和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

うらやましい。

2010-05-21 | 婚礼
昨日は、夜一時間ほど運動をして汗を流す。
これから、汗がでるだろうなあ、そんな季節となりました。
おかげでぐっすり眠りました。


昨日、古本屋へ注文してあった外山滋比古著「新エディターシップ」が届きました。その改訂箇所をまずは数ページひらいております。

さてっと、NHK朝の連続ドラマは武良布枝著「ゲゲゲの女房」(実業之日本社)が原作となっております。そのテレビは、もう戦地から帰った水木しげるがお見合いを済ませて、めでたく東京で新婚生活を過ごしておりました。ご主人の水木しげるは、漫画制作に没頭しております。その背中を布枝さんが見ている。近頃テレビでは、まるっきり見られなくなったお見合い結婚の様子がその朝のドラマで描かれて何だか新鮮。

うん。こういう状況で、私は「新エディターシップ」の最初の文「ミドルマン」を読み始めたというわけです。そこにこうある。

「 『キミたち、実に恵まれている。うらやましい』
戦後まだ間もないころ、日本から行っている留学生にアメリカの学生が言う、
『ボンヤリしていても、勉強に専念、没頭していても、ちゃんと結婚相手を見つけてくれる人がいる。ボクたち、うっかりしていれば、相手がいなくなってしまう。デイト、デイトで、おちおち勉強もできない』日本人留学生は目を白黒させる。アメリカの自由な恋愛結婚を心のどこかであこがれている。本場のアメリカで、それを否定し、自分たちが古い習慣と思っている見合い結婚がこういう実際的理由で評価されて、軽いカルチャー・ショックを覚える。以後、日本人もすこしずつ、しかし急速に恋愛結婚が多くなり、見合いは言うもはずかしい古い結婚と見られるようになる。自分の見つけた相手の方が、他人の選んだ人よりよいにきまっていると考えるのが一般になったのである。・・・・」(p2~3)

うん。うん。本題はこれからなのですが、その前振りに、こう語られておりました。
ちなみに、外山氏ご自身は留学を拒否しております。念のため。

ちなみに、ちなみに、テレビドラマの「ゲゲゲの女房」の方はというと、
放映中の状況は、「墓場の鬼太郎」が単行本化されるのですが、
気持悪がって、人気はイマイチ。収入は相変わらずの貧乏のようです。
「墓場」という設定が、なかなか収入へとつながらないようで、
こちらは、うらめしい。
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披露宴。

2010-03-22 | 婚礼
昨日は、結婚式に家族で呼ばれて、出かけました。
午前11時半に式場のバスに乗り合わせて行きました。
一時間半かかって到着。昨日の午前中までは、大風で、
電車は止まるし、こりゃ一体どうなることやらと思いながら、
それでも、出かける時には、もうよい天気になってきておりました。
披露宴の最後の新郎の父挨拶は、うちの兄。
帰りの到着は、午後の10時ごろ。
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婚礼の祝賀。

2006-11-20 | 婚礼
読売新聞の読売歌壇で、最近気になった短歌があります。
2006年11月14日の清水房雄選。その最初でした。

  高砂もさんさ時雨も聞かぬまま甥の披露宴坦々と進む   一関市 渡辺みき子

清水房雄さんの【選評】はというと、
「婚礼の祝賀によく詠ずる能『高砂』の一節や東北地方の民謡『さんさ時雨』も歌う事なく、披露宴はあっさりと進行すると。若い御両人の考えで、結婚式の催しも極めて簡略化している当節だ。」
と、あります。


前に司馬遼太郎の「六三郎の婚礼」(「司馬遼太郎が考えたこと 11」新潮社。現在は新潮文庫にもあり)を引用しました。
今日は「司馬遼太郎が考えたこと 15」にある箇所を引用します。
そこに「懐かしさ(「世界のなかの日本」)」と題した文があります。
こうはじまります。
「懐かしいという日本語は、古代からある。・・・
『日本とあればなつかしし』というのは、キーンさんが青春のころ英訳に熱中した近松の浄瑠璃『国性爺合戦』のセリフのひとつで、すでにこんにちの意味になっている。
キーンさんという人は、対座している最中において、こんにちの意味において懐かしい。このようなふしぎな思いを持たせる人は、ほかに思いあたらない。それほど、この人の魂の質量は重い。」
こう書いたあとしばらくして、ドナルド・キーンさんの言葉を引用するのでした。
そのすこし前から

キーンさんは、若いころ、世阿弥の謡曲『松風』を読んだ。・・・
「『松風』を文学として最高のものと信じている」と言い、さらに「こんなことを書けば奇異に感じる人もいるだろうが」として

