新聞で知る漱石、ということで、
最近もありました。
読売新聞2007年3月18日「よむサラダ」は、茂木健一郎さんが書いておりました。
「日本の作家で好きなのは何と言っても夏目漱石である。」とはじまり
「漱石というとシリアスなイメージがあるが、洒脱な側面も備えている。『アイ・ラブ・ユー』の訳は漱石によると『月がきれいですね』だったそうである。」と続く短い文章の題は「赤シャツ」でした。
そのテーマを書いた箇所はとういうと
「子どものころは、正義は勝つ、坊っちゃんがんばれ、とばかり気楽に読んで笑っていたが、大人になり、ある事に気付いて愕然とした。『坊っちゃん』の登場人物のうち、漱石自身は誰か?つい、正義感あふれた坊っちゃんだと思いがちだが、実はどう考えても赤シャツである。当時は珍しい『学士様』で、文学の雑誌を読んではお高くとまっている。赤シャツは、漱石自身の卑劣さを描いた分身だとわかったら、胸が切なくなった。自らを偽らない文豪の偉大さが、心にしみた。」
こうしてさりげなく書いておりました。
同じ3月18日の日経新聞。ちょうどページの真ん中「美の美」は、日曜日の特集です。
この日は「名作挿絵の世界①」とあり、漱石の初版本の挿絵を紹介しておりました。
橋口五葉装丁の「吾輩は猫である」初版本カバーの上編、中編、下編が写真入りで並びます(出版社は大倉書店と服部書店)。寒月君、吾妻橋の図は中村不折の挿絵。
ちょいと引用したくなるのは浅井忠の箇所。
「浅井忠の猫とカラスの絵である。・・・浅井の絵は簡略だが、絶妙の筆さばきで描かれ、猫の悔しさが伝わってくるようだ。カラスは無頼の表情を浮かべ、猫の威嚇など眼中にない。しなやかな観察眼と諧謔で、一見他愛のない話に読者を引き込む漱石の力量に画家も引けをとっていない。絵が一枚挿入されることで場面の印象が変わり、さらに豊かな彩りを帯びている。」
ということで、浅井忠の挿絵を二枚見ることができました。
さて、この箇所は忘れずにいたいと思える指摘。
「東京文化短大の石切信一郎教授は『美術研究者の立場から見て『吾輩は猫である』はまさに絵本だと思う』と、この本が視覚的にも優れている点を強調する。上、中、下編三冊に挿入された十余枚の挿絵は『当時の本としては異例』である上、カバーや表紙から扉や奥付のデザイン、カットまで工夫がこらされている。漱石はこの本に限らず装丁に情熱を傾け、ついには自らデザインに乗り出した。彼は『吾輩は猫である』のみごとな造本を喜び、上編を装丁した橋口五葉、挿絵の中村不折に『両君の御蔭に因って文章以外に一種の趣味を添へ得たるは余の深く得とする所である』と感謝し、不折にはこう書き送った。『大兄の挿画は其奇警軽妙なる点に於て大に売行上の景気を助け候事と深く感謝致候・・・』」
ところで、
姉のところから、朝日の古新聞がまとめて届いたのでした。
すると3月は連載の終了月のようで、丸谷才一の連載「袖のボタン」が、月一回で3年間続いたのですが終り。
もう一つ対談シリーズ「鶴見俊輔さんを語る」も3月6日で終了とあります。鶴見さんの最後の対談相手は四方田犬彦(よもたいぬひこ)さん。その始まりで鶴見さんはこう話しておりました。
「この間、映画『ユメ十夜』(原作・夏目漱石「夢十夜」)をみました。感心したね。そのなかでわかるのは、ほかのジャンルに対して触媒を務めるのが漫画だということなんですよ。漱石先生が苦吟して原稿を書いていると、パラソルを持った女性が何人か来て声をそろえて『鴎外せんせ~』。これは明らかに漫画の呼吸ですね。」
鶴見さんはこうも語っております。
「あだ名は言語を使った漫画です。それから、はねつきで失敗すると顔に墨を塗るでしょ。あれは芝居化された漫画ですよ。」
ちょいと話がそれますが、この対談の後半では師弟関係に及んでおりました。
四方田さんがこう語っております。
