和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

何度読み返したかなあ。

2015-05-31 | 短文紹介
雑誌「will」7月号の蒟蒻問答は
35年間産経抄を書かれた名コラムニストの
石井英夫をゲストにしての鼎談でした。

途中に、安倍首相の米議会演説の話題に
なり、そこで、この指摘がありました。


堤】 安倍のスピーチライターは谷口智彦
という人物だ。彼が原案を書き、スタッフと
安倍自身が手を入れて仕上げる。
彼は東大法学部卒、IT企業だったかな、
会社勤めのあと、『日経ビジネス』の記者に
なった。ロンドンに派遣され、なんと外国プレス
協会の会長になった。見識と英語力だね。
俺はロンドンで調べ物をした時に、
彼の世話になった。
その後、アメリカに渡り、プリンストン大学の
客員研究員やブルッキングス研究所の研究員を
兼任。数年、中国に滞在して、日本に帰ってから
内閣の外務参与になった。彼が書いた
『通貨燃ゆ』(日経ビジネス文庫)は
ホントに面白い。何度読み返したかなあ。
(P264)


という箇所があり、気になり、
古本で単行本を購入することに、
単行本の第一刷は2005年とあります。

たとえば、第五章「ユーロの宿命」には、

「ユーロに規模と範囲のメリットを持たせる
ため欠かせないと目された英国の加入が、
一向に実現しようとしない。この点は
英国内外の人々にとって、予想を裏切る
展開だった。」

とあり、この章の最後をこう
しめくくっておりました。

「歴史的にみた場合、英国が今日ほど
自己像の混乱に悩まされたことはかつて
なかったと思われる。・・・・・・
一言にしていえば、米国、欧州に挟まれ
どちらの影にも影響を受けざるを得ず、
どちらからの信頼も十全には得ることが
できない憂鬱な立場にある。そして既に
言うまでもないことながら、欧州を
中国や中国ならびにアジアと言い換えるなら、
英国が置かれた環境はそのまま近未来の日本
のものであるだろう。その意味で英国は
日本にとって何かと参照すべき対象であり
つづける。(P229)


素人にもわかりやすい言葉で、
スラスラと読め、頭にはいる。
『ホントに面白い。何度読み返したかなあ。』
という、指摘に感謝です。
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まず、語られないのだ。

2015-05-30 | 朝日新聞
テレビに飽きると、録画してある
安保保障関連法案の国会質疑を
再生して見ている。

質問の土俵が
いつも場外となるので
歯痒い感じ。
そのもどかしさを
言葉にしてくれているのが
今日の産経新聞5月30日の
古森義久氏の「緯度経度」。

「日本はそれほどに危険で
自制のない国なのか、といぶかって
しまう。日本を軍事的に威嚇し、
侵略しようとする勢力への『歯止め』
がまず語られないのだ。

集団的自衛権自体を危険視する側は
日米同盟がそもそも集団自衛である
ことは無視のようだ。
日本領土が攻撃され、日本がいくら
個別的自衛だと称しても、現実は
米国に日本との集団的自衛権を発動して
もらうのが日米同盟の抑止力そのもの
なのである。自国防衛は集団自衛に
全面的に依存しながら、その集団自衛の
概念に反対するという日本の従来の姿勢は
米側ではあまりに自己中心で他者依存と
みなされてきた。」

野党の質問は、
この土俵に乗らない。
「中国」を名指しで
語ろうとしない。
それでもって、質疑だけを追ってゆくと
日本には、さしあたっての危険はないよう
なのである。
その上での反対論。

「緯度経度」のはじめの方には
こうありました。

「『暴走』『思うがままに武力を』
『ナチスの手口』など、同法案の核心の
集団的自衛権行使容認に反対する朝日新聞の
記事の見出しは、日本が自ら他国に戦争を
仕掛けるためにこの措置を取る、
と思わせようとしているのは明らかだ。
同法案の目的を『日本を戦争をする国にする』
と断じる日本共産党の主張も日本がいかにも
侵略戦争を始めるかのような暗示がにじむ。」

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私は別れしなに。

2015-05-29 | 短文紹介
福田恆在全集第七巻(文藝春秋)に
「小林秀雄の『考へるヒント』」が載っており、
その文の次が「小林秀雄の『本居宣長』」でした。
せっかくだから、その本居宣長を読む福田恆在氏の
出だしを引用。


