不気味な無線報告が届いた。『白色状、浮遊物、多数、飛翔!』。の直後、今度は、地上の住民を誘導する警察官からも無線が入った。『空中を白いモノがたくさん舞っています・・・』。そして、ヘリから・・『1号機の原子炉・・・原子炉を目視で確認!』・・・災害警備本部は、再び警察庁からの再度の照会に、東電と保安院は『確認していません』という言葉を繰り返すばかりである。しかも、福島県警はいい加減な情報を流している――そう非難する雰囲気さえ、官邸にはあった。・・・
内閣危機管理センターからの情報は、秘書官たちを通じて、官邸五階の『応接室』にも何度となく届けられている。だが、菅首相も枝野長官も東電を信用し、ほとんど関心を寄せなかった。・・・爆発から約三時間後、午後六時、総理指示で原発の避難区域が半径二十キロ圏内に拡大された。対象者は実に、17万7000人に拡大した。それらすべてを誘導したのは、もちろん福島県警の警察官たちだった。住民を安全な場所へいち早く連れてゆくこと、警察官たちの思いにはそれしかなかった――。」(p229~231)

う~ん。ここから中西輝政著「情報を読む技術」(サンマーク出版)へ補助線を引きたいのですが、とりあえずは、ここまで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

片づけの魔法。

2011-10-27 | 他生の縁
昨日は、
イカロス出版の「ドキュメント東日本大震災」を読んでいたのですが、まだ読了せず。この前、中西輝政著「情報を読む技術」(サンマーク出版)を読んでいたら、気になった2冊を古本で注文。その高松宮秘録「情報天皇の達せず」(上下)と「敵国日本」(刀水書房)が昨日とどく。とどくけれども、開かずにそのまま。そういえば、サンマーク出版って、近藤麻里恵著「人生がときめく片づけの魔法」も、この出版社からでした。中西輝政と「片づけの魔法」のとりあわせ。何ごとも片づけ苦手な私は、この「片づけの魔法」も買いました。さあ冬物のカーペットとか、コタツ敷きとか、ゴタゴタとひろげて「片づけの魔法」をかけようとしてみるのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なりますように。

2011-10-25 | 詩歌
産経新聞2011年10月23日に
「朝の詩9月 月間賞」の発表が出ておりました。
一面に毎回載っている「朝の詩」を見ていない者にとっては
なんとも、恥ずかしい限りなのですが、
それでも、選ばれた詩を読むと、
う~ん。とうなります。
ということで、まずは引用

  農業   関口嘉子

 お義父さんは
 畑の野菜と話をする

 お義母さんは
 森に住む鳥に
 天気を教えてもらう

 夫は毎朝 
 太陽と一緒に起きる

 都会育ちの私も早く
 それが当たり前に
 なりますように


賞を受けた「関口さんの話」も載っております。

「大阪で鉄工所を経営する家庭に育ちました。
 北海道の農家に嫁ぎ、大自然の中、
 広大な畑での農作業や都会とは異なる
 生活習慣など感動と驚きの毎日です。
 中学生のとき、教科書で
 新川(和江)先生の詩を読み、憧れて以来の
 『朝の詩』の大ファンです」

都会から田舎へ。
え~と。私が思い浮かんだのは。
大阪の「きりん」や、詩人たちの顔でした。
新美南吉の簡潔な詩も、思い浮かびました。
でも、そういえば、と並べる詩が選べました。
それは

    藪鶯   室生犀星

 お友達は
 なかなか出来ない、
 出来ても田舎もののわたくしには
 なに一つ器用なことは云へない、
 まだ 都のことばさへよくできません、
 すらすらとお話もできそうもありません、
 おどおどしながら
 東京のことばのまねをしてゐると
 よく啼けぬ藪鶯のやうな気がする。
 藪鶯は
 けふも顔をあかくして啼く真似をする。
 しまひによく啼くでせうか。


これは、室生犀星著「乙女抄」にある詩。
ふたつの詩を並べる楽しみ。というもあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目をそらさないようにする。

2011-10-23 | 短文紹介
「いい話というのは少年・少女には威力を発揮するのではないだろうか。いな、少年・少女でなくてもいい話は成人にも何かの影響を与えるに違いない。考えてみると私の今日あるのも本を読んで、そこから大切な教訓を得たためである。」

