新聞の切り抜きを、整理する甲斐性がないもので、
以前の磯田道史の新聞連載『古今をちこち』の切り抜きを
さがしてもが見つからない。それでも、
折り畳んで本に挟み込んであった一枚がでてくる。
連載挿画は村上豊とあるので、ネット検索をする。
村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年 6月14日 - 2022年 7月22日)日本の画家。そうか、昨年亡くなられていたのだと、ここでわかる。
それ以後の、磯田氏の新聞連載『古今をちこち』は、
挿画も磯田氏自身が描くことになったのだろうなあ。
まあ、そんなことに思いいたる。
ここで、思い浮かんだのは、絵と文章ということでした。
「梅棹忠夫語る」( 聞き手・小山修三。日経プレミアシリーズ新書 )
から引用してみます。この新書は2010年刊行なのですが、
梅棹忠夫氏は2010年7月3日に亡くなっております。
この本の第三章『メモ / スケッチと写真を使い分ける』から引用。
小山】 梅棹さんは、よく写真や絵を学術論文にも使いましたか?
梅棹】 論文それ自体のためには、牧野四子吉さんに描き直して
もらったりしてた。動物なんかはとくに。
小山】 モンゴル、アフリカでスケッチされた道具類の絵は、
もうほとんどそのまま使えるようなものですね。
梅棹】 そら、わたしは描ける。それも、かなりあるんじゃないかな?
小山】 イヌぞりの実測図は、全部、寸法も測りながら、とってますが。
梅棹】 あのときは、樺太のイヌぞりの形態と機能について、絵を描いている。
小山】 そういうときに写真でなく絵を描くことの意味とは何ですかね?
たしかに絵は文章よりわかりやすいと思うんですが。
梅棹】 そう。写真ではあかん。写真では細部の構造がわからへんのや。
目で見て、構造をたしかめて、その構造を図に描くんやからね、
ようわかる。
小山】 目でたしかめていくわけですね。
梅棹】 写生をするということは当然、そういう作業を伴う。
写真ではそれがない。写真もたいへん有用、役に立つけれど、
ちょっと絵とは機能がちがう。
フィールド・ワークの補助手段としては、
写真よりも絵のほうがずっといい。
その場でシューッと線をひいて、欄外にメモが書きこめるから。
小山】 描きながら、部分の呼び名なんかをメモしている。
梅棹】 それが大事。呼び名と構造だな。そうやって、
わたしは絵がためらわずに描けるんです。
小山】 でも絵が下手な人は、どうしたらいいのかな。
これは一種のセンスですか、経験ですか。
梅棹】 まあ、両方あるやろうな。
わたしは子どものときから絵がうまくて、
『 この子は絵描きにせえ 』って言う人と、
『 この子は絵描きにだけはしなさんな 』と言う人があったんです。
『 絵描きでは食えませんからなあ 』って言って。
( p54~58 )
はい。この箇所はまだまだつづくのですが、ここでカット。
はい。次に写真のこともでてくるのですが、ここまで。
参考文献としては、
「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」(国立民族学博物館・2011年)には
いろいろな写真があって、そこに描いた絵も収められて楽しめました。
「梅棹忠夫著作集第1巻」(中央公論社・1990年)のなかの
『イヌぞりの研究』には、橇(そり)も犬も、橇と犬を結ぶ綱の
形態も絵入りで一目でわかるような記載がなされております。
昨日のブログで紹介した
磯田道史氏の言葉のなかには、こうありました。
『・・・わかりやすい。面白い。楽しい。つながる。
こういった本来、人文知がもっていた豊かでおおらかな視点・・・
誰にもわかる。楽しめる。ユニバーサルな学問がこれからは必要である。』
こういった本来、人文知がもっていた豊かでおおらかな視点・・・
誰にもわかる。楽しめる。ユニバーサルな学問がこれからは必要である。』
はい。そんなことを思いながら、つぎにひらいた本は、
磯田道史著「日本史を暴く」(中公新書・2022年11月)。
パラパラひらくと、著者自身の挿画が二枚ありました。
うん。『カブトムシの日本史』という文(p97~100)には、
クワガタが三匹、角度を変えて道史氏の画で(p99)載せてあります。
ここでは、この文の最後の3行を引用しておくことに。
「 結論をいえば、約200~300年前から、
日本人は我々同様にカブトムシやクワガタムシを
精確に認識しはじめたようである。
熊本藩の細川重賢(しげたか)や
長島藩(三重県)の増山雪斎(ましやませっさい)など
盛んに昆虫の絵を描く殿様が相次いだのも、この時期である。」(p100)
この「豊かでおおらかな視点」には
挿画も、写真も、マンガも、ビデオも、何でもはいるかもしれないなあ。
はい。短歌も、俳句も、いれときましょう。