「・・一冊の本に纏められたのが三年前の十月である。
その直ぐ後、氏を訪ねた時、私は別れしなに、
『今度は、あの本を読み終わるまではお目に
懸りませんよ』と、半ば自分を縛る為に
さう言つたのであるが、それには同時に
過去の怠慢を詫びる気持を含めた積りであつた。
しかも、私は三年間、その時、自分に課した約束を
果たさなかつた。そして、三年前の約束通り、
私は小林氏に会はず今日まで来たのである。・・・
漸く今年(昭和55年)、夏過ぎて、私はその機を
掴んだ、予定が多少狂ひ、二三度中断したが、
正味二週間で読了した。・・・・」(p652)

この全集第七巻には年譜が載っていて
昭和55年(1980)は福田恆在氏69歳。

では、
福田氏が引用する小林秀雄著「本居宣長」の
一部を、ここに紹介。


「宣長は、生活の表現としての言語を言ふより、
むしろ、言語活動と呼ばれる生活を、端的に指す
のである。談話を交してゐる当人達にとつては、
解り切つた事だが、語のうちに含まれて変らぬ、
その意味などといふものはありはしないので、
語り手の語りやう、聞き手の聞きやうで、
語の意味は変化して止まないであらう。(中略)
互に『語』といふ『わざ』を行ふ私達の談話が
生きてゐるのは、語の『いひざま、いきほひ』
による、と宣長は言ふ。その全く個人的な語感を、
互に交換し合ひ、即座に翻訳し合ふといふ
離れ業を、われ知らず楽しんでゐるのが、
私達の尋常な談話であらう。さういふ事に
なつてゐると言ふのも、国語といふ巨きな原文の、
巨きな意味構造が、私達の心を養つて来たからで
あらう。養はれて、私達は、暗黙のうちに、相互の
合意や信頼に達してゐるからであらう。宣長は、
其處に、『言霊』の働きと呼んでいいものを、
直かに感じ取つてゐた。(二百七十三頁)」
(p660)

というような引用を随所にしていって
「小林秀雄の『本居宣長』」は15頁。
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筆を動かしてみないと。

2015-05-28 | 本棚並べ
小林秀雄の短文「青年と老年」が
思い浮かんだので、出してきた「考へるヒント」。
昭和54年の小林秀雄全集第12巻「考へるヒント」の
解説は福田恆存でした。
ということで、その解説を読む。
というか、その解説で引用されていた箇所を
あらためて引用してみる。

それは「考へるヒント」にある
「學問」と題した文のはじまりでした。


「私の書くものは随筆で、
文字通り筆に随ふまでの事で、
物を書く前に、計画的に考へてみるといふ事を、
私は、殆どした事がない。
筆を動かしてみないと、
考へは浮ばぬし、進展もしない。
いづれ、深く私の素質に基くものらしく、
どう変へやうもない。」


う~ん。
現在のワープロの打ち込みは
筆を動かすのと、どうちがうのか?
なんてことを考えます。
さしあたり、
ワープロの打ち込みの文は
対談を文章におこしたようなものでしょうか(笑)。

ついでに
「批評」という文のはじまりは

「私は、長年、批評文を書いて来たが、
批評とは何かといふ事について、あまり
頭脳を労した事はないやうに思ふ。
これは、小説家が小説を、
詩人が詩を定義する必要を別段感じて
ゐないのと一般であらう。
文学者といふものは、皆、やりたい仕事を、
まづ実地にやるのである。私も、
批評といふものが書きたくて書き始めたのではない。
書きたいものを書きたいやうに書いたら、
それが世間で普通批評と呼ばれるものになつた。
それをあきもせず繰返して来た。・・・」

う~ん。久しぶりの小林秀雄。
以前も、分かったような分からなさだった。
今度再読したら、やはり分かったような
分からなさになりそうで。それでも
その分からなさの、分量が分かるかもしれない、
という再読への期待。
それを楽しめることを期待して、まずは
読まないだろうけど、本棚に並べてみる。
というか、本棚並べなら簡単(笑)。
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もしもーし、岡です。

