和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

渡部昇一の若い相棒。

2017-05-31 | 本棚並べ
正論7月号。
渡部昇一追悼の中山理氏の文章が印象に残ります。
そこから引用。

「生前、渡部先生は、一番よく対談された谷沢永一先生の
亡き後、対談相手がいなくなったと嘆いておられた時期が
あった。もちろん、私がそのお相手として力不足なのは
否めないが、先生からは
『谷沢先生亡きあと、同じように語り合える中山先生が
出られたことが嬉しくてたまらない』
と何度もおっしゃっていただいて、有り難かった。
私としても、晩年の先生と知的生活の楽しみを共有でき
たことが何よりも嬉しかったのである。」(p282)


それよりも、すこし前のページには
四十年前の出会いとその後とが書かれておりました。


「・・その後、私は非常勤講師として上智大学と大学院で
教鞭をとることになったのだが、出講日には、
渡部先生が講師控室によく遊びにいらしていて、
授業の合間などの時間をみつけては、専門の英文学や
英語学はもちろん、ヨーロッパの名著、学問の作法、
社会情勢、歴史観など、ありとあらゆる話題で、
いろいろと楽しいお話をさせていただいた。・・・・
時折、話に夢中になりすぎて、気が付いてみたら、
控室に残っているのは先生と私だけということもよくあった。」(p278)

そういえば、
大学生時代の渡部昇一氏が思い浮かびます。

「また自分は『田舎では住めない』としみじみ感じたのは、
夏休みに帰省したときでした。田舎には話相手がいないのです。
もちろん、雑談や世間話の相手はいます。しかし、
東京のように、読んだ本の知識を分かち合う人がいなかった。
唯一、話ができる相手は佐藤順太先生だったので、
先生のお宅へ毎日のように通いました。
知的な会話ができるということは、
何ものにも代えがたい贅沢だと思います。・・・」
(「知的生活 楽しみのヒント」PHP。p206)


ということで、渡部昇一・中山理対談本を
読んだことがなかったので、昨日古本で注文。
さっそく今日届いたのが
「荘子に学ぶ 明鏡止水のこころ」
(発行・モラロジー研究所。発売・廣池学園事業部)。

その「まえがき」から引用。

「かつて私は故・谷沢永一先生と、
自分の専門外の古典で気に入ったものを取り上げ、
自由に語り合って本にすることが何度かあった。
『論語』や『孟子』や『徒然草』について、
気に入ったところを抜き取って、
自分の体験を組み込んで話し合った。
しかし谷沢先生のご発病で、
『老子』を取り上げたのが最後になってしまった。
次は『荘子』の予定だったのだが。
幸いなことに、古典に対して私と同じような接し方を
『宜(よ)し』とされる方が現れた。
それが中山理先生である。
谷沢先生亡き後、この面での同好の士がいなくなったことを
残念至極に思っていたときであった。・・・
私としては再び谷沢先生のような方とお会いできて、
うれしくてたまらない。
私は馬齢八十五を過ぎた者であるが、
古典を古典らしく読み直したいと思っていた。
それで思いがけず若い『相棒』に恵まれた気がしている。」

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あとで書こうと思っていてはダメだ。

2017-05-30 | 道しるべ
渡部昇一氏が亡くなり、
雑誌に追悼文が掲載されております。

これらが、一冊の追悼集となりますように。
出版されるとするのなら、どなたが音頭をとるのかなあ。
渡部昇一追悼集が、どうぞ出版されますように。

そういえば、
谷澤永一追悼集「朝のように花のように」は
論創社という出版社から出ておりました。
こちらは、浦西和彦・増田周子編となっておりました。

「朝のように花のように」をひらいてみる。
週刊新潮の墓碑銘(2011年3月24日号)に

「『いつ死んでもいいようにしておけ、
  後で書こうと思っていてはダメだ、
  と言われたことが強く印象に残っています』(浦西さん)」(p13)

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ワイドショーの踏み絵。38度線。

2017-05-30 | テレビ
正論7月号届く。
高山正之がワイドショーに
ついて書いており、よく言って
じゃなかった、よく書いてくださいました。
ありがたい。収穫がありました。
見えないワイドショーの38度線ルール。
これからテレビ観戦を楽しめる気がします。

