和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

李氏朝鮮末期とそっくり。

2014-05-31 | 短文紹介
室谷克美氏の本が出ていたので読む。
三橋貴明氏との対談(2014年4月発行)。

うん。対談だとスラスラ読めますね(笑)。
最後のほうを引用してみます。

三橋】 ・・・・2013年の5月には、
『日本の統治時代は良かった』といった95歳の
老人が30代の男に殴り殺される事件が起きていますからね。
おっしゃるとおり、もう理屈ではないのでしょう。
私はいまの韓国を見ていると、明治維新後の
大日本帝国、清帝国、ロシア帝国に囲まれた
李氏朝鮮末期とそっくりに思えてきます。
どの大国に従うべきかわからず、
迷走を続けています。(p125)

室谷さんは、『韓国は米中を手玉に取りたい』と
言われましたが、そんなことできるはずがないですよね。
李氏朝鮮は大韓帝国時代に中国、ロシア、日本の真ん中に
あって、三国を手玉に取ろうとしたけれど、結局、
国そのものが終わってしまいました。
懲りずにまた、同じ愚を繰り返そうとしているのですか。
・・それとも何も考えていないのか、よくわかりません。(p169)


対談なので読みやすく、
ストンと腑に落ちる(笑)。
本の題名は、というと
「『妄想大国』韓国を嗤(わら)う」(PHP)
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戦犯扱いされる。

2014-05-30 | 短文紹介
上原浩治著「覚悟の決め方」(PHP新書)のはじまりに、
こうありました。

「いまの私はクローザー、抑え役という立場にある。
マウンドに上がるのは主に最終回、
チームの勝利がかかった大事な場面だ。
周囲は『抑えて当たり前』と信じて疑わない。
もし打たれて逆転されたりするものなら、
ボロクソに非難され、戦犯扱いされる。
メディアも、抑えた時はほとんど取材に来ないが、
打たれるとこぞってやってくる。

失敗は許されないから、
たとえ格下と思われるバッターが相手でも
一球たりとも力を抜くことはできない。
先発の場合は、すべて全力で投げたら
もたないから、どこかでいわゆる
《抜く》ことが必要だけれど、
クローザーはそうはいかない。
私は1イニングの投球数を15球と
考えているが、そのすべてを全力で
集中して投げることが要求される。」(p19)

うん。パラリと、
第一章をとりあえずひらく(笑)。
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水半球。

2014-05-29 | 詩歌
福音館書店の
「声で読む日本の詩歌166 おーいぽぽんた」は
編集委員が、茨木のり子・大岡信・川崎洋・岸田衿子
谷川俊太郎。そこで選ばれた詩のなかに、
田村隆一の詩「木」もはいってます。
詩「木」のはじまりは、というと

  木は黙っているから好きだ
  木は歩いたり走ったりしないから好きだ
  木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

  ほんとにそうか
  ほんとにそうなのか

  見る人が見たら
  木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
  木は歩いているのだ 空にむかって
  木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
・・・・・

このようにはじまっておりました。
田村隆一詩集「水半球」(書誌山田)
をひらくと、そこに「木」が載っていて、
その2つ前に、詩「要約せざるもの」がある。
こちらは、吉田満氏をとりあげた詩。
こちらも引用。

きみは
・・・・・・   
昭和二十年三月一七日、
硫黄島の陸海軍の守備隊が全滅したとき、
きみは戦艦大和の電信士だった。
まるで硫黄島の全滅と期を一つにして、
きみの船艦『大和』は沖縄にむかって出航する。
戦後、きみの証言と行動には、
きわめて重要なふくみがある――



ちょっと、間を端折って、
そのつぎを引用してみます。



  では、一つの基本的な姿勢とは何か?
  『戦争の悲惨さの実感に徹する以上は、
   自分だけが戦争から
   身を避けようとする姿勢ではなくて、
   自分の生活の中から《平和》に
   相反する行動原理を駆逐すること、
   何よりも
   人間を尊重し、
   人間の生活の重みをいつくしむこと、
   そのことのために、
   地道な
   潜心が積み重ねられなければならない』

