岡本行夫氏というのは、どんな方なのでしょう。
産経新聞12月30日の一面。その左上に岡本氏のコラムが掲げられておりました。
こうはじまります。
「先月このコラムで数行だけ『田母神論文は検証に耐えない論拠でつづられている』と書いたら、何人かの読者からおしかりを受けた。『おまえは日本人か!』と。田母神論文の誤りについては、朝日新聞で先月13日に北岡伸一東大教授、同じ新聞で今月22日にジョン・ダワー米MIT教授が「『国を常に支持』が愛国か」と優れた論駁をしているので、ここには記さない。ただ、「田母神氏に反対する人間は愛国者ではない」という決めつけ方がおかしいとこだけは申しあげておこう。」
コラムの文章のはじまりで、一番聞きたい肝心なテーマを掲げながら、「ここには記さない」というのが可笑しい。岡本氏はユーモアのセンスがある方なのでしょうか。私は家では、朝日新聞を購読しておりましたが、それを止めて久しいのでした。それから、読売と産経を購読して、現在は切り詰めて、産経だけにしております。
さて、岡本氏は朝日新聞の先月13日の文と、今月22日の文を「優れた論駁」としてコラムの先頭に紹介しております。おいおい、それを探し出して読めというのでしょうか。もうすこしその「優れた論駁」を紹介してくださっても、よいのではないかと、愚考する私です。
産経新聞の一面で、朝日新聞の「優れた論駁」を語るのは、岡本氏の偉いところなのでしょうが、それなら、なぜ、明快なコラムを展開しないのか。忙しい方なのでしょうが、文の体裁になっておりません。困ったなあ。ニュアンスだけでコラムを書き上げようとしておられる。
せっかく、皆さんが聞きたい話題をコラムの最初に掲げながら、「ここには記さない」と肩すかしをする大胆さ、これが岡本行夫氏の面目なのでしょうか。
ここから、楽しみたいと思うのですが、
日下公人著「『逆』読書法」を持ってきます。この本を文章の評価尺度として使うと楽しめそうです。
たとえば、日下さんは、こう書いております。
「社説や新聞のコラムが取り上げましたが、外国人の名まえを借りるのは、日本人が日本人の悪口をいう場合に使う常套手段です。」(p93)
ここで、
岡本氏は「ジョン・ダワー米MIT教授が「『国を常に支持』が愛国か」と優れた論駁をしている」と朝日新聞の文を紹介しているのですが、いままで、朝日新聞は常に日本国を「支持」していたようには、私には思えません。その極端にいっている新聞についても、日下氏は書かれておりました。
「両極端を知るということで、新聞も一紙ではなく二紙以上読んだほうがいいといわれています。読売新聞の渡辺社長が、『朝日とサンケイを両方読むのがいちばんいい』と発言して話題になったことがあります。」(p171)
その片方の極にいる朝日新聞が、中立を装って
外国人の文に「『国を常に支持』が愛国か」と題しているのですから。
これは、題名だけよんでもクワセモノ臭いなあ(読んでないけれど)。
最後に、日下公人氏の本から引用するのは、思わず考えさせられる面白い箇所
「中立、中性の立場で書かれた本はたしかにありますが、ほんとうに中立、中性というものはまずありません。著者は中立、中性で書いているつもりでも、どちらかの立場に片寄るものなのです。それに、なかには中立を装って、じつはどちらかの極端な主張を擁護しているという本もあります。中立、中性を装った本が恐いのは、そうした表面に表われていない、隠れた偏向を見破るのがひじょうにむずかしいことです。そのために、ニュートラルだと思って読んでいるうちに一方の主張に感化されてしまい、自分で気がつかずに偏った見方、意見を持ってしまうのです。」(p170)
う~ん。なかなか日下公人氏のように語れる方は、すくないでしょうね。
さてっと、すくなくとも、岡本行夫氏のこのコラムは、いったい何を言いたいのか「見破るのがひじょうにむずかしい」コラムとなっております。
岡本氏の冒頭を引用した文にも、「数行だけ」「何人か」「ここでは記さない」というのがじつに分かりづらいなあ。岡本行夫氏というのは忙しい方なのですか。文の体裁が読めない。
どなたか、岡本氏がどのようなすばらしい本をお書きなのか、
その人となりをご紹介ください。
お薦めの本がありましたら、ご紹介ください。
それがなければ、まず岡本行夫氏は、無視することにします。