2015-05-27 | 短文紹介
雑誌で
新潮45・6月号とWILL・7月号とを
並べて読んでると、
あれあれ、
新潮45では小田嶋隆。
WILLでは岡康道。
同じ事故をとりあげてる。
ここでは、岡の文の書き出し。

「友人のコラムニスト、小田嶋隆が
膝の骨を粉々に折って入院した。
雨が降り出した時に、自転車で
九段下あたりの石畳の坂道を順調に
軽やかに下っていたところ、間もなく
『赤』を示す信号機が目に入ってきた。
ゆっくりブレーキをかけたつもりだが、
現実は前輪だけが見事に止まり、
後輪は時計と反対周りに輪を描いて
スリップし始めた。その際に左足を
地面に着いた。左足を軸に、
回転運動を制御しようとした。
・・・・・しっかりと。左足はグリップされ、
またがっている自転車は回転を続ける。
結果、左足は思い切りねじれた。
左足靭帯は複数断裂、
左膝下の骨は複雑骨折、
半月板は粉々。
その一部始終を目撃していたのは老夫婦で、
『救急車をお呼びしましょうか?』と
傘を差しながら転倒した小田嶋隆に尋ねた。
『ぜひ、お願いします』と答えたというから、
あいつは気絶してはいなかったということだ。
まさにその時、その瞬間に、
小田嶋隆のポケットのなか、
つまりいまは寝転んでいるジーンズの後ろ
ポケットで、半ば押し潰されそうな携帯が鳴る。
『もしもーし、岡です。
今晩、マージャンやらない?』
即座に、怒鳴るように小田嶋は答えた。
『ダメ、絶対ダメ!』・・・」
(p158)


最近、
中学校の同窓生が
(中学では柔道、
 高校ではサッカー)、
自転車転倒で指の怪我。

今日は、今日で、
前の道路で、
人を避けようとしたのか、バイクが転倒。
さいわい怪我はなさそうで、
少し休んで、そのバイクで
運転して行きました。
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持ち出し書評。

2015-05-26 | 書評欄拝見
雑誌「WILL」7月号の
蒟蒻問答のなかで書評が
語られている箇所がありました。


石井】 堤さんとは『WILL』の書評欄が
隣り同士、取り上げる本が何度かバッティング
して驚いたことがありましたね。

堤】 たとえば朝日新聞なんか月に一度、
評者が集まり、大きなテーブルの上にごそっと
並んだ本から三冊を選んで、その一冊を書評する。
こちら『WILL』じゃ、編集部は全部こっちら任せ
で、本屋に出かけて何冊か買わなきゃならない。
だから面白い本がダブることがあるんですよね。
自由だけどカネがかかる。稿料より持ち出しだ(笑)。

石井】実は、今月は永栄潔の
『ブンヤ暮らし三十六年』を取り上げる
つもりだったんです。「もう決めてあるからラク
だな」と思っていたら、先月号で編集長インタビュー
が載っちゃったもんで困っちゃった(笑)。・・・

堤】俺も永栄の本は読んだ。
面白かったけど、何だかいけすかないヤツだ
なぁと思った。

編集部】そんなことないですよ。
朝日のなかでは官僚臭のない、いい人です。

堤】お主は人生経験が浅いから、
奴(やつこ)さんの本質が見えてないんだよ(笑)。

石井】・・・いつもこんなふうに対談しているの?

久保】闇鍋と同じで、とるまで何が出てくるか
わからない(笑)。



うん。うん。
朝日新聞の書評欄は、たとえていえば、
網でまとめて魚をとる感じで、
WILLの一本釣りとは、どうしても
本の鮮度が違うなあ。

堤さんの言うところの
「稿料よりも持ち出しだ」
というのがいいですね。
一本釣りの手ごたえが感じられ、
本への姿勢からして違います。
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見ました。よかったね。

2015-05-25 | 道しるべ
雑誌「WILL」7月号を読めてよかった。

どこから引用しましょう。
まずは、蒟蒻問答。普段は二人対談。
今回はめずらしく鼎談で、
特別ゲストは石井英夫さん。
最初は自己紹介。

石井】・・糖尿病でインシュリン打ちながら・

堤】 俺は石井さんを日本一のコラムニスト
だと思っていて、産経抄をやめると聞いた時、
当時の住田社長宛てに手紙を出した。・・・


という感じではじまり、中頃に


堤】 石井さん、安倍の米議会演説は
   御覧になりましたか?