  きみの葬儀は
  東洋英和女学院の
  マーガレット・クレイグ記念講堂で行われた



すこし端折って、最後の四行はというと



  二度死んだ男たちよ
  ぼくはぼくの『死』を大切にしたいと思う。
  要約されざるものよ、
  また逢う日まで。



うん。『木』と『要約せざるもの』とが
一緒の詩集にはいっていたことを知る。
水色の詩集の表紙カバーを、
あらためて見ている。
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朴。

2014-05-28 | 詩歌
今日は、高速バスに乗ったので、
とりあえず、本を一冊。

ふるほん上海ラヂオで購入した
「 朴 坂村真民詩集」(大東出版社)
200円+送料80円=280円

バスに乗っている間は、
ほとんど寝ておりました(笑)。

こういう時の、
詩はいいですね(笑)。
パラリとひらいて、短い詩を見る。


  しんみん五訓

 クヨクヨするな
 フラフラするな
 グラグラするな
 ボヤボヤするな
 ペコペコするな


バスの行き帰り、
ほとんど寝ておりました。
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ご機嫌よう また逢う日まで。

2014-05-27 | 詩歌
「詩集1977~1986 田村隆一」(河出書房新社)の
p118は、一行目が

「ご機嫌よう」となっておりました。

詩集「水半球」をとりだしてくると、
これはじつは、前のページの詩の最後の行なのでした。

p118の一行目が「ご機嫌よう」で
p119の最後は
「 きみの葬儀は
  東洋英和女学院の
  マーガレット・クレイグ記念講堂で行なわれた

  ぼくは電報を打った―― 」とあります。


ついつい私は、たとえば
「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」村岡恵理著(マガジンハウス)
の年譜をひらいて確認しておりました。

1932(昭和7)39歳  娘みどり、誕生。
JOAK(NHKの前身)の嘱託となり、子供向けニュースの解説にあたる。
関屋五十二と交代で、『子供の新聞』というコーナーを担当し、
『ラジオのおばさん』として全国で親しまれる。番組の最後の
『ごきげんよう、さようなら』の挨拶が人気を博す
(昭和16年12月の太平洋戦争開戦まで)。


「ご機嫌よう」と村岡花子が学んだ
「東洋英和女学校」と結びつけて私は読んでおりました。
が、それは間違い(笑)。



田村隆一詩集「水半球」(書誌山田)を
今日は、本棚から取り出してくる。

ここは、一冊の詩集として読んだ方が
感銘を受けるだろうと思ったからでした。

そこに、「二度死んだ男たちへ」と
題して、二つの詩が並んでいました。
ひとつめは、「特権」という題。
ふたつめは、「要約せざるもの」という題。

ひとつめの詩の、最後の二行は

「 では
  ご機嫌よう 」

ふたつめの詩の、最後の二行は、

「 要約されざるものよ、
  また逢う日まで。 」


詩集「水半球」の詩の題と
「詩集1977~1986 田村隆一」の詩の題が
微妙に違っておりました。

このふたつの詩の題が
「1977~1986」のなかでは
前が
「特権 木原孝一くん」という題に
後が
「要約せざるもの 吉田満さん」という題に

どちらも名前が下にはいっております。

ちなみに、
田村隆一詩集「水半球」には
教科書などへ掲載された詩「木」が
はいっておりました。

ああ、この詩集にあったのだと、
そう、思いながらあらためて、
「要約せざるもの 吉田満さん」と
「木」とを並べて読んでいます(笑)。


ご機嫌よう
また逢う日まで。
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ふるえる田村隆一。

2014-05-26 | 詩歌
nonさんからのコメントを読んでいたら、
昨日朝方、そういえば、田村隆一の詩に、
「ふるえる」という言葉があったと思い浮かぶ。

ということで、昨日は
埃をかぶった田村隆一詩集を出して楽しみました。

 詩集1946~1976 田村隆一 
 詩集1977~1986 田村隆一

どちらも、河出書房新社
(ちなみに、私は全詩集をもっていない)

初期の詩には、キーワードのように
「ふるえる」という言葉が登場しております。
ここでは、後期の詩からはじめましょう(笑)。

詩「魚座」のはじまりと、おわりの方を紹介。

三月十八日生まれだから
あなたは魚座ですね
西洋占星術のルルさんという美少女が・・

・・・・・・・・

詩を書こうとすると手がふるえるのだ
そのふるえる手で
・・・・


 ふるえることは登場しなくても
詩「皮膚の下には」で、こんな箇所もおもしろい。

 ぼくの皮膚の下には
 小さな生物がたくさん棲みついている
 犬 猫 鳥 魚
 鯨もいれば大蛇もいる
 その呼吸音を聞いていると
 ぼくの目から
 水のようなものが流れてくるのさ


