和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

よし、みんなに配ろう!

2014-06-30 | 他生の縁
萩尾望都対談集2000年代編
「愛するあなた・恋するわたし」(河出書房新社)

対談相手がおもに漫画家なので、
対談という活字と漫画で、まるで、
現代版大人の絵本をパラパラと開く感覚。

対談の中ですが、
美智子様、浩宮殿下も登場します。

ということで、その箇所を引用。

――萩尾先生はかなり早い段階で、
『テルマエ・ロマエ』を絶賛されていたと聞きます。
あの作品との出会いは、衝撃的でしたか?

萩尾】 面白いと思う本は、
みんなに買って配っちゃうんですよね。
『テルマエ』も1巻目が出てすぐに読んで、
すごく面白かったから、
『よし、みんなに配ろう!』って。

ヤマザキ】 配っていただいたんですか(笑)

萩尾】 ええ、みんなに配ってますよ。
マンガ好きな人、私の周りにいろいろいますから。

ヤマザキ】 嬉しいです。憧れの萩尾望都先生に
本を配っていただくなんて・・・。
ちなみに浩宮殿下も配ってらっしゃるそうです。
爆笑していただいたみたいで。

萩尾】 私も爆笑ですよ。・・・(p178)


これがヤマザキマリとの対談のはじまりでした。
よしながふみ、との対談からも引用。

よしなが】 ・・・美智子皇后が
児童書について講演した記録の『橋をかける』、
という本があるんですが、
そこで美智子様が好きだったと語っている
日本の神話の話は印象的でした。
いけにえとなって死ぬその姫と夫との
『任務を分かち合う』ような関係性を
美しいと思ったと、美智子様が語っていて、
『ほら、同じじゃないですか』って(笑)。
女の人はこういう同志的な関係が好きなんですよね。

萩尾】 私が学生時代から20代の頃に読んだ
本には、男の人が友情について書くと
『女性同士の友情は成立しない』と
書いていましたね。
最近はさすがになくなりましたけれど。
私、いつもそいうのをじっと見ながら、
女性だって人間である以上、
友情が成立しないなんてあり得ないのに
どうしてこんな意見が出てくるのだろうと、
そのことが不思議でしたね。
 
よしなが】 男性で、男女の間にも
『友情は成立しない』と言う人もいますよね。
それを聞くたび、『それはあなたの場合でしょ』
って思う(笑)。
女性同士の友情は、昔は結婚すると
物理的に距離ができてしまいましたけれど、
いまは交通も通信手段もあって
そんなことがなくなっています。少女たちが
あんなにも『赤毛のアン』が好きなのも、
アンとダイアナの関係が結婚して
途切れながらもずっと続いている
ところが大きいのではないかな。
(p78~79)


うん。パラパラつまみ読みですが、
つい、他の方にも話したくなる一冊。



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日産あたりは完全に。

2014-06-29 | 短文紹介
宮崎正弘著「『中国の時代』は終わった」(海竜社)は

「中国経済がいよいよ沈み始めた。
それも加速度的な勢いをつけて。
『中国の時代の終わり』の始まりである。」

こうして、はじまり。
この本のおわりも引用すると、

「こう見てくると、今後も連続する
不測事態の始まりでしかなく、
経済成長が低下して失業がますます増大し
不良債権問題が露呈したら、
中国は矛盾のすりかえのためにまたも
過激な反日的行動を続けざるを得ないだろう。
同時にそのことによって日本企業ばかりか
欧米の主要企業も中国を見限るようになり、
中国経済の衰退は加速化され、
『中国の時代』はまぎれもなく終焉を迎えるだろう。」


気になるのは、
対談「仲良く自滅する中国と韓国」(徳間書店)で
宮崎さんの指摘するこの箇所でした。

「日本企業でも自動車メーカーのように、
中国から撤退できないという仕組みの企業があります。
自動車というのはパーツが10万点近くあるため、
産業の裾野が非常に広い。タイヤ、バックミラーから
エンジンまで、なんだかんだ入れると300くらいの
下請けや孫請けが存在し、それらが同時に中国に
進出しているという背景があるのです。だから、
この分野の投資は変わらない。
日本の自動車は中国でいくらかのシェアを獲得して
いるうえに、日産あたりは完全に中国と心中するかの
ようにのめり込み、設備をまた増やす予定でいます。」
(p25)
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平成版・火付盗賊改め。