石井】 見ました。よかったね。

堤】 俺は目頭が熱くなった。



編集部】 久保さんは?

久保】 ヘタクソな英語だな、と(笑)。
でも、『安倍演説を聞いて泣かざるは男に非ず』
と堤さんが言いたい気持ちはよくわかりますよ。
だいたい、戦後の日本人には『人生意気に感ず』
って気持ちがほとんど失せてますからね。・・

さて、久保氏が福沢諭吉の『脱亜論』を
語る箇所がありますから、そこから少しだけ引用。


久保】 ・・・一方、福澤の場合も当初は
『日本の独立確保のためには・・・亜細亜東方の
保護は我責任なりと覚悟すべきものなり』と
アジア連帯に傾向していたけど、ついに韓国や
清国のバカさ加減に業を煮やして、明治18年
3月18日の時事新報紙上に『脱亜論』と題する
小論文を発表したのです。
『我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの
猶予ある可(べか)らず、寧ろ其伍を脱して
西洋の文明国と進退を共にし、其支那朝鮮に
接する法も隣国なるが故にとて特別の解釈に
及ばず、正に西洋人が之に接する風に従て
処分す可(べ)きのみ』
この福澤の論調は、日清戦争に臨んだ
外相・陸奥宗光や、陸奥の弟子で日露戦争に
臨んだ小村寿太郎外相によって一層磨きを
かけられ、アジア主義に対する新英米外交
路線へと結実、ともに大成果をもたらす
ことになります。
しかし結局、戦前の大勢はアジア主義に傾き、
あのような悲惨な結果となった。・・・
(p266)


7月号は、この演説の話題でもちきり(笑)。
ここほれワンワン状態で、しかも
一冊のあちこちで、語られており、
それを探して読むことの幸せ。

たとえば、中西輝政氏の文は
こうはじまります。

「いわゆる『戦後七十年問題』は、
これで大きな峠を越えた。4月29日、
ワシントンの米議会上下両院合同会議での
安倍晋三首相の演説の生中継を見て、
強くそう感じた。
内外の多くのメディアも『大成功』と
評したが、実際、この演説は掛け値なしに
『歴史的な成功』と言ってよい。・・・
『ワシントン演説』は、今後、長く歴史に
残るものとして、多くの歴史家が繰り返し
論じることになろう。・・・」
(p56)


引用しなくちゃならないエピソードは満載
なので、雑誌を読まれることをお薦めして
ここでは最後に
金美齢氏の文からも引用しなきゃ。

「今度の安倍総理の演説は、教科書に
載せるべき内容です。学生たちにとって、
平易な文章でありながら日米関係の戦前、
戦後の関係性がよく分かり、同盟関係の
重要さを理解できる。
アメリカでは歴史やその他の授業で、
偉人や政治家のスピーチを学んでいます。
日本も国際人材の育成を考えるのであれば、
英語でどのようなスピーチをどのような
姿勢で行うことが求められるのか、
学んだほうがいい。
安倍総理の演説は、日本の未来を担う
若者たちの教材にうってつけではないでしょうか。」
(p39)


うん。元気がでてくるWILL7月号。
古新聞で講演全文を読み直し、
録画した演説の様子を見直すことに。
この講演の貴重さを教えてくれたのは、
他ならぬ、この雑誌のおかげです。
情報の流れは絶えずして、しかも
貴重な情報も、すぐに流れ去ります。
WILLを読む楽しみここにあり(笑)。

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毎日、毎日思い切ってやるだけ。

2015-05-24 | 書評欄拝見
千秋楽は照ノ富士優勝。
照ノ富士・日馬富士と
それぞれの取組がよかったなあ。
何よりも、その顔がよかった。

ところで、私は
稀勢の里のファン。
今日の新聞には、14日の取組での
白鵬をやぶった稀勢の里
そのコメントが紹介されていました。
「毎日、毎日思い切ってやるだけ」。