「情報とか理論でいえば、弟子にすぐに追い越されてしまう。教師として大事なのは、ものを考える身ぶりとか、古本の買い方とか、身をもって何を提示できるかということではないか。・・」
これを受けて、鶴見さんの対談最後の言葉というのが、
「『五足の靴』というのがあるでしょう。与謝野鉄幹が北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里をつれて九州へ旅行する。そこでみんなはものすごく刺激を受けえるんだけど、翌年に彼らは(万里を除き)連袂(れんべい)して新詩社を脱会しちゃう。鉄幹の専横に耐えられなくなったんだ。・・わたしは自分の活動に対しては、鉄幹のような目に遭うことを覚悟して、生きてきました。自分には弟子はいないと考えている。」
ああ、そうだ。
丸谷才一の「袖のボタン」。その昨年2006年12月は題して「『坊っちゃん』100年」とあったのです。そのはじまりはとういと、
「『坊っちゃん』100年というのは問題がある。あの名作は雑誌『ホトトギス』の1906年4月号に掲載されたが、単行本に収められたのは1907年1月の『鶉籠』(春陽堂)だから。そして西洋文学では初出を新聞雑誌ではなく単行本で考えるのが正式なのである。たとえば・・・・この調子でゆけば『坊っちゃん』100年は来年なのだが、しかし一年早く古稀や喜寿を祝うのは日本文化の風習だから、まあいいとするか。」
うん。うん。丸谷才一さんの説によると、「坊っちゃん」100年は、2007年の今年ということになります。こりゃあ目出度いなあ。お祝いが二年間つづくようなものでしょうか(丸谷さんの文はこの後がいけません)。
せっかくですから、この機会に、私が紹介したいと思うのが、大岡昇平さんの言葉です。
それは朝日新聞学芸部編「一冊の本」(雪華社・1968年)に載っておりました。
大岡昇平さんは、まずこうはじめておりました。
「本のよしあしをきめるには色々基準があろうが、まず再読出来るかどうかというのが、よい本の条件であろう。結論結末がわかっているのに、人に読み返す手間をかけさせるだけの力があれば、それは一応いい本ということが出来よう。・・私は若いころからスタンダールをやっていて、『パルムの僧院』を二十遍以上読んでいる。ところで漱石の『坊っちゃん』の方は、多分その倍ぐらい読み返しているのである。
始めて読んだのは中学一年の時・・・人生の万端が子供っぽい『坊っちゃん』の目を通して書かれているので、子供の私にもわかりやすく、共感されたということだったらしい。すぐに二、三度繰返して読んだが、その後も読みたい本がきれた時、現在なら、なにか一仕事すませて、頭の転換が必要な時、なにか慰めがほしい時など、寝床の中へ持って入る。そしてほほえんだり、吹き出したりしながら、ざっと読み終って、安らかに眠りに入るという段取りである。これは多分私という人間が、五十をすぎても、子供のままの部分をたくさん持っているからに相違ない。・・・漱石の作品は、その後私が文学青年に育ってゆくにつれ全部読んだ。・・・しかしどうも漱石の後期の作品は、近ごろはあまり読み返さない。作為が目立って、文章をたどるのが、面倒になるのである。処女作『吾輩は猫である』も十遍ぐらい読んでいるので、もし『猫』と『坊っちゃん』を漱石の代表作とする意見があれば、私はそれに賛成である。」
そして、最後に、大岡昇平は「坊っちゃん」について、こう指摘するのでした。。
「こういう多彩で流動的な文章を、その後の漱石は書かなかった。また後にも先にも、日本人はだれも書かなかった。読み返すごとに、なにかこれまで気がつかなかった面白さを見つけて、私は笑い直す。この文章の波間にただようのは、なんど繰返してもあきない快楽である。傑作なのである。」
どうです。少し長めの引用になりましたが、
これこそ、『坊っちゃん』100年にふさわしい言葉じゃありませんか。
こういう賛辞なら、繰返して読んでも、貴重で参考になりますよね。
