庄野潤三著「夕べの雲」。
講談社文庫は、最後に小沼丹の「庄野潤三の文学」が載っておりました。
講談社文芸文庫の最後には、4~5ページの文「著者から読者へ」があり、
また解説は阪田寛夫、作品案内は助川徳是。
興味深かったのは、その「著者から読者へ」という庄野潤三の文でした。
そこから印象深かった箇所をつないでみたいと思います。
庄野潤三著「夕べの雲」は昭和39年9月~昭和40年1月まで日本経済新聞夕刊に連載されております。そして昭和39年というのは、東京オリンピックの年でした。こう書かれております。「毎日、一回分の原稿を書くと、封筒に入れて、『下の道』の菓子屋さんの横のポストまで入れに行ってた。・・ポストの口から原稿の入った封筒を落し込む。私は家へ戻って、テレビのオリンピックの体操競技の実況中継を見た。」
題名については、こう書かれておりました。
「夏の日に私は家のすぐ向いにある浄水場の敷地内に入って、いちばん高い、小山の上のようなところ・・・で、芝生の上に寝ころがっていた。・・寝ころんで空を見上げると、―――といっても寝ころがっているのが丘のいちばん高いところで、目を遮るものが無いから、空がひとりでに目に入る。雲が浮かんでいるのだが、夕映えできれいな色をしている。それがちょっと目を離して、今度そちらを眺めてみると、もうさっきの色と違っている。もう別の雲になっている。あるいは、今の今まであったものが無くなっている。刻々、変わるのである。」
小説の第二章「終りと始まり」に、
小学三年生の夏休みの宿題をしている場面があります。
「何しろあと二日で学校が始まるのだから、ぐずぐずしていられない。」
理科の宿題で、海草の整理を細君と小学生でしている。その話し声が聞こえている場面でした。「外房州の海岸へは、毎年行く。二晩か三晩泊って、帰って来る。・・・その海岸は静かであった。・・・・有難いことにその漁村は、十年前もいまも殆ど変わりがなかった。色の黒い村の子供も、家族連れで来ている客も同じ磯で泳いでいて、人数はそんなに多くならないのであった。夕方になると、浜には誰もいなくなった。この村へ行くようになったのは、ひとつ隣の海水浴場のある町に大浦(主人公の名前)の友人が住んでいて、『いいところだから、来ないか。子供がきっと好きになるところだ』といって、誘ってくれたのであった。彼の話によると、その海岸にはお宮さんの下にいい泳ぎ場がある。まわりに岩礁(がんしょう)があって、そこだけ特別に波が静かで、泳ぎよい。岩礁の上を伝ってどこまでも歩いて行くことが出来て、危くない。岩の間の窪みにいるダボハゼを取るのに絶好の場所で、魚取りに夢中になっていて、顔を上げると、眼の前は太平洋だ。海の色が違うーーー
と、そういうのであった。」
オリンピックと、夏休み最後の二日間と、房総と。
ただもう、四十年以上前の小説での話なのでした。
講談社文庫は、最後に小沼丹の「庄野潤三の文学」が載っておりました。
講談社文芸文庫の最後には、4~5ページの文「著者から読者へ」があり、
また解説は阪田寛夫、作品案内は助川徳是。
興味深かったのは、その「著者から読者へ」という庄野潤三の文でした。
そこから印象深かった箇所をつないでみたいと思います。
庄野潤三著「夕べの雲」は昭和39年9月~昭和40年1月まで日本経済新聞夕刊に連載されております。そして昭和39年というのは、東京オリンピックの年でした。こう書かれております。「毎日、一回分の原稿を書くと、封筒に入れて、『下の道』の菓子屋さんの横のポストまで入れに行ってた。・・ポストの口から原稿の入った封筒を落し込む。私は家へ戻って、テレビのオリンピックの体操競技の実況中継を見た。」
題名については、こう書かれておりました。
「夏の日に私は家のすぐ向いにある浄水場の敷地内に入って、いちばん高い、小山の上のようなところ・・・で、芝生の上に寝ころがっていた。・・寝ころんで空を見上げると、―――といっても寝ころがっているのが丘のいちばん高いところで、目を遮るものが無いから、空がひとりでに目に入る。雲が浮かんでいるのだが、夕映えできれいな色をしている。それがちょっと目を離して、今度そちらを眺めてみると、もうさっきの色と違っている。もう別の雲になっている。あるいは、今の今まであったものが無くなっている。刻々、変わるのである。」
小説の第二章「終りと始まり」に、
小学三年生の夏休みの宿題をしている場面があります。
「何しろあと二日で学校が始まるのだから、ぐずぐずしていられない。」
理科の宿題で、海草の整理を細君と小学生でしている。その話し声が聞こえている場面でした。「外房州の海岸へは、毎年行く。二晩か三晩泊って、帰って来る。・・・その海岸は静かであった。・・・・有難いことにその漁村は、十年前もいまも殆ど変わりがなかった。色の黒い村の子供も、家族連れで来ている客も同じ磯で泳いでいて、人数はそんなに多くならないのであった。夕方になると、浜には誰もいなくなった。この村へ行くようになったのは、ひとつ隣の海水浴場のある町に大浦(主人公の名前)の友人が住んでいて、『いいところだから、来ないか。子供がきっと好きになるところだ』といって、誘ってくれたのであった。彼の話によると、その海岸にはお宮さんの下にいい泳ぎ場がある。まわりに岩礁(がんしょう)があって、そこだけ特別に波が静かで、泳ぎよい。岩礁の上を伝ってどこまでも歩いて行くことが出来て、危くない。岩の間の窪みにいるダボハゼを取るのに絶好の場所で、魚取りに夢中になっていて、顔を上げると、眼の前は太平洋だ。海の色が違うーーー
と、そういうのであった。」
オリンピックと、夏休み最後の二日間と、房総と。
ただもう、四十年以上前の小説での話なのでした。