今日は日曜日です。新聞の書評欄。
その書評がたのしめました。

毎日新聞の今週の本棚に
川本三郎評による
平山周吉著「戦争画リターンズ」
(芸術新聞社2808円)

「藤田嗣治の戦争画『アッツ島玉砕』は、
戦場の悲惨を描いて鬼気迫るものがある。
・・・藤田嗣治はこの壮絶な戦いを絵にした。
毎日、十三時間、二十二日にわたり、
面会謝絶で描き続けた。自分が描いた絵が
動き出してきそうで『自分が自分の絵が
恐ろしくなり、線香を焚き、花をそなえて
描きつづけた。
著者は、当時、完成したこの絵を見た人々の
感想を書いてゆく。学生だった山田風太郎は
日記に『薄暗い凄荘感』に襲われたと記す。
やがて兵隊にとられる新藤兼人はのち回想記で、
絵の中の兵隊がじっと自分を見ているようで
『戦争への恐怖に私は身ぶるいした』と書いた。
決して戦意高揚の絵ではなかった。・・・」


著者の平山周吉といえば、
「新潮45」6月号の対談「知の獣道」で
片山杜秀氏と対談しておりました。
そういえば、お二人とも慶応義塾大卒。
その対談の中に、「古本女子」として
黒岩比佐子さんが登場しておりました。

平山】 男の世界だったけど、最近は女性が
目立つようになった。『古本女子』の先駆者
といえば、亡くなられた黒岩比佐子さんですね。
古本市に通う数少ない女性でしたけど・・・
いつも黒ずくめでした。・・・・・

片山】 いつもリュックサックで、
本を背負って帰る姿を覚えています。(p192)



産経新聞の書評欄には
フリーライターの山中伊知郎さんが
萩本欽一著「ばんざい またね」
(ポプラ社1300円+税)をとりあげてます。

はじまりは
「『欽ちゃん』は、異常にクドい。
それを知ったのは十数年も前・・・」


「さすがに70歳を超えて、少しは『薄く』
なっているかと思いきや、この本を読む限り
まだまだクドさは超人的だ。たとえば
『テレビを見て笑うのは年一回くらい』と
言い切る『欽ちゃん』。最近笑ったのは、
NHKのEテレで流れた、サルの実験ビデオだった
という。もらえるはずの餌がもらえなくて
リアクションしているサルの動きがたまらなく
おかしい、とVTRを取り寄せて、若手コメディアン
向けの教材にしちゃった、という。
もうこのエピソードだけで、『笑えるものはないか』
と目を皿のように探し求め、いいとなったら
トコトン使い切る、『欽ちゃん』のクドさが
にじみ出てくる。・・・・」


書評の最後も引用しておきましょう。


「元気でクドい。
もしこのクドさが今の若者たちにあったら、
日本のテレビや、日本全体がもう少し面白い
ことになったろうに、と逆に考えさせられて
しまう一冊だ。」


この書評を読んでいたら、
小林秀雄の文が思い浮かぶ。

それは「考へるヒント」の中の
「青年と老年」でした。
その最初の箇所を引用して
今日はここまで、
慣れないノートパソコンの打ち込み
に今日はチャレンジしました(笑)


「『つまらん』と言ふのが、亡くなった正宗さん
の口癖だった。『つまらん、つまらん』と言ひながら、
何故、ああ小まめに、飽きもせず、物を読んだり、
物を見に出向いたりするのだろうといぶかる人があつた。
しかし、『つまらん』と言ふのは
『面白いものはないか』と問う事であらう。
正宗さんといふ人は、死ぬまでさう問ひつづけた人なので、
老いていよいよ『面白いもの』に関して
ぜいたくになつた人なのである。
私など、過去を顧みると、面白い事に関し、ぜいたく
を言ふ必要のなかつた若年期は、夢の間に過ぎ、
面白いものを、苦労して捜し廻らねばならなくなつて、
初めて人生が始つたやうに思ふのだが、
さて年齢を重ねてみると、やはり、次第に物事に
好奇心を失ひ、言はば貧すれば鈍すると言つた
惰性的な道を、いつの間にか行くやうだ。・・・」
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中国政府の経済統計。