2014-06-28 | 朝日新聞
室谷克美・宮崎正弘対談
「仲良く自滅する中国と韓国」(徳間書店)。

その対談の最後を引用


室谷】 ・・・何だかんだ言っても、
日本と韓国、そして中国との関係を悪く
しているのは、日本の反日日本人たちです。
首相の靖國参拝問題もそうですが、
中国や韓国に対して、『日本がこんな
悪いことをしている』とご注進報道を行って
火のないところに火をつけたり、
よく確かめもせずに『河野談話』を出したり
するわけですから。最近では、
村山富市氏や鳩山由紀夫氏のように、
元首相が韓国や中国へ行って、
日本の悪口を言っている。・・・・・

宮崎】 いくら自由主義の国でも、ほかの国に
行って自分の国を貶めるような人たちに、
あまり発言の場を与えないと思いますよ。
その点、日本はやはり自由な国です。
いや、自由すぎる。
・・・・・・
まず、日本国内の反日日本人を一掃すること。
これが日中、日韓関係を改善させるために
本当に重要なことではないでしょうか。
(p229~231)

うん。
この箇所を引用していると、
平成版・火付盗賊改め
長谷川平蔵待望論となります。


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腹心の友たちへ。

2014-06-27 | 短文紹介
NHK連続テレビ小説「花子とアン」。
それにあわせたように、村岡花子エッセイ集
「腹心の友たちへ」(河出書房新社・
2014年2月28日初版)が出ておりました。
各3ページほどのエッセイが並び、
それを、パラリとひらくと、
う~ん。まるでサザエさんの四コマ漫画を
丁寧に読み始めるような気分になります(笑)。


ということで、パラリとひらくと
こんな箇所。

「・・花を私はきょくたんに愛する。
大事で大事でたまらない。どんな切り花でも、
いけたが最後、出来るだけ長く美しくしておきたい。
毎朝水を変えてやるのはもちろんだが、
その前に一、二分、トップリ水の中に花をつけて、
それからクキを少し切って
新しい水にいけるのである。
こうして、少しずつ切っていくので、
最後にほんとうに短くなってしまう。
それでも花がきれいな限りは
どうしても捨てる気にならない。
花だけになってクキがなくなってしまうと
鉢に水をいっぱい入れて、その中に浮かせる。
そんなことをして、パンジーなどは中々
美しくなることもあり・・・
私はどうしてこんなに花に執着を持つのだろうと
我ながら不思議になるくらいである。
それから原稿用紙については
私はひどくケチンボである。
一行か二行書いてはホゴにすることが度々なのだが、
どういうわけか、そのホゴ紙を捨てる気になれない。
丁寧にその一行二行を切り捨て、
残った紙をまたほかの原稿の書きそこなった
箇所へはって正しいことをその上に書く
というめんどうを敢えてするのである。
ほかのものもこんなに大切にするのならわかるが、
そうではない、ずいぶんむだの限りをするのに、
原稿となると、このようにケチになる・・・」(p10~11)


うん。村岡花子の肉声を聞いているような、
そんな気がしてくる(笑)。

そうそう、花を活けることについては、同時に、
それは、花子さんの夫の肉声だったのでした。
ということで、同じ場面が繰り返されておりました。

「朝花の水をかえる。
花をトップリと桶(おけ)の水の中につけて、
花びんの水をかえて、さて花を一本ずつ
少しクキを切って挿す。
花はいきいきとして、また美しさを増す。
こうして、クキのさきをポツンと切る度に
耳にひびいて来る声――
『毎日、少しずつクキを切るんだとさ。
そうすると花がよく保つそうだよ。
そしてね、一分ぐらい、
花を水につけるんだとさ。
だから切る前に水をつけておいて、
一本ずつさきを切って活けるんだね』
大変な発見をしたように、
私に話した夫の声がよみがえる。」(p17)


