和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

道路商人のひとり言。

2012-09-30 | 短文紹介
昨日から今日まで、
高速バスで一泊旅行へ。
とりあえず、本を一冊持っていこうと、
寺田寅彦著「柿の種」(ワイド版岩波文庫)を
持っていきました。
二人でしたので、本は読まずにすみました。
とりあえずは、
「柿の種」の栞が最初に挟んである箇所を
読んだだけで、あとは、
御馳走を食べたことがお腹に残りました(笑)。


ということで、文庫「柿の種」は、
大正10年12月「渋柿」に掲載された短章の
1ページを読んだだけで鞄にしまわれておりました。

その箇所は、というと、

「田端の停車場から出て、路線を横ぎる
陸橋のほうへと下りて行く坂道がある。」と
はじまる道路商人をとりあげた箇所なのでした。

昨日から今日にかけて、私が読んだのは、
ここだけなので、ひきつづき引用してみます。

「そこの道ばたに、小さなふろしきを一枚しいて、
その上にがま口を五つ六つ並べ、そのそばにしゃがんで、
何かしきりにしゃべっている男があった。
往来人はおりからまれで、たまに通りかかる人も、
だれ一人、この商人を見向いて見ようとはしなかった。
それでも、この男は、
あたかも自分の前に少なくも五、六人の顧客を
控えてでもいるような意気込みでしゃべっていた。
 ・・・・・・・・・・ 
この男の心持ちを
想像しようとしてみたができなかった。
しかし、めったに人の評価してくれない、
あるいは見てもくれない文章をかいたり
絵をかいたりするのも、考えてみれば、
やはりこの道路商人のひとり言と同じようなものである。」


うん。ほとんど引用してしまいました。





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海抜2m。

2012-09-29 | 地域
雑誌「WILL」11月号の連載エッセイ
曽野綾子「小説家の身勝手」。
今回は第56章「学校の裏山」となっておりました。

「東北の被災地で私の心に一番深く残ったのは、女川町の大川小学校だった。108人の児童のうち、実に74人もの子供たちが犠牲になった悲劇の学校である。」


今回読んで、気になったのは

「さらに驚いたことは、校舎の建っている地面が海抜2メートル以下だという説明だった。『二十メートルではなく?』『ええ、二メートル行かなかったんじゃないかな。多分一メートル八十とか九十か、とにかくそれくらいです』大川小学校が海からかなり離れていたからだ。川の近くではあるが、海がすぐそこという感じではない。だからもう少し高度があると私も錯覚していたのだ。海抜二メートルしかない土地に、誰が学校を建てるという計画を推し進めたのだろう。」
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即断即決。

2012-09-28 | 他生の縁
雑誌WILLの編集長は花田紀凱氏。
そういえば、
「池波正太郎を読む」(新人物往来社)に
「担当編集者が語る 素顔の池波正太郎」という対談があって、
そこで花田紀凱氏が語っているのでした。
そのはじまりを花田氏が語っている。

花田】 僕は新入社員の頃、二年間だけ『オール読物』の編集部にいました。会社からすれば、大学を出たばかりで何も知らない新人に作家を担当させ、原稿をいただくという作業を通じて編集者としての礼儀作法を覚えさせようという狙いがあったのだと思います。僕ばかりではなく積極的に新人を『オール読物』の編集部に投入していたようなのです。僕の先輩で『文藝春秋』の編集長をつとめた堤尭さんも『オール読物』がスタートです。
彭】 その頃、池波さんはすでに偉かったのですか。

 ここからすこし長く引用してみます(笑)。

花田】 『錯乱』で直木賞は受賞されていましたが、『オール読物』では年間に一回か二回くらい短編を書いていただくという作家でした。当時、『オール読物』は四十万部ほど売れていて力のあるマスメディアだったわけでして、池波さんといえども毎月書いていただくという作家ではなかったのです。そんな『オール読物』が昭和42年12月号で時代小説特集を組むことになり、私が池波さんに短編を依頼することになった。それで書いていただいたのが『浅草・御厨河岸』です。この作品に初めて火付盗賊改方の長谷川平蔵が登場して来るのです。・・・『浅草・御厨河岸』を一読した当時の『オール読物』編集長の杉村友一さんが『これは面白い!』と即座に反応した。『花田、長谷川平蔵を主人公とした連載を頼め』と。これは当時の『オール読物』からすれば異例のことでした。大きい雑誌でしたから連載なんか、そう簡単に決められない。前々から順番があるわけじゃないですか。それをいきなり翌月の新年号から連載しようというのですから、まさしく即断即決です。この連載がやがて何十億という利益を文藝春秋にもたらすことになるのです。