途中から引用。

「・・・赤旗の背後の、つまり共産党が
『あのテレビ局に電話とファックス攻勢をかけろ』
と指令したのだろう。
200人がかかればテレビ局を虐め倒せるとあとで聞いた。
陰険な威力業務妨害だが、立件は難しい。
テレビ局は泣き寝入りするだけ。
彼らを怒らしたコメンテーターは番組を危うくした
罪により間もなくクビになった。
そういう例は表に出なかったけれど山とある。
NHKの磯村尚徳は『ニュース9』で
『北朝鮮が38度線を越えた』と当たり前を言った。
途端に総連がNHK攻撃を指令し、
同時に社会党の大物にも指令して番組担当者を脅かさせた。
ほんの小一時間でNHKは麻痺し、
磯村は番組の中で平身低頭し、謝った。
以後、NHKは今も
『北朝鮮が侵攻』の史実を語らない。
売れっ子の山口敬之も森友学園絡みで
辻元清美の名に触れたら
『洪水のような抗議が殺到して仕事にならなかった』
という。
こちらは2度のクビでワイドショーには
赤旗とか9条の会など『威力業務妨害組織』の監視があって、
それに関わる発言を抑え込んでいることを知った。
多分、池上彰でも原発賛成を語れば
その途端テレビ局は機能を喪失し、池上は職を失う。
ワイドショーとはそういう制限された
言語空間に生きている。(p63~64)


はい。さっそく高山さんの新刊対談集を
注文したのでした(笑)。
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来日(らいじつ)無し。

2017-05-29 | 道しるべ
パソコンの打ち込みがうまくゆかない。
試しに打ち込みをしてみる。

え~。本日は晴天なり。
少し涼しいと感じる晴天なり。

「今日(こんにち)学ばずして
来日(らいじつ)有ると
謂(い)うこと勿(なか)るべし」


とは、
谷沢永一・渡部昇一対談
「人間は一生学ぶことができる
佐藤一斎『言志四録』にみる生き方の智恵」
にありました。
そのp232。
その引用をしたあとに
渡部氏は
「二、三年前、谷沢先生は渋沢栄一の資料を
大量に買われましたね。あれを読まれる日が来るとは、
常識では考えられない(笑)。・・・」


ちなみに、講談社学術文庫
「言志四録(二)言志後録」(川上正光全訳注)
そのp278
「243 志気に老少なし」のその個所をみると
前には

「老人にはすなわち真に来日無し。
もっともまさに今日学ばずして
来日有りと謂うこと勿るべし。」

はい。全文読んだ方がよいのは
わかっているのですが(笑)。

今日は、うまく打てる感じがします。
昨日と違う場所にパソコンをもってきました。
場所によるのかなあ(笑)。

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生活習慣病の傾向。

2017-05-28 | 朝日新聞
一台パソコンがダメになって、
それからノートパソコンを購入したのですが、
それが、うまく使えないままでいました。

いっそのことと、思ってデスクトップ型を
新しく購入することにしました。
それが来て、今日こうしてブログ書き込み開始(笑)。

今回はLENOVOを購入。
打ち込み方が、うまくいかないのですが、
そのうち慣れますように。

今日は古雑誌を、取りやすいように
段ボール箱へと移動。
ということで、古雑誌から引用。
WILL2012年7月号の日下公人のコラム。
「繁栄のヒント 左派の生活習慣病」。


 ・・・・
 そこで、当方から左派の人を見ると、
 働くのが嫌いな人、勉強も嫌いで、
 何かのスローガンですませる人。
 自分の考えはなく、
 何かの権威にぶら下がる人。
 仲間を集め決議をしてから行動する人。
 いつも敵をつくって糾弾し、
 辞職させて糧道を断つのが趣味な人。
 敵がなくなると仲間同士で争う人。
 早く言えば、生まれや育ちが少数派らしくて
 破壊的活動はするが、
 全員の幸福については考えていない人。
 美しい目標を説くが具体案のない人などなどで、
 書き出すと筆がとまらなのは
 たくさんの実例をみてきたからである。
 左派を具体的に言えば、
 労働組合の人、市民運動の人、学生運動の人、
 マスコミの人、社会党や共産党の人、
 それからマルクス主義の
 経済学・法学・哲学・社会学・歴史学・教育学・文学・芸術
 などなどの教授方である。