とまあ、このようにして52話。
ちなみに、この村岡花子エッセイ集は
2冊目が出ており、3冊目も7月販売予定
とあります。
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かつて吉田茂は。

2014-06-26 | 短文紹介
WILL8月号が届く。さっそく
蒟蒻問答をひらく。堤氏の言葉にこうあります。


「かつて吉田茂は、
アメリカの駐留についてこう言った。
『頭の悪い奴は占領が続くと思えばいい。
頭のいい奴は番兵を頼んだと思えばいい。
しかし、いずれアメリカが引き揚げると言い出す
時が必ず来る。その時が日米の智恵比べだよ』
まさにいま、安倍は知恵比べに乗り出しているんだ。
安倍の苦心を汲んでやらないといけないよ。」(p85)

その前には

「年末には日米防衛協定のガイドライン(指針)の
改定がある。安倍が集団的自衛権にこだわるのは
交渉のカードとして使いたい、だから急いでいる。
このガイドラインの改定は国家百年の計として、
TPPや消費増税より大事な問題だ。・・・」


ちなみに韓国は、どうしているか?

室谷克美・宮崎正弘対談
「仲良く自滅する中国と韓国」(徳間書店)

室谷】そのようなアメリカの姿を見て、
韓国はアメリカ離れと中国への接近を
強めているわけです。それでいて、
北朝鮮の脅威があるから在韓米軍には
いてもらいたいと、自己中の蝙蝠でいるのです。
韓国では、アメリカから2015年に
戦時作戦統帥権が返還されることになっていた
のを、アメリカに要請して最大2年延長して
もらうことになりました。この戦時作戦統帥権は、
そもそも盧武鉱政権の時代に韓国が返還を
求めたもので、2012年に返還される予定でした。
しかし、いざ返還期日が迫ると、やはり戦時に自分
たちが作戦を主導することには不安なのでしょう。
2015年までの延長をお願いしたのですが、それが
さらに再延長となったわけです。自分たちから
言い出したことですから、いずれ返還にはなる
かもしれませんが、しばらくは
何度か延長を要請し続けると思います。(p95)



さて、日本も韓国と
同じ穴の狢なのか。
頭の悪い奴も、
頭のいい奴も、
そうでない奴も、
どうお思いになりますか?


WILL8月号を、私はまだ、
蒟蒻問答しか読んでないのですが、
ほかにも、読みたい文がありました。

中西輝政の
「大宰相の道を歩み始めた安倍総理」

中野剛志の
「アメリカ覇権、最後の時」


うん。これから読んでみます(笑)。
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暑中お見舞い。

2014-06-25 | 地域
年賀はがき、とちがって、
暑中はがき、は出したことがない。

うん。もし出すのなら、
年賀はがきと同じように、
本の背表紙をならべた写真に、
「暑中お見舞い申し上げます」
と書いて出すのだろうなあ。

ということで、
この半年分の印象に残った本並べ。


川名澄訳「新編 イソップ寓話」(風媒社)
渡部温訳「通俗伊蘇普物語」(東洋文庫)
長谷川慶太郎著「朝鮮崩壊」(実業之日本社)
木村俊介著「善き書店員」(ミシマ社)
外山滋比古著「国語は好きですか」(大修館書店)
柳田国男編「日本人」(毎日新聞社)
平川祐弘著「日本人に生れて、まあよかった」(新潮新書)
山口仲美著「大学教授がガンになってわかったこと」(幻冬舎新書)
山口仲美著「すらすら読める今昔物語集」(講談社)
東京都杉並区立天沼中学校編「ことだま百選」(講談社)


といった感じとなります。
さて、暑中はがきを、だそうかどうか。
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タテ・ヨコ。

