和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

おせっかいで心のあたたかな。

2021-06-28 | 詩歌
産経新聞の応援に、ブログで数回書いたら、
思い浮かんだ言葉が『おせっかい』でした。

う~ん。最近読んだ本にもありました。
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」では
ここらあたりかなあ。

「・・そこにあるのは自分ひとりの世界だ。
読書好きがいないわけではない。しかし、
本のおもしろさを他人に語ろうとしない。

これでは本の力は伝播しないし、拡がらない。
 ・・・・・・

私たち編集者はもっとおせっかいになってもよい
のではないかと思う。おもしろい、読みごたえのある
本を編集することは大前提であるが、その上で、
作った本、かつて手がけた本のよさを世に押し出す
努力が、もっとなされてしかるべきであろう。

おせっかいは押しつけでもあるが、いまの時代には
かえって必要なのではないか。・・・・・・・

読者へのおせっかい、それはいま編集者に求められて
いる態度のような気がする。・・・
そのくらい追い込まれているいのではないか。」(p205~207)

はい。これは編集者にとっての『読者へのおせっかい』
として語られているのですが、
『そのくらい追い込まれているのではないか』というのは、
部数減少に悩む新聞業界全体にも、同様な感じをもちます。

うん。このくらいにして、
『おせっかい』といえば、
私に思い浮かぶのは、お見合い。
はい。最後は、天野忠の詩『しずかな夫婦』の
はじまりの箇所を引用してみます。

    しずかな夫婦    天野忠

 結婚よりも私は『夫婦』が好きだった。
 とくにしずかな夫婦が好きだった。
 結婚をひとまたぎして直ぐ
 しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
 おせっかいで心のあたたかな人がいて
 私に結婚しろといった。
 キモノの裾をパッパッと勇敢に蹴って歩く娘を連れて
 ある日突然やってきた。


はい。4ページほどのちょっと長い詩です。
そのはじまりの箇所を引用してみました。

『おせっかいで心のあたたかな人がいて』とあります。
この頃、ついぞ見かけなくなりました。
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反日感情NO1・日本。

2021-06-27 | 本棚並べ
新書の中で、以前に読んで印象深い言葉がありました。
すっかり、その個所を忘れていたのですが、今回再読。
以下の個所です。

「いつか、大宅壮一が海外の対日感情の調査旅行から帰って、
『世界中の反日感情を調べて回ったが、反日感情のいちばん
強いのは日本だった』と警句を吐いたことがある。

なるほど、東南アジアの対日感情が悪くなった今日でも、
日本の綜合雑誌ほど日本批判を熱心にやっているものは
ほかにはなさそうだ。・・・」
 ( p141・板坂元著「考える技術・書く技術」1974年 )

今回読み直していたら、
『従軍慰安婦』を最近になって政府が、ただの『慰安婦』と
名称を正したことを思い浮かべました。

韓国が、あれほど日本を叩くのも、じつは
反日感情に溢れた日本人の存在が原点なのだ。

そう思うならば、簡単に解ける問題なのだと、
今回読み直して、あたらしく思いました。

私は、韓国はどうしようもないなあ。と最近は
繰り返し思っておりました。けれども考えを改めます。
日本の反日感情の方が、よほどどうしようもないのだ。
自国の反日がうまくゆかないので、韓国経由の反日で、
溜飲をさげているところの、反日感情のNO1は日本人。

今回引用した言葉を読んで思い浮かんだのは、そんなことでした。
読み直すと、同じ言葉でも、読む方の読み方が変わることもある。


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恥ずかしい。

2021-06-26 | 産経新聞
今月から産経新聞を購読しております。
うん。今日の一面コラム産経抄(6月26日)がよかった。
ということで、懲りずに今日も産経新聞から。

はい。今日の産経抄を引用したいのですが、そのまえに、
本棚から石井英夫著「コラムばか一代」(産経新聞社・2005年)
をとりだす。ちなみに副題は「産経抄の35年」とあります。
その「まえがき」から引用。

「私は昭和8年1月生まれだから、今年で72歳になる。
・・・
執筆は週一回休みをとったから1年で300本。
35年だからコラムの数だけいえば本数は一万本を超えたことになる。
・・・・
へそ曲がりのせいか時流に逆らうことばかり書いてきた。
とりわけ朝日新聞とテレビ文化人の偽善と迎合にはがまんがならず、
新聞批判、テレビ批判を書くこともしょっちゅうだった。

しかしそのことで読者の反感を買ったことはほとんどない。
むしろ『そうだ、そうだ』『胸がすーっとした』などという
共感の声の方が多かった。」(∼p3)

うん。産経新聞の読者はというと、
昔も今もそんなにかわっていないのかもしれませんね。
あと、第一章からも、すこし引用しておきます。

「・・これは理屈うんぬんの問題ではない。
いちばん簡単なのは理屈を並べることで、
政治家の悪口なんぞは寝そべっていても書ける、
とここは大きく出ていこう。」(p23)

