和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「ベタ記事」の眺望。

2007-04-29 | Weblog
久しぶりに、新聞の整理。
といっても私の場合、いつも、まるごと1㌻をやぶいて、肝心な箇所が読めるように、ただ折畳んでおくという簡略なもの。切抜きなど、メンドウなことはしません。
段ボール箱のフタを裏返して棚に並べ、そこに仕分けしてます。各分類はというと、たとえば、連載・正論・コラム・歌壇俳壇・文化・地震・地元・読書・毎日新聞読書欄・絵・写真・反芻・追悼・再読・チェック・健康・人・中国・一面などと段ボール蓋に文字を貼って、そこへと新聞を入れ込みます。たまったらどうするか。そのままに、大きな段ボールに入れてしまうだけ。ほとんど改めて見ることはしてません。それは、本を買って読まずに積んでおくような気分。
ということで、私の新聞の整理は、ちょいと大きめの段ボール箱に分類した新聞を入れ込んで終わり。うん。これで見た目はすっきりします。

なぜ、こんなことを書いているかというと、先頃、新聞読みの先達の本を読んだからでした。「池上彰の新聞勉強術」(ダイヤモンド社)という本。池上さんは、2005年3月までNHK『週刊こどもニュース』のお父さん役を務めていた人。そういえば、顔が浮かぶでしょうか。現在はフリージャーナリストなのだそうです。

興味のない人は別にしても、素人に毛のはえたような私には参考になり、目からウロコ。フムフムと参考になる箇所がつぎつぎとあるのでした。

たとえば、
「産経新聞などは、『夕刊を出せば出すほど赤字が出る』として、夕刊を廃止してしまいました」(p44)というのは存じておりました。
でも、これははじめて知りました。
「読売、朝日、毎日、産経などの新聞は『全国紙』と呼ばれます。・・朝日、毎日、読売は、それでも全国に取材網を張り巡らしていますが、産経となりますと、全国をカバーしているとは言えません。産経の読者は、首都圏と関西圏だけに限られます。全国の人に読まれている新聞ではないのです」(p40)

そうなんだ。産経新聞の守備範囲までは、私はちっとも考えに入れておりませんでした。また、一応は首都圏なのですが、私は地方におりますので、新聞配達は、いろいろな新聞社のものをまぜて配られてきます。ということでチラシの多い少ないは感じないでおりました。
ですから
「私のように各紙を購読していると、新聞によって折り込み広告の量に格段の差のあることがわかります。どの新聞の読者がいちばん購買力を持っているか、どの新聞の部数が少ないか、一目瞭然なのです。でも中には作家の阿川佐和子さんのように、『折り込み広告が少なくて整理が楽なのでS新聞を取っている』という人もいますが。」(p124)

これは、部数とは別に、購買力という発想があることも考えさせられます。
そういえば、岡崎武志著「読書の腕前」(光文社新書)を読んでいたら、
こんな箇所がありました。
「以前私は、朝日新聞日曜読書欄の『ベストセラー快読』を担当していた。・・丸五年にわたって約四十本の書評を書いた。連載中、『こないだの朝日、読みましたよ』と、よく声をかけられたもので、いかに出版業界における朝日新聞の購読率が高いかが、これでわかった。ほかの書評では、そんなことはめったにない。深い森のなかの湖に石を放り込むようなものだ。」(p82)

ここには「出版業界における朝日新聞の購読率」という言葉として出てきます。
実感がありますですね。そうすると、毎日新聞の書評欄などは趣味趣味人の世界?

ところで、この池上彰さんの本なのですが、ちょっと読みづらい感じを抱きました。それはなぜだろうと、思っていたら、なあんだ、朝日新聞を話題の中心にしながら、書いているのでした。それが、私みたいに産経・読売の2紙をとっている者には、読みにくいのです。全体に朝日新聞の購読者を対象にしながら、論をすすめている感じなのです。フリーのジャーナリストとしては手堅い書き方だと思います。そうは思うのですが、読みにくい。読みにくいのですが、ためになります。
たとえば、こんな箇所。

「私も、各新聞社に、『この人の署名記事は必ず読もう』という人が何人もいます。かつては朝日新聞にそんな記者が多かったのですが、最近は激減。
代わって、日本経済新聞に増えています。」(p101)
こう書いて、日経の
 田勢康弘(政治の記事・コラム。現在は早稲田大学大学院の教授)
 前田昌孝(株式市場の解説)
 滝田洋一(金融問題)
 伊奈久喜(外交)
 足立則夫(人生論)
と名前を列挙しております。どうやら池上彰さんは日経新聞をよく御存知のようです。

まだまだ、新聞雑学に富んでいるのですが、
あとひとつにしておきます。
それは「私がもっとも愛する記事です」としてベタ記事を取上げております。

「ベタ記事とは新聞業界の専門用語。新聞の紙面の下のほうに小さく載っている記事のことです。記事の見出しが小さく一段しか出ていないものをベタ記事と呼びます。そのまま姿を消してしまうニュースも多いのですが、その後、そのニュースがどんどん大きくなっていく、というものもあります。新聞は、その時々の担当者が編集した紙面がつくられています。編集責任者の価値観によってつくられているのですが、その編集者がとっさに判断できないニュースが並んだとき、とりあえず小さく記事を掲載します。そのニュース判断をするのは、読者であるあなたです。これが、記事を読みこなす醍醐味なのです。」(p70)
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ゾマーさんのこと。