2014-06-24 | 手紙
外山滋比古著「国語は好きですか」(大修館書店)
が新刊で出ている。
うん。愉しみができた(笑)。ゆっくり読もう。

とりあえず。一箇所引用しておきます。
「タテとヨコ」と題した文の最後。

「・・・・ヨコ書きの日本語の害は、
眼を悪くするくらいではおさまらない。
心の目を見えにくくしてしまうおそれがある。
日本人のメンタリティにかかわる問題である。
放置しておくのは思考の怠慢である。

日本人はもっと国語を大切にしないといけない。
外国語は実用性をもつが、心を育むことは難しい。

つい先日、こんなことがあった。
未知の女性から手紙がきた。書家なのであろう。
展示会を開くので、その作品を作っているという。
ある作品説明のために、私がかつて新聞に書いた
エッセイを使わせてほしいというのである。
その新聞の切り抜きも添えてあった。
そんな使い方をされては迷惑だから『困ります』と
ことわりの手紙を書いた。その終わりに、書家と言って
おられる方が、横書きの手紙を書かれるのは感心しません、
日本語はタテに書くように出来ています。このごろ
若い人を中心にヨコ書きが普通のようになっているが、
書に親しむ人がヨコ書きとはいただけないと遠慮なく
書き添えた。相手は中年の人らしく、恐縮したような
手紙をよこした。書家だったら、
日本語、日本の文字を大事にしてほしい。」(p56~57)

先日、
ある方と話していて、
その人の娘さんが、大学を卒業してから、
学校の書の先生になりたいと、もう一度、
書の勉強をしなおしたというのでした。
めでたく高校の先生になられたのだそうですが、
書の先生じゃなくて、けっきょくは、
国語の先生になったようです。

うん。その若い国語の先生が
これから、タテ・ヨコを
どのようにクリアしてゆくのか。
などと思ったりするのでした。

ちなみに、わたしの場合
ヨコ書きのワープロ文字を
封筒で送る際には、
宛名書きと挨拶の手紙がどちらも
手書きのタテ字が多い気がします。
ただ、行儀が悪いので、
縦書きだと、どうしても
文字を汚しやすいんだなあこれが。
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従来の書評委員会方式。

2014-06-23 | 短文紹介
平川祐弘著「日本語は生きのびるか」(河出書房新社)
集英社新書「書物の達人 丸谷才一」

この2冊に会議のことが出てきたので、
ここに引用しておきたくなりました。
まずは平川氏の文から、


「日本人が国内的平等をいくら重んじたところで言語の国際的不平等に勝てるはずはない。・・・自由・平等を世界の諸国並みに理解していないからこそ、わが国は今日のような自閉的状況に陥ったと見るべきであろう。同じデモクラシーの原理に立脚するといいながら西洋の大学にはなぜ日本の大学ほど形式的な会議は多くないのか――そうした現場の相違を日本の西洋研究者はなぜ直視しないのか。Publish or perish『論文を活字にして発表するか、さもなくばポストを失うか』という大学人としての国際場裡での生存競争の原理を尊重し、その競争に勝ち抜くためには、形式的な会議のための会議などに出席している閑な時間は、本来大学人にはあり得ないはずである。」(p194~195)

大学人というと、どうもピンとこないのですが、
いざ、これがよい書評を読めるかどうか、
ということでしたなら、興味が俄然わいてきます(笑)。

ということで、集英社新書の鹿島茂さんの講演での
この箇所を引用。

「ずっと毎日新聞の書評委員をやっていますが、
これは丸谷さんに呼ばれたのが始まりです。・・
丸谷さんが毎日新聞の書評面を全面的に作り変える
という作業を担当されることになりました。その
ときに、僕も書評委員の一人として呼ばれたのです。
書評委員会の最初の集まりがありまして、
そのときに丸谷さんが書評の方針を話されました。
その方針とは、従来の書評委員会方式はやめる。
書評委員会方式というのはですね、週に1回、
書評委員会が開かれまして、書評委員が
この本を取り上げたいのだがと他の委員に
お伺いを立てる。すると、それはいいとか、
やめておけとか、委員がいろいろと意見を言う。
そういう合議制で取り上げられる本が決められる
システムです。しかし、丸谷さんはこの方法は
やめると主張されたのです。その方式だと、
どうしても、皆が文句を言わない無難な本だけが
選ばれることになるからです。丸谷さんは、
書評委員がこれは絶対にいいと思った本を責任を
もって書評するという自由な方法を提起されました。
そして、第1回の会合で(ただし、これはパーティで
書評委員会ではありません)、丸谷さんが
『書評三原則』ということを言われたんです。・・」
(p137~138)