はい。では6月26日の産経抄のはじまりとさいごとを引用。

「中国共産党の専横を真っ向から批判してきた唯一の香港紙、
蘋果日報(アップルデイリー)が、とうとう休刊に追い込まれた。

一党独裁の専制主義国家にあった、ぶれない言論活動を続ける
ことがいかに困難なことか。体制に屈しない覚悟のありようを、
まざまざと見た思いがする。」

はい。これがはじまり。真ん中を端折ってさいごを引用します。

「マスコミでは、左派が大勢・体制で・・・

首相や与党幹部をいくら批判しようと、
何のリスクもない言論の自由が保障された国で、
権力と対決している気分に酔うのである。

森友学園への国有地売却も加計学園の獣医学部新設も、
権力の監視という美名の下でマスコミが大騒ぎした結果は、
大山鳴動ネズミ一匹にすぎない。

国政を停滞・混乱させ、必要な法制定や政策実行を
遅らせただけではないか。

時の政権の問題点を追及するのは当然である。
だが、大切なことは反体制を気取ることではなく、
事実を提示していくことだろう。
そうでないと蘋果(ひんか)日報に恥ずかしい。」

はい。3回連続産経新聞を引用してしまいました。
ガンバレ。産経新聞。




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友よ。

2021-06-24 | 産経新聞
産経新聞6月24日の一面の見出しは、
『朋友、等你回來!(友よ、復活を待つ!)』
はい。藤本欣也氏の短文で、一面コラムと同じほどの字数でした。
はじまりは、
「香港紙で唯一、中国共産党を真っ向から批判してきた
蘋果日報(アップルデイリー)が23日、休刊に追い込まれた。」

はい。一箇所だけ引用するなら、ここかなあ。

「羅偉光総編集(編集局長)(47)に初めて会ったのは
昨年6月、香港国家安全維持法(国安法)が施行される直前だった。

羅氏は、
① 中国本土の取材ビザがなかなか出ない
② 同紙記者だけ高官の取材の際に排除される

など当局の嫌がらせに悩まされている、とこぼした。

聞いている内に、吹き出しそうになった。
『産経新聞も同じですよ』。
2人して苦笑した。  

国安法施行翌日の昨年7月1日、
蘋果(ひんか)日報の1面の見出しは
『悪法が発効、一国二制度は死を迎えた』だった。
・・・・・
羅氏も、黎氏も今は獄中にある。」

うん。これが今日の産経新聞。
ほかの新聞は、どのように扱っているのだろう。
うん。いいや。わたしは産経新聞だけで。

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朝ドラ『おちょやん』

2021-06-23 | 産経新聞
昨日の新聞一面コラムから引用。
はじまりは
『東京五輪開催まで1カ月に迫った現在でも、反対論が根強い。
ワクチン接種が順調に進んでいるとはいえ、コロナ禍の収束には
ほど遠い状況では無理もない』

コラムは、辞退に言及しております。

『大会ボランティアの一部が辞退した問題の背景にも、
多くのメディアによる否定的な報道やSNS での誹謗中傷があった』

うん。コラムの最後を引用しておきます。

『先週末に放映された朝ドラ「おちょやん」の総集編に
こんな場面があった。主人公の千代にとって役者人生の
出発点となった大阪・道頓堀は空襲によって焼け野原となる。
廃墟となった稽古場で一人演じる千代を憲兵が見とがめて、
連行しようとする。「この非常時に不謹慎だ!」
  ・・・・・・
千代はひるまない。「うちはずっと芝居して、兵隊さんや銃後を
守っている人たちを励ましてきたんだす」。
五輪に集うアスリートたちも、
コロナ禍で疲れ果てた人たちを必ず励ましてくれる。』

はい。今月からまた産経新聞を購読しております。
一面コラム「産経抄」の2021年6月22日より引用しました。
今日の産経新聞一面トップは

『中国に批判的な報道を続けてきた香港紙、蘋果日報(アップルデイリー)
が中国・香港当局の弾圧で休刊に追い込まれる見通しとなり・・・』

今日の産経抄は、この蘋果(ひんか)日報をとりあげます。
全文引用するのはあきらめて、コラムの最後を引用。

「『ペンは剣よりも強し』という言葉は、
言論は暴力に勝るという意味で使われている。

19世紀の英国の作家、リットンが手掛けた戯曲のなかのセリフ
なのだが、実は『偉大なる人物の統治の下では』との条件がつく。

つまり、剣を振りかざして抵抗しても、
権力者がペンでサインした令状で抑え込めるというのだ。

香港の報道の自由を圧殺した中国当局のおかげで、
名言が本来の意味を取り戻した。」

うん。産経新聞ガンバレ。
一票投票する思いで購読。
天安門事件以降、いまだに産経新聞は
中国へ特派員を、置けないでいるはず。

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知的生産。知的正直。

2021-06-22 | 本棚並べ
加藤秀俊著「整理学」(中公新書・1963年)
板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書・1973年)

はい。「整理学」の出版から10年後に、
板坂元氏の新書は出ておりました。

加藤秀俊氏の著作は、そのあとにも中公新書で、
ぞくぞくと出ているのでした。

加藤秀俊著「見世物からテレビへ」(岩波新書・1965年)。
これは、どうしてか岩波新書から出ております。
あとがきの最後には、こうあるのでした。

「・・こうして岩波新書の一冊として出版されるにあたっては、
岩波書店の田村義也さんの献身的努力にすべてを負っている。
ありがとう。
   昭和40年祇園祭宵山の夕    加藤秀俊    」


さてっと、時は過ぎます。
加藤秀俊著「メディアの展開」(中央公論新社・2015年)が
出ておりました。そのあとがきの最後の方に、こうあります。

「気がついたらおやおや、いつのまにやら
 わたしは85歳になっていた。」(p612)