詩集「誤解」にある
詩「物と夢について」に

 はじめ、
 一羽の小鳥のふるえる舌
 がほしいばかりにぼくは詩を書き出したのに、
 ふるえる舌は
 いつのまにか具象性を獲得して、
 ホシガラス、アカゲラ、ヤマシギ、トラツグミ・・


それでは、もどって
詩集1946~1976 から「ふるえる」を拾ってみる。

たとえば、「四千の日と夜」の
最初の一行目は
「一篇の詩が生まれるためには、」
とはじまります。その五行目からは

「見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した」

詩「十月の詩」にも
「十月の
 つめたい空にふるえている」という言葉があります。

詩「車輪 その断片」のはじまりは

「  そこで顫えているもはなにか
   地の上に顔をふせて
   耳を掩っているものはなにか 」

そして、詩「言葉のない世界」には
こんな箇所が

「 するどく裂けたホシガラスの舌を見よ
  異神の槍のようなアカゲラの舌を見よ
  彫刻ナイフのようなヤマシギの舌を見よ
  しなやかな凶器 トラツグミの舌を見よ 」

つぎ行きましょう(笑)
詩「腐敗性物質」のはじまりは

「 魂は形式 
  魂が形式ならば
  蒼ざめてふるえているものはなにか
  地にかがみ耳をおおい
  眼をとじてふるえているものはなにか 」

うん。「腐敗性物質」には「ふるえる」が
ちょこちょこ登場しますが、もう一箇所引用。

「 われら
  ふるえるものすべては高所恐怖症
  一篇の詩を読むだけで
  はげしい目まいに襲われるものはいないか
  一篇の詩を書こうとするだけで
  眼下に沈む世界におびえるものはいないか 」


うん。
これ以上引用すると
くどくなりますね(笑)。
「ふるえる田村隆一」というテーマで、
いっきょに、視界が拓ける気がします。

 ふるえる田村隆一
 ふるえない田村隆一

なんて詩の仕分けも楽しそう(笑)。
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旧知のごとき親愛。

2014-05-25 | 地域
平川祐弘著「日本人に生れて、まあよかった」(新潮新書)
のあとがきに、

「物書きは自分の著書をよく読んでくれて
正確な感想を述べる人に対して
旧知のごとき親愛の感情を抱くものです。」(p262)


うん。そうか。
もうすこし。

「私はまだ髪も黒く、八十路(やそじ)にはいって
評伝『竹山道雄と昭和の時代』、『ダンテ『新曲』講義』、
『デカメロン』や『新生』の翻訳、
『内と外からの夏目漱石』、それに
『西洋人の神道観――日本人のアンデンティティーを求めて』
等の書物を続けて出しました。
一般読者が読んでも興じることのできるよう工夫
してありますが、本質的に学術書です。」


ああ、上記の本で、
私が、読んだのは一冊(笑)。
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大議場はいけない。

2014-05-24 | 短文紹介
今朝も歯医者へ。
次回は、27日火曜日とのこと。

私の通う歯医者は、予約制ではなく、
午前中いっぱいの時は、午後の予約をしてから
帰る。そんな半分予約制のような歯科医院(笑)。

さてっと、今日は前に3人いたので、
外山滋比古著「大人の言葉づかい」を
少し余裕でパラパラとひらく。
今日気になったのは、
「大声では知恵のあることは話せない」
(p46~51)。
その最後の方をすこし

「イギリスの国会議事堂は
第二次大戦で大破をこうむった。
その復興計画が議論されているうちに、
もともと、手狭であった議場を、この際、
拡大しては、という意見が有力になった。

そのとき、チャーチル首相が、大議場はいけない。
広いところだと、議員はつい大声になるが、
大声で知恵のあることをのべることはできない、
と主張。多くの人がなるほどと納得して、
もとのままの議場を復旧することになった。
有名な話である。
われわれは、大声にならないように、
いつもブレーキをかける必要がある。
ことに心ある人は大声でものをいわないのだ
ということを心に留めておく必要がある。
大声ははしたない、無礼であると考えてよい。」