うん。この『書評三原則』も引用したいのですが、
ここまでにしておきます(笑)。
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丸谷才一年譜。

2014-06-22 | 他生の縁
集英社新書「書物の達人 丸谷才一」には、
気のきいた丸谷才一年譜をめくるような、
そんな愉しみ方もありました。

まずは、山形県

「丸谷さんは、山形県の鶴岡の生れです。
鶴岡というのは、藤沢周平が出たことで、
近年非常に有名になったところですが、
同時に満州事変を引き起こした石原莞爾の
故郷でもあり、東京裁判の時に東条英機の
頭をたたいたことで知られる大川周明の
育った地でもあります。大川周明は、
丸谷さんの『裏声で歌へ君が代』に出てくる
右翼的な人物(大田黒周道)のモデルですが、
そういう人間を生み出したところです。
けれども、丸谷さんの家は開業医で、
非常にリベラルな雰囲気の家庭であった。」(p39)

これは、1944年生れの川本三郎氏の講演での箇所。
岡野弘彦氏の講演では、はじめにこうあります。

「大正13(1924)年、僕は三重県の世襲の神主の
うちの長男に生まれました。丸谷さんは僕より一つ
遅れて鶴岡市にお医者さんの子供として生まれたわけです。」(p99)

岡野氏の講演をもうすこし続けます。

「國學院大學予科に入ったのが昭和18(1943)年、
例の学徒出陣の年です。典型的な戦中派
の年代です。入学したときに予科長が、
『今年入ってきた君たちは当然、途中で戦争に行く
だろう。そして、命を落とす人も多く出るだろう。
だから、この大学は君たち予科の学生にも今までに
ない最高の教授陣に講義をしていただくことになった』
・・しかし、大学でそういう講義がみっちりと聴けた
のは半年足らずだったような気がします。
すぐ軍需工場へ引っ張られて、銃を作ったり、
弾を作ったりさせられました。そして、
敗戦の年の昭和20(1945)年1月6日、
僕は軍隊に入ったのです。それより少し遅れて、
丸谷さんも軍隊に取られたと思います。」
(p100~101)

もどって、川本三郎氏の講演へ

「昭和20年3月に、
19歳の丸谷青年が兵隊に取られます。
青森の八戸の海岸にたこつぼを掘って、
その中に入って、もし米軍が上陸してきた
時には、それに立ち向かえという
訓練をさせられていた。・・・・・
丸谷さんは、昭和20年8月15日の玉音放送を、
一兵士として青森で聞いた。・・・
ところがほかの兵隊たちはよく理解できなかった。
そこで上官に『この放送は何を言っているんだ』と
聞かれて、丸谷さんが『この戦争は負けたと陛下が
おっしゃっている』と言った途端に、上官が
鋲(びょう)のついた靴で殴りつけた。
ひどい話です。これは『笹まくら』の中でも、
ある戦争体験をした助教授(桑野助教授)の
エピソードとして出てきます。」(p42~43)


このようにして戦後の國學院時代とか
毎日新聞の今週の本棚のエピソードとか
まるで、バトンをたぐりよせるようにして
他の方が語ってゆくのでした。
そんな年譜読みの愉しみも、兼ね備えた
貴重な新書一冊。
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永瀬清子と追悼詩。

2014-06-21 | 本棚並べ
永瀬清子について、語りたかった。けれど、
干刈あがたさんへの追悼詩が見つからない。

とりあえず。
ただ、本を並べてみることに(笑)。

茨木のり子著「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)
鶴見俊輔著「らんだむ・りいだぁ」(潮出版社)
現代詩文庫1039「永瀬清子詩集」(思潮社)
永瀬清子著「かく逢った」(編集工房ノア)
吉本隆明著「現代日本の詩歌」(毎日新聞社)

