古本で買った文化出版局の佐藤雅子著「季節のうた」は、
函入りで、第1刷発行が昭和51年11月30日とあり、
購入本は、第11刷発行で昭和52年7月20日でした。
はじめての著者なので、紹介文を引用。
「 明治42年(1909年)、東京、小石川に生まれる。
府立第二高等女学校卒業、昭和6年結婚。
元人事院総裁、故佐藤達夫氏夫人・・・・
・・・昭和52年2月28日死去。 」
ゆったりとした活字が月別に配列されて写真も豊富です。
そこに、大正時代の房州館山での夏が紹介されておりました。
はい。忘れないようにここは、引用しておきます。
題は『 懐かしい海 』P753∼756。
はい。短い文なので、ほぼ引用してしまいます。
「 8月に入ると海が荒れます。
『 今日は泳ぎに出てはだめですよ 』
とよく母にとめられたことを思い出します。
大正の終わりのころ夏をすごしておりました
房州館山でのことでございます。 」
うん。『 大正の終わりのころ 』とあります。
すぐに思い浮かぶのは、大正12年9月1日に関東大震災ありました。
大正の終わりといえば大正15年になるのですが、震災後の館山じゃ
ないでしょう?佐藤雅子さんは、関東大震災のころ14歳。
おそらくは、それ以前の頃の話かと思うのですがどうでしょう?
「 そのころは海もきれいで、足の先まで透きとおるように
美しく澄んでおりました。朝早く海辺で拾いました桜貝は、
今でも大切に小箱に入れております・・・・
水泳が好きで、海の静かな日には、鷹の島、沖の島まで
泳いでいったこともたびたびでございます。
男の子のように真っ黒に日にやけて、父ののぞみ通り
泳ぎだけは誰よりも上手になってしまいました。
おぼれた人の水をはかせる方法なども、よく父に教わりました。
救急法も、今ではすっかり新しい方法に変わっておりますけれども、
そのころは大きな水がめ( 真水を貯えるために、海辺の家には
どこにもおいてありあした )を横にして、
中で浜に打ちあげられた流木を燃やし、その上に
おぼれた人を伏せるようにして暖めて、水をはかせる
ことなどをさせられたものでございます。
父の泳ぎは、昔は武術のなかのひとつだったそうで、
水府流と申し、早瀬を水にのって渡り切るのが得意でございました。
小抜手略体という水面をたたくようなはげしい抜手の父の早い泳ぎと、
クロールで競争したのも楽しかったこのころの思い出でございます。
海にもぐって、お魚をもりでつくことも大好きでございました。
黒鯛やベラ、ときにはごんずいまでついてきて、
『 こんな魚いじったら毒があってたいへんだよ 』
と漁師のおじさんにどなられたこともございました。
・・・・・・・
『 ろ 』をこいで沖に出て、ともえであじを釣ってきたり、
地引網の中ではねて銀色に光るいわしを手づかみでもらってきたり、
お月夜に潮にのってあがってきたいかが、なぎさに打ち上げられて
いるのを朝早く取ってきたり、お魚ではずいぶん母の手をわずらわせ
たことでございました。母はお魚のお料理が上手で・・・・・
いつも懐かしく思い出しますのは、この海辺の家での楽しかった
夏の日の水泳ぎや、にぎやかな夕食のことでございます。 」
p755の写真は、小箱がひらかれ、お盆に並べられたきれいな貝殻たち。