うん。せっかくですから、この文の最後も

「かつては、消え入るような声で話したのは
若い女性であったが、いまは、とんでもない
大声になった。それに引きかえ、男が小声に
なってバランスをとろうとしているのか。
なにごとによらず、極端はいけない。

大声がうるさいと同じように、
あまりの小声は人をいらいらさせる。
中庸は徳の至れるもの、ほどほどがよいのである。」

そういえば、
以前テレビで見た討論会で、
岡崎久彦氏が静かに語っていたのを思い浮かべます。
まわりが大声の持ち主で、
テレビだけだと、小声は
旗色が悪く見えてしまうものですね。そういえば、
司馬遼太郎さんなども大声では、
話されなかったような気がしてきます。

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おもしろい話ができるだけで。

2014-05-23 | 短文紹介
今日も朝から歯医者へ。
膿を染みこませる、ガーゼの交換。
すぐに済んだけど、明日も歯医者へ。

武者震いとは。
「戦いや重大事を前にして、
 興奮でからだが小刻みにふるえること」
と角川必携国語辞典に載っておりました。

この頃、
相撲の取り組みを録画して、
夜見るのが楽しみになりました(笑)。
昨日の取り組みは
白鵬と稀勢の里の一番。
稀勢の里ファンとしては、
立ち合いの呼吸が悔やまれてなりません。
稀勢の里の立ち合いに見る戦後民主主義教育
ってなことを歯医者の帰りに思ったり(笑)。

今日の歯医者は、すぐだったので
持って行った
外山滋比古著「大人の言葉づかい」(中経の文庫)
は、1頁のみパラリとひらいて終り(笑)。
「簡潔なスピーチは知性の真髄」(p97~103)
その最後の言葉を読みました。

「いまの日本人のもっとも考えなくてはいけない問題は、
長話をしないこと。
できれば、おもしろい話ができるようにすることである。
おもしろい話ができるだけで、信用が高まる世の中に、
われわれの社会も、なりつつある。」

え~と、ちょいと、長話になりますが、
「武者震い」は
集英社の国語辞典が読ませます。

「事に臨んで緊張し、
心が勇んで体が震えること。」

うん。この語の解釈が、私には、
自分の最近のマイクを持つ手の震えに、
かんがみて、しっくりときます。
「緊張し、心が勇んで」
それで、かってに手が震える。
そんなような気がしてきました(笑)。

ちなみに、
集英社国語辞典第2版は
昨年古本で買ってあったもの。
函入りで新刊同様のきれいな手触り。


古本センター飯塚店(福岡県飯塚市若菜)
1350円+送料450円=1800円
でした。
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「ヨサネ」ことば。

2014-05-22 | 短文紹介
朝に、歯医者へ行く。
歯ぐきに膿みがたまったので、
切って膿を出すことに。
というのは、
行ってから、わかったこと(笑)。

さてっと、待ち時間用に、
この前だしておいた
外山滋比古著「大人の言葉づかい」(中経の文庫)
をもってゆく。大きな活字で簡単によめて
ちょっとの待ち時間にはもってこい。
そこに
「間のない間抜けな話し方」(P52~56)。

「・・・『きのうサ、デパートをぶらぶらしてたらネ、
珍しい人に会ったのヨ、だれだと思う?』
このオマケを『ヨサネ』ことばといっている人もいる
らしい。女性に多いが、男だってまけてはいない。
俳句に切れ字というものがあって、大切にされている。
『古池や かわづ飛び込む 水の音』の『や』が
切れ字である。これがなければ俳句ではないと
きめつける俳人もいる。
『ヨサネ』は、話しことばの切れ字だといえる
かもしれない。俳句好きな日本人が日常の
おしゃべりでも切れ字をふりまわしている、
と考えてみるとおもしろい。
男は女性ほど『ヨサネ』を多く使わない。
その代わり、『エ』『エー』という
合の手をしきりに使う人がすくなくない。」