うん。『WILL』の年間購読を数年間単位で予約しようかなあ(笑)。
あと、この対談で彭理恵さんは、こう語っておりました。

彭】 時間を守るということには、本当に厳しい方でした。性格とか、才能はどうにもならないけれど、時間を守ることは誰にもできるというわけです。私はある時期グラビア班にいながら池波さんを担当していました。なぜかと言うと、異動の引き継ぎの時に次の担当が大遅刻したために、池波さんの怒り爆発!それで結局、私がグラビアの仕事をしながら、担当を続けることになりました。・・・
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安倍の出番。

2012-09-27 | 短文紹介
雑誌「WILL」は年間購読しているので、
ポストへと届きます。
11月号が届いたのは、
自民党総裁選の前でした。

そこに連載されている蒟蒻問答という
堤尭・久保絋之の連載対談は、第78回目。
そして、今回は第一部と第二部とにわかれています。

その第二部の対談が面白いなあ。
最後の方を引用してみます。

堤】 俺は人間を見る時、短所より長所を見る。その比較考量だ。久保ちゃんだって短所だらけだ。でも長所を見るから、こうして対談が続いている。そうでなきゃ、とっくの昔にサヨナラだ(笑)。安倍晋三も欠点・短所はある。だけど、繰り返すけど、一年足らずでやった仕事を見てくれ。いずれも、これからの日本に必要なことだ。加えて、彼の政治的な反射神経を俺は評価する。・・・・

自民党総裁選については

堤】 でも、他の四人に比べれば、やっぱり安倍がいいでしょう?
久保】 それは当然ですよ。前から言っているように、安倍が一番です。
堤】 問題点は多々ある。でも、ここは安倍の出番でいくべきだ、と。
久保】 そりゃそうです。むしろ、いま出なければ男じゃない。
堤】 それをもっと大きな声で、先に言わんかい!(笑)。

このあとに久保さんは「日本の最大の危機は、危機を危機として自覚できないことですよ。」決めセリフ。
これが対談のおわりの方なのでした。
この第二部対談は、ぜひお読みください(笑)。

自民党総裁選をテレビで見ていたら、民放のコメンテーター各氏が、そろって、どちらでしょうねえ。ああかもしれず、でもこうかもしれず。と二人での総裁選でも口をにごしてながらお喋りをしていたのでした。うん。第二部の対談は、溜飲を下げる。ありがたかった。
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雑誌購入。

2012-09-26 | 地域
ニューズウィーク日本版10月3日号 450円
「中国『反日』の打算と誤算
   反日の行方
 変質する反日、自滅する中国」

週刊東洋経済9月29日特大号 720円
 「中国炎上
  深まる体制の矛盾
  どうする日本企業」

ついつい、普段は買わない2冊を購入。
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ゆくゆくは。

2012-09-25 | 地域
長谷川慶太郎著「中国大分裂」(実業之日本社)を読む。

序章に、こんな箇所

「本当は北朝鮮もすでに軍事技術面で完敗しているのです。そのことは関係各国、みなさん承知しています。知らないのは『平和ボケ』している日本だけです。軍事力で圧倒的に勝っている瀋陽軍区の実質的な支配下に北朝鮮は入ってしまったのです。」(p29)

まえがきは

「中国に極めて深刻な危機が到来しているとの認識が、世界全体に広がっています。」とはじまります。

次のページには

「日本ではほとんど見落されている問題点があります。それはこの熾烈を極める『路線闘争』が現政権対人民解放軍の形を取っている点です。本来なら党の完全なコントロールを受けているはずの人民解放軍が、実態面では党中央のコントロールから離脱しているだけでなく、状況によっては党に対して反乱を起こす可能性が強まっているのです。こうした判断を持たざるを得ない情勢が定着していることを隣国にありながら、日本はほとんど無視しています。」(p2)


まあ、これが「まえがき」と「序章」なのでした。
うん。なるほどなるほどと、うなずきます。
ありがたい。
細切れの新聞記事では
どう繋ぎ合わせてよいか、わからない中国の姿を
大局から、分かりやすく教えてくれております。

以下、断片を引用していきます。

「完全に中国ではバブルが崩壊しました。」(p60)