最近もありました。
読売新聞2007年3月18日「よむサラダ」は、茂木健一郎さんが書いておりました。
「日本の作家で好きなのは何と言っても夏目漱石である。」とはじまり
「漱石というとシリアスなイメージがあるが、洒脱な側面も備えている。『アイ・ラブ・ユー』の訳は漱石によると『月がきれいですね』だったそうである。」と続く短い文章の題は「赤シャツ」でした。
そのテーマを書いた箇所はとういうと
「子どものころは、正義は勝つ、坊っちゃんがんばれ、とばかり気楽に読んで笑っていたが、大人になり、ある事に気付いて愕然とした。『坊っちゃん』の登場人物のうち、漱石自身は誰か?つい、正義感あふれた坊っちゃんだと思いがちだが、実はどう考えても赤シャツである。当時は珍しい『学士様』で、文学の雑誌を読んではお高くとまっている。赤シャツは、漱石自身の卑劣さを描いた分身だとわかったら、胸が切なくなった。自らを偽らない文豪の偉大さが、心にしみた。」
こうしてさりげなく書いておりました。
同じ3月18日の日経新聞。ちょうどページの真ん中「美の美」は、日曜日の特集です。
この日は「名作挿絵の世界①」とあり、漱石の初版本の挿絵を紹介しておりました。
橋口五葉装丁の「吾輩は猫である」初版本カバーの上編、中編、下編が写真入りで並びます(出版社は大倉書店と服部書店)。寒月君、吾妻橋の図は中村不折の挿絵。
ちょいと引用したくなるのは浅井忠の箇所。
「浅井忠の猫とカラスの絵である。・・・浅井の絵は簡略だが、絶妙の筆さばきで描かれ、猫の悔しさが伝わってくるようだ。カラスは無頼の表情を浮かべ、猫の威嚇など眼中にない。しなやかな観察眼と諧謔で、一見他愛のない話に読者を引き込む漱石の力量に画家も引けをとっていない。絵が一枚挿入されることで場面の印象が変わり、さらに豊かな彩りを帯びている。」
ということで、浅井忠の挿絵を二枚見ることができました。
さて、この箇所は忘れずにいたいと思える指摘。
「東京文化短大の石切信一郎教授は『美術研究者の立場から見て『吾輩は猫である』はまさに絵本だと思う』と、この本が視覚的にも優れている点を強調する。上、中、下編三冊に挿入された十余枚の挿絵は『当時の本としては異例』である上、カバーや表紙から扉や奥付のデザイン、カットまで工夫がこらされている。漱石はこの本に限らず装丁に情熱を傾け、ついには自らデザインに乗り出した。彼は『吾輩は猫である』のみごとな造本を喜び、上編を装丁した橋口五葉、挿絵の中村不折に『両君の御蔭に因って文章以外に一種の趣味を添へ得たるは余の深く得とする所である』と感謝し、不折にはこう書き送った。『大兄の挿画は其奇警軽妙なる点に於て大に売行上の景気を助け候事と深く感謝致候・・・』」
ところで、
姉のところから、朝日の古新聞がまとめて届いたのでした。
すると3月は連載の終了月のようで、丸谷才一の連載「袖のボタン」が、月一回で3年間続いたのですが終り。
もう一つ対談シリーズ「鶴見俊輔さんを語る」も3月6日で終了とあります。鶴見さんの最後の対談相手は四方田犬彦(よもたいぬひこ)さん。その始まりで鶴見さんはこう話しておりました。
「この間、映画『ユメ十夜』(原作・夏目漱石「夢十夜」)をみました。感心したね。そのなかでわかるのは、ほかのジャンルに対して触媒を務めるのが漫画だということなんですよ。漱石先生が苦吟して原稿を書いていると、パラソルを持った女性が何人か来て声をそろえて『鴎外せんせ~』。これは明らかに漫画の呼吸ですね。」
鶴見さんはこうも語っております。
「あだ名は言語を使った漫画です。それから、はねつきで失敗すると顔に墨を塗るでしょ。あれは芝居化された漫画ですよ。」
ちょいと話がそれますが、この対談の後半では師弟関係に及んでおりました。
四方田さんがこう語っております。