 ・・・・・
 日本の大新聞社は発行部数減という経営危機対策として、
 金がかかる外国特派員を減員して在留邦人に外注しよう・・
 とかをはじめているが、いい人が見つからないなどと言っている。
 ・・・有能な海外在留邦人の意見は、新聞ではなく
 ○○新書か何かで世に出るから、まだ二カ月くらいは先になる。
 日本の言論界・学界・官界の人は、グローバル化時代だ!
 と書くだけで実際に取材せず、また自分の頭で考えないが、
 それが左派の人の生活習慣病である。



あ、そうだったのか。
と古雑誌を読む楽しみを味わいました。

さてっと、打ち込みがうまくゆかない。
文字がダブって出たり。打ったつもりでもでなかったり、
うまく打ち込めない。
これは私が悪いのか。はたまた、機械のせいなのか。
時間がかかりました。
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書斎で転倒し。

2017-05-28 | 先達たち
hanada7月号。
渡部昇一先生追悼特集の
到知出版社代表取締社長・藤尾秀昭氏の文に、

「昨年の8月1日、2日の二日間、山形の旅館・萬国屋で
取材させていただくことになっていました。・・・
先生はその年の6月はじめに
書斎で転倒し、腕を骨折。
6月下旬にお会いした時はお元気だったのですが、
萬国屋で久しぶりお会いした時、
私はそのお姿を見て驚きました。
両腕を二人に抱えられ、
自力で立つことができないのです。・・・」(p316)

思い浮かんだのは、
谷沢永一・渡部昇一対談
「人間は一生学ぶことができる」(PHP研究所)にある
この箇所でした。


谷沢】 ・・私も『ここは書斎で調べて来ないといけない』
という場合に、しんどいと思うことが多くなりました。
また、重い本を持って階段を上がり下りすることは危ないのです。
前へ転ばなくても後ろへ転ぶ場合があります。

渡部】 私も書庫に入るのがしんどくなりました。
いわんや積んだ本をかき分けて探すというのは・・・(笑)。
老人になるということは、億劫な人間になるということでしょう。
これは余計な話だけれども、今度、最後の愚考をやるつもりで、
書庫にエレベーターをつけました。
階段を上り下りして、本を持ち出したり、しまったりするのが
億劫だし西洋の本は思いのほか重いので、
それを抱えて転んだりしたら大変です。
肉体的な問題でいえば、年をとると、躓(つまず)きやすくなります。
家の中でも、ちょっとした段差に躓いて転ぶこともある。
・・・・(p228~229)

ちなみに、この本は平成19年(2007年)5月発行。
その10年後なのでした。合掌。
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30回目のお見合い。

2017-05-26 | 道しるべ
渡部昇一氏の追悼文を
月刊雑誌7月号のWILLとhanadaとの両方で読めます。
ありがたい。
どちらも印象に残ります。
でも、一冊薦めるなら、
私は、WILL7月号にします。
そこには、安倍晋三氏が書いており。
渡部昇一氏の奥さんが書かれております。

うん。夫人のは、6ページの文です。
そのはじまりは

「とにかく本をよく読む人でした。
ちょっとした待ち時間でも読み始めるし、
家族で食事に出かけても、
料理を待っている間は本を読んでいました。」

等身大の渡部昇一氏が現れて、
まるで、夏目鏡子の「漱石の思い出」を
数頁ひらいているような気分になります。

ということで、お見合いの話を引用。

「私はちょっと反抗して、
なかなか会わなかったけれど、
いざ会ってみたら、
『おれは見合いをするのは三十回目だ。
断った女は見る目がない』って言うから、
まあ、なんて自信のある人だろうと呆れました。
しかも、奥さんにする女性のチェック項目
みたいなものを持っていて、
英語ができるひととか、何かいろいろな条件が
書いてあるんです。
私は英語もできないし、
それに全部当てはまらなかった(笑)。」

はい、温かいエピソードが詰まっておりました。
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再読、三読に備える。

2017-05-24 | 前書・後書。
林望著「役に立たない読書」(インターナショナル新書)
真っ赤なカバーの新書。

本文の最後を引用。

「・・・かくして、読みたいものをじっくり精読する。
読みたくないものは読まない。読んでみてつまらないと思ったら、
さっさと読むのをやめる、これが私の読書法です。・・・
どうか、こと読書に関しては、
流行に流される、付和雷同する、強迫観念に負ける、ということなく、
自分がほんとうに読みたいもの、読んで面白いと思うものを、
丁寧に、ゆっくり、考え考え読んでほしいと思います。・・・
さらには、ひとたび読んで何か得るところを感じた本は、
必ず大事に保管して、再読、三読の機会に備える
というふうにしたいものです。」