2007-04-12 | テレビ
パトリック・ジュースキント著・池内紀訳「ゾマーさんのこと」(文藝春秋)に登場する、ぼくの父親が気になりました。その主人公のぼくの家庭には、たいへんに面白い規則があるのです。その箇所を引用してみると、

○ラジオを自由に聴かしてもらえないこと。そのため木曜の夜十時から十一時にかけて放送される犯罪ドラマを聴くことができず。翌朝、スクールバスのなかで友人コルネリウス・ミヒャエルの曖昧な記憶を通して復元しなければならない。
○家にテレビがなかったこと。父はつねづね言明していた。『わが家にテレビは入れさせない』
・・・テレビは『ホームコンサートを駆逐し、視力を衰弱させ、家庭生活を破壊し、総体的な荒廃に導く』という。何ごとにも異をたてたがる母さんだのに、なぜかこの点ではまったく父さんと同意見で、そのためぼくは『母親万歳』や『名犬ラッシー』、『ヒラム・ホリデーの大冒険』といった文化的事件にあずかるためには、友人コルネリウスのところまで出かけていかなくてはならなかった。・・(p106~107)


この箇所が興味深いのは、訳者の池内紀さんの家庭を思い浮かべたからでした。
ちょうど、今年「毎日書評賞」を受賞したのが池内恵著「書物の運命」でした。
その池内恵さんの父親というのがドイツ文学者の池内紀さんというわけです。
それでは、「書物の運命」(文藝春秋)の、最初に書かれている興味深い箇所を少し長めに引用してみます。

「なにしろ生家にはテレビがなかった。父が『ドイツ文学者』なるものをやっていて、しかもかなり頑固だったので家にテレビを置かないというのである。1960年代半ば、高度経済成長の真っ只中に人々が求めたのは『3C』すなわち、『カー、クーラー、カラーテレビ』だったそうだから、私の場合、家庭内の環境としては『戦後すぐ』に等しかったことになる。小学校の同級生の母親が『まあ教育のためによろしくて』と私の母に言っているのをぼんやり記憶しているが、明らかにこれは子供の教育のためではない。『ドイツ文学』などという周辺に追いやられる一方の部門に従事する父の、出版文化を脅かす華やかな新興メディアに対する僻(ひが)み根性が嵩じたに過ぎなかっただろうと推測している。」(p13)
「思い返すと、小・中学生のころは学校に行って同級生の発言が聞き取れないということは当たり前だった。この年頃の会話からテレビに関する固有名詞を抜いたら、ほとんど残らない。しかも英才教育の私立・国立ではなく、ごく普通の公立学校に通ってかなり手洗い『芋洗い』の中に放り込まれていた。そもそも子供同士の挨拶で『おはようございます』とは言わない。例えば朝、顔を合わせて最初の一声が「『いいとも』見た?」であったりする。要するに「あなたは日曜日、昼のテレビ番組『笑っていいとも!』を見ましたか?」という意味だが、もちろん見たか見ていないかを聞きたいのではなく、挨拶代わりである。しかしこちらとしては最初はこれがまったく謎の単語となる。・・そしてまた、活字媒体なら生活の中に溢れていた。」(p14)


ここで、「ゾマーさんのこと」へ話題をもどすと。
終盤に、主人公のぼくが、ゾマーさんとの最後の出会いを語る箇所。
友達の家でテレビを見て、家の夕飯に間に合うように自転車で帰るところでした。

「秋だった。コルネリウス・ミヒャエルのところでテレビを見ていた夜のこと。
そのときの番組は退屈だった。終わりが早々と予想できた。ぼくは終了五分前に腰を上げた。これならなんとか夕食の席にとびこめる。」

この帰宅の途中で、ゾマーさんの最後を目撃することになるのでした。
この本の最後で忘れがたい言葉はというと、


「ぼくは口をつぐんでいた。ひとことも真相を言わなかった。例の夜、かなり遅くに家にもどった。ついてはテレビのもたらす弊害について一席のお説教をくらったが、そのときも見たことをいっさい口にしなかった。その後の騒ぎのあいだも同様だった。姉さんにも、兄さんにも、警察にも。コルネリウス・ミヒャエルにさえも洩らさなかった・・・どうしてかたくなに口をつぐんでいたのか、なぜ話そうとしなかったのか・・・・」


ところで、テレビつながりで、なんとなく私に思い浮かんだのが谷沢永一の「相撲解説に水さすアナ」という短文。その紹介。

それは昭和58年の文で、テレビの相撲解説を語っておりました。
「殊に私は神風がヒイキで、彼の解説には教えられるところが多い。栃錦があれほどの人気を得たのも、神風が当初から非常に肩入れし、栃錦の立ち合いとワザの勘所を、はっきり解き明かしたからではあるまいか。こうして神風の解説に期待する私を、いつも邪魔するのがアナウンサーである。クロウトの神風が批評する前に、シロウトのアナウンサーが生意気にしゃしゃり出て、さも得意気にヘラズ口をたたく。多くの場合、その発言が、全く見当違いのひとりよがりであるから、メンツをつぶさないよう微妙な言いまわしで、神風が苦労しているのを気の毒に思う。・・・・」(谷沢永一著「時代の手帖」潮出版社。そこの最初にある文です)


テレビを見ないことの得はといえば、
ひとつが、アナウンサーの見当違いを聞かずにすむ。ということでしょうか?
コメント (2)
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