はい。あとがきを引用したら、はしがきからも引用。
こんな箇所がありました。

「・・わたしは落語・講談を基礎教養として、
八、熊、与太郎を友として育ってきた人間である。

みずから徳川時代、とりわけ『江戸』という都市を
経験してきた者だと自負している者である。・・・・

『見世物からテレビへ』以降の雑多な著作のなかでも
ずいぶん徳川期の書物などを引用しているけれども、

あれは手当たり次第に発見した文献をもっともらしく参照していただけで、
本格的にあれこれの書物を完読したわけでもなかったし、たとえば
天明狂歌の仲間たちのように同時代人たちのこまやかで愉快な交友など
をしらべることもなかった。・・・・・

若気の至り、といって弁解することもできようが、
いま再読してみるとわれながら恥ずかしい。・・・・・

わたしはあらためて『江戸時代年代表』を机のまえにかかげ、
それと首っ引きであれやこれやの随筆類に目をとおすことにした。

・・・・その結果、元号からいうと、どうやら享保から天明に
かけてのおよそ一世紀、つまり18世紀にかなりおおきな
社会変動と文化革命があったような気がするようになってきた。
・・・・」


はい。ここにある『再読してみるとわれながら恥ずかしい』
なんて、ふつうは、なかなか、言えないですよね。
板坂元著「考える技術・書く技術」の最後の方に、

「学者というものは、自分の知らないことを
はっきりと知らないと言えるようになったとき、
はじめて一人前になったと言われるものだ。

自信がなければ、知らないとは言いにくい。・・・
けれども、それを公然と言えるようにならなければ
一人前とは認められないのだ。」(p202)

はい。それじゃ、いつまでたっても、私は一人前にはなれない。
そう思うと、恥ずかしい。

ちなみに、板坂元氏は、文学部国文学科卒で江戸文学専攻。
それでなのでしょうね。この引用した文の少し前にこんな箇所。

「わたくしどもの日本古典の分野では、
活字の本でやる勉強は、勉強のうちに入らない。
入らないことはないけれども、活字になった本だけでは
資料が不十分で、どうしても昔の写本やら刊本を読まなければ
事足りないのだ。・・・」(p199)

とあるのでした。
はい。85歳で本を出版した加藤秀俊氏は、
その本のなかで堂々と書いておられます。

「わたしはまともに漢籍が読めないし、古文書もほとんど読めない。
いくらか勉強したこともあるが、結局のところ『活字人間』だから
古い本も明治以降に活字本になったものしか読んでいない。

じっさい、『徒然草』などは中学生のころから
なんべんも読んできたが、すべて活字本。・・・・

塙保己一(はなわほきいち)記念館で整版の『徒然草』を
拝見したのは眼福であったが、あれをスラスラ読むだけの能力はない。

そんなしだいで・・・それら古本の読解力がない。まことに情けない。
えらそうに日本の古典から引用しているが、モトになっているのは
『日本古典文学大系』『日本随筆大成』以下もろもろ、
すべて現代の『活字』になったものだけ。

中野三敏さんの命名なさった『和本リテラシー』は
わたしのばあいかぎりなくゼロにちかいのである。
まことにはずかしい。」(p258~259)

はい。加藤秀俊著『メディアの展開』の副題は
「情報社会学からみた『近代』」とあり、
これがどうして、めっぽう面白いんです。

うん。その面白さが引用できますように。
はい。請うご期待。



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『わたしにも写せます』

2021-06-21 | 本棚並べ
新書といえば、梅棹忠夫著「知的生産の技術」がある。
うん。一筋縄ではいかないので、ここはからめ手から。

加藤秀俊氏が梅棹忠夫著「知的生産の技術」を
とりあげた文があり、時代背景をとりあげなら、
新書の内容にふれてゆきます。こんな感じです。

「『かんがえる』ということを、
特別にえらばれた人びとの天才的努力の問題だ、
と信じていた多くの日本人にとって、
それを『技術』と断定したこの本は、
たぶんひとつの大きなショックであった。

この本に先行して、『わたしにも写せます』という
8ミリ撮影機のコマーシャルがあったが、・・・
このコマーシャルとおなじ健康さを持っている」
     ( p73「ベストセラー物語 下」朝日選書 )

これは、選書8ページほどの文なのですが、
最初の方で、こう時代背景を切りとります。

「・・かんがえてみると、全共闘と梅棹忠夫は、
ほぼ同時期に、まったくおなじ教育への批判を
こころみていた、というふうにもみえる。

もちろん、全共闘は、わけのわからない泥沼のなかに
ふみこんで、不定形な感情の発散をくりかえすことになり、
あまり生産的な貢献をすることができなかった。

それにたいして、梅棹忠夫は、きわめて具体的、
かつ説得的に、いまの日本の知的訓練の欠陥を
この本をつうじて指摘している。・・・・」(p70)

この1960年代後半を、加藤氏は、こう指摘してゆきます。

「おびただしい活字が日本国じゅうに充満し、
ラジオやテレビからさまざまな映像や音声がとび出した。
本もつぎつぎに出た。企業のなかでは文書活動がやたらにふえ、
いわゆる『情報洪水』がはじまっていた。・・・・

