外山滋比古著「ことわざの論理」をめくっていたら、
「いまから五十年ほど前に、アメリカの雑誌で偶然に【セレンディピティ(serendipity)】ということばを覚えた。いまかりに、ひとりの科学者が、Aというテーマで新しい研究をしているとする。目指すAについての結果はなかなか出ないが、あるところで、思いもかけないXという事実を発見したとする。このXのことをセレンディピティの発見という。
昔セイロン(いまのスリランカ)に三人の王子がいた。さがしものをしているとき、いつもきまって、さがしているのではない掘り出しものをする。そういう名人だったという童話がイギリスにあった。・・・・」(p28)
これを読み齧って、そういえば、
以前に、その童話の翻訳本が出て、書評が好評だったので、つい買ってあったのを思い出しました。むろん読んでない(笑)。それがどこにあったのか、探していると見あたらない。でも、そうして何冊か探していた見あたらない本というのはあるものですね。丁寧に探していると、以前探していた本がでてきたりする。お目当ての本が見あたらずに、違う探し物が出てきたりする。う~ん。これがセレンディピティなのかと苦笑い。
ちなみに、私は本棚が少ないので、段ボール箱に本をしまっております。コンクリーの床にそれを積んである。家の中にはおけないなあ。本自体はそんなに多くはないのです、整理が何せ乱雑なので、その段ボール箱をひらくまでに時間がかかる。う~ん。腰にきたりします。きちんと本棚に整頓されていればよいのに、そういうわけにもいかない。まあ、それでセレンディピティの童話がしばらく見つからないでおりました。
ある一冊を探していると、見つからないとイライラしますね(笑)。
滅入ってくる。というほうが正確かなあ。
ところが、何冊か他の本が出てきたりする。
このとき、セレンディピティの発見とたとえられるかどうか。
これからは、セレンディピティの発見をおまじないにします。
そうそう、「思考の整理学」に、気になる箇所がありました。
「論文を書こうとしている学生に言うことにしている。
『テーマはひとつでは多すぎる。すくなくとも、
二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい』。
きいた方では、なぜ、ひとつでは『多すぎる』のかぴんと来ないらしいが、そんなことはわかるときになれば、わかる。わからぬときにいくら説明しても無駄である。」(p43)
ところで、数日して、セレンディピティの童話はみつかりました。
それで、ここに安心しながら、書き込んでいるわけです。
でもね、まだ読んでないのですけれど(笑)。
「いまから五十年ほど前に、アメリカの雑誌で偶然に【セレンディピティ(serendipity)】ということばを覚えた。いまかりに、ひとりの科学者が、Aというテーマで新しい研究をしているとする。目指すAについての結果はなかなか出ないが、あるところで、思いもかけないXという事実を発見したとする。このXのことをセレンディピティの発見という。
昔セイロン(いまのスリランカ)に三人の王子がいた。さがしものをしているとき、いつもきまって、さがしているのではない掘り出しものをする。そういう名人だったという童話がイギリスにあった。・・・・」(p28)
これを読み齧って、そういえば、
以前に、その童話の翻訳本が出て、書評が好評だったので、つい買ってあったのを思い出しました。むろん読んでない(笑)。それがどこにあったのか、探していると見あたらない。でも、そうして何冊か探していた見あたらない本というのはあるものですね。丁寧に探していると、以前探していた本がでてきたりする。お目当ての本が見あたらずに、違う探し物が出てきたりする。う~ん。これがセレンディピティなのかと苦笑い。
ちなみに、私は本棚が少ないので、段ボール箱に本をしまっております。コンクリーの床にそれを積んである。家の中にはおけないなあ。本自体はそんなに多くはないのです、整理が何せ乱雑なので、その段ボール箱をひらくまでに時間がかかる。う~ん。腰にきたりします。きちんと本棚に整頓されていればよいのに、そういうわけにもいかない。まあ、それでセレンディピティの童話がしばらく見つからないでおりました。
ある一冊を探していると、見つからないとイライラしますね(笑)。
滅入ってくる。というほうが正確かなあ。
ところが、何冊か他の本が出てきたりする。
このとき、セレンディピティの発見とたとえられるかどうか。
これからは、セレンディピティの発見をおまじないにします。
そうそう、「思考の整理学」に、気になる箇所がありました。
「論文を書こうとしている学生に言うことにしている。
『テーマはひとつでは多すぎる。すくなくとも、
二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい』。
きいた方では、なぜ、ひとつでは『多すぎる』のかぴんと来ないらしいが、そんなことはわかるときになれば、わかる。わからぬときにいくら説明しても無駄である。」(p43)
ところで、数日して、セレンディピティの童話はみつかりました。
それで、ここに安心しながら、書き込んでいるわけです。
でもね、まだ読んでないのですけれど(笑)。