2015-05-23 | 本棚並べ
注文してあった新刊
ジェイコブ・ソール著「帳簿の世界史」
(文藝春秋)が昨日午後届く。

さっそく「終章」をひらく(笑)。

「中国経済は世界の製造と金融のかなりの
パーセンテージを占めている。つまり、
世界の製造と金融のかなりの部分が、
基本的に閉ざされた社会で行われている
ということだ。エコノミスト誌は、
中国政府が発表する経済統計は
『常軌を逸した数字』で信用できない
として掲載しない。
中国は会計責任を果たさない超大国なのである。」
(p333)


「たとえばオランダでは、
会計責任は単なる職業倫理でもなければ、
一宗教集団の信条でもなく、文化のさまざまな
面に深く根を下ろしていた。オランダ人は
学校で会計を学び、職場や家庭で実践し、
信仰の一環として会計責任を教えられた。
さらに、美術作品の背景や聖書のメッセージ
からも会計の堕落に対する警告を読み取った。
政治家は会計や責任の重要性を論じ、
政府的パンフレットは監査の必要性を訴えた。
そして社会的地位の高い者は、市長から
王侯貴族の教育係にいたるまで、
会計の知識を備えていることを市民から
期待されていたし、基本的な会計責任が
共和国にとってどれほど重要かを当人も
熟知していた。」(p334)


ここに、「美術作品」という指摘があります。
この本のところどころに引用されている
絵画を見てると、私には絵画論の本をひらいている
ような楽しみがあります。

ということで、
終章の最後は、こうしめくくられておりました。

「・・・絵画作品が発する古い教訓もきっと
役に立つはずだ。たとえばヤン・プロフォースト
の『死と守銭奴』は、信仰、倫理、政治、芸術の
面から帳簿の大切さを説いている。会計が
日常生活から切り離された結果、人々の関心は
薄れ、多くを期待しなくなってしまった。
かつて社会は、財政に携わる人に対し、
会計を社会や文化の一部とみなすように求め、
帳簿に並ぶ無味乾燥な数字からでさえ、
宗教的・文学的意味を読み取っていた。
いつか必ず来る清算の日を恐れずに迎えるためには、
こうした文化的な高い意識と意志こそを
取り戻すべきである。」
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ノートパソコン届く。

2015-05-22 | 地域
昨日HPノートパソコン届く。
安くて小型なので、打ちこみに
慣れるまで時間がかかりそう(笑)。

これからは、
このノートパソコンで
ブログの更新をしてゆくことに。


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脱亜入欧。

2015-05-22 | 短文紹介
山本夏彦著「世は〆切」に
「脱亜入欧」と題する文があり、
そのはじまりは、

「私は『脱亜入欧』という言葉が嫌いで、
すべての間違いはこれから生じたと
思っている。福沢諭吉の言葉だそうだ。」


うん。一刀両断。
その切り口は、本文でわかりますが、
終始、実際の中国や朝鮮を見ずに、
ラテン語とか、漢文の古典からの
発想でした。

うん。ここから、そのままになっていた、
伊藤正雄氏の著作へとつながってける。
そして、福澤諭吉を読めるかもしれない。
本の循環をありがたく思います(笑)。

さてっと、仕切り直しで
伊藤正雄の本をひらくことにします。

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心性の宝庫みたいな。

2015-05-21 | 詩歌
山村修著「花のほかには松ばかり
謡曲を読む愉しみ」(檜書店)の
あとがきは、

「一日に一曲は謡曲を読んでいます。
・・それが一日のうちで、私にとって
きらきら光る愉しみの時間です。
・・・すぐれた謡曲には、かならず
人間の本質に迫るものがふくまれている。
胸の芯を打ってくる真情があるかと思えば、
青空へと抜けるようなユーモアもあります。
昂揚があり、鎮静がある。おどろきがあり、
なぐさめがある。謡曲はさながら人間の
心性の宝庫みたいなものです。
そのことを書きたくて、
私はこの本をつくりました。」


わからないながらも、
なんとも、気になるあとがきです。

そこで、有朋堂文庫(大正三年)の
謡曲集上を、とりあえず、読みおえる。
さてっと、これから
謡曲集下へと、すすみます(笑)。 
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珊瑚三話。