これは、渡部昇一著「『修養』のすすめ」(到知出版社)の、まえがきにある言葉。ちなみに、この本は連続講演を一冊にまとめたようです。

さてっと、宮崎駿著「本へのとびら ― 岩波少年文庫を語る」(岩波新書)が、この10月20日に出ておりました。最初の第一章が、宮崎駿選の「岩波少年文庫の50冊」(私は遅まきながら、はじめて見ました)。この新書の結構は、次の第二章。最後には「3月11日のあとに」という文が読めるのも、さすが10月の新刊といった手ごたえ。

ここでは、「借りぐらしのアリエッティ」に触れて語られた箇所を引用。

「原作、『床下の小人たち』・・この本はまず、何といっても、『アリエッティ』という名前と、小人のほうが滅びていく種族なんだと残酷に男の子が言うところがあるでしょう・・そこが、ひじょうに新鮮でした。」(p100~101)

「これは生涯映画化できないだろうと思っていたものが、今ならこれは映画になるかもしれない、という時期が来ることもあるんですね。何十年に一度きりのチャンスが来るんです。『床下の小人たち』を取り上げたのは、今や大人たち、いや人間たちが、まるで世界に対して無力な、小人のような気分になっていると思ったからです。」(p103)

宮崎駿のこの映画は見ていないのに、うんうんとうなずいてしまいます。
もうすこしつづけると

「つまり、みんなが小人になっちゃったんですよ。世界にたいして無力になって、一円でも安いほうがいい、なんていうつまんないことのために右往左往している。見ている範囲もほんとうに狭くなってきた。歴史的視野とか人間にあるべき姿とかの大きな主題が、健康とか年金の話にすりかえられてしまいました。・・」(p104)

「サブカルチャーというのはさらにサブカルチャーを生むんです。そして二次的なものを生むときに、二分の一になり、さらに四分の一、八分の一になり、と、どんどん薄まっていく。それが今です。そう思います。」(p131)


さてっと、「3月11日のあとに」はp147からはじまっております。
そこからも引用。

「今ファンタジーをつくってはいけない。」(p157)
「風が吹き始めた時代の入り口で・・・21世紀が本当に幕をあけたんですね。僕はそれから目をそらさないようにするので、せいいっぱいです。」(p158)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古本の季節。

2011-10-22 | 短文紹介
う~ん。「井上ひさしの読書眼鏡」(中央公論新社)を、つい買いました(笑)。
そこに、「古本、今が絶好の買い時」という3ページの文があります。
これが、書かれたのは、2001年3月とあります。
今から、10年前の文でした。
そこで、昭和28年出版の細川護貞著「情報天皇に達せず」(上下巻)を
とりあげておりました。
そこにこんな箇所があります。
「ときは昭和18年晩秋・・・そのころ、だれもが、首相を変えないと日本はますますダメになるばかりだと考えていたのですね。しかし、さまざまな要因が複雑に絡み合っていて、後継者が見つからない。・・・なんだか昨今の政治のありさまとそっくりで、わたしたち日本人はちっとも変わっていないんだなあと、溜め息をついてしまいました。ちなみに、東条内閣が倒れるまで、それから半年以上もかかりました。」

ちなみに、この文の最後は

「じつは、今回はここまでが話の枕でした。
ここからが本文。一年前まで、古本屋ではこの書物に、『上下二冊で4500円』の値段がついていました。ところが今はその十分の一以下の『400円』です。あんまり安いので、このあいだ、ついつい、また買ってしまいましたが、どうも今が古本の、絶好の買い時のようですよ。」(p20)

さてっと、今は2011年の秋。
「どうも今が古本の、絶好の買い時のようですよ。」は
10年後の今年も、まだ続いているようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あまりに軽すぎる扱い。