まあ、こんな風にはじまっていて、
最後はこうでした。

「一人前の人間は、センテンスをしゃべらなくては
ならない。文字なら小学生でもセンテンスを書く。
話すことばの句読点は、間である。
センテンスをしゃべるには、しっかり間をとる
ことが条件になる。自信のない話し手は
その間をとるゆとりがなく、つい早口になてしまう。
間抜けである。
間がしっかりとれる心理にあれば、ためらい、
遠慮、まよいなどをあらわすオマケことばは
無用になる。早口でもなくなる。
大人のことばは、ゆったり間をとって
話されるのがのぞましい。早口は、幼い、
あるいは弱い心をあらわしている。
早口が流行しているのは、自信を喪失して
いることのあらわれかもしれない。」

というのを、
治療が終って、料金をはらう間に
読んでおりました(笑)。

そういえば、人前で早口にはなして
病気でもないのに、手がふるえることは
私はよくあったりします。
これ貧乏ゆすりみたいなものでしょうか?

そんな私にとって
「大人のことばは、ゆったり間をとって
話されるのがのぞましい」というのは、
難題だけど、これからは、トライしてみます(笑)。

うん。明日も歯医者へ。
コメント (6)
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母は吉田茂を敬愛し。

2014-05-21 | 地域
村岡恵理著「アンのゆりかご 村岡花子の生涯」(マガジンハウス)を
そういえば、以前に読んだことがあったと、
本棚を探すと出てくる。
すっかり忘れておりました(笑)。

本の最後に村岡花子年表があります。
その最初を引用。

1893(明治26)年6月21日山梨県甲府市で葉茶屋を営む安中逸平、てつの間に8人きょうだいの長女として生まれる。本名はな。2歳で洗礼を受け、クリスチャンとなる。

1898(明治31)年 一家で上京。翌年、品川の城南小学校に入学。
 
1903(明治36)年 カナダ系メソジスト派の東洋英和女学校に編入学し、10年間を寄宿舎で暮らす。

うん。年譜はこれからの出会いが記されており、
へ~え。と思いながら眺めます(笑)。

さてっと、
杉田俊介著「宮崎駿論」(NHK出版)が出て、
5月18日の今週の本棚(毎日新聞)に
中島岳志が書評をしております。
書評のはじまりは

「渾身の批評がここにある。読んでからしばらく
時間を置いたが、まだうろたえている。」

おいおい。と思いながらも、注文(笑)。
その序章に宮崎駿の母親のことが出ています。

「宮崎は、なぜか、これまで、母親の記憶について
あまり多くのことを語らずにきた。
母親の美子(よしこ)は、1910年、山梨県の
農家に生まれた。他人に親切で、お節介焼きで、
非常に気の強い女性だった。正義感が強く、
正しいと思ったら、どこまでも戦った。
子どもたちへの躾は厳しかった。およそ
『ほめて育てる』タイプではなかった。
『天空の城ラピュタ』のドーラは
美子がモデルだという。」(p30)

え~と。ドーラって
どんな役柄だったっけ?
というような中途半端な宮崎ファンの
私です(笑)。
引用をつづけます。

「脊椎カリエスを患った。宮崎が小学校に入った頃から
入退院を繰り返した。長患いで、家ではずっと、
人型のギブスを敷いてその上に寝ていた。
起き上がって動けるようになったのは、
ようやく、宮崎が高校を終える頃だった。
寝たきりの母親から死の気配を感じ、
母親の前では『いい子』を演じた。・・・
宮崎は、寝たきりの母親と、ずいぶんいろいろな
話をした。政治・経済から、文化・芸術まで。
母は吉田茂を敬愛し、鳩山一郎が嫌いだった。
保守本流の雑誌『文藝春秋』が好きだった。
この国の文化人たちは、戦後になって
言うことがコロっと変わった。そう怒っていた。
大学時代には左寄りだった宮崎とは、
激論し、宮崎が涙を流すこともあったという。
1983年に亡くなった。最後の数年はリウマチで
動けなかったが、病院へ行くことを頑なに拒んだ。
遊び人だった父親に、晩年は、
とことん在宅介護をさせた。」(~p31)


うん。私はここを読めれば満足(笑)。
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戦後節目の朝日新聞。

2014-05-20 | 朝日新聞
昨日、新潮新書の新刊が届く。
平川祐弘著「日本人に生まれて、まあよかった」。
昨夜、序章と終章。それに、まえがき、あとがき
を読む。