「情報とか理論でいえば、弟子にすぐに追い越されてしまう。教師として大事なのは、ものを考える身ぶりとか、古本の買い方とか、身をもって何を提示できるかということではないか。・・」
これを受けて、鶴見さんの対談最後の言葉というのが、
「『五足の靴』というのがあるでしょう。与謝野鉄幹が北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里をつれて九州へ旅行する。そこでみんなはものすごく刺激を受けえるんだけど、翌年に彼らは(万里を除き)連袂(れんべい)して新詩社を脱会しちゃう。鉄幹の専横に耐えられなくなったんだ。・・わたしは自分の活動に対しては、鉄幹のような目に遭うことを覚悟して、生きてきました。自分には弟子はいないと考えている。」
ああ、そうだ。
丸谷才一の「袖のボタン」。その昨年2006年12月は題して「『坊っちゃん』100年」とあったのです。そのはじまりはとういと、
「『坊っちゃん』100年というのは問題がある。あの名作は雑誌『ホトトギス』の1906年4月号に掲載されたが、単行本に収められたのは1907年1月の『鶉籠』(春陽堂)だから。そして西洋文学では初出を新聞雑誌ではなく単行本で考えるのが正式なのである。たとえば・・・・この調子でゆけば『坊っちゃん』100年は来年なのだが、しかし一年早く古稀や喜寿を祝うのは日本文化の風習だから、まあいいとするか。」
うん。うん。丸谷才一さんの説によると、「坊っちゃん」100年は、2007年の今年ということになります。こりゃあ目出度いなあ。お祝いが二年間つづくようなものでしょうか(丸谷さんの文はこの後がいけません)。
せっかくですから、この機会に、私が紹介したいと思うのが、大岡昇平さんの言葉です。
それは朝日新聞学芸部編「一冊の本」(雪華社・1968年)に載っておりました。
大岡昇平さんは、まずこうはじめておりました。
「本のよしあしをきめるには色々基準があろうが、まず再読出来るかどうかというのが、よい本の条件であろう。結論結末がわかっているのに、人に読み返す手間をかけさせるだけの力があれば、それは一応いい本ということが出来よう。・・私は若いころからスタンダールをやっていて、『パルムの僧院』を二十遍以上読んでいる。ところで漱石の『坊っちゃん』の方は、多分その倍ぐらい読み返しているのである。
始めて読んだのは中学一年の時・・・人生の万端が子供っぽい『坊っちゃん』の目を通して書かれているので、子供の私にもわかりやすく、共感されたということだったらしい。すぐに二、三度繰返して読んだが、その後も読みたい本がきれた時、現在なら、なにか一仕事すませて、頭の転換が必要な時、なにか慰めがほしい時など、寝床の中へ持って入る。そしてほほえんだり、吹き出したりしながら、ざっと読み終って、安らかに眠りに入るという段取りである。これは多分私という人間が、五十をすぎても、子供のままの部分をたくさん持っているからに相違ない。・・・漱石の作品は、その後私が文学青年に育ってゆくにつれ全部読んだ。・・・しかしどうも漱石の後期の作品は、近ごろはあまり読み返さない。作為が目立って、文章をたどるのが、面倒になるのである。処女作『吾輩は猫である』も十遍ぐらい読んでいるので、もし『猫』と『坊っちゃん』を漱石の代表作とする意見があれば、私はそれに賛成である。」
そして、最後に、大岡昇平は「坊っちゃん」について、こう指摘するのでした。。
「こういう多彩で流動的な文章を、その後の漱石は書かなかった。また後にも先にも、日本人はだれも書かなかった。読み返すごとに、なにかこれまで気がつかなかった面白さを見つけて、私は笑い直す。この文章の波間にただようのは、なんど繰返してもあきない快楽である。傑作なのである。」
どうです。少し長めの引用になりましたが、
これこそ、『坊っちゃん』100年にふさわしい言葉じゃありませんか。
こういう賛辞なら、繰返して読んでも、貴重で参考になりますよね。