おぼえておかなければならないことがらが
つぎつぎに目のまえにあらわれてくる。
手紙や文書もつくらなければならぬ。

とりわけ、あたらしいかんがえや提案をふくんだ
『創造的』な文章をまとめることがサラリーマン
社会でもひつようになっていた。すくなくとも、
その必要がおぼろげに感じられはじめていた。・・・」
 (p71∼72)

はい。はじまっていた『情報洪水』に対して個人は
何ができるのか。まずは手痛いしっぺ返しを経験させようと
したのじゃないか?。洪水のなんたるかを味わえと。

山根一眞氏は『そうや、それでええのや』と梅棹さんに言われます。

「・・思いきって、『私はB6カードを先生がおっしゃるように
一万枚も買って、結局破綻しました』と、白状した。すると、
『そうや、それでええのや』と、おっしゃった。

つまり、B6カードを手掛けることは、
各人が自分なりに情報整理とはどういうものかを
学ぶことに意味がある。あなたはそれによって
自分なりの整理法をみつけた、それでいいのだ、
というのである。・・・唸った。」
(「梅棹忠夫著作集第11巻」の月報『怖いフレーズ』山根一眞 )


はい。この「ベストセラー物語 下」は、1978年に出ておりました。
この中で加藤秀俊氏はこう指摘されております。

「ほんとうは、この本に書かれていることの大部分は、
大学の一年生のときに、ひと月ほどでやっておくこと
のできることである。

その、あたりまえの基礎ができていないから、
やむをえず、梅棹忠夫はこの本をかいた。」(p70)

はい。65歳以上からの、再チャレンジ。
この『あたりまえの基礎』を学びます。
当ブログで、学び直せる気がしてくる。
はい。「これからはじめる知的生産」。

というので、晴天の庭の手入れよろしく、
わたしの、はじまりは本棚の手入れから。

それでは笑って。はい。チーズ。
『わたしにも写せます』ように。





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また家庭生活のなかで。

2021-06-19 | 本棚並べ
河合隼雄氏に
『本の読み直しは庭の手入れに似ている。』との指摘があります
(p224「半歩遅れの読書術Ⅱ」2005年・日本経済新聞社)。

この言葉、何かテーマを頂いたようで印象に残っております。

はい。今日は朝から雨でしたが、今はやんでおります。
梅雨時の晴耕雨読に、私は新書読み直しをはじめます。

「庭の手入れに似ている」って、どういうことなのだろう。
まあ、そんなことを思いながら、本をひらき読み直します。

加藤秀俊著「整理学」(中公新書・1963年)に
棚の整理についての箇所がありました。
はい。本棚の整理を持ちこしている私としては
気になる箇所です。

「日曜大工たちがいちばんひんぱんにおこなう作業は、
棚を吊ることだ。本棚だの、衣裳箱やいろんなものの
ストックをのせる棚だの、屋内外のいろんなところに棚を吊る。
そして、置き場に窮した『もの』を棚上げ、いや、整理する。
棚というものは、『もの』の立体的整理の第一歩である。」
(p113)

うんうん。『棚上げ』ですね。わかるわかる(笑)。
わかるのだけど、私には吊戸棚なんてつくれない。
それはそうと、私の場合には本棚おけば、床に置かれた
有象無象を、とにかく棚に押し込める。何か床まわりを
きれいにするだけで、整理が一段落した気分になります。

はい。『整理学』から、もう一箇所引用。

「われわれに必要なのは、ムダな『さがしもの』でイライラしたり
困惑したりしないですむような、記録の『保存』の方法である。

どれだけ『さがしもの』にムダな時間と労力をかけないですむか、
あるいは、いかに効率よく特定のものをひき出しうるか―――
学問の世界でもビジネスの世界でも、また家庭生活のなかでも、
それはほとんど決定的な意味をもっている。・・・・」(p54)

うん。これだけじゃ、まだ『庭の手入れ』へと
近づけないような気がするので、
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書・1969年)からも
補強材料を仕入れることに、こちらの新書の小見出しに
『秩序としずけさ』(p95~96)とある箇所が、読むたび
思い出されます。水のたとえもあり印象深い箇所なので、
最後におつきあいください。

「このような整理や事務の技法についてかんがえることを、
能率の問題だとおもっている人がある。・・・・・

しかし、じっさいをいうと・・すこしべつな観点からも
かんがえてみる必要がある。

これはむしろ、精神衛生の問題なのだ。
つまり、人間を人間らしい状態につねにおいておくために、
何が必要かということである。かんたんにいうと、人間から、
いかにしていらつきをへらすか、というような問題なのだ。

整理や事務のシステムをととのえるのは、
『時間』がほしいからでなく、生活の
『秩序としずけさ』がほしいからである。

水がながれてゆくとき、
水路にいろいろなでっぱりがたくさんでている。
水はそれにぶつかり、そこにウズマキがおこる。
水全体がごうごうと音をたててながれ、泡だち、
波うち、渦をまいてながれゆく。

こういう状態が、いわゆる乱流の状態である。
ところが、障害物がなにもない場合には、
大量の水が高速度でうごいても、音ひとつしない。
みていても、水はうごいているかどうかさえ、はっきりわからない。
この状態が、いわゆる層流の状態である。

知的生産の技術のひとつの要点は、できるだけ
障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって、
日常の知的活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだ
といっていいだろう。