まずは、終章を引用。

「敗戦後の『朝日新聞』は
社会主義陣営に色目をつかう傾向が顕著で、
全面講和論を主張して吉田首相の
サンフランシスコ講和条約締結に反対、
岸首相の安保条約改定に反対、
中国の文化大革命に理解を示したのみか、
社会面では反逆には道理があるとする
毛沢東の『造反有理』の語を引いて
日本の大学生を扇動しました。
韓国よりも北朝鮮を支持したこともある
この新聞は、戦後の大切な節目節目に
日本国民をミスリードしてきた
といっていいでしょう。」(p248~249)

ここに出る「大学生を扇動しました」といえば、
養老孟司著「こまった人」(中公新書)が
思い浮かびます。そこで養老さんは
大学紛争の朝日新聞を語っておりました。

「私の親は『朝日新聞』をとっていたが、
大学紛争以降、私自身は『朝日新聞』を
とらないし、読まないのである。
それは朝日の人にも申し上げた。
紛争のときには、朝日が記事にするたびに、
紛争が深刻化したという思いがあるからである。
つまり新聞記者はある意味で紛争の
当事者だったのだが、その後始末は
ほとんど私たちがしたという思いがある。
いくらなんでも以来数十年、
そんなことはいまではどうでもいい。
しかしそのとき以来の癖で読まない。」(p156)

うん。
平川祐弘氏の新刊の最終章は
「『朝日新聞』を定期購読でお読みになる皆さんへ」
という長い題になっております。

序章からも引用。

「日本には世間に受けの良い考え方というものがあり、
人々はそれに迎合しやすい。そうした雰囲気の中で
吉田茂は、ワン・マンという世間の非難の大合唱
にもかかわらず、『朝日新聞』の主張とは逆の
外交を断行することで後世に名を留めました。
吉田首相は講和条約を締結するに際して、
それが共産圏諸国を含むものでないからとして
反対したいわるゆ全面講和論者の南原繁東大総長を
『曲学阿世(きょくがくあせい)の徒』と言ったため
に知識人や学生を敵にまわしましたが、
今の私は吉田の方が正しかった、と思っています。
しかし大新聞が造り出すイメージはおそろしい。」
(p33)
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新聞社の本音が。

2014-05-19 | 朝日新聞
昨日の日曜日は、新聞の雑誌広告に釣られ。
雑誌「新潮45」6月号を買いに、町の本屋へ。



「『朝日新聞』のホームルーム民主主義」
と題して、小田嶋隆の6頁(p19~24)。

「古舘伊知郎は『しゃべる天声人語』である」
と題して、大江舜の3頁(p25~27 )。

てなわけで、
小田嶋隆の文から引用。

「大切なのは、語り口だ。
リベラルな言説は、教養のある大人の口から、
静かな言葉として漏れ出してくるからこそ、
説得力を持つところのものだ。なんとなれば、
リベラルというのは、寛容さそれ自体を
指し示す言葉だからだ。」

こうして、作法を語ったかと思うと、
さあ、ゆっくりと本題に触れてゆきます(笑)。

「・・・・ここしばらくの朝日新聞の態度は、
『全社を挙げてのキャンペーン』そのもの
に見える。周囲に見破られる『必死さ』を、
あえて隠そうとしなくなっている。
これは、とてもマズい。
リベラルが台無しだ。・・・・
力を入れていることがらについて報じる
段になると、朝日の面々は、通常の社会面で
事実を伝えるだけでは満足せず、
学芸欄で応援記事を書き、
読者の『声』欄に、ヤラセじみた
読者投稿を何度も掲載する挙に出る。」

ここで、「ヤラセ」という言葉を
つかってしまったので、作法どおり、
静かな説得力をもたせるために、
次の文が続きます。

「いや、読者投稿が必ずしもヤラセでない
ことはわかっている。昔から、新聞読者の中には、
社の意向を忖度してそれを書き起こすことに
長けた手練の書き手が含まれている。
それだけのことだ。」