2011-10-21 | 短文紹介
VOICE2011年9月号に
中西輝政氏の「『脱原発』総理の仮面を剥ぐ」という文があり、
印象に残っておりました。
ということで、中西輝政著「国民の覚悟」(到知出版社)が出た時に、さっそく読む。つづいて古本で「情報を読む技術」(サンマーク出版)を購入。それを読んでおります。うん手ごたえあります。
いままで、読んでみたかった方なので、これで続けて読めればよいのですが、とにかく、これが読み始め。いろいろと貴重な視点が紹介されております。
たとえば、
「欧米では、テレビでの政治討論をおもしろおかしくバラエティふうにやると、政治は堕落して国の活力をそいでしまうということが、1970年代の政治学の教科書にすでに書かれています。・・・欧米の各テレビ局は、いかにその弊害を取り除くかということに心を砕き、さまざまな改革をしています。たとえば正式な政治討論をする番組の場合、コマーシャルを間に入れてはいけないとしています。・・テレビを使った政治討論は、たしかにおもしろい面があります。しかし、『政治をおもしろく』しようとすること自体がきわめて危険なことだ、と気づかなくてはいけません。」(p56~57・「情報を読む技術」)

「・・菅氏が通常国会の閉会直前に、野党から『討論から逃げるのか』と迫られ、『議論ならテレビでいくらでもできる』と言い放ったことがありました。これは、首相自ら国会軽視を表明したようなものです。」(p136)

「アメリカの多くの大学では、『メディア・リテラシー』の単位を取っていないと専門課程へ上がれません。私は二ヶ月ほど聴講させてもらったことがありますが、こうした授業は、日本でも不可欠なものだと痛感しました。」(p60)


ある実例も取り上げておりました。

「2010年3月26日、北朝鮮が韓国の哨戒艦を撃沈しました。韓国政府が、その最終の調査報告のため、全世界に向けて記者会見を開いたのが5月20日。・・・もちろん、欧米各国は、このことをトップニュースとして報じています。日本の民放も、同様でした。ところが、この日のNHKの夜のメインニュース番組『ニュース9』のトップニュースが何だったかといえば、『新潟で飼育しているトキの卵がカラスに食われた』というもので、二つ目のニュースは『宮崎の口蹄疫がさらに広がっている』。三つ目が『消費が戻りつつあって、節約疲れをした庶民も買い物に走って、百貨店の売り上げが前年度費七%増えた』・・・。こうした緊急性のないニュースが続き、ついに北朝鮮の魚雷攻撃に関する韓国政府の最終報告について触れたのh、ニュースが始まって29分後のことでした。取り上げる時間も・・・あまりにも軽すぎる扱いだったのです。NHKというメディア自体に、中国や北朝鮮の悪い面にかかわるニュースはなるべく小さく放送したり、日本人が安全保障に関心を向けるような方向の話は極力、インパクトの弱い形で伝えようとする傾向があります。しかし、それにしても、この例はあまりにひどいといわざるをえません。」(p86)

こういうチェックは、あとは個人的に、いつでも出来ることなので、独学でも『メディア・リテラシー』を手探りでできそうじゃありませんか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消防団員が。

2011-10-20 | 短文紹介
読売新聞10月17日(月曜日)の一面に
「津波出動の消防団員 水門操作72人死亡・不明」という見出し。

 統計も掲載
「東日本大震災での消防団員の死者・行方不明者数」
 (カッコ内は水門操作に携わった人数)

 岩手県 119(59)人
 宮城県 107(13)人
 福島県  27( 0)人
3県合計 253(72)人

記事には、こんな箇所も
「各自治体や総務省消防庁によると、死亡・不明者は閉門中に津波にのまれたケースもあるが、閉門後に住民の避難誘導にあたるか、自身の移動中などに被災した例が多いという。」


私は消防団にいましたので、こういう記事は気になるのでした。
ちなみに、文芸春秋2011年9月号の葉上太郎氏による「津波に耐えた『死者ゼロの街』」(p200~206)。
そこに、岩手県洋野町のことが紹介されております。
「・・・・消防団の体質も変えた。『地震があったら、まず消防団から逃げよう、血相を変えて逃げよう、ということにしたのです』 最初は『消防団が先に逃げるなんて』と反発もあったが、庭野分署長の発想は逆だった。『今回の津波では、防潮堤の門を閉めた後、堤の上で煙草をふかしながら津波が来るのを待っていた消防団があったと報じられています。そのような姿を見た住民が逃げるでしょうか。門を閉めたら消防団が泡を食って逃げて行く。それを目の当たりにした住民が『やばい』と感じるのです。洋野町の消防団は、ポンプなどの取り扱いを競う操法大会で全国一になったこともある町の誇りです。その団員が血相を変えて逃げるからこそ効果がある』 
ただ、そうした境地に至るには時間がかかった。庭野分署長も『私自身が逃げるのを恥ずかしく思っていた』と告白する。『でも、消防が被災してしまったら、誰が助けに行くのか。退職する年齢になって、ようやく分かってきた』と話す。・・・・」(p203)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ危ない。