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丸谷才一と書物。

2014-06-20 | 本棚並べ
集英社新書の新刊
「書物の達人 丸谷才一」を読む。
世田谷文学館で2013年におこなわれた連続講演を
一冊にしたもの。講演者はというと
川本三郎・湯川豊・岡野弘彦・鹿島茂・関容子。
講演ですから、そのうち一人だけ聞きたいのなら
私は、鹿島茂氏の講演をおすすめ(笑)。

講演を基調としておりますので、
すらすらと最後まで読めました。
菅野昭正の「はじめに」がありますが、
これは主催者側の挨拶なので、
内容は豊富なのですが、
講演録なのに、活字の重さがあり
ここは飛ばして、読まなくてもよし。
うん。丸谷才一氏なら、きっと、
ここは、カットしてもいいかなあと思われたかも(笑)。

たとえば、湯川豊氏の講演は、実際は実現せず、
けれども、活字にはなったようです。

そこに「思考のレッスン」について
「鹿島茂さんは文庫版の解説で、大学生が卒論を
書くのにこれ以上の参考書はない、という意味のことを
いっています。インタヴューは、文藝春秋の出版PR誌
『本の話』に連載されたのですが、聞き手は私と
年若い同僚の村上和宏さんがつとめました。」(p67)

うん。湯川氏を前に丸谷さんは「思考のレッスン」を
語っていたのですね。岡野弘彦氏の講演では、
丸谷才一氏の俳号の玩亭を通じて連句を巻く様子を
紹介したあとに、墓碑銘を書いて欲しいと頼まれ、
それが「『玩亭墓』の三文字なんです」(p122)と
あるのでした。

鹿島茂さんの講演が、何か、
そんなこと一言もいっていないのに喪失感が満ちて、
それを埋めるような充実感が味わえる講演です。
うん、私のお薦めの講演になっておりました。
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説話文学の精神は。

2014-06-19 | 古典
幻冬舎新書(2014年3月)に、山口仲美著
「大学教授がガンになってわかったこと」
があり、そのプロローグに、こうあります。

「・・あ~あ、死期は近いのう。膵臓ガンは、
ガンの中でも極めて悪性度が高い。
手術でガンを切除できる人は患者の20%。
手術できても、五年生存できる人は、
そのなかからさらに20%。ということは、
100人いたら、五年以上生きられる人は
たったの四人ではないか!
まいったなあ。いつも多数派に入ってしまう
私は、五年生存もおぼつかない。としたら、
残り少ない貴重な時間を人間様にご恩返しを
することに費やして、あの世に逝くかと殊勝な
心を起こして書いたのが、この本です。
自分の愚かなガン患者体験を包み隠さずに
書き記せば、読者としては
『そんなことをしてはいかんかな』と思ってくださる
わけで、読者は『賢いガン患者になる』術(すべ)を
手にできる。そういう本を残すことが、
私にできる唯一のことだと思い定めて書きました。
考えてみると、こういう患者発信の本が、
現代ほど必要な時代はありません。なぜなら、
現代の医療は、以前の『先生にお任せ』といった
医者中心の医療ではなく、患者が自分で治療法など
を選択しなくてはならない変革期だからです。
患者の自己決定権を大切にする医療へと
変化してきているからです。・・」