このあとは、静かに
朝日新聞の健康な事態ではない
患部をひらいて見せてくれます。


「ただ『声』欄を読んでいる読者の中には、
『耳』を澄ませている読み手がいる。
で、鋭敏な『耳』を持つ読者は、
読者の声の背後に新聞社の本音が
鳴り響いていることを察知してしまう。
『朝日、必死だな』と。
さらに、『天声人語』が事件を紹介し、
論説欄が特集を組む段階になると、
ウォッチングしている側からは、
『言論キャンペーン』が丸見えになる。」

「これは、健康な事態ではない。
朝日新聞は、全社一丸のイデオロギー的
目標のために、社を挙げて邁進しているのでは
なかろうか、と、そんなふうに見えてしまう。
事実はともかく、だ。」


「事実はともかく、だ。」が心憎い。
さしあたり、ここが寛容さの箇所でしょうか。

これだけのことも、相手を前にして、
いざ、口頭で話しかけようとすると、
まず、うまくいかなかったりします(笑)。

雑誌の論調といえば、
とかく、右や左の旦那論に、
なりやすい所を、ここでは冷静に、
左右中間のグレーゾーンに手をいれ、
患部を腑分けして、見せます。
リベラルを切り口にした小田嶋隆の文
を楽しめました。



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ヘルキュス権現。

2014-05-18 | 本棚並べ
風媒社の川名澄訳「新編イソップ寓話」の
最後にある参考文献は楽しいなあ(笑)。
ということで、とりあえず、
そこにある2冊を注文する。

新潮古典文学アルバム「お伽草子伊曾保物語」
を若葉書店(名古屋市熱田区六番)に注文。
450円+送料164円=614円

平凡社東洋文庫693「通俗伊蘇普物語」渡部温訳
を古書リブロニワース(東京都世田谷区赤堤)に注文。
1900円+送料300円=2200円
こちらは、先払いでした。

さてっと、東洋文庫から
「ヘルキュス権現と車引きの話」の全文引用。


或農夫馬に車を引かせ。ぬかる小路にかかりけるに。
車輪粘土の深みへめりこみ。馬いささかも進まれず。
そのとき男これをおし出さんと骨も折らずに。
只一心にへルキュス権現(ごんげん)を祈り。
この難儀をすくひたまへ。助け給へと願ひければ。
権現さすがに見過し給はず。たちまち天降ましまして。
『汝いたづらに我のみを頼む事なかれ。
汝まづ汝の肩を車にかけ。手をもって輪をいっさんに
押すべし。天は只自から助からんと力を尽すものを
扶(たす)くるものぞ』と。教解(きょうげ)し給ひ
けるとなり

 如何に信仰すればとて。自ら勉めざるものは。
 神仏も扶(たす)け給ふに術(みち)なし(p74)

この東洋文庫は、ところどころに絵入り、
絵も北斎漫画風ありでワクワク(笑)。

ちなみに、東洋文庫の解説は谷川恵一。
そのはじまりに、明治6年の新聞広告から
引用してあります。
そこから、

むじんざう わたなべ せんせい の
ほんやく

無尽蔵渡部先生訳 諸名家狂画入

とあります。う~ん。狂画(笑)。
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あえてあれこれ。

2014-05-17 | 本棚並べ
外山滋比古著「日本語の作法」(新潮文庫)を購入(笑)。
ゆったりとした活字なので、読みやすい。

パラリとひらけば、
こんな箇所。

「大きな国際会議などでは、はじめのあいさつ、
オープニング・アドレスが注目される。
会が成功するかどうかも、このあいさつに
かかっていると言う人さえある。
あいさつ下手の日本人は損をする。
あいさつの心は、相手を立て、たたえ、
喜んでもらうことにある。仕事をしてもらったあと、
『ご苦労さまでした』
はよくなくて、
『お疲れさまでした』
でもいけない、
と言われ途方にくれた人が少なくないが、
相手を見下すようなところがあって、
あいさつの心に欠けるのである。」(p104~105)

はい。私も途方にくれる人のひとり(笑)。
あとがきは、単行本のあとがきを、
書き改めた、文庫のためのものでした。
そこに、

「あえてあれこれ、細かいことを書いた。
読者諸賢の御参考としていくらかでも
役立てば著者としての喜びは小さくない。」

うん。これと外山滋比古さんの
「人に聞けない 大人の言葉づかい」
(中経の文庫)は、ありがたい。
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