「天安門事件(1989年・・)も、実は食料品の価格上昇で、国民が食べるのに苦労したことが直接の原因といわれています。それだけに、中国政府はインフレ防止に躍起になっているのです。」(p61)

「特権階級、富裕層の人たちは中国を信じていません。もっといえばいつまでも共産党政権が続くと思っていないのです。」(p77)

「ミャンマー政権はこのままでは中国は潰れると思っています」(p85)

「中国は同じ共産国のベトナムを1979年に攻めたことがあります。そこで大事なことは、中国はベトナムに大敗北した事です。」(p96)

「中国人民解放軍の幹部の人たちは、北朝鮮の2009年の第2回核実験に対する経済制裁を国連安保理事会の決議で決まったことに、実は抵抗したのです。繰り返しになりますが、『先軍政治』を推進している北朝鮮は、我々の仲間だという意識がとても、強いからです。」(p112)

「人民解放軍は中国全体で7つの軍区(瀋陽軍区、北京軍区、蘭州軍区、済南軍区、南京軍区、広州軍区、成都軍区)に分かれています。このうち、瀋陽軍区が一番、強力な精鋭部隊を保有しています。しかも、中国陸軍の戦闘部隊の約80%が瀋陽軍区に集中しているといわれております。」(p123)

「ゆくゆくは中国は内乱状態になるでしょう。こうした混乱が起きてから、周辺国が対応するのでは、遅いのです。間に合わないのです。」(p132)
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中国版大本営発表。

2012-09-24 | Weblog
中国版大本営発表をテレビで見ていると、
つい、思い浮かぶのは、
戦時日本の大本営発表の暗黙の強制力。
まあ、中国は一党独裁の国なのだから、
当然といえば、当然。そうだとすると
つぎに、映像を見る側が注目すべきは、
何なのか、と思うわけです。
それを、日本の報道機関が、
コメンテーターの合いの手入りで、
流してる。

日本人が直接に取材して得た情報なのか、
それとも中国側のニュースを、鵜呑みにし流しているだけなのか?
このくらいの注意力は、見る側の
思考活性化の気くばりが、必要なところであります。

一方の報道機関の気くばりのせいか、
今ひとつよくわからない報道の仕方。
若年なら、情報に流されてゆくばかり。
そんな、中国版大本営発表のフリーパスさ加減。

この映像をひっくり返す
言葉を読んでみたい。
大本営発表の圧力を利用して
みごとな背負い投げしてみせる
そんな言葉を読んでみたい。

ところで、何か読んでますか?
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ウソで、ウソも。

2012-09-24 | 本棚並べ
産経新聞の正論欄
2012年8月22日
「ウソで内憂を外患に転じる韓国」
2012年9月20日
「『ウソも通ればめっけ物』の世界」
そして、
雑誌「正論」10月号
「韓国が滅ぶまで私はかの地を踏まない」

以上、古田博司氏の文
再読をしようと思っているので、再読メモ。

さらっと読むだけでは、
この内容は貴重で、
こちらの読みが問われます。
あとで、読み直してみます。
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勘定をすませた。