幻冬舎新書の内容へ踏み込むのはよして、
山口仲美著「すらすら読める今昔物語集」
のこの箇所を、私はひらきます。

「風聞に流されずに、
事実を自分の目で確認するという精神を持った
人間が『今昔物語集』には、しばしば登場する。
『今昔物語集』ばかりではなく、広く説話文学の
世界の人間たちの性癖である。ここには、
『源氏物語』などの王朝文学とは明らかに
違った精神が流れている。『源氏物語』などの
王朝文学では、好ましくない事実には蓋をし、
あからさまにしないように上品に対応する。
事実を確認するなどもってのほかである。
知っていても、相手のことも考慮に入れ、
公にすることをはばかり、悩みを内に込め、表面は
何気ない顔で取り繕って相手や事態に対処してゆく。
これが王朝文学の精神である。説話文学の精神は、
そうした王朝文学のそれとは正反対である。
自らの目で確認し、事実を見極めることこそ、
重要なことなのだ。・・・疑念のあるときは、
恐れずに事実を見極めようとする精神こそ、
説話文学の世界では重要な心の動きなのである。」
(p109~110)
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身近な図書館に。

2014-06-18 | 本棚並べ
山口仲美さんの新刊が届く、幻冬舎新書
「大学教授がガンになってわかったこと」。


それを読むまえに、昨日の読書
「すらすら読める今昔物語集」の
「はじめに」で山口仲美さんは
こう書いておりました。

「・・・1040の説話は『今は昔』とはじめ、
『となむ語り伝えへたるとや』でおさめて、
書き記したのは、誰なのか?
残念ながら、作者は分からない。
いろいろな説があるけれど、わたしは
大寺院に所属していた無名の坊さん
という説が、真実に近いように思われる。
この無名の坊さんは、高遠にして崇高な
仏教徒ではない。人間くさい坊さんだった。
それは、『今昔物語集』の説話を熟読
してみると、よく分かる。けれども、
彼の人間を見る目は、この上なく確かである。
だからこそ、こんなに面白い作品ができたのだ。
坊さんは、寺院内にある身近な図書室に
よく出入りした。たくさんの書物に目を通し
ているうちに、彼は一大野望を抱いた。
インド・中国・日本という三国の説話を
集めて書き記してやろうと。彼は、構想を立て、
それに従って説話を集めては、一人コツコツと
書き記していった。一日一話ずつ書いていっても、
四年あれば、1040話の説話を書き記すことが
できる。何人か複数の人で執筆しなければ
書き切れないほどの説話の分量だと
考える人もいるけれど、わたしはそうは思わない。
全くの創作説話を1040も書くのは、大変である。
けれども、『今昔物語集』には数多くの
タネ本がある。・・・これらのタネ本を座右に
おいて、独自の筆を加え、独特の魅力を放つ
1040の説話を書いていったのである。
偏執狂的で、粘り強く、根気のある人なら、
一人で十分になしとげられる作業量である。
作者と思しき坊さんは、毎日説話を書いては、
数年間を充実して過ごしていたに違いない。
だが、もう少しで完成というところで、
作業は中断された。坊さんは、病を得た
のであろうか?それとも何かよんどころない
事情で、中止せざるを得なかったのであろうか?
事実は、謎のベールに包まれ、
なんとも気を引く作品なのだ。・・」
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貴重なオナラの話なのだ。

2014-06-17 | 古典
読もうと思っても、つい脱線していた今昔物語集。
今度こそはと読み始めたのが、
水をえたように、泳ぎまわる一冊(笑)。


山口仲美著「すらすら読める今昔物語集」(講談社)

古本で注文したのは、
高原書店(東京都町田市森野)

「すらすら読める今昔物語集」864円
「クレオール物語 小泉八雲名作選集」文庫1080円
送料320円。 以上合計2264円


山口仲美さんの新刊の新書が出ており、
その新刊を買う前に、そういえばと
思い出して読み始める。以前に読んだ
山口仲美著「日本語の古典」(岩波新書)の
今昔物語集の箇所が印象に残っていたのでした。
その印象の箇所も、「すらすら読める・・」に
登場しておりました。この帯には
「総ルビつき原文・著者オリジナル現代語訳つき」
とあります。選りすぐりの11の話を
説き明かしてゆきます。

そこから一箇所とりだすと、
巻28の第10話
「近衛の舎人の秦武員、物を鳴らすこと」。
これはオナラの話。ルビつき原文で3ページ。
それも原文の下に現代語訳。そして、そのあと、
6ページほどの著者の感想。
感想のはじまりは「私は、この何気ない
小さな事件がことのほか気に入っている」。
そうそう、オナラに、今昔物語の当時も、
そして現代も、違いはありません。