そして、あとがきには

「人生はできるだけ楽しく、豊かに送りたい。
その豊かに楽しく生きることの秘鍵(ひけん)が、
すなわち自由な読書ということなのだ、強制された読書でなくて。
自由に読み、ゆっくり味わい、そして深く考える。
ただそれだけのこと。
この絶対の自由と自主、それこそが読書にとって、
もっとも大切なことなのだ、と私はただそれだけを
言いたくてこの本を書いた。

 2017年如月   ・・・・著者 」
コメント (2)
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ひどいところになると。

2017-05-22 | 古典
新潮日本古典集成「方丈記 発心集」(三木紀人校注)
の解説(長明小伝)を読み直す。
うん。読みやすいくて、分かりやすい(笑)。

ここに、方丈記と池亭記との関連に
触れた箇所があったのでした。

渡部昇一・林望「知的生活 楽しみのヒント」(PHP)の
第二部は林望氏からはじまっておりました。
そのはじまりは
「『本朝文粋(ほんちょうもんずい)』という平安中期の
漢詩文集の『池亭記』という文章に次のような一節があります。」


ということで、ひょんなところで、
方丈記へと結びつきました。

こりゃ。「方丈記と知的生活」という結びつき。

それはそうと、
「知的生活 楽しみのヒント」に
大学の図書館事情が語られております。

まずはイギリス

「たとえばトリニティのような伝統あるコレッジは多分、
二十四時間図書館が開いています。」(P71)

「東大の図書館は通常夜九時半まで、
慶應は九時までです。
ひどいところになると、夕方五時に図書館が閉まる(笑)。」(P72)


こう林氏が指摘すると、
それをうけて、渡部氏は

「そうですね。アメリカでも大学院中心の図書館は
二十四時間、あるいは午前二時ぐらいまで開いています。
二流、三流になると夜の十二時までですが、
十二時前というのはないと思います。・・・・
そんな経験をしてから日本に帰りましたので、
日本の大学図書館では仕事にならないと感じ、
自分のプラベート・ライブラリーをつくろうと
自立精神を発揮したわけです。・・・」(~P74)


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そのときに。私有財産の本。

2017-05-22 | 本棚並べ
思い出して本棚からとりだしたのは、
渡部昇一・林望「知的生活 楽しみのヒント」(PHP)。

林】 読んだ本の内容や重要な箇所、さらには読みながら
自分が考えたことを忘れずにいられればいいのですが、
普通は覚えられません。したがって、読み流しにしないためには、
それらを記録しておくことが大切ですね。そのときに
最も手軽にできる方法が本に書き入れていくことです。・・

ところが、学校では
『教科書にいたずら書きしたりせず、きれいに使え』
と教えています。また、図書館で借りた本には
書き入れができません。そういう中で育ってくると、
本をキレイに読むという習慣がついてしまうでしょう。
これはよくない傾向です。
学問するという点から考えれば、
本をきれいに読んでいては勉強が進まない。
勉強するためにはどんどん本に書き入れたほうがいいのです。
・・・実は、昔の人は
『本を大切にしてよく読み、よく書き入れた』のです。

渡部】そうですね。自然科学系はいざ知らず、
文科系の本は線を引いたり、メモしなければ、
勉強がはかどらないと私も思います。
したがって、人の本ではなく自分の本である必要があります。
つまり、私有財産でなければダメなのです。(p58~59)
・・私は本を持っていない人文学者をあまり信用しません。
・・実際、最近出版された英語学の本は資料として貴重だけれども、
愛読に堪える本はほとんどないように思います。
・・昔のように圧倒的に優れているとか、
こちらが学ぶことばかりということはなくなりました。
そうなった一つの理由は、いまの先生方が自分の本を持っていない
からではないでしょうか。身銭を切って、古本屋から
自分で本を買ってやった学問というのは、やはり重みが違います。
(p60)
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古書店の波打ち際。

2017-05-20 | 道しるべ
産経抄2017年4月30日に、
「・・折しも仏文学者、桑原武夫氏の遺族が寄贈した
蔵書約1万冊を、京都市の図書館が無断で廃棄していた
との記事(大阪版)を読んだ。
『知識が増えるほど、われわれの無知も明らかになる』
と米大統領、ケネディの言葉にある。・・・」

この蔵書のことが気になっておりました。
これを、どう考えたらいいのか。

林望著「役に立たない読書」(集英社インターナショナル新書)
に高校生の林さんが出合った古本が紹介されております。

「当時、早稲田通り沿いには今よりもずっと
多かった古本屋が、それこそ軒を連ねていて、
ちょうど自宅へ曲がる角に『金峯堂(きんぽうどう)書店』
という古本屋がありました。その店の軒先に出ている、
一冊100円だったか50円だったかくらいの、廉価古本が
並ぶ棚を眺めるのが、そのころの日課だったのですが、
ある日、三好達治の『故郷の花』(昭和21年刊)という
詩集の初版本を見つけました。和紙で装訂された、
小さな美しい詩集でした。それが、ふと気になって
手に取ったのが、詩の本と私の出会いでした。
ああ、詩の世界とはこういうものなのかと。
いいなあと。この小さな美しい初版本は、
今も大切に保管しています。」(p34)

そういえば、
桑原武夫著「詩人の手紙 三好達治の友情」
という本がありました。ここには
桑原夫人の写真も載っておりました。

もどって、林望氏のその本の次のページに
こんな箇所があったのでした。

「ある日、神田神保町の一誠堂書店という
老舗古書店の店頭で、そうやって棚を眺めていたとき、
私は一冊の本を手に取りました。それは『解題叢書』と
題された一冊で、大正14年に広谷国書刊行会という出版社
から出た本でした。ページを開いてみると、そこに
小さな字でたくさんの書き入れがしてあるのを発見しました。
その字を見れば、決して忘れることも見まがうこともない、
懐かしい先師阿部隆一先生の手書きの文字だったのです。
私は、先生遺愛の一冊と、こうして巡り合って、
いまも大切に書庫にしまってあります。」


京都の図書館から廃棄された本たちが、
どのように流れてゆくのかを、思うことにします。
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単行本の帯に。

2017-05-19 | 古典
「編集者 齋藤十一」(冬花社)。
そこに、新潮社の雑誌「新潮」について触れている箇所で。

「昭和41年(1966年)九月号に、
吉村昭氏の『戦艦武蔵』420枚が一挙掲載された。
失礼ながら当時はまだ同人雑誌作家クラスと目されていた
吉村さんに対し、実に破格の大胆な起用であった。
これも齋藤さんが、或る小さな業界パンフレットに
連載されていた吉村さんの『戦艦武蔵取材日記』という
エッセイを読んで決断した企画だった。」(p57~58)


この箇所が、気になっておりました。
本棚に「戦艦武蔵ノート」を置いて、
ずっと読まずにありました(笑)。
ちょうど、私のなかで読み頃をむかえて、
このノートと文庫本「戦艦武蔵」とを読了。

そういえば、本棚に講談社「少年少女古典文学館」が
あって、これも未読なのですが、そのなかの
「平家物語」は吉村昭氏の名前があった。
ということで、取りだして、その「あとがき」をひらく。

「少年少女古典文学館の『平家物語』の現代語訳を
担当してほしい、と編集部から依頼されたとき、
私は、20数年前に書いて単行本として出版された
『戦艦武蔵』のことを思い起こした。
その単行本の帯に
獅子文六氏が、
『この小説には哀感があり、平家琵琶の音色がする。』
といった趣旨の推薦文を書いてくださった。
太平洋戦争中、戦艦『武蔵』は、
フィリピン沖でアメリカ空軍機の波状攻撃をうけて、
多くの乗員とともに沈み、獅子氏は、
その悲劇を平家一族の多くが海中に沈んだ壇ノ浦の戦と
重ね合わせて、そのような感想をもたれたのである。
『戦艦武蔵』を書いた私が『平家物語』の
現代語訳をすることに因縁めいたつながりを感じ、
編集部の依頼を引き受け、その現代語訳に取りくんだ。」

ちなみに、講談社の「少年少女古典文学館」の
監修は三人。司馬遼太郎・田辺聖子・井上ひさし。

はたして、吉村昭氏は「平家物語」だと
企画したのはどなただったのでしょう。
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