精神の層流状態を確保する技術だといってもいい。
努力によってえられるものは、精神の安静なのである。」

さて、「生活の『秩序としずけさ』」と「精神の安静」。
はい。こうして『庭の手入れ』に、近づいた気がします。


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いまでは、だれでもが。

2021-06-18 | 本棚並べ
はい。梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書・1969年)を、
またひらく、「はじめに」にはこうありました。

「資料をさがす。本をよむ。整理する。ファイルをつくる。
かんがえる。発想を定着させる。それを発展させる。
記録をつける。報告をかく。

これらの知的作業は、むかしなら、ほんの少数の、
学者か文筆業者の仕事だった。いまでは、だれでもが、
そういう仕事をしなければならない機会を無数にもっている。
生活の技術として、知的生産の技術をかんがえなければ
ならない理由が、このへんにあるのである。」(p13)

こうもあるのでした。

「よんでいただいたらわかることだが、
この本は、いわゆるハウ・ツーものではない。
この本をよんで、たちまち知的生産の技術がマスタ―できる、
などとかんがえてもらっては、こまる。
研究のしかたや、勉強のコツがかいてある、
とおもわれてもこまる。・・・・

合理主義に徹すればいい、などと、
かんたんにかんがえてもらいたくないものである。
技術という以上は、ある種の合理性はもちろん
かんがえなければなるまいが、知的活動のような、
人間存在の根底にかかわっているものの場合には、
いったいなにが合理的であるのか、きめることはむづかしいだろう。」
(p20)

はい。はじめて読んだ時の私は固定観念がありまして、
はなから、新書とは、ハウ・ツーものと思っておりました。
ですから、そのつもりで読んでおり内容把握もチグハグでした。
こんな「はじめに」の言葉は、その時は読み飛ばしておりました。

はい。これは岩波新書ですが、このなかに、
加藤秀俊著「整理学」(中公新書・1963年)への言及もあります。
うん。岩波新書と中公新書が、先陣を切って新書におどりでています。
加藤秀俊氏など、中公新書からそのあと続々と新刊を出されている。
後塵の講談社は、どうして新書『知的活動』戦線へとくわわるのか、
なんだか他人事ではないような、気がしてくるのでした。

「知的生産の技術」の「はじめに」には
よく読めば、こんな箇所さえありました。

「これは、ひとつの提言であり、問題提起なのである。
これをよまれたかたがたが、その心のなかに問題を感じとって、
それぞれの個性的にして普遍的な知的生産の技術を開発されるための、
ひとつのきっかけになれば、それでいいのである。

そして、こういう問題を公開で議論するならわしが、
これをきっかけにしてはじまるならば、
わたしはたいへんうれしい。・・」(p19~20)

講談社は、このきっかけをものにしておりました。
「わたしの知的生産の技術」(「知的生産の技術」研究会編)
これが「続わたしの知的生産の技術」「新・わたしの知的生産の技術」
と講談社から単行本で出ておりました。
どういう内容かは、あとがきから引用してみます。

「・・『知的生産の技術』セミナーをはじめる・・・
講師は思いきって広く各界一流の人士を貪欲に追い求め、
理解と協力を仰いだ。まったく無名のインフォーマル・グループに
一流の講師がつぎつぎに協力してくださった・・・
本書に掲げた文章は数多いすぐれた講演記録の中から
表題にふさわしいものを選んで文章化したものである。・・・・

本書の作製にあたっては、梅棹忠夫教授、紀田順一郎氏をはじめ、
講談社の末武親一郎氏に懇切なご指導をいただいた・・・」
 (代表八木哲郎「わたしの知的生産の技術」1978年)


ちなみに、岩波新書には「私の知的生産の技術」(1988年)が
ありますが、こちらは岩波新書創刊50年記念として、このテーマで
応募してもらったなかから、選んでの新書一冊でした。
思えば、この頃から岩波新書は、内容が薄くなっていったのかも
しれません。新書にも栄枯盛衰の歴史があるようです。
これからは、どうなってゆくのか。

またしても鷲尾賢也氏の本をとりだす。
そこに『合理化』という言葉があった。

「社会全体も合理化がすすんでいる。
自分の背負っている部分的な機能だけで相手を判断してしまう。
人間がもつ多様な側面を見ようとしない。
会社、役職、学歴といった限定された機能が全体を覆うのは、
そういう風潮の分かりやすい一例であろう。
つまりお互いに、異なった機能を交換する能力が減退しているのだ。

学歴はないが大知識人、癖はよくないが名文家、
学問はたいしたことはないが人望があり学界のリーダー。
このように人は多面的なのだ。・・・
ある一点だけで著者とつきあうのではない。・・」
 ( p181「編集とはどのような仕事なのか」)

いつだって、こういう編集者が編集した本は読みたい。



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タヌキ。ほととぎす。蝉。

2021-06-17 | 詩歌
この前の日曜日の朝に、車が車線をよけて
走っているので、何だろうと出てみると、狸が死んでいる。
ちょうど家の横なので、まずはタヌキを道路の端に移動して、
さてどうするか。日曜日なので、役所も締まっているだろうし、
そう思っていると、蠅がたかりはじめてる。
結局、自分で海岸松林へ埋めに行きました。

狸から、ほととぎす。
ときどき、ほととぎすの鳴くのを聞きます。
普段意識してないせいか、聞き流しですが、
休日など、バイクの騒音が聞こえていると、
つい、ほとどぎすのつたない鳴き声を聞き、
ほっとしております。