キーンさんの文を引用しております。
以下そのままに

「私は日本の詩歌で最高のものは、和歌でもなく、連歌、俳句、新体詩でもなく、謡曲だと思っている。謡曲は、日本語の機能を存分に発揮した詩である。そして謡曲二百何十番の中で、『松風』はもっとも優れている。私はよむたびに感激する。私ひとりがそう思うのではない。コロンビア大学で教え始めてから少なくとも七回か八回、学生とともに『松風』を読んだが、感激しない学生は、いままでに一人もいない。異口同音に『日本語を習っておいて、よかった』と言う。実際、どんなに上手に翻訳しても、『松風』のよさを十分に伝えることは、おそらく不可能であろう。

  月はひとつ、影はふたつ、満つ潮の、夜の車に月を載せて、
                     憂しとも思はぬ、潮路かなや。

・・・音のひびきが、なんとも言えないのである。在原行平を慕う海女の恋は、あわれと言うもおろかなり。完璧な文学作品があるとすれば『松風』こそそれだ、と私は思っている。」

こうキーンさんの文を引用してから司馬さんは
「文学を読むというのは、精神のもっとも深い場所での体験である。日本語世界で、『松風』をこのようにして体験した人が幾人いるだろうか。・・・」と文章をつづけてゆくのでした。

さて、谷沢永一著「いつ、何を読むか」(KKロングセラーズ)には、謡曲に触れた箇所が見あたりません。今年亡くなった山村修著「花のほかには松ばかり 謡曲を読む愉しみ」(檜書店)だけが、キーンさんが言う所の「私は日本の詩歌で最高のものは、和歌でもなく、連歌、俳句、新体詩でもなく、謡曲だと思っている。謡曲は、日本語の機能を存分に発揮した詩である。」という、その主題を汲み取っている数少ない一人だと思うのでした。

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まわりを清め、席を清雅にする。

2006-10-27 | 婚礼
謡曲を読みたいと思っているのですが、
とりあえず、その目印になるような
私に思い浮かんだ文章。

「司馬遼太郎が考えたこと 11」新潮社(新潮文庫もあり)
その「六三郎の婚礼」という文に、
「六三郎の時代の人々のように謡や仕舞でもって席を清雅にするということもなく・・」その文の最後は徒然草から引用して終っておりました。
ここに「席を清雅にする」とあります。

司馬遼太郎著「この国のかたち 五」文芸春秋(文春文庫あり)
そのはじまりは「93 神道(一)」でした。
「神道に、教祖も教養もない。たとえばこの島々にいた古代人たちは、地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも底つ磐根(いわね)の大きさをおもい、奇異を感じた。
畏れを覚えればすぐ、そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした。それが、神道だった。・・・
三輪の神は、山である。大和盆地の奥にある円錐形の丘陵そのものが、古代以来、神でありつづけている。」

ここに「そのまわりを清め・・」とあります。

「もうひとつの『風塵抄」 司馬遼太郎・福島靖夫往復手紙」(中央公論新社)
のなかに風塵抄の「44 日本的感性」を取り上げてやりとりした手紙の箇所があります。日本的感性が世界の文化に貢献しているとして列挙したあとに司馬さんは
「ただ、すべてにおいてダイナミズムに欠けます。これは【欠ける】という短所を長所にしてしまったほうがいいと思うのです。東山魁夷さんの杉の山の絵を、装飾的、平面的、非人間的ながら、これこそ絵画だという美学的創見が必要なのです。そういう評論家がいないというのが問題ですが。」

ここは「三輪の神は、山である」と「東山魁夷さんの杉の山の絵」とつながると
私は思うわけです。絵といえば、

「秋野不矩インド」(京都書院)のまえがきを司馬遼太郎さんが書いております。


「世界の絵画のなかで、清らかさを追求してきたのは、日本の明治以後の日本画しかないと私はおもっている。いきものがもつよごれを、心の目のフィルターで漉しに漉し、ようやく得られたひと雫が美的に展開される。それが、日本画である。その不易の旗手が、秋野不矩画伯であるに相違ない。
秋野絵画は、上村松園の血脈をひいていると私はおもっている。詩的緊張が清澄を生むという稀有の系譜である。」

ここに「詩的緊張が清澄を生む」とあります。そのままに
「そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした」と結びつけたい私がおります。

さて「謡や仕舞でもって席を清雅にする」という日本的感性を、どのように磨けばよいのでしょうか?

