和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

意外に、執筆者では商売にならない。

2018-09-29 | 短文紹介
雑誌「新潮45」が終わるのか。
そう思って、
手近かにある雑誌「新潮45」をもってくる。
最近の各号の特集の題名を並べてみる。

6月号・『朝日の論調ばかりが正義じゃない』

7月号・『こんな野党は邪魔なだけ』

8月号・『日本を不幸にする「朝日新聞」』

9月号・『「茶の間の正義」を疑え』

10月号・『「野党」百害』


ちなみに、終刊に追い込まれたテーマは
8月号の『「LGBT」支援の度が過ぎる』杉田水脈
そして10月号の
特別企画『そんなにおかしいか「杉田水脈」論文』


特集の題名のどこが悪い。
読みたくなるタイトルが並ぶ壮観。
もう、こんなタイトルが読めなくなる無念。

改めて思い出すのは、齋藤十一氏の
この場面でした。

「『新潮45』の第一回編集会議というべき、
創刊にあたっての初顔合わせで、編集長以下
編集スタッフ四名を自室に呼んで、
齋藤さんが放った言葉はいまも忘れられない。
昭和59年(1984年)12月28日のことである。

『他人のことを考えていては雑誌はできない。
いつも自分のことを考えている。
俺は何を欲しいか、読みたいか、
何をやりたいかだけを考える。
これをやればあの人が喜ぶ、
あれをやればあいつが気に入るとか、
そんな他人のことは考える必要がない』

『要するに、世界には学問とか芸術というものがあるし、
あったわけだね。そういうものを摂取したい自分がいる。
したいんだけど、素人だから、手に負えない。
そういうものにうまい味をつけて、誰にも読ませる
ことができるようなものにするのが編集者の役目だ』

・・・・・
実際、『新潮45』の編集会議においても、齋藤さんが、
いかにタイトルにこだわっているかを痛切に
思い知らされると同時に、雑誌記者にとって
タイトルがいかに大切か、という原則を繰り返し
叩き込まれたという思いが強い。
・・・

『誰が書くかは問題ではない。何を書くかが問題。
広告などでも執筆者の名前は小さく、タイトルは大きく』

『むつかしい人、偉い人に原稿を頼む必要はない。
自由のきく執筆者を揃えよ、ということ。
要するに、題が重要になる。
こちらでタイトルを持っていって、
その通りに書いてもらうことだ。
意外に、執筆者では商売にならない』

『羊頭狗肉が一番いけない。
これだけはやらないでくれよ。・・』

以上は、伊藤幸人「人間、いかに志高く」からの引用。
それが掲載されているのが
「編集者 齋藤十一」(冬花社)p167~172。

ちなみに、伊藤幸人氏の文の最後はというと、

「齋藤さんから教えられたのは、
単に『編集とは何か』ということではなかった、と思う。
『人間、いかに志高く生きるべきか』という根源的なテーマだった。」


はい。あらためて、6月号からの特集の題名を並べながら、
その『根源的なテーマ』を思っておりました。


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ぴちくりぴい

2018-09-28 | 詩歌
誕生六カ月の男の子と
顔を合わせていたら、
じっと見つめられてしまいました。
泣かれるかもしれません。
はい。気まずいので、何か話しかけようとする。
何を喋ったのか?
分からないようなことを話しかけていました。

ちなみに、うちのかみさんは、
椅子に座って、膝にのせ。
うたってあげていました。


   ことりのうた

ことりは とっても うたがすき
かあさん よぶのも うたでよぶ
ぴぴぴぴぴ ちちちちち
ぴちくりぴい



おかしかったのは、
最後の「ぴちくりぴい」の
箇所になると、
ふりかえって、歌い手の顔をみあげる動作をしました。

おかしかったので、
数回繰り返して歌ってもらう。
やはり、最後の行になると、
歌い手の顔を見上げる動作をするのでした。
だからといって、
うたの最後の一行だけを歌うだけではダメでした。
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現代文章の「志(こころざし)」。

2018-09-27 | 短文紹介
産経新聞の9月26日の2面にありました。
見出しは「新潮社『新潮45』休刊」。

「『新潮45』は昭和60年に創刊され、
ノンフィクションや多様なオピニオンを掲載してきた。
日本雑誌協会によると、最新の発行部数は1万6800部。
10月18日発売予定の11月号から休刊する。」

評論家で専修大の武田徹教授の話
も最後にあります。

「LGBTの議論が社会全体で盛り上がれ
ばよかったが、ある時期から
『新潮45を潰せ』という主張が目立つようになった。
これでは悪質な言論に対して
言論で対抗することができなくなる。
正義感をぶつけあっているだけで、
社会的弱者が置いてきぼりのままだ」


同日の産経新聞には、全面広告のHanada11月号。
そしてWill11月号の広告も掲載されておりました。
うん。休刊に追い込まれた「新潮45」10月号は、
そのままに再版して、休刊の元凶となった文章を
ひろく皆さんに読んでもらうという手はないものか?