2012-09-22 | 地震
昨日の、ブログついでで、思い浮かんだ
寺田寅彦の「震災日記より」をひらいてみます。
関東大震災に遭遇した物理学者の日記。


「 9月1日(土曜)
朝はしけ模様で時々暴雨が襲って来た。非常な強度で降っていると思うと、まるで断ち切ったようにぱたりと止む、そうかと思うとまた急に降り出す実に珍しい断続的な降り方であった。・・・雨が収まったので上野二科会展招待日の見物に行く。会場に入ったのが十時半頃。蒸暑かった。・・・T君と喫茶店で紅茶を呑みながら・・・話を聞いているうちに急激な地震を感じた。椅子に腰かけている両足のうらを下から木槌で急速に乱打するように感じた。・・・それにしても妙に短週期の振動だと思っているうちにいよいよ本当の主振動が急激に襲って来た。同時に、これは自分の全く経験のない異常の大地震であると知った。その瞬間に子供の時から何度となく母上に聞かされていた土佐の安政地震の話がありあり想い出され、丁度船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れるという形容が適切である事を感じた。仰向いて会場の建築の揺れ工合を注意して見ると、四、五秒ほどと思われる長い週期でみしみしみしみしと音を立てながら緩やかに揺れていた。それを見たときこれならこの建物は大丈夫だということが直感されたので恐ろしいという感じはすぐになくなってしまった。そうして、この珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精しく観察しようと思って骨を折っていた。
主要動が始まってびっくりしてから数秒後に一時振動が衰え、この分では大した事もないと思う頃にもう一度急激な、最初にも増した烈しい波が来て、二度目にびっくりさせられたが、それからは次第に減衰して長週期の波ばかりになった。
同じ食卓にいた人々は大抵最初の最大主要動で吾勝ちに立上って出口の方へ駆出して行ったが、自分等の筋向いにいた中年の夫婦はその時はまだ立たなかった。しかもその夫人はビフテキを食っていたのが、少なくも見たところ平然と肉片を口に運んでいたのがハッキリ印象に残っている。しかし二度目の最大動が来たときは一人残らず出てしまって場内はがらんとしてしまった。油絵の額はゆがんだり、落ちたりしたのもあったが大抵はちゃんとして懸かっているようであった。これで見ても、そうこの建物の震動は激烈なものでなかったことがわかる。あとで考えてみると、これは建物の自己週期が著しく長いことが有利であったのであろうと思われる。震動が衰えてから外の様子を見に出ようと思ったが喫茶店のボーイも一人残らず出てしまって誰も居ないので勘定をすることが出来ない。・・・そのうちにボーイの一人が帰って来たので勘定をすませた。ボーイがひどく丁寧に礼を云ったように記憶する。・・・」

うん。これからが大震災の被害の甚大なことを具体的に書かれている箇所なのですが、とりあえずは、昨日の続きの私の興味はというと、ここまで。
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この余裕。

2012-09-21 | 地震
9月5日に書き込んだ曽野さんの引用を、
ここに、またもってきます。


WILL2011年5月号の曽野綾子氏の連載「小説家の身勝手」第四十章『ゲリラの時間』に、それはありました。

「・・・私たち戦争によって子供時代に訓練された世代は、今度のことで全く慌てなかった。おもしろい事象がたくさん起こった。烈しい揺れが来た時、決して若くはない私の知人の数人は食事中であった。彼らは、普段より多く食べておいたと告白している。家に帰ってから食事をするつもりだったという別の一人は、空いていたお鮨屋に飛び込んで揺れの合間に普段の倍も食べトイレも済ませてから、家に向かって歩き出した。
その人は、二度目の地震が収まった後、渋谷駅から246号線を赤坂見附方向に歩き、少し様子を眺めることにした。非常時に、人の心を救うのはこの余裕である。観察し、分析し、記録(記憶)しておこうという人間的な本能が残されていることは、いつか非常に役立つのである。」

これが印象深く思えていたのでした。
何気なく、
宮崎駿著「本へのとびら」(岩波新書)をパラパラと読み直していたら、
そこに、こんな箇所があった。

「僕の父親は大正三年生まれ、79歳まで生きました。9歳のとき関東大震災にあっています。四万人近い焼死者を出した被服廠跡の広場を妹の手をひいて逃げまわり、生き延びました。祖父が命じて家の者はみな腹ごしらえをし、足袋はだしで避難したおかげだと父親は語っていました。大惨状のただなかにいて、9歳の少年は何を見、感じたのでしょう。それは彼の人間形成にどんな影響を残したのでしょうか。・・・第二次世界大戦の東京大空襲のときは、親戚の安否をたしかめに翌日宇都宮から上京しています。・・・その後、敗戦間際に宇都宮で爆撃があったときは、4歳の僕を背負って、東武鉄道の土手に這いのぼり逃げました。母が弟を背負い、叔父が兄の手をひいていました。」(p152~153)


まさか、津波の際に家でのんきに食事をしているわけにもいかないでしょうが、傾聴にあたいする箇所だと思われます。いかがですか。




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迷う喜び。

2012-09-20 | 短文紹介
丸谷才一・池澤夏樹編「怖い本と楽しい本 毎日新聞『今週の本棚』20年名作選 1998~2004」(毎日新聞社)は、定価3500円+税で、けっこう、お高い。全3巻の2巻目。3冊揃えば一万円超えちゃう。

うん。けれども、私は買いました。
買ってよかったと思います。
いずれ、どなたかが
「『今週の本棚』は僕の学校だった」という本を書かれて、
それを読める日が来るのを、楽しみに待ちたいと思います。
何をいっているのやら(笑)。