2011-10-18 | 短文紹介
「渡部昇一、『女子会』に挑む!」(XAC)で、宮脇淳子氏との対談を読んでいたら、そういえば、と古雑誌をさがしたくなりました。古雑誌はそのまま整理もせずに段ボール箱に詰め込んであるので簡単にはさがせないと思っておりましたが、さがせばありました。
ということで、今日は、そのことについて書けます。

さてっと、はじまりは宮脇さんとの対談でした。

宮脇】 ・・学界では、最も興味深い歴史の転換点、王朝交代時のことはほとんど誰もやりませんし、地域と地域の境界もやりたがらない。それぞれの専門の中心だけが盛んで、グラデーションの部分は時代も地域も研究がない状況になっています。(p275)

この対談では、学問を取り扱う人のトリックポイントが、浮き彫りになっております。それは読んでのお楽しみとして、別にこんな箇所。


宮脇】 ・・・戦前の日本がどんなに立派だったか、戦中も敗戦直後もいかに道義的に正しい態度だったかを世界中が知っているから、戦後の日本の繁栄があるんです。それを日本人自身が貶(おとし)めるのは全く間違っています。

さてっと「通州事件」についてです。
渡部氏は他の本でも繰り返し、この事件の記述の空白を指摘しております。が、いっこうに直らないようです。


渡部】 岩波書店の・・近現代史年表の昭和12年を見ていくと、7月7日の盧溝橋事件から28日の華北総攻撃まではきちんと書いてあるのに、29日から8月10日までの記述がありません。この間に何があったか。7月29日には通州事件が起こっているんです。この事件では居留民、つまり民間人である日本人二百名以上が中国人部隊によって虐殺されました。その状況は悲惨極まりないものでした。こんなに重要なことを、日本の代表的な出版社が発行している年表からわざわざ省いているんです。

宮脇】 わざわざ省くということは、そこに何かあるということです。当人たちは隠したつもりでも、隠したことそのものが『後ろめたいことがあった』ことを証明していることに気づかないんですね。 (p284)

通州事件について、私が渡部昇一氏の本で知ったのは
2001年に出た谷沢永一氏との対談「広辞苑の嘘」(光文社)の中ででした。あれから10年。この語りを読むと、まだ岩波の年表から省かれたままのようですね。このあとが肝心なので、もうすこし引用をつづけます。


渡部】 (通州)大虐殺の写真をばら撒けば、イギリスもアメリカもシナを援助することなどできなくなった。まだゲルニカの爆撃も原爆投下も、ヒトラーのユダヤ人殺害も起こっていない頃ですから、写真さえあればシナ事変はあれで終わっていたはずですよ。同胞の虐殺された写真を知らしめなかったことは、人道的には正しいことですが、外交的には失敗です。そこが、いまの尖閣事件とも繋がってくるところです。なぜ、尖閣のビデオを全編公開しないのか。全く同じ過ちを繰り返しています。出さない理由がわかりません。この尖閣事件は、シナ事変の頃を想起させます・・
宮脇】 私もそう思いました。状況が百年前と似ているんです。歴史を勉強しておかないと、いよいよ危ない。・・・今回の尖閣事件は全く不愉快でしたし、これ以上ない高い代償で、しかもまだ解決もしていません・・・・。(p285)


ここで、通州事件の民間人への悲惨極まりない虐殺は
(いなまらネットで簡単に調べられますでしょう)
それは、どうやら8年後の沖縄戦の民間人の行動に影響を与えているのでした。
ということで、古雑誌。
2008年「WILL」8月増刊号をひらくわけです。
そこに「渡嘉敷島、中隊長が語る『集団自決』の現場」
という聞き書きが掲載されております。

「金城武徳さんも・・・証言しています『・・・しかし、(戦後の)マスコミやなにかは言いたい放題で、(集団自決は)軍の命令だったと言う。そうではないんです』当時住民の間では、中国大陸の尼港事件や通州事件など、民間の日本人が多数虐殺された事件が強い印象として残っていたから、教訓に近いものがあった、といったほうがよいでしょう。・・・お話ししたように、集団自決には各戦線での情報が影響していたに違いありません。たとえば中国大陸での通州事件・・敵に捕まればひどい目に遭わされると考えていたのでしょう。サイパン島、バイザイクリフでの自決も印象的だったのだと思います。・・・」