文章をきちんと読まずに、
メディアの反対意見ばかり喧しいだけなのに。
肝心な雑誌を手にしていない人が多すぎる。

もう一冊「新潮45」10月号を買っておこうとしたけれど、
もう買えませんでした。
はい。持っているだけでも価値がある。
歴史に残る雑誌「新潮45」10月号。
現在の「志(こころざし)」がここにあります。
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60歳。70歳。

2018-09-26 | 道しるべ
9月24日は十五夜でしたね。
その日の午前中、お見舞いのため病院へ。
私は運転手でした。

運転手は病院の駐車場で待つことに、
それが有に一時間をこえての待ち時間。

晴天で、住宅の込み入った中にある病院のため
駐車場も周りが植え込みがそのままに垣根となっていました。
看板に周囲が住宅地ですので、エンジンは止めておいてください。
とあります。車のエンジンをとめて、
駐車スペースには、そんなに車はなかったので、
運転席と助手席のドアを開けたままにして、
そういえば、文庫本を一冊載せてあったと、
読み始めることにしました。駐車場そばは
車一台が通れるような道なので、
ときどき、自転車が通り、車が入ってきたり、
歩いて通る人もいますが、静かな時間です。
日差しがありましたが、幸いなことに風も通る。

さてっと、車にあった一冊の文庫はというと、
白洲正子・河合隼雄「縁は異なもの」(光文社知恵の森文庫)。

もちろんパラパラ摘み読みです。
最初の方に、こんな箇所がありました。

白洲】もうおしまいです。六十歳ぐらいが分岐点ですね。
型ばっかりでもうろくする人と、型を打ち破って、
急にすばらしいほうにいく人と。

河合】そういうものですか。西洋の音楽の場合でも、
日本人は型から入っていく。そして二十歳ぐらいで
コンクールに出ても、ぜんぜんおもしろくない。
型のままでやっているからね。

(p64・「能の物語・弱法師」)


うん。駐車場には日がそそぐ、
パラパラと最後の方をめくると、
こんな箇所。

白洲】お能はまず、型を真似して、
型を勉強しなければならないでしょう。
じゃあその型をものにして、そこから先、
自分というものが出てくるかというと、
それが七十歳を過ぎてから。
それも、もしかするとという程度で、
全然出ないまま終わる人のほうが多い。

河合】それはもう、ほとんど運の問題ですね。
もし出てきたら、ほんとうにありがたいことです。

(p201)
この箇所は、1997年3月号の雑誌に掲載と初出一覧にあります。
最後の対談は、

河合】こんどこの『独楽抄』ですか、お出しになりまして、
拝見したのですが・・・

こうはじまります。
「ユリイカ」1999年2月臨時増刊「総特集白洲正子」の
略年譜をひらくと1998(平成10)年88歳
「・・・『花日記』『独楽抄』刊行。12月26日死去」
とあります。

はい。「独楽(どくらく)抄」(世界文化社)を帰ってから
古本で注文することにしました。
それが今日とどく。
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岸田衿子訳「赤毛のアン」。

2018-09-24 | 古典
今日の産経新聞をひらいたら、
文化欄に安野光雅さんの写真がある。
縦見出しは「赤毛のアン110年」。

何でも
「今年6月、詩人で童話作家の岸田衿子さん(1929~2011)の訳に、
100点以上の挿絵を添えた『赤毛のアン』(朝日出版社)を刊行した
画家の安野光雅さん(92)だ。」という
新刊の紹介。

はい。検索で知ってはいたのですが、
新刊で3024円とあり、断念しておりました(笑)。

気になった箇所はここ。

「安野さんは、数種類の翻訳を読み比べたうえで、
昭和44年刊『少年少女世界文学全集』(学研)収録の
岸田(衿子)さんの訳を使用した。
岸田さんと親交があったが、アンの翻訳については
聞かされていなかったという。
『言葉にデリケートな人だったから、
ていねいで分かりやすい。今回精読して、
素晴らしい本だと感激した』(安野さん)。・・・」