山口仲美氏は
「・・自分自身が似たような出来事に遭遇していることである。・・お年を召した大学教授と私は同室であった。大きな研究室で、助手の若い女性三人もその部屋に机を並べていた。私もまだ若かった。それぞれ壁に向いて机が配されている。皆、机に向かって一生懸命仕事をしていた。いきなり、『ぷーっ』という派手やかなオナラの音がした。・・・」


さて、「派手やかなオナラ」のあと
しばし間があって、ひと言。
うん。それは読んでのお楽しみ。

いきなり、今昔物語と現代とが重なってくる。
うん。ここまでにしておきます(笑)。

ちなみに、
私は、家では見境なしにオナラが出るタイプ。
つい、身につまされる(笑)。

そうそう。
この話の最後を、
山口仲美さんは、
こう締めくくっております。

「オナラの話が気に入って、
私は『今昔物語』に収録されている1040の
説話をことごとく読み直してみた。たいてい、
類話があるのだが、オナラの話には類話がない。
ここに掲げた一話だけである。
貴重なオナラの話なのだ。」(p140)

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詩を書く食卓で。

2014-06-16 | 詩歌
坂崎重盛氏の古本が3冊とどく。
古書店ふくろう(岩見沢市幌向北1条)
文庫350円×2冊・新書450円×1冊で1150円
送料350円で、合計1500円。

まずは、
坂崎重盛著「『秘めごと』礼賛」(文春新書)
の「まえがき」をひらく。

「・・しばらく前、テレビで『家族が一番あたたかい』
とかいったコピー・・・が流れていたことがある。
作品として非常に完成度が高いものだっただけに、
私は、いっそう嫌なものを感じた。
高々とヒューマニズムをうたうふうではあるが、
その実、人間を無視している、と思ったのである。
都会で一人さびしく暮す人、田舎で
孤独に耐えつつも家を守る人、あるいは母子家庭、
父子家庭で生きる親子、また、心ならずも家庭内
にトラブルを抱えている家族
――そういう人たちへの心くばりが感じられない。
このコマーシャルは健全な家庭重視、
理想的な家庭重視という、誰もが否定しにくい
メッセージ(思想)をタレ流している点で、
かなり『悪質だ』と思った。・・人が選び歩く道は、
いつも整然と舗装された道とはかぎらない。
ときに自ら好んで路地や横丁に迷いこんだり、
あるいは林の中を枝をかきわけながら
進まねばならないこともある。」(p4~5)

さて、本文を読むのは後回しにして、
思い浮かんだのは
田村隆一詩集「水半球」にある
詩「都市論」でした。その詩のはじまりは
詩の引用からでした。

「W・H・オーデンは云う――
『すなわち、名誉を重んじる人間が、必要とあらば、
そのために死ぬ心構えをしていなければならない
半ダースあまりのもののうちで、遊ぶ権利、
とるに足りないことをする権利は、決して
小さな権利ではないということである。』
 夕方、農夫がするトランプ遊びも、
詩人が食卓で書く詩も、共同体をはなれては
不可能なゲームである。そして、ゲームであれば、
ルールがあるだろう。そのルールやロゴスの
自由を保障するものが共同体であり、
そういう共同体こそ、農夫や詩人にとって、
真の意味の『都市』なのである。したがって、
経済効率と情報だけが支配する『都市』は、
名誉を重んじる人間、つまり『個人』が
生きることはできない。・・・」

この詩の最後も引用。


「詩人と都市との関係は、不可分というよりも
文明としての有機的な関係である。
詩人と都市とが有機的に結びつかない以上、
ぼくらの文明は、詩人も都市も持たないことになる。

きみに食卓があるか?夕方、トランプをしたり
詩を書いたりする死者の食卓が?」


ちなみに、
坂崎重盛は、1942年東京生まれ。
田村隆一は、1923~1998年。東京生まれ。

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