ここから、謡曲を読み始めたいと思う私にむすびつけてゆきたいのでした。
ここから、「いやはや聞きしに勝るからッぺたですな」という身近さまで。
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虫の音ばかり。

2006-09-02 | 婚礼
山村修著「花のほかには松ばかり」(檜書店)を読んでから、しばらくして、思い浮かんだ文がありました。それは、司馬遼太郎の「六三郎(ろくさぶろう)の婚礼」という6ページほどのエッセイ。
その連想のきっかけは、
山村修氏の本の中のこんな言葉でした。
それは、謡曲「松虫」を語りながら、山村氏の感想を述べている箇所。
「この『松虫』について語られるとき、キーワードのようにきまって出てくることばがあります。同性愛ないし男色です。私にはそれが気に入りません。
・・・たがいに友情を抱いた青年同士が死んだからといって、いちいちそうした文化的な価値づけをすることが厭なのです。余分な意味、余分な価値をまとわせるのが厭なのです。
とくに、先に逝ったほうの友の死にかたをみてください。この『死』には、じつに、およそ意味というものがない。・・どんなわけで死んでしまったのか。まったく書かれていない。・・・
その水のように透明な青年が、鳴く虫はどこにいるのか・・歩き、心が尽きて草の上に空しくなった。その死は、いわば死の芯をなす死です。・・価値という価値をぎりぎりまでこそげおとした死です。」

ちょうど秋の題材にした謡曲ですが、
山村修氏は「私がことのほか好きな作品の一つです」とあります。
そして曲のラストも引用してありました。

 さらば友人名残(なごり)の袖を 招く尾花(おばな)の
 ほのかに見えし跡絶えて 草茫々たる朝(あした)の原に
 草茫々たる朝の原に
 虫の音ばかりや残るらん
 虫の音ばかりや残るらん



この山村修氏の本はというと、25曲の謡曲を1曲ごとに短く紹介してゆくのが本文です。
さらりとして、とりたてて気持ちを高ぶらせての紹介しているわけでもないので、
読むこちらとしても、さらりとした読後感を持ちました。
そして、しばらくしてから、私は司馬さんの文を思い浮べたというわけです。
その「六三郎の婚礼」は江戸時代後期・六三郎の結婚式を取り上げたものでした。
長兄が家長となる江戸期の、六人の子のうち、男でかぞえて三番目の弟です。
司馬さんはその相続権のない弟ぶりを、「厄介(やっかい)」と江戸期の正式の法制用語を取り出して語っております。

「六三郎のような『厄介』は、他家の養子になるか、学問か技芸を身につけて世を送らねばならない。」けれども
「みなことわられた。ついには、能役者の養子にどうかということで、三ヵ月間、汐見坂の家から両国山伏井戸に住む梅若某の家まで毎日謡(うたい)の稽古に通ったこともあったが、のどに力がなくて沙汰やみになった。
やがて医者になろうとし、蘭学と漢学とのそれぞれの塾に通い、根気よく習学した。結局、医者にはならなかったが、幕府に語学力を買われ、二十四歳のとき、役につき、厄介と書生であることの境涯から脱することができた。」

この単行本にして6ページほどの文を全部引用したくなるのですが、
ここでは端折って、婚儀にうつります。

「山内六三郎の婚儀の場合にいたっては、媒人(なこうど)さえ立てず、また席上、盃事(さかずきごと)をさせる待上臈(まちじょうろう)の役は、姉がつとめた。小気味いいほどの簡潔さである。」

原文は
「之れなん、予が将来苦楽を共にすべき妻女か。顔見たし、など思ふ間に、姉上の御酌にて三々九度は済みたり。」

そして、酒宴の様子を語ります。
「披露の酒宴は農村などの場合、三日もつづくことがあるが、右のような江戸の標準的な知識階級の場合、しつこいものではなかった。
  酒間、謡並仕舞もありき。高砂・猩々(しょうじょう)の類なりしならん。
とあっさりしたものである。さらには、席上、人数もごくわずかなものであった。
唐突だが、こんにち流行している無用に贅沢な・・しかも産業化した・・婚礼のなかにまぎれこんだりするとき、六三郎の時代のほうが民度が高かったのではないかと思ってしまう。」

このあと司馬さんは、余談のようにしてチュー政権下のヴェトナムのサイゴンの様子を語るのでした。

山村修氏の本の読後感として、私は「六三郎の時代の民度」を連想したというわけです。ちなみにこれは新潮社「司馬遼太郎が考えたこと ⑪」にあります。いまは新潮文庫も出ておりまして手に入りやすいので、短い全文を読むのも参考になるかと思います。

「酒間、謡並仕舞もありき。高砂・猩々(しょうじょう)の類なりしならん」

ほかならぬ、その謡曲を現代人のために紹介しているのが、今度でたばかりの山村修著「花のほかには松ばかり」なのです。門外漢の私には、たいへんよい入門書になっております。日本の民度というのは、こうして高めるのだという見本のような入門書になっていると思うわけです。



コメント (2)
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