ああ、そうか。これなら古本を探せば安く買えます。
ということで、さっそく注文することに。
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これまで考えられなかったことが。

2018-09-23 | 産経新聞
今日の産経新聞一面左は
古森義久氏の「あめりかノート」。

はじまりは、こうです。

「これまで考えられなかったことが
実際に考えられる状態となりました。」


この古森氏の文を読んでいたら、
思い出したのが
山岡鉄秀著「日本よ、情報戦はこう戦え!」(育鵬社)
のあとがきでした。

「今、オーストラリアで『サイレント・イノベーション
(静かなる侵略)』という本が話題になっていることを述べた。
チャールズスタート大学のクライヴ・ハミルトン教授が、
中国がいかに合法的にオーストラリアを実質的な属国にしようと
しているかを調査、告発した本である。その内容は衝撃的だ。

2008年、ハミルトン教授は、キャンベラの国会議事堂の外で、
北京五輪の聖火リレーが通過するのを待っていた。そこで、
チベットの自由を訴える小団体を、何千人もの中国人学生が
暴力で圧倒する光景を目の当たりにしたという。
だが、オーストラリア当局は何もできなかったのである。
この光景は、まさに1998年に長野県で日本人が目撃した
ものと同じであり、明らかに組織的な行為だ。それが
ハミルトン教授の心に大きな疑念を抱かせた。

そして2016年、中国共産党とつながりの深い裕福な
中国人ビジネスマンが、自由党と労働党という
オーストラリア二大政党に対する最大の献金者であった
ことが発覚した。そこで、水面下で何か大きなことが
進行していると確信したハミルトン教授が調査を始めると、
驚愕の事実が判明した。オーストラリアの政策、文化、
不動産、農業、大学、組合、そして小学校に至るまで、
すべて中国共産党の影響が及んでいたのである。
 ・・・・
オーストラリアの自由主義と多文化主義を逆手に取った、
中国による『静かな侵略』が深く進行しているのである。
2005年にオーストラリアに政治亡命した元中国シドニー
総領事館の一等書記官、陳用林氏は『オーストラリアは
中国の浸透工作が最も成功した例だ』と述べている。」
(p217~219)

さて、このあとに
今日9月23日の古森義久氏の「あめりかノート」を
引用したいのですが、
その見出しはというと「中国『統一戦線工作』明るみに」。
せめて、その後半だけでも引用させていただきます。

「・・統一戦線方式とも呼べる中国側の対米工作の特定部分が
ワシントンの半官半民のシンクタンク『ウィルソン・センター』
から9月上旬に学術研究の報告書として発表された。
米国全体の対中姿勢が激変したからこそ堂々と出たような内容だった。

『米国の主要大学は長年、中国政府工作員によって
中国に関する教育や研究の自由を侵害され、
学問の独立への深刻な脅威を受けてきた』
こんなショッキングな総括だった。
1年以上をかけたという調査は、
コロンビア、ジョージタウン、ハーバードなど
全米25の主要大学を対象としていた。・・・
結論は以下の要旨だった。

〇中国政府の意を受けた在米中国外交官や留学生は
事実上の工作員として米国の各大学に圧力をかけ、
教科の内容などを変えさせてきた。

〇各大学での中国の人権弾圧、台湾、チベット自治区、
新疆ウイグル自治区などに関する講義や研究の内容に
対してとくに圧力をかけてきた。

〇その工作は抗議、威嚇、報復、懐柔など多様で、
米側大学への中国との交流打ち切りや
個々の学者への中国入国拒否などを武器として使う。

・・・こうした工作の結果、
米国の大学や学者が中国の反発を恐れて
『自己検閲』をすることの危険をとくに強調していた。

こうした実態は実は前から知られてきた。
だがそれが公式の調査報告として集大成されて
発表されることが、これまでなら考えられなかったのだ。
・・・・・・」

う~ん。
「抗議、威嚇、報復、懐柔」という工作。
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小学五年の国語教科書。

2018-09-22 | 産経新聞
今日の産経新聞(9月22日)。
その産経抄を読んでいたら、
思い出した文があります(笑)。

ということで、急がば回れ。
その思い出した文から引用。

木下是雄著「日本語の思考法」(中公文庫)に
「言語技術教育との出会い」(p20~)という箇所。
何でも、アメリカに二年間いた同僚が帰国して、
お子さんたちがヒューストンの小学校で使っていた
国語の教科書を見せてくれた。という場面からはじまります。