そういえば、狂歌に
『ほととぎす自由自在にきく里は
      酒屋へ三里豆腐やへ二里』
というのがありました。

町の豆腐屋も酒屋も閉めもう何年たつか。
コンビニへは、歩いてだと15~20分ほど。
スーパーだと、車での買い物になります。
はい。もう申し分なく
『ほととぎす自由自在にきく里』となりました。
コンビニへ歩いて15分で、スーパーへ車で15分。
といったところでしょうか。

はい。気持だけセカセカと早回し。つい、空回りしがち。
ほととぎすから、私は夏の蝉のことを思い浮かべました。
まだ、梅雨のはじまりだというのにね。

はい。ほととぎすの声の連想から、蝉の声です。
最近読んだ、小高賢の歌集『本所両国』(雁書館・2000年)
の最後の方に、蝉が出てくる2首。

 数千のなきやまぬ蝉すでにもう  
       土におちたるいのちあるらん  p185

 夕暮れのすき間すき間にしみるほど
       残り時間をなきつくす蝉    p186


はい。毎年蝉の声を何げなく聞いている癖して、
年年歳歳、聞こえるのは年齢記憶の奥行きです。
夏はまだでも気持は梅雨を通り越して行きます。


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『小見出し』のルーツ。

2021-06-15 | 本棚並べ
たとえ、ぎこちなくてもつい引用をする方です。
それを続けていると、引用のルーツをたどれる。

他人の文から、そのルーツを思うことがあります。
引用と気づかないほどに、咀嚼し自在に操り血肉化
されている方の文章をよめるのは、楽しみで醍醐味。

昨日も、そんな例を思い浮かべました。
それは編集者の鷲尾賢也の言葉。

「・・・・節までは著者の構成に含まれる。
ところが小見出しは、著者が考えるのではない。
編集者が読者のために挿入するものである。・・・・」
 ( p129「編集とはどのような仕事なのか」)

この編集者が挿入するという『小見出し』が、印象に残ります。

昨日、岩波新書の梅棹忠夫著「知的生産の技術」を開くと、
第一章『発見の手帳』に、ご自身のメモを発展させながら、
その過程で『小見出し』の元祖らしき記述があるのでした。

「『発見の手帳』は、単なる精神の成長の記録などではなくて、
知的蓄積のための手段なのだから、それは、あとで利用できな
ければならない。かいてあることのうち、じっさいにどれだけ
をあとから利用するかは別としても、すくなくとも利用の方法
だけは確立しておかなければならない。

利用の方法もないようなものなら、
とうていながつづきするはずがないのである。

そのために、いくつかの実際的なくふうが必要である。
・・・・のちには、1ページ1項目という原則を確立し、
そしてページの上欄に、そのページの内容をひと目で
しらせる標題をつけることにした。いくらみじかい記事でも、
内容がかわれば、つぎのページにすすむ。・・・・・・・

一冊をかきおえたところで、かならず索引をつくる。
すでに、どのページにも標題がついているから、
索引はなんでもなくできる。・・・」(p31)


この『どのページにも標題をつける』と
鷲尾氏の『新書、選書などは小見出しを頻繁につける。
おそらく見開きにひとつぐらいを原則にしているのではないか』
(p130「編集とはどのような仕事なのか」)

この共通した相似形を思い描ける不思議。
はい。こういうのが新書の楽しみですね。

また、鷲尾氏の、その本には
『編集者は読者の代表である。第一の読者である。』(p112)
という箇所も、忘れがたい。最初に読み、読めるという醍醐味。

そうですそうです。読者が身銭を切って買うように、
出版社も赤字覚悟で、身銭を切る場面がありました。

「『季刊人類学』という雑誌を社会思想社からひきついで、
編集実務を講談社が引き受けていた。当然赤字であるが、
今西錦司、梅棹忠夫以下のいわゆる文化人類学関係の
著者獲得の一方法としてはじめたと聞いている。・・・」(p211)

うん。こうした出版社の、赤字覚悟が、
まわりまわって読者が本を買う行為へ
つながっていると思えてくるのでした。

はい。これからは、真っ先に読む編集者の気持で、
毎ページ単行本に小見出しを書きこめたらいいのですが、
それにしても、装幀がりっぱな本だと、
オーラが出ているようで、ひるみます。
その点、新書ならお気軽で、
まずは、新書で、編集者の小見出しとのコラボ。
うん。鉛筆片手に、これなら出来そうです。




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新書だよ人生は。

2021-06-15 | 本棚並べ
はい。
私はマンガで育ち。
テレビが出始めた頃は、電気屋さんで見てました。
現代がスマホの時代というならば、
わたしは、漫画とテレビ世代です。

それが、人生の後半の折り返し地点に立つと、
もうテレビも賞味期限切れと感じ、
漫画を読むと疲れると感じたりと、
今までとは別世界の住人になりました。

こういう地点から、なにげなく脚下を照らせば、
そこには、文庫があり、新書があった。
スマホを持つように、ポケットに、
新書を入れて持ち歩いていたなあ。

ということで、本棚整理の方向性が、定まりました。
『新書だよ人生は』で残りの人生を読んでゆきます。
って、何を言っているのやら。
新書はハウツウものなのですが、それでも、
それなりに、何度も読み直せる新書があり。
うん。自分のなかでいつのまにか濾過され、
記憶に引っかかり尾を引いている本がある。