産経新聞12月30日の一面。その左上に岡本氏のコラムが掲げられておりました。
こうはじまります。
「先月このコラムで数行だけ『田母神論文は検証に耐えない論拠でつづられている』と書いたら、何人かの読者からおしかりを受けた。『おまえは日本人か!』と。田母神論文の誤りについては、朝日新聞で先月13日に北岡伸一東大教授、同じ新聞で今月22日にジョン・ダワー米MIT教授が「『国を常に支持』が愛国か」と優れた論駁をしているので、ここには記さない。ただ、「田母神氏に反対する人間は愛国者ではない」という決めつけ方がおかしいとこだけは申しあげておこう。」
コラムの文章のはじまりで、一番聞きたい肝心なテーマを掲げながら、「ここには記さない」というのが可笑しい。岡本氏はユーモアのセンスがある方なのでしょうか。私は家では、朝日新聞を購読しておりましたが、それを止めて久しいのでした。それから、読売と産経を購読して、現在は切り詰めて、産経だけにしております。
さて、岡本氏は朝日新聞の先月13日の文と、今月22日の文を「優れた論駁」としてコラムの先頭に紹介しております。おいおい、それを探し出して読めというのでしょうか。もうすこしその「優れた論駁」を紹介してくださっても、よいのではないかと、愚考する私です。
産経新聞の一面で、朝日新聞の「優れた論駁」を語るのは、岡本氏の偉いところなのでしょうが、それなら、なぜ、明快なコラムを展開しないのか。忙しい方なのでしょうが、文の体裁になっておりません。困ったなあ。ニュアンスだけでコラムを書き上げようとしておられる。
せっかく、皆さんが聞きたい話題をコラムの最初に掲げながら、「ここには記さない」と肩すかしをする大胆さ、これが岡本行夫氏の面目なのでしょうか。
ここから、楽しみたいと思うのですが、
日下公人著「『逆』読書法」を持ってきます。この本を文章の評価尺度として使うと楽しめそうです。
たとえば、日下さんは、こう書いております。
「社説や新聞のコラムが取り上げましたが、外国人の名まえを借りるのは、日本人が日本人の悪口をいう場合に使う常套手段です。」(p93)
ここで、
岡本氏は「ジョン・ダワー米MIT教授が「『国を常に支持』が愛国か」と優れた論駁をしている」と朝日新聞の文を紹介しているのですが、いままで、朝日新聞は常に日本国を「支持」していたようには、私には思えません。その極端にいっている新聞についても、日下氏は書かれておりました。
「両極端を知るということで、新聞も一紙ではなく二紙以上読んだほうがいいといわれています。読売新聞の渡辺社長が、『朝日とサンケイを両方読むのがいちばんいい』と発言して話題になったことがあります。」(p171)
その片方の極にいる朝日新聞が、中立を装って
外国人の文に「『国を常に支持』が愛国か」と題しているのですから。
これは、題名だけよんでもクワセモノ臭いなあ(読んでないけれど)。
最後に、日下公人氏の本から引用するのは、思わず考えさせられる面白い箇所
「中立、中性の立場で書かれた本はたしかにありますが、ほんとうに中立、中性というものはまずありません。著者は中立、中性で書いているつもりでも、どちらかの立場に片寄るものなのです。それに、なかには中立を装って、じつはどちらかの極端な主張を擁護しているという本もあります。中立、中性を装った本が恐いのは、そうした表面に表われていない、隠れた偏向を見破るのがひじょうにむずかしいことです。そのために、ニュートラルだと思って読んでいるうちに一方の主張に感化されてしまい、自分で気がつかずに偏った見方、意見を持ってしまうのです。」(p170)
う~ん。なかなか日下公人氏のように語れる方は、すくないでしょうね。
さてっと、すくなくとも、岡本行夫氏のこのコラムは、いったい何を言いたいのか「見破るのがひじょうにむずかしい」コラムとなっております。
岡本氏の冒頭を引用した文にも、「数行だけ」「何人か」「ここでは記さない」というのがじつに分かりづらいなあ。岡本行夫氏というのは忙しい方なのですか。文の体裁が読めない。
どなたか、岡本氏がどのようなすばらしい本をお書きなのか、
その人となりをご紹介ください。
お薦めの本がありましたら、ご紹介ください。
それがなければ、まず岡本行夫氏は、無視することにします。