「五年生用のを手にした私は、たまたま開いたページに

 ジョージ・ワシントンは米国の最も偉大な大統領であった。
 ジョージ・ワシントンは米国の初代の大統領であった。

という二つの文がならび、その下に
 
 どちらの文が事実の記述か。
 もう一つの文に述べてあるのはどんな意見か。
 事実と意見とはどう違うか。

と尋ねてあるのを見て衝撃を受けた。
そこは『事実と意見』という単元のページで、
そのページのわきには、

 事実は証拠をあげて裏づけすることのできるものである。
 意見というのは何事かについてある人が下す判断である。
 ほかの人はその判断に同意するかもしれないし、
 同意しないかもしれない。

という二つの注が、それぞれ枠囲みに入れて印刷してあった。
『私が衝撃を受けた』のは、一つには、
日本人の論文では事実と意見の混同が跡を絶たないのに、
他の国ではまずその例を見ないという差は、おそらく
こどもの時からの教育がちがうせい―――と悟ったためである。

もう一つの衝撃は、上記の注が
『ほかの人はその判断に同意するかもしれないし、
 同意しないかもしれない』と言い切っていることによる。
これは、こどもに向かって
『ワシントンがえらい大統領だったかどうかは
 お前が判断することだよ』
と宣言しているにほかならないではないか!・・・」



さてっと、ここで、今日の産経抄の登場です。
小学五年生の国語の教科書の日本の応用問題、
として見ると理解がはかどります(笑)。
以下にプツプツと拾って引用。

「安倍晋三首相が石破茂元幹事長に勝利した
自民党総裁選」をとりあげたコラムです。

「553票対254票と、安倍首相に
約300票差をつけられた石破氏について」

「マスコミ報道では『善戦』という表現が強調されていた」


「確かによく戦ったとはいえようが、
『国会議員票、党員票とも善戦』(21日付毎日新聞朝刊)
とまで書くのはどうか。国会議員票の8割強が安倍首相に
回ったのに無理があろう。
かと思うと、読売新聞は『安倍首相の圧勝で終わった』と
記し、石破氏に関しては『健闘』の表記で統一していた。」

コラムの最後はというと、

「21日付朝日新聞朝刊は
1面で『「圧勝」できず政権運営に影』、
2面で『首相 崩れた「圧勝」』と見出しを付けていた。
だが、安倍首相は全体で7割弱の票を確保したのだから、
読売のように圧勝だと認める方が率直な見方だろう。」


う~ん。
どうしても、小学五年生の国語の授業が
頭の中に浮かんできます。
それでは、小学五年生に聞きます。この産経抄で、
示された各新聞の「事実と意見とはどう違うか?」

示された毎日・読売・朝日の3新聞のうち、あなたが
「同意しないかもしれない」新聞はどれとどれか?

ちなみに、
木下是雄氏の引用した文「言語技術教育に取り組む」は、
1995年12月に発表されたと、最後にありました。





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垂れ流し報道の雛形。

2018-09-21 | 地域
「インターネットがなく、高性能の録画機能もなかった昔は、
テレビ報道の垂れ流しに異議を唱えることは難しかった。
ところが今は、テレビ報道の間違いや、報道されなかった事実も、
ネットの力で即座に把握できる時代だ。・・・」(p198)

これは山岡鉄秀著「日本よ、もう謝るな!」に出てきます。

はい。「新潮45」10月号にその例が読めます。

ということで、「新潮45」の
特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」
もとは、新潮45に掲載された杉田水脈さんの文に
バッシングが起こったのが、きっかけの特別企画。

潮匡人氏による文の題は
「『凶悪殺人犯』扱いしたNHKの『人格攻撃』」。
こうはじまります。

「平日の午後九時から午後十時まで生放送されている
NHK『ニュースウォッチ9』。番組のキャスターは
ご存知、有馬嘉男と桑子真帆。」(p110)

はい、ていねいに引用してゆきます。

「去る八月三日放送で特集した杉田水脈衆議院議員への
バッシングは目に余った。非難の的は『新潮45』8月号に
掲載された杉田代議士の寄稿文。そのごく一部を切り取り、
一面的かつ独善的に報じながら、
「難病患者支援団体の女性事務局長』に、こう語らせた。