ちなみに、(小誌2007年12月号より転載)とあります。蛇足ですが、私は「WILL]のその12月号を読んだのだと思います。

中国の通州事件を知らないと、沖縄の集団自決への民間人の恐怖感の実態は、どうやら理解が及ばないだろうと思われるのでした。宮脇淳子氏がいうように「歴史を勉強しておかないと、いよいよ危ない」。その歴史は、岩波書店の年表になく、どうやら現在もない。らしい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漢語は商業言語。

2011-10-16 | 地域
本も読む気になれなくて、
おもむろに整理をはじめる。
プリント類や新聞紙の整理。
整理しているときは、読むのは禁物。
禁物となると、だんだんと読みたくなるものですね。
とりあえず、ホチキスでとめた印刷物。
その錆び付いたホチキスの針をテープで覆う作業。
う~ん。パソコンも見る気になれないなあ。
という、祭りでよい気分転換ができました。

とりあえず、手にした本は
「渡部昇一、『女子会』に挑む!」(WAC)
美女14人との対談集。
パラパラとめくってランダムに拾い読み。
宮脇淳子さんとの対談が、印象に残ります。
といっても、4~5名しか読んでません。
まあ、いいか。

ひとつ引用。

渡部】 宮脇さんの学問上の師匠でもあり、ご主人でもある岡田英弘先生が『漢語は商業言語である』とおっしゃているのを知ってからというもの、古典漢語が読み易くなりました。現代で言えば、華僑が英語圏で、単語を並べただけの片言の英会話でも商売ができるのと同じです。「ファザー、マザー、アサクサ、ゴー、イエスタディ」と、これで充分意味は通じます。いわゆる、ピジョン・イングリッシュですね。(p268)

話題はどんどんと広がり楽しく、他の人との対談は未読でも、宮脇さんとの対談箇所は、もう一度拾い読みしてみます。家の整理をしていると、雑な読書に、だんだんもどっていきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反省会。

2011-10-15 | 地域
今夜は、山車引き廻しの反省会。
夜7時から、そして次が定例会という飲み会。
12時10分前に帰って着ました。
ということで、こうして書き込みをしております。

これで、無事終わり。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年2回祭り。

2011-10-14 | 地域
毎年、うちの地区では、年2回のお祭りがあります。
7月が神輿で、10月が山車。
どういうめぐりあわせか、輿夫長と青年長とが同時にまわってきて、
今年は、たのしいお祭り男となりました。
それも、無事おわって、
あとは山車の反省会を10月15日にして一区切り。

ああ、たのしかった。
とくに、10月9日の山車引き廻しでは
テレビの天気予報がみごとはずれて、
早朝の雷。7時ごろの小雨。
午前中はおだやかな天気だったのですが、
昼にまた雨。そのあと晴れて、
そして、夕方急に長いどしゃぶり。
山車を引いている人は、びしょ濡れ。
それでも、婦人部をはじめ、最後まで
つきあっていただき、事故なく、無事終わることができました。
次の日の花納めは、大勢の参加者。
昨日の話題に花が咲きました。

それやこれやで、ボケ―としていて、
ブログの更新もせずじまい。
おかげで、楽しい経験の時間に引き込まれました。

今年は、神輿に山車と、
どちらも、無事に終わることができ、よかった。

さてっと、11月1日には年賀はがきの発売。
今年は、3・11の地震・津波の本を
目にした本だけでも、もう一度、読み直すぞ。
そして、おさらい。
来年は来年で、新しい何かがあるのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山車引廻し。

2011-10-09 | 地域
今日は一日山車引廻し。
昨日の外でのカラオケ大会は、
子どもたちが、マイクをもって、
はなさずに、おかげで、子どもの声をバックに
ビニールシートに長テーブルと座布団をならべ、
青年がつくる焼きそば、焼き鳥、フランクフルトを
つまみに、
お酒を飲めて、これはこれで楽しめました。

今日は、朝早くから、雷がなり、雨が降っております。
天気予報では曇りのち晴れ。
お天気まかせの祭典ですが、
日中は晴れという天気予報。

よい祭礼の一日となりますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする