正論7月号。
渡部昇一追悼の中山理氏の文章が印象に残ります。
そこから引用。
「生前、渡部先生は、一番よく対談された谷沢永一先生の
亡き後、対談相手がいなくなったと嘆いておられた時期が
あった。もちろん、私がそのお相手として力不足なのは
否めないが、先生からは
『谷沢先生亡きあと、同じように語り合える中山先生が
出られたことが嬉しくてたまらない』
と何度もおっしゃっていただいて、有り難かった。
私としても、晩年の先生と知的生活の楽しみを共有でき
たことが何よりも嬉しかったのである。」(p282)
それよりも、すこし前のページには
四十年前の出会いとその後とが書かれておりました。
「・・その後、私は非常勤講師として上智大学と大学院で
教鞭をとることになったのだが、出講日には、
渡部先生が講師控室によく遊びにいらしていて、
授業の合間などの時間をみつけては、専門の英文学や
英語学はもちろん、ヨーロッパの名著、学問の作法、
社会情勢、歴史観など、ありとあらゆる話題で、
いろいろと楽しいお話をさせていただいた。・・・・
時折、話に夢中になりすぎて、気が付いてみたら、
控室に残っているのは先生と私だけということもよくあった。」(p278)
そういえば、
大学生時代の渡部昇一氏が思い浮かびます。
「また自分は『田舎では住めない』としみじみ感じたのは、
夏休みに帰省したときでした。田舎には話相手がいないのです。
もちろん、雑談や世間話の相手はいます。しかし、
東京のように、読んだ本の知識を分かち合う人がいなかった。
唯一、話ができる相手は佐藤順太先生だったので、
先生のお宅へ毎日のように通いました。
知的な会話ができるということは、
何ものにも代えがたい贅沢だと思います。・・・」
(「知的生活 楽しみのヒント」PHP。p206)
ということで、渡部昇一・中山理対談本を
読んだことがなかったので、昨日古本で注文。
さっそく今日届いたのが
「荘子に学ぶ 明鏡止水のこころ」
(発行・モラロジー研究所。発売・廣池学園事業部)。
その「まえがき」から引用。
「かつて私は故・谷沢永一先生と、
自分の専門外の古典で気に入ったものを取り上げ、
自由に語り合って本にすることが何度かあった。
『論語』や『孟子』や『徒然草』について、
気に入ったところを抜き取って、
自分の体験を組み込んで話し合った。
しかし谷沢先生のご発病で、
『老子』を取り上げたのが最後になってしまった。
次は『荘子』の予定だったのだが。
幸いなことに、古典に対して私と同じような接し方を
『宜(よ)し』とされる方が現れた。
それが中山理先生である。
谷沢先生亡き後、この面での同好の士がいなくなったことを
残念至極に思っていたときであった。・・・
私としては再び谷沢先生のような方とお会いできて、
うれしくてたまらない。
私は馬齢八十五を過ぎた者であるが、
古典を古典らしく読み直したいと思っていた。
それで思いがけず若い『相棒』に恵まれた気がしている。」
渡部昇一追悼の中山理氏の文章が印象に残ります。
そこから引用。
「生前、渡部先生は、一番よく対談された谷沢永一先生の
亡き後、対談相手がいなくなったと嘆いておられた時期が
あった。もちろん、私がそのお相手として力不足なのは
否めないが、先生からは
『谷沢先生亡きあと、同じように語り合える中山先生が
出られたことが嬉しくてたまらない』
と何度もおっしゃっていただいて、有り難かった。
私としても、晩年の先生と知的生活の楽しみを共有でき
たことが何よりも嬉しかったのである。」(p282)
それよりも、すこし前のページには
四十年前の出会いとその後とが書かれておりました。
「・・その後、私は非常勤講師として上智大学と大学院で
教鞭をとることになったのだが、出講日には、
渡部先生が講師控室によく遊びにいらしていて、
授業の合間などの時間をみつけては、専門の英文学や
英語学はもちろん、ヨーロッパの名著、学問の作法、
社会情勢、歴史観など、ありとあらゆる話題で、
いろいろと楽しいお話をさせていただいた。・・・・
時折、話に夢中になりすぎて、気が付いてみたら、
控室に残っているのは先生と私だけということもよくあった。」(p278)
そういえば、
大学生時代の渡部昇一氏が思い浮かびます。
「また自分は『田舎では住めない』としみじみ感じたのは、
夏休みに帰省したときでした。田舎には話相手がいないのです。
もちろん、雑談や世間話の相手はいます。しかし、
東京のように、読んだ本の知識を分かち合う人がいなかった。
唯一、話ができる相手は佐藤順太先生だったので、
先生のお宅へ毎日のように通いました。
知的な会話ができるということは、
何ものにも代えがたい贅沢だと思います。・・・」
(「知的生活 楽しみのヒント」PHP。p206)
ということで、渡部昇一・中山理対談本を
読んだことがなかったので、昨日古本で注文。
さっそく今日届いたのが
「荘子に学ぶ 明鏡止水のこころ」
(発行・モラロジー研究所。発売・廣池学園事業部)。
その「まえがき」から引用。
「かつて私は故・谷沢永一先生と、
自分の専門外の古典で気に入ったものを取り上げ、
自由に語り合って本にすることが何度かあった。
『論語』や『孟子』や『徒然草』について、
気に入ったところを抜き取って、
自分の体験を組み込んで話し合った。
しかし谷沢先生のご発病で、
『老子』を取り上げたのが最後になってしまった。
次は『荘子』の予定だったのだが。
幸いなことに、古典に対して私と同じような接し方を
『宜(よ)し』とされる方が現れた。
それが中山理先生である。
谷沢先生亡き後、この面での同好の士がいなくなったことを
残念至極に思っていたときであった。・・・
私としては再び谷沢先生のような方とお会いできて、
うれしくてたまらない。
私は馬齢八十五を過ぎた者であるが、
古典を古典らしく読み直したいと思っていた。
それで思いがけず若い『相棒』に恵まれた気がしている。」