庄野潤三著「明夫と良二」の中ほどに、
「ざんねん」と題する10ページほどの文がある。
姉と兄と弟との3人兄弟の一番下が風邪をひき下痢をする。
はじまりは
「 これから夏休みが始まるというのに、
良二は下痢をして、梅干とお茶だけしか口に入れられない。
みなが食べているのを、怨めしそうにじっと見ている。・・ 」
「昼はお茶と梅干だけ、こちらが冷し中華を食べていると、
羨ましそうに見ている。・・・
井村は細君と二人だけでお盆に知人の家へお参りに行ったが・・
いろんな話をしているうちに、
奥さんが梅酒はおなかをこわした時に飲むとよく効くといった。
それを思い出した。
『 ああ、それがいいわ 』
と細君がいった。
『 蜂蜜、入れましょうか 』
『 それはいいだろう 』
自分のうちで毎年つくる梅酒が台所にしまってある。
( お粥と一緒に食べさせた梅干も自家製であった )
何本か、ある。
細君はぐい呑に梅酒をついで、蜂蜜をいっぱいまぜてやった。
良二は一口なめると、たまらないような声で、
『 おいしーい 』といった。
口に入れて、すぐに飲まずに、何遍もこねまわすようにしてから飲む。 」
兄の明夫が、良二のを飲みたがる。
「 『 良二、ちょっと 』
『 なに! 』
『 なにって、分かるだろう 』
『 分りません 』
『 おい 』
『 は 』
『 分るだろうといってるんだ 』
『 分りません 』
といったとたん、良二は、
『 いて 』
自分の膝を押えた。どうやら明夫が
素早く『でこぴん』をくらわせたらしい、
『 明夫 』
と細君はいった。
『 下痢して、ふらふらになっている弟を痛めつけるんじゃありません 』
明夫は、まだ、ひと口くらいなめさせてくれてもいいだろうとか、
けちだとか、思い切りの悪いことをいっていたが、井村に、
『 しつこい 』といわれて、やっと諦めた。
良二は、ぐい呑一杯の蜂蜜入り梅酒を飲む間に、七、八回、
『 おいしーい 』といった。 」
なにか、まだ引用がたりないような気になるのですが、
これくらいにしておいて、
庄野潤三全集第10巻の月報10に、
庄野潤三のお兄さんの庄野英二氏が文を書いてます。
お兄さんの英二から、弟の潤三が語られております。
『 潤三は子供の頃、漫画が得意で・・・
夢野朦郎という筆名を自分でつけていた。・・ 』
そのあとの英二氏の回想を、ここに引用しておきたかった。
「 夢野朦郎の筆名の由来については、
『 自分はぼんやりした性質だから 』と随筆の中に書いているが、
『 潤三は子供の頃、兄弟の中でひとり変っていた。 』
と亡母がよく話していた。
茶の間で、子供たちが一緒におやつを食べている時、
潤三も茶の間に坐っていながら、おやつに気がつかなかったり、
家の近所の道を歩いていて、母とすれ違っておりながら、
全然母に気がつかなかったり、ちょっと考えられないような
放心状態になっていることが、ままあった。 」
ということは、弟の良二を描写している時の庄野潤三氏は
どうやら、御自分の小さな頃を重ね合わせている時のような
そんな筆力を自然と感じさせるものがありそうです。
はい。庄野英二氏のこの文を読むと、何だか、確信したくなります。
はい。ついつい月報をひろげると、あれこれ思い描きたくなります。
英二氏の文にこうもありました。
「 兄弟共に、食意地が張っていて、
はしたないことであるが、酒食に関することも多い。 」
そういえば、あらためて『明夫と良二』の場面が浮かびます。
『 ぐい呑一杯の蜂蜜入り梅酒を飲む間に、
七、八回、 『 おいしーい 』といった。 』