『杉田議員の文章を読んで、真っ先にひらめいたのは
(相模原障害者殺傷事件の)植松(被告人)と根っ子は
一緒だ(以下略)』

番組はそう大書したテロップも掲げた。
その前後を含め、
『ヒトラーの優生思想』と同根と断じながら、
『反発』が広がっている等々、約十分間にわたり
非難一色の『報道』を続けた。・・・
わが国の犯罪史上でも稀な重大凶悪殺人と同視し、
同根と断じたわけである。
最後に両キャスターがこう総括した。

桑子『浅はかとも言える言葉に、反発や嫌悪感を
   覚えた人は少なくないのではないでしょうか』

有馬『人ひとりの価値を数字ではかるような考え方、
   受け入れることはできません』

二人の総括こそ『浅はか』に過ぎよう。
これではNHKら多数派が(杉田議員ら)少数派(マイノリティ)を
差別している構図ではないか。
私は杉田議員ではなく、NHKに強い反発と嫌悪感を覚えた。

・・たとえ反発や嫌悪感を覚える人が少なくない
『浅はか』な言葉であろうと、表現の自由は最大限
保障されなければならない。それを公共放送たる
NHKがすすんで踏みにじるなど、決して許されない。
NHKこそ尊重すべき多様性を自ら蹂躙している。

そもそも杉田議員の寄稿文は
『人ひとりの価値を数字ではかるような考え方』
なのであろうか。少なくとも
『人ひとりの価値を数字ではかる考え方』とは断定できない。
だからNHKも『ような考え方』と逃げた。
同様に『浅はか』と断定せず『とも言える』と予防線を張った。
さすがNHK、なかなか狡猾だ。

・・・だとしても、公共放送がプライム枠の看板報道番組で
全放送時間の六分の一を費やし、これほど非難誹謗すべき
過失ではあるまい。
ここまで徹底的に叩くのは病的にさえ見える。
・・・・」(p111)

うん。あとは、今発売の『新潮45』10月号の特別企画を
読んでみられることをおすすめします。

さてっと、最初に引用した
山岡鉄秀著「日本よ、もう謝るな!」に
杉田水脈(みお)氏の名前が登場しております(p230)
こちらも、そこの箇所だけでも読んでみることを
おすすめしたくなるのでした。

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訳語のありきたりな印象操作。

2018-09-20 | 短文紹介
山岡鉄秀氏の本2冊を読んでいる。
たとえば「日本よ、もう謝るな!」(飛鳥新社)の
最後の10章は、こうはじまっておりました。

「2017年に入っても、国連の攻撃が止まらない。
より正しく言えば、国連を利用した活動家やNPOの攻撃が
激しくなっている。このことは取りも直さず、
国連という機関が、日本人が夢想するような
公正中正の正義の機関などではなく、
特定の思想を持つ人々に容易に利用されてしまう、
工作機関の堕しているという現実を如実に示している。」
(p212)

つぎも引用してみます。

「2017年5月、国連の看板を担ぐ委員会や特別報告者
という名の専門家から、日本政府に対して次々と
横槍が入って日本国民を驚かせた。

拷問禁止委員会『日韓合意を見直せ!』
ジョセフ・ケタナタ『テロ等準備罪法案は欠陥法案だ!』
デビッド・ケイ『日本の表現の自由は危機に瀕している!』

これらはすべて、『専門家による提言(リコメンデーション)』
に過ぎないのだが、日本のメディアが『勧告』と訳すものだから、
まるで国連という権威ある国際組織から命令されたような
印象を受けてしまう。

・・・誤訳とまでは言えないが、誤解を招くので、
私は『勧告』から『提言』に訳を変更することを提言する。」
(~p213)

そういえば、
松岡正剛著「本から本へ」(角川ソフィア文庫)に
こんな箇所がありました。

「徂徠はまた『訳社』をつくって、
漢語翻訳のグループワークをすることを奨励した。
・・・そこに会員が加わって
『俗をもって雅を乱すを許さざるなり』という方針を貫いた。
ぼくも同時通訳グループ(・・木幡和枝代表)を十年近く
預かったことがあるのでよくわかるのだが、
翻訳や通訳は水準が高くなければ意義がない。
よほど注意をしていないと、すぐにありきたりになる。
それでは『俗をもって雅を乱す』ことになる。
日本のような国語が特別な国では、
ここをどう踏んばるかがしごく重要なのだ。」
(p252)



