新聞のエッセイは、
一読して感銘しても、
読み返さずにいると、すぐに
そのありかを忘れます。
しかも、その際の、
本になるまでの時間の長さ(笑)。
さてっと、読売新聞の磯田道史氏の
連載「古今をちこち」は、
12月24日(水曜日)で今年の最後の文。
そこでは、合戦戦闘マニュアルの
古文書をとりあげておりました。
いったい、どのような古文書なのか。
「加藤左馬は加藤左馬嘉明のことで
豊臣・徳川に仕えた勇将。
『賤ヶ岳の七本槍』の一人でもある。
最後は会津43万石余の大大名となった。」
「加藤の戦闘技術は当時の武士の垂涎の的
であったから『左馬助殿軍語』という
合戦戦闘マニュアルが彼の家臣・堀主水の
手で編まれた。・・・
その原物は世界で1冊だけ、大分県に存在する
だけでみたことがなかった。どうもその原物が
もう1冊、出て来たらしい。・・」
さてここからが、本題(笑)。
「手に入れた本をめくると、
合戦の開始から城攻め・築城・首実検まで
戦国の戦闘の留意点が網羅されている。
・・・心得のある武士は用心のため行軍の
終わった陣中でも鎧は容易に脱がぬものであった。
また物見(偵察)に出た時には、敵の正確な
人数を大将に報告するものかと思えば、
そうでもない。
『敵の人数は多く言わざるものなり。
敵の人数を五千とみたら二千余りか三千余という。
一万と見たら五千という。大将もその分別して
聞くもの也』とある。
これでは古文書に出てくる軍勢の人数が
不正確なはずだと、妙に納得した。
味方の士気を高めるため、物見役は人前では
敵の人数を半分ぐらいに報告する習慣があったのだ。
長年、歴史を研究しているがこんな記述は
はじめて見た。・・・」
うん。今年の記事から、連想するとすれば、
戦略として長期にわたって、日本国を
おとしめるにはどうすればよかったのか。
新聞が、知らず知らずのうちに
日本人の士気をおとしめるには、
いったい、どのような手をつかえるのか。
そもそも、日本人の士気をおとしめる発想が、
戦略的関係を基盤として成立していたはずなのでした。
さてっと、磯田氏の文の最後はというと
こんなエピソードを紹介しておりました。
「意外だったのは城における便所の作り方である。
注意点があるという。『城中の雪隠は指物で入っても
かまわぬほどに、上を高くするものなり』。
なるほど、戦闘中の武士は背中に旗指物(さしもの)
がある。便所の天井が高くないと、ひっかかってしまう。
こんなことを語る加藤は、若い頃、戦闘中に
便所の天井が低くておしっこに困った経験が
あったのかもしれない。」
ちなみに、磯田氏の文には、
毎回、村上豊氏の挿画が掲載されています。
この文を読んでから、その画を見ると。
思わず、う~ん。と唸らされる魅力。
ということで(笑)、一日をまたいでの、
来年は、しっかりと運がひらけますように。
一読して感銘しても、
読み返さずにいると、すぐに
そのありかを忘れます。
しかも、その際の、
本になるまでの時間の長さ(笑)。
さてっと、読売新聞の磯田道史氏の
連載「古今をちこち」は、
12月24日(水曜日)で今年の最後の文。
そこでは、合戦戦闘マニュアルの
古文書をとりあげておりました。
いったい、どのような古文書なのか。
「加藤左馬は加藤左馬嘉明のことで
豊臣・徳川に仕えた勇将。
『賤ヶ岳の七本槍』の一人でもある。
最後は会津43万石余の大大名となった。」
「加藤の戦闘技術は当時の武士の垂涎の的
であったから『左馬助殿軍語』という
合戦戦闘マニュアルが彼の家臣・堀主水の
手で編まれた。・・・
その原物は世界で1冊だけ、大分県に存在する
だけでみたことがなかった。どうもその原物が
もう1冊、出て来たらしい。・・」
さてここからが、本題(笑)。
「手に入れた本をめくると、
合戦の開始から城攻め・築城・首実検まで
戦国の戦闘の留意点が網羅されている。
・・・心得のある武士は用心のため行軍の
終わった陣中でも鎧は容易に脱がぬものであった。
また物見(偵察)に出た時には、敵の正確な
人数を大将に報告するものかと思えば、
そうでもない。
『敵の人数は多く言わざるものなり。
敵の人数を五千とみたら二千余りか三千余という。
一万と見たら五千という。大将もその分別して
聞くもの也』とある。
これでは古文書に出てくる軍勢の人数が
不正確なはずだと、妙に納得した。
味方の士気を高めるため、物見役は人前では
敵の人数を半分ぐらいに報告する習慣があったのだ。
長年、歴史を研究しているがこんな記述は
はじめて見た。・・・」
うん。今年の記事から、連想するとすれば、
戦略として長期にわたって、日本国を
おとしめるにはどうすればよかったのか。
新聞が、知らず知らずのうちに
日本人の士気をおとしめるには、
いったい、どのような手をつかえるのか。
そもそも、日本人の士気をおとしめる発想が、
戦略的関係を基盤として成立していたはずなのでした。
さてっと、磯田氏の文の最後はというと
こんなエピソードを紹介しておりました。
「意外だったのは城における便所の作り方である。
注意点があるという。『城中の雪隠は指物で入っても
かまわぬほどに、上を高くするものなり』。
なるほど、戦闘中の武士は背中に旗指物(さしもの)
がある。便所の天井が高くないと、ひっかかってしまう。
こんなことを語る加藤は、若い頃、戦闘中に
便所の天井が低くておしっこに困った経験が
あったのかもしれない。」
ちなみに、磯田氏の文には、
毎回、村上豊氏の挿画が掲載されています。
この文を読んでから、その画を見ると。
思わず、う~ん。と唸らされる魅力。
ということで(笑)、一日をまたいでの、
来年は、しっかりと運がひらけますように。