そう思うと、単行本が閉じた密室の感じをうけ、
それに対して、新書はワイワイ雑談を楽しめる。
いつも、本への入り口は、こうでなくっちゃね。

はい。昨日はボケっと、そんなことを思っておりました。
ここから、未読・積読本への再チャレンジへと挑戦です。
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歌集「本所両国」。

2021-06-13 | 詩歌
はい。小高賢の歌集が読みたく、ふんぱつ。
雁書館の「本所両国」(2000年)にする。

はい。題名がいいじゃないですか。
相撲力士の四股名(しこな)みたいです。
本所力士とか両国力士とか。
あっ。両国力士というのはおりました。
地名はいいですね。御茶ノ水博士とか、井の頭さんとか(笑)。

うん。そんな連想から、小高氏の歌集を選びました。
もちろん古本で、1980円+送料262円=2242円なり。
新刊の本体価格は3000円になっております。
はい。歌集ですからね。ときには奮発します。
昨日は、この歌集をひらいておりました。作品444首。198頁。
1ページに多くて3首。
まるで、白砂敷の庭園に、岩石が3つ並ぶように、
余白に、3首が顔を出しているような風景。
はい。たまには、こういうのもいいですね。
安易に言葉で刈り取るのはやめにして、一日寝かせておりました。
もっとも、数日寝かせると私は忘れてしまいますから、
そろそろ、この時点で思い浮かぶのをメモしてみます。

444首。旅に出たり、会社のこと、家族のこと、
さまざまなのですが、はい、読む方は勝手です。

会社のことは、引用がむつかしいので、
まずは、1首を引用して次に行きます。

  頑迷な奴とぶつかるつづまりは
     いかに生きるかその岐路に立ち (p52)

ページの余白に青葉・若葉は映えます。
アトランダムに以下引用していきます。

 整列の新入生の笑むごとし
    いちょう並木に若葉のゆれる  (p16)

 鳴る風に双手をひろげ樟の木の
        青葉の太郎若葉の次郎 (p17)

 大樟は陽をあび風にむきながら
        地の信頼を一身に受く (p22)

 樹に化(な)らん樹になりたしと
     念ずれば風にゆらるる眠り来んとう (p87)

 ときに鋭くことばはかえる
      若葉から青葉の年齢に子は移れるや(p173)

 重すぎる枝葉を透かし来るひかり
        夏の匂いを帯び真直ぐなり  (p178) 

 新緑のまぶしきなかにほほえみの
       記憶ばかりを焼きつけし死者  (p182)

 「異動の季節」という会社での歌がありました。

 熱おびる売り買い市場あの子欲し
       この子出したし異動の季節   (p164)

 眼にいたきまでの若葉よ
     紙の上に人を動かし終わる一日   (p165)

 さくらばな散りて始まり
    若葉すぎ青葉の頃に終わる異動は   (p165)


うん。最後に引用するのは、どれにしましょう。
ケセラセラ。私が選んだのは、この一首。

 こうなれば笑いとばさん生きるうちは
         秩序正しく胃を強くして  (p154)
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編集者の夢。

2021-06-11 | 本棚並べ
さてっと、この本
鷲尾賢也著『編集とはどのような仕事なのか』(2004年)を、
本棚にもどそうと思うのですが、なんだか書き残したことが、
あるような気がしていて、もどかしい感じがしておりました。

私の読書範囲内なら、そのもどかしさに筋道がつくかも。
そう思って、今日になって浮かんできたことがあります。

西堀栄三郎著『南極越冬記』(岩波新書・1958年)。
清水幾太郎著『論文の書き方』(岩波新書・1959年)。

はい。このあとほぼ10年たって、
梅棹忠夫著『知的生産の技術』(岩波新書・1969年)
が登場しております。
岩波新書の『南極越冬記』には
桑原武夫と梅棹忠夫のお二人が関係しております。
『南極越冬記』あとがきに、それを見てとれます。
うん。そのはじまりは

「南極へ旅立つにあたって、わたしは親友の桑原武夫君から宣告を
うけた。『帰国後に一書を公刊することはお前の義務である』と。
 ・・・
しかし、いったいどうして本をつくるのか。
わたしは生来、字を書くことがとてもきらいである。
この年になるまで、本というものをほとんど書いたことがない。
  ・・・・・・
かれの意見に従おうと思ったけれど、
時間の余裕があった南極越冬中でさえ、
何一つ書きまとめることもできなかったわたしである。
帰国後のものすごい忙しさの中で、
とうてい桑原君のいうようなことができようはずがない。
 ・・・・・・
ちょうど、みんなが忙しいときだった。
桑原君は間もなく、京大のチョゴリザ遠征隊の隊長として、
カラコラムへ向け出発してしまった。しかし、運のいいことには、
ちょうどそのまえに、東南アジアから梅棹忠夫君が帰ってきた。」
(~p268)

西堀栄三郎追悼の文に、梅棹忠夫氏はそのことを書き残しております。
そして、『新書』編集者・梅棹忠夫が、ここに登場してきます。
うん。新書の創成期として、ここにちゃんと引用しておきましょう。

「西堀さんは元気にかえってこられたが、それからがたいへんだった。
講演や座談会などにひっぱりだこだった。越冬中の記録を一冊の本にして
出版するという約束が、岩波書店とのあいだにできていた。