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「昔から一度は」

2018-09-18 | 短文紹介
18日は、新潮45の発売日。
たまたま行った先に、朝日新聞が置いてあり、
ひらいて、雑誌広告を探すのですが、
週刊朝日の雑誌広告が大きく目をひくくらいで、
新潮45の雑誌広告はなし。

残念ですね。
朝日新聞購読者には、新潮45の目次が読めない。
せっかくなので、表紙の活字だけでも引用。

特集は「『野党』百害」。
うん。朝日新聞では、声欄でも
注意深く排除されるテーマです。

「緒言」とあります。
その題は「なぜまともな野党がいないのか」。

特別企画は、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」。

うん。目次だけ読んでいてもワクワクします(笑)。
よし。マスコミへのツッコミ具合がいいですね。

雑誌の最後をめくると
佐伯啓思氏の連載でした。
そのはじまりを引用。

「昔から一度は、
道元を読んでみたいと思っていた。
実は、以前に『現成公案』や『有時』など
『正法眼蔵』のよく知られた部分を読んでは
みたものの、まったく歯が立たず、そのままに
なっていたのだが、最近またいくつかの巻を読んでみた。

とても理解できたとはいえないにしても、
かなり面白いと思った。
全巻読んだというわけでもなく、
精読というわけでもなく、
ほとんどつまみ食い(つまり読み)状態なので、
理解も何もないものだが、
なるほどと思たことも事実である。
・・・・」(p294)


はい(笑)。
私はここまでで十分。
あとの講釈は、読まなくてもいいや。


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本の取扱い説明書。

2018-09-17 | 前書・後書。
松岡正剛著「本から本へ」(角川ソフィア文庫)の
副題は「千夜千冊エディション」。

この本の最後は、
「追伸 本は交際である」と題されていました。
あとがきのことですね。
その追伸のはじまりは

「本には何でも入る。
オリエント文化もバッハの楽譜も信長の生涯も入るし、
ピーターパンの冒険もハイデガーの哲学もシダ植物の生態も入る。
物語も日記も政策も犯罪も、必ずや本によって形をなし、
本として世の中にデリバリーされてきた。
・・・・56歳のとき、その体験の一部を互いに連鎖する
感想録のように綴って『千夜千冊』としてウェブに公開することにした。
書評ではない。その本との『めぐりあい』の事情と
『印象』と『言わずもがな』を綴った。
不倫はがまんした。一人の著者とは一度だけの付き合いとしたのである。」

ふ~ん。「本は何でも入る」というのであれば、
「ブログには何でも入る書ける」となるのかなあ。
それなら、お気軽にブログ更新が可能ですね(笑)。

追伸のさいごの方には、こうもあります。

「本とは、人類の歴史文化のなかで最高無二の
知的情報体となってきた柔らかいパッケージである。
この連中とはひたすら交際するのが一番だ。
ぼくはそのための取説(とりせつ・取扱い説明書)
を綴ってみたかった。・・・・」


はい。追伸から読み始める文庫本もある。
ちなみに、この文庫のはじまりに
「前口上」という1ページ5行の文がありました。
その最後の3行を引用。

「本は出し惜しみをしない。本は手持ちを曝してくれる。
ぼくは、本から貰った衣裳と道具と言葉づかいとスタイルで
その本に暗示された遊びに熱中すればいいだけだ。」
コメント (2)
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古い絵。

2018-09-16 | 詩歌
「立ちどまってはいけません」
などと言われると、天邪鬼(あまのじゃく)な私は、
かえって「立ちどまって」しまいます。

というわけでもないのですが、
ここ数日、ブログの更新をしておりませんでした(笑)。

その間に、岸田衿子の絵本を注文。
現在2冊届く。まず届いたのは
「かばくんのふね」という絵本。
「かばくん」という絵本は知っていましたが、
その続編のようです。
絵は「かばくん」と同じで中谷千代子さん。
うん。絵がいいなあ。
ここには、岸田衿子さんの文も紹介。

  どうぶつえんに あめがふる
  こまかい こまかい あめがふる
  ぽとん ぽと ぽと ぽと
   ぽと ぽと ぽと ぽと
  どうぶつえんに あめがふる

  あめの すきな かばくん
  あめの だいすきな かばのこ



中谷千代子さんの絵がステキなのですが、
ここでは、岸田衿子さんの詩を引用しておわります



   古い絵   岸田衿子

  木の実の重たさをしるまえに
  話をはじめてはいけません

  実のそとを すべる陽
  実のなかに やどる夜

  人の言葉の散りやすさ
  へびと風との逃げやすさ

  手のひらに
  うす黄いろい実をおとすのは

  あの枝ですか
  神の杖ですか

  かすかな音をきくまえに
  話をはじめてはいけません


う~ん。この詩を読んでいると、私は、
岸田衿子の詩の万有引力に引き寄せられ、
つい、ブログの更新をしたくなくなる(笑)

「かすかな音」を聞いた後には、
はたして
能弁な話が続くのでしょうか?