さてっと、
この第2巻目の最初に
池澤夏樹氏が6ページほどの文を載せており、
うん。何度でも読み直してみたい、
と思わせる文になっておりました。

ということで、その最初を引用。

「何年も前のことだが、その頃住んでいた沖縄の家の近くに照喜名(てるきな)商店という店があった。・・・・お小遣いを持った子供たちが店頭で駄菓子の中から何を買おうかと迷っている。それを見ながら初老の店主がぽつりと言う――『迷うのが喜び』。
この箴言めいた言葉をしばしば思い出す。
書評の第一歩はまずもって迷う喜びだ。・・・」

こんな風にはじまっているのでした。
このあとに、本題になるのですが、
そこは、はぶいて(笑)。
最後の方をすこし引用してみます。

「その一方で、もっと安直な楽しい基準もある。
書評として、一片の読み物として、うまいということだけでもいいのだ。書評とは話題を新刊の本ということに限定した一種のコラムである。・・・文章がうまくて、粋で、構成にも工夫があって、ユーモアがある。芸達者な書評者たちのその芸を見せたいと思う・・・」


そういえば、パラパラとめくっていると、
2001(平成13)年の向井敏の書評が掲載されておりました。
とりあげられた本は、丸谷才一編著『ロンドンで本を読む』(マガジンハウス)。
そこに、
「丸谷才一は・・こんな箴言(?)まで工夫した。
『書評は読者を本屋まで走らせなければならない』」

うん。『今週の本棚』が、どれほどの読者を本屋まで走らせたのだろう?

それはそれとして、
2001年「書評者が選ぶ『この3冊』」に
左近司祥子(学習院大学教授・哲学)さんが3冊並べた最初に
『ロンドンで本を読む』をもってきて、こうはじめておりました。

「大人不足である。なにが起きても動じない風格ある大人が減った。これは読書の衰退と関係がある。読書とは本の中の異世界とこの世の間を行き来することだ。この行き来は私達に危機からの生還の自信と大人の落ち着きを与えてくれるのだ。・・・丸谷氏の『薔薇の名前』からマドンナの写真集まで広く書評を集めそれに短評を添えた本は、大人の中の大人は氏だと示すものである。書評こそ行き来を自覚的に行う大人の作業だからだ。」(p221)

うん。こうして書評本としてまとまると、
丸谷氏への賛辞も、すんなりと、飲み込めます。
これら書評の広場は、ひとえに丸谷氏に負っておりました。
うん。読者を本屋まで走らせたかどうか。
その書評を読み、私は、迷う喜びにひたりながら、
走ったことがありました
(今では、感嘆・簡単ネット注文というわけです)。
うん。読む読まないは別にして、
とにかく手に入れたくなる(笑)。

さ~て、これからの書評はどうなってゆくのでしょうか?
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しかし、やがてそれは。

2012-09-17 | 本棚並べ
注文した新刊届く。

毎日新聞「今週の本棚」20年名作選1998~2004
丸谷才一・池澤夏樹編「怖い本と楽しい本」(毎日新聞社)

こういう名作選が出される頃となりました。
ひょっとすると「今週の本棚」のインパクトは薄れてきたのかもしれない。
もう収穫期なのかも。
それを確認したくって(笑)、注文しました。

鶴見俊輔著「日本人は状況から何をまなぶか」(SURE)
このあとがきは
「90歳に近く、私は終りに向っている。」とはじまります。
そしてあとがきの最後は
「ここまで生きたのだから、私は、おそらくこれが自選の最後の文集にあたる一冊を・・出していただく、ありがとう。」


そういえば、
(黒川創編)鶴見俊輔コレクション1
「思想をつむぐ人たち」(河出文庫)の最後に
「ひとりの読者として」という坪内祐三氏の文がありました。

その最初にアンソロジーについて書かれておりました。

「・・・私自身はたくさんのアンソロジーを編集したことがあるけれど、アンソロジーは一つの作品である(その点で鶴見俊輔がとても優れたアンソロジー作家であるのは周知の所だ)。・・・(アンソロジーを作ることがきわめて創造的な仕事であることを黒川氏は鶴見氏から学んだはずだ)。・・」


中西輝政著「迫りくる日中冷戦の時代」(PHP新書)
のまえがきは

「2012年の7月から8月にかけ、日本の周辺では、この国の存立を脅かすような出来事が、立て続けに起こった。」とはじまっております。
途中を省略して、
ここを引用してみます。