ある日、わたしは京都大学の桑原武夫教授によばれた。
桑原さんは、西堀さんの親友である。桑原さんがいわれるには、
『西堀は自分で本をつくったりは、とてもようしよらんから、
君がかわりにつくってやれ』という命令である。・・・・・

材料は山のようにあった。大判ハードカバーの横罫の
ぶあついノートに、西堀さんはぎっしりと日記をつけておられた。
そのうえ、南極大陸での観察にもとづく、
さまざまなエッセイの原稿があった。

このままのかたちではどうしようもないので、
全部をたてがきの原稿用紙にかきなおしてもらった。
200字づめの原稿用紙で数千枚あった。これを編集して、
岩波新書一冊分にまでちぢめるのが、わたしの仕事だった。

わたしはこの原稿の山をもって、
熱海の伊豆山にある岩波書店の別荘にこもった。
全体としては、越冬中のできごとの経過をたどりながら、
要所要所にエピソードをはさみこみ、
いくつもの山場をもりあげてゆくのである。

大広間の床いっぱいに、ひとまとまりごとに
クリップでとめた原稿用紙をならべて、
それをつなぎながら冗長な部分をけずり、
文章をなおしてゆくのである。

この作業は時間がかかり労力を要したが、どうやらできあがった。
この別荘に一週間以上もとまりこんだように記憶している。

途中いちど、西堀さんが陣中見舞にこられた。
そして、わたしの作業の進行ぶりをみて、
『わしのかわりに本をつくるなんて、とてもできない
 とおもっていが、なんとかなっているやないか』
と、うれしそうな顔でいわれた。・・・」
(西堀栄三郎選集別巻「人生にロマンを求めて」悠々社・1991年)


さてっと、『編集とはどのような仕事なのか』の最終章は
『著者に育てられる』という見出しで、まず清水幾太郎氏が
登場しておりました。そのあとには、こうあります。

「新書の世界で講談社が、岩波、中公の後塵を拝していたことは
すでに述べた。東京より京都の方が差別される度合いが少なかったのだろう、
当時の編集長は企画のターゲットを京都の著者に絞っていた。
 ・・・・・・
『季刊人類学』という雑誌を社会思想社からひきついで、
編集実務を講談社が引き受けていた。当然赤字である、
今西錦司、梅棹忠夫以下のいわゆる文化人類学関係の
著者獲得の一方法としてはじめたと聞いている。・・・」
(p210~211)

そのすこしあとに、梅棹忠夫氏が登場する箇所があります。

「人文研時代の梅棹忠夫さんは知らない。
私は民博館長になってから以後のおつきあいである。
『館長対談』という本を何冊かつくっている途中、
視力を失くされる不幸に遭われた。
私が担当した『夜はまだ明けぬか』という体験記は、
そのときのことを書かれたものである。・・・」(p213)

はい。
梅棹忠夫著「夜はまだあけぬか」(講談社・1989年)の
まえがきの最後には、こうあります。

「この奇妙な体験記の出版については、
講談社の専務取締役加藤勝久氏、
学芸図書第一出版部長鷲尾賢也氏、
ほか講談社のみなさまのご高配をいただいた。
あつく御礼もうしあげる。」


またの読み直しを期待しながら、今回はこのくらいにして、
『編集とはどのような仕事なのか』を本棚にもどすことに。




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前書き・目次・後書き。

2021-06-10 | 前書・後書。
鷲尾賢也著「編集とはどのような仕事なのか」に、
「読者が購入するとき」という箇所がありました。

「読者が購入するとき、本のどこを見るのであろうか。
書店で何度も観察したことがある。

目的買いの場合はそれほど中身を見ない。
しかし、衝動買いの場合、読者は
まえがき、あとがき、目次、著者略歴などを読む。

そしてパラパラとめくり、アトランダムに読む。
そこで気にいれば購入する。多くはそこで、
棚や平積み台に戻すのである。

なかなか買ってくれない。目次は購入要因に
かなりの比重を占める。・・・・」(p136)

はい。最近は本屋へ出かける機会がなくなりました。
それはそうと、思い浮かんだのは、
桑原武夫著「人間素描」(筑摩叢書・1976年)。
はじまりに「湖南先生」が登場します。

「先生は大ていの書物は、
まず序文を丹念に読み、それから目次を十分にらんだ上、
本文は指さきで読み、結論を熟読すれば、
それで値打はわかるはずだと漏らされたという・・・」(p10)

はい。読者の『衝動買い』と、内藤湖南先生の本読みと、
『まえがき・目次・あとがき』とが、共通しております。

うん。これはいい指摘で、ありがたい。
けれども、先生は、「丹念・十分にらみ・熟読」の三拍子。
『序文を丹念に読み』『目次を十分にらみ』『結論を熟読』
とあるのでした。うん。身銭を切るときには、
一般読者も、この三拍子につい力がはいります。

それにしても、先生の言うところの
『本文は指さきで読み』というのは、どうなのでしょう。
まるで、辞書をひくのに、指確認でもしている恰好でしょうか。
はい。簡単に答えがでて、理解できるわけでもなさそうですが、
今度、ダメでもともと、恰好だけでも真似してみたくなります。

はい。寝かせ過ぎていた本たちと向合って。
呪文ならば、『眠りの姫よ 起きなさい』。
何となく、わからないながら『指さきで』。
合言葉は、『まえがき、目次、あとがき』。
ということで。


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