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立ちどまってはいけません。

2018-09-11 | 詩歌
古本で
岸田衿子詩集「ソナチネの木」が
送料ともで、380円。はい。買いました。
それが届く。

青土社の詩集。
絵は安野光雅。1981年。

絵柄が茶色っぽいためか、
古本のくすみかどうか、
シミと絵柄との見分けがつかない。
うん。ひょっとすると、それを意識しての
配色だったのかなあ(笑)。
とすると、今が読み頃。

以前に
新刊で、岸田衿子詩集「あかるい日の歌」を
買ったのですが、こちらは表紙カバーもなくなり、
手垢にまみれて、臭うようになっております(笑)。
これも絵は安野光雅でした。

「ソナチネの木」をはじめて手にとりました。
こちらの詩集の方が、絵が凝っておりました(笑)。

ということで、詩を引用。

 一ぽんの木は
 ねむっているわたし
 幹は夜を吸いこんで
 梢は夢のかたちにひらく

   *


 まぶしい花火の終ったあとで
 あの人は一本の
 線香花火を とり出す
 忘れものを 思い出すために


   *

 小さい波は 語りかけるように
 わたしを とりかこむ
 大きい波は わたしから
 なにもかも うばってゆく

   *


 雪の林の奥では
 立ちどまってはいけません
 歩いていないと
 木に吸いこまれてしまうから




はい。ほぼ20年ほど前。
小学校のPTA役員をおおせつかっておりました(笑)。
部外者として立ち寄る小学校は、
私には言葉の咲きわう場所に思えました。
校長先生は、校長だよりを書いており。
各学級では、学級だよりを書いてます。
町の違う小学校にも、立ち寄らせてもらうと、
隣の小学校低学年の先生は、毎日学級だよりを
父兄に書いて配布されているのでした。

大抵の場合、そんな便りは、
最初に、わかりやすい詩が引用されていて、
あとに、便りの本題が語られていました。

うん。その詩を読むだけでも楽しかったなあ。
これを低学年の児童は、読んでいるのだろうかと思ったりして。

そうだ。思い出した。その学級では、
詩を朗読していて、家でも親の前で朗読する。
どれくらいの数が朗読で、暗唱できるかを
丁寧に、しかも楽々と試みておりました。
そんな話を、放課後の教室で、担任の先生から聞いていると、
私は、まるで別世界に紛れ込んだような気分でおりました。



それはそうと、
田村隆一の詩集「誤解」のなかに、
こんな詩があります。

   命令形    田村隆一

 ゆき 
 ゆき 
 もつと ふりなさい

 狐のような女の詩人が歌いながら
 ぼくの夜の森から出て行つたが
 この歌の命令形が好きだ

 ・・・・・・
 ・・・・・・

 人は人に命令できない
 命令形が生きるのは
 雪

 そして詩の構造の光りと闇の
 谷間にひびく
 人間の言葉


この詩には、最後に注がありました。
注によりますと、詩の最初の3行は
『岸田衿子の童謡から。』とあります。

う~ん。どの童謡にあるのか?
いまだに、知りません。


注】学級便りには
岸田衿子や田村隆一の詩は、出て来ませんでした。
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個人の力に負う部分。

2018-09-10 | 道しるべ
「Voice」10月号届く。
谷口智彦氏の文の掲載箇所をまずひらく。
題して「『希望の総理』安倍晋三の真髄」。

外交面についてを引用。

「安倍総理はトランプ大統領と初めて会った際、
『アメリカのメディアがどんなにあなたを悪しざまに
いおうが、私は自分の目であなたという人物を見に来た』と、
全身で伝えたのだと思います。」(p49)

「北朝鮮の行動はアメリカ、中国、ロシアという大国の
動きによってほぼ規定されます。」

こんな箇所はどうでしょう。

「昨年五月三日、安倍総理は自民党の総裁として、
憲法九条に第三項を加えて自衛隊の存在を明記する
加憲案を提案しました。

それに対して中国の反応は、今日に至るも、
習近平国家主席、李克強首相、大毅外相の
いずれも黙ったままです。
やれ『軍国化』しようとしているとか、
盛んな批判を浴びせるかと思いきや、沈黙です。