「一つは、2010年11月にアメリカのオバマ大統領が、訪問先のオーストラリア議会での演説で、アメリカの世界戦略を『対中国抑止』へと転換することを宣言したことである。膨張する中国に対し、アメリカが従来の『関与』政策から『抑止』政策に転じたことを内外に明らかにしたもので、これによってニクソン訪中以来、四十年ぶりに米中両国の関係は再び対立に転じたことを意味する。少なくとも、後世の歴史家はこれをもって、21世紀の米中冷戦の時代が始まった、と評することになろう。
いまのところ、『チャイナ・マーケットの盛況』ぶりに幻惑され、日本ではこのような透徹した視点は行き渡っていない。しかし、やがてそれは誰の目にも鮮明に見えてくることになろう。大国間の関係が大きな地殻変動を起こして構造的に変容するとき、かつての歴史が証しているように、その進行中には必ずしも多くの人の眼には見えにくいものである。」(p5)

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踏み迷わないように。

2012-09-16 | 地域
佐高信・田中優子著「池波正太郎『自前』の思想」(集英社新書)
を読んだつぎに、
歴史読本編「池波正太郎を読む」(新人物往来社)をひらいているところ。
うん。このたのしみは、
地図をひらいて、旅の工程をあれこれと
思い描く楽しみ。
旅先の名所旧跡を、ここがポイントですよと
熱く語ってくれているのを、
うん、寄ろうかどうしようかと迷うたのしみ。
その語りかけに、
これは、ひょっとすると宝島の地図じゃないかと
ワクワクしながら、
踏み迷わないように、
お宝に目がくらまないように。
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年齢をとってから。

2012-09-14 | 短文紹介
以前に、
恩田木工への興味から
池波正太郎著「真田騒動 恩田木工」(新潮文庫)を読んだのですが、
それっきりになっておりました。
こんかい、
佐高信・田中優子著「池波正太郎『自前』の思想」(集英社新書)を
読んで、あらためて、読みたい筋道が見えてきたような気がします。
ラッキー。
それに長谷川伸を師としていたことを知り、
出来れば、これをきっかけに長谷川伸の著作へと、
うまいぐあいに、ひろがってくれれば、たのしいだろうなあ。

ということで、以前に買ってあった本を
本棚から取り出してみる。
歴史読本編「池波正太郎を読む」(新人物往来社)をパラパラ。
そこからこの箇所。

池波】 ぼくの座右の書のひとつはアランの著作でしょうか。
『教育論』その他、この人から受けた影響は大きいんです。
もう少年時代から読んでいますから。
アランはリセ(フランスの国立高等中学)の先生を
何十年もやっていた人で、自分の教え子がどう成長して
いったかを全部見ているわけだ。単なる教師ではなくて、
自分が教えていたときはこんな子供だったのに、
年月とともにどういうふうになっていったかを、
きちんと見ているんです。
だからアランの書いたものは非常に参考になるので、
何回も読みかえしています。
我々も、教師じゃないけれど、いろいろな人と
つきあうでしょう。
若い人がどのように変ってゆくかという姿をしっかりと
見ておかないと、老年になってからの自分の身の処し方が
わからない。人間は年齢をとってからが難しいんですよ。
・・・・・・(p33~34)


うん。ここらで、私の興味が拡散して、
空中分解してしまわないように。
どこいらで、その拡散がおこるのか、
このブログで追跡できますように。
興味が物忘れに飲み込まれる前に。
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いいか。

2012-09-13 | 前書・後書。
注文してあった
池波正太郎著「又五郎の春秋」(中公文庫)が届く。

古書明日(目黒区八雲)より
200円+送料160円=360円

文庫解説は千谷道雄氏。
その解説の最後を引用。


「国立劇場研修生に対する稽古場風景は、作中しばしば描写されているから、ここでは曾て『木の芽会』の稽古場で、染五郎・吉右衛門に向かって放たれた又五郎の言葉を記しておこう。『いいか。おれの持っているものはみんな、洗いざらいお前らにくれてやるんだから、落さずにしっかり受けとめろよ』襲いかかって来る激流に逆らって、踏んばって立ち、頭からしぶきを浴びながら、手にした銀鱗をひらめかす大魚を、はるか後方にいる若者たちに向って投げ与えようとする漁師の、一瞬の気迫が、この言葉には充ち充ちていたものだ。」(p273)


ということで、本が届くと、読まずに満足してしまっている私がいます。
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