2015-05-21 | 朝日新聞
珊瑚(サンゴ)の三題噺。

産経新聞5月20日
湯浅博「世界読解」を
読んでいたら珊瑚が出てくる。
そこいらを引用。


「オバマ政権が寛容さを示せば、
挑戦国はそれが弱さの証明であると
考える。中国からみて・・・
オバマ政権の『アジア回帰』が口先だけ
とみるや、南シナ海の7つの岩礁をひそかに
埋め立てた。この動きを衛星写真が察知した。
国防総省が8日に発表した中国の軍事力に
関する年次報告書によれば、埋め立て面積は
昨年12月以来、4カ月の間に4倍にまで拡大
していることが明らかになった。しかも、
驚くべきことにサンゴ礁をダイナマイトで
一気に破壊していた。
埋め立てによって長大な滑走路がつくられ、
南シナ海の全域が中国空軍の活動範囲になる。
東シナ海と同じように中国の防空識別圏が
設定されれば、海空の航行の自由が侵される。
・・・・」

産経新聞5月19日一面には
「サンゴ採取跡 漁具投棄」
「小笠原海底、水産庁が確認」
という見出し。
記事の始まりは

「中国漁船による小笠原諸島周辺での
サンゴ密漁問題で、水産庁が3月に初の
海底調査を実施したところ、サンゴが
広範囲にわたって採取された跡や、漁具
が大量に投棄されている様子が確認できた
ことが18日、関係者への取材で分かった。」


三題噺なら、
このあと、沖縄の基地問題とサンゴにしようか
それとも、朝日新聞の沖縄サンゴ落書き事件を
おさらいしましょうか。
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会計数字を「見る」とは。

2015-05-20 | 書評欄拝見
「新潮45」6月号の書評欄。
そこで、佐久間文子さんが
「帳簿の世界史」(文藝春秋)を
俎上に載せておられました。

そういえば、毎日新聞(5月17日)の
「今週の本棚」では、磯田道史さんが
この本を書評してた。と思い浮かび、
さっそく、その箇所をひろげる。

ここで引用するのは、「武士の家計簿」
で有名な磯田氏による書評の最後の箇所。


「・・もう一つの著者の心配がある。
『中国は会計責任を果たさない超大国』
で誠実な会計文化を根付かせぬまま世界
経済におけるシェアを拡大しつづけている
という。では、どうすれば、いいのか。
会計が文化の中に組み込まれていると
『おぞましい〈清算〉の日』を迎えずに
済むのだという。

本書を読んだうえで『会計とは何か』と
問われれば、私はこう答える。
会計とは計算することでも帳簿に数字を
記入することでもない。会計とは見える
ようにすること、つまり『見える化』で
ある。見ようとして歩く者には良い未来
があるが、会計をせず、わざと目をつぶ
って歩いた者はいつも崖下に落ちてきた。
だからこそ、国家や組織を統べる者、
人生にまじめな者は、執念でもって真実に
近い会計数字を見ようと努めねばならないのだ。」


ということで、私はこの本を
注文することにします(笑)。
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獣道の行き倒れたち。

2015-05-19 | 短文紹介
「新潮45」6月号の対談
片山杜秀×平山周吉。

うん。昨日につづき、
こちらも読みました。

対談の最後の2頁から引用。

片山】 古書マニアは埃と黴との
対決が運命付けられています。
自分の家の書庫に行くと、
具合が悪くなりますよ。
もう人間の生きられる場所じゃない。
(p192)

片山】・・・今ほど相場が値崩れして
いて、全集も楽々買える時代が来るとは
思ってもいませんでした。


対談の最後は、こうでした。


平山】私の師匠の田中眞澄さんは
『本読みの獣道』という本を出しています
けれど、獣道とはつまり雑本、分類不能の
本のことです。・・・ごみのような雑本の
山から情報を見つけてくるのが面白いのです。
でも、みんな山の中で遭難していますけど(笑)。


片山】獣道ですから遭難もやむなしでしょう。
我々は古本の埃と黴に悩まされ、古本市で
マニアの餓鬼道に堕ち、ついには
行き倒れるのです(笑)。
(p193)


うん。それに
広瀬洋一氏と小山力也氏の文を読めて、
この雑誌買って得した気分になりました。
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