思うにこの『反応の不在』は、
安倍総理の強さにかんがみて、
いま揺さぶりをかけても中国として得られる得点は
さしてないとみたからかもしれません。

アメリカとの関係も強固で、
今後の日中関係について一定の見通しが立っている。
けれど安倍総理の力が弱くなれば、中国は一転、
日本に対して高圧的態度に出てくるはずではないか。」
(p49)


ちなみに、この谷口氏の雑誌の文のはじまりには

「政権というもの、株式会社と違って、
現政権を否定する人へとトップが交代したら、
その時点で一度『自己資本』がご破算になる
性質のものだからです。・・・・
いまの日本には、安倍総理が積んだレンガを崩し、
一から新しい政治・外交・経済政策を
やり直す余裕はありません。・・・・」(p46~)

どういうわけか、直木賞というのも出て来ます。

「直木賞を受賞した朝井リョウさんの小説『何者』には、
現代を生きる若者の葛藤がリアルに描かれています。
大学四年生の主人公たちは、就職活動に対する不安から
疑心暗鬼に陥り、友情にも亀裂が入ってしまう。
この本は第二次安倍政権発足直前の2012年11月に発刊されましたが、
まさに日本の、あのころの空気を象徴しています。
当時の大学生にとって社会に出ることは、
まるで暴風雨のなかに飛び込んでいくような
ことだったではないでしょうか。・・・」


谷口氏の単行本を読んだせいか、
つい、雑誌の文も気になります(笑)。
そうそう、「個人の力に負う部分が少なくない」
という言葉もありました。

「外交面では、トップが安倍総理だからこそ
うまくいっている部分が多くあります。
たとえば21世紀の大国であるアメリカのトランプ大統領、
中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領との関係。
これらを見ると、安倍晋三という個人の力に負う部分が
少なくない。
先ほど述べたように、いま日本の総理が代わったら、
日本外交における『資本蓄積』がすべてご破算になってしまいます。
・・・」(p48)

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マスコミが消す2009年9月。

2018-09-09 | 前書・後書。
もうマスコミからは、
すっかり忘れられてしまった。
民主党政権時代の日本。


小川榮太郎氏が序文で、
その日本をおさらいしております。

「自民党叩きに明け暮れたマスコミ総出の
華やかな歓迎のなか、鳩山由紀夫民主党政権が誕生
したのは2009年9月のことだ。

朝日新聞は、民主党大勝の選挙結果を
『非願成就 高揚と緊張【国民の勇気に感謝】』と伝え・・
毎日新聞は社説で『【国民が日本を変えた】政権交代、維新の気概で』
と書き、『台風の中晴れやかに 有権者 期待と注文』
と手放しの喜びようだ。


こうして鳩山首相、小沢幹事長、
菅直人副総理兼財務大臣の『トロイカ体制』が始まった。
岡田克也外務大臣、長妻昭厚生労働大臣、前原誠司国土交通大臣、
福島瑞穂内閣府特命担当大臣らがポストを固めた。
支持率は72%。・・
『脱官僚・政治主導』を掲げ、
『コンクリートから人へ』のスローガンで公共事業を削減した。
たとえば治水事業については、・・・民主党政権になって急減し、
ピーク時の2・3兆円から3分の1にまで縮小した。・・・
『コンクリート』を軽視した民主党の政治は、
単に国土を脆弱にして終わった。
鳴り物入りの事業仕分けも、学級会政治そのものだった。

・・・・・事業仕分けでは、
石油や塩の備蓄、防衛・自衛隊災害救出活動費、除雪費、
八ッ場ダム、スーパー堤防、耐震補強工事費、
学校耐震化予算、災害対策予備費、地震再保険特別会計
などが次々に廃止されていった。・・・・

民主党はマニフェストで、日本には埋蔵金が
60兆円もあると主張したが、そんな過剰な貯蓄金は
自民党政府時代の日本にはなかったのである。
・・・・」

まだまだ続くのですが、
これだけでも十分でしょう。

さて、これは
小川榮太郎著「安倍政権の功罪」(悟空出版)の序文。
序文の題は
「『安倍政治』は『許せない』悪政か」です。

はい。序文のさわりだけを引用しました。
序文で11頁。これだけ読んで私は満足。
どうです、立ち読みで(笑)。


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