和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

英語は向かない。

2008-10-31 | Weblog
え~と。10月26日の「益川敏英。」の書き込みに、aoyamaさんがコメントを下さっておりました。う~ん。そのコメントを読んでいたら、直接にはちっともつながらないのですが、私には養老孟司氏の言葉が思い浮かんできました。それは中公文庫の養老孟司著「あなたの脳にはクセがある」の最後に載っている「方法としての言葉」という文なのです。これ面白い文なので読まれることをお薦めしますが、ちょっとさわりだけでも紹介しておきます。

「学問には、対象と方法とがある。私は方法にこだわって生きてきた。」こうはじまっております。「おかげで人生がいささか狂った。自然科学をやっていたのに、あるとき『英語で論文を書く』作業をやめてしまったからである。そのために『科学者としての将来』を自分で消すことになった。そういう過去がある。」

「英語と日本語とでは、モノを見る目自体が、具体的に違ってしまう。英語ばやりの世の中で、それに気づく人がどれだけいるか、私は知らない。」

具体的には全文読んで頂きたいのですが、たとえばこんな箇所があります。

「言葉による抽象思考とは、いわばその自由度を最大限に利用することである。
その意味では、日本語は抽象思考に意外と向いており、英語は向かない。英米系の哲学が、経験主義に傾いたり、プラグマティズムに傾いたりするのは、英語という言葉の癖にようるのではないかと、私は疑っている。」


その抽象思考というのが、荘子であったり、論語であったりの漢文に根があるのかもしれないと思うわけで、それが湯川秀樹氏から受け継がれていた抽象思考でもあるのじゃないかと思うわけです。ということで案外にも、足もとを照らしてみるに、科学をやるなら漢文がよろしいと、素人の私も疑ってみるのでありました。
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科学にロマンを。

2008-10-27 | Weblog
ノーベル賞受賞の知らせを受けた益川敏英(68)さんは、
麻生太郎首相からかかった電話で、次世代への言葉を求められ、
こう答えたとあります。
「科学にロマンを持つことが非常に重要。あこがれを持っていれば勉強しやすい。」

そういえば。と新聞掲載の益川氏の人となりを、適宜以下に引用してみます。

「益川さんの妹で名古屋市に住む岡田妙子さん(61)によると、益川さんが物理に目覚めたのは高校生のころ。ふざけてばかりで親類から『漫才師』とまで呼ばれていた兄が変わった。湯川秀樹博士にあこがれ、『物理が好きで好きでたまらん』と、いつも本を抱え、むさぼり読んだ。」(朝日10月8日)

「素粒子論との出合いは高校1年の時。名古屋大教授だった坂田昌一博士が発表した素粒子理論『坂田模型』を伝える新聞記事を読んだのがきっかけだった。『身近な場所で世界的な科学が生まれていることに感動した。名古屋大に入ろうと思ったのもこの時です』」(産経8日)

さてっと、
読売新聞8日には、「ノーベル賞電話会談 南部、小林、益川氏と江崎、野依氏」という全面記事があり、電話の受け応えが載っておりました。
そこでの益川氏は
「南部先生の受賞が一番うれしいです。(日本の理論物理学を牽引した)大長老ですから。ちゃんと受賞されたことが本当にうれしい。」そして中頃に
「南部先生と共同で受賞し、たいへん光栄だ。大学院に入ってから、(南部)先生の論文を眺め、しやぶりつくすぐらい読んで今日の私がある。」

そして次の日の新聞で益川氏の言葉に、こうありました。
「米シカゴ大の南部陽一郎名誉教授(87)との同時受賞についての質問に
『南部先生の論文をしゃぶり尽くしたのが私の基礎。私から見ればまさしく偉大な物理学者で、仰ぎ見ながら成長してきた。そういう先生と・・・』と言葉を詰まらせ涙ぐみ、眼鏡を外してハンカチで目をぬぐった。」(産経9日。ちなみにその日の産経抄にも、その場面を印象深くとりあげておりました)
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益川敏英。

2008-10-26 | Weblog
ノーベル賞の記事を読んでいると、つい益川氏の言動に惹かれます(笑)。
欠点を語るところなどは、とくにね。
「苦手だったのは国語と外国語。大学院入試のドイツ語の答案は白紙だった。
それでも数学と物理のセンスが認められて見事合格した。院生時代は『勉強が一番楽しかった』といい、机に向かう際、癖でかんでいた左手の人さし指は、今も硬くなったままだ。」
(産経10月8日・社会面)
次の日の産経新聞には、講演で質問に答えた言葉が載っておりました。
「物理を好きになった理由を質問されると、『英語が嫌いだったから』とひと言。『テストの前日、物理や数学の教科書を読んでいる間だけは不安を忘れられた』と明かし、笑いを誘った。」
朝日の9日のインタビューでは
受賞スピーチは英語でしますか?という問に
「どうして英語でやらんといかんの?
 僕は英語はしゃべりません。英語でしゃべるなら遠慮します(笑)。」

東京新聞の8日の記事では、
小学校から高校までの同級生杉山茂雄さんの言葉が載っておりました。

「高校一年で大学入試用の問題を解くなど中高時代から『物理と数学は抜群の成績だった』。英語は得意でなく、『おれは日本語で論文を書いて、日本語で読んでもらう』と話していたことが強く印象に残っているという。」

向陽高で一緒だった田中正興さんの言葉
「『ガリ勉ではなく温厚な大器晩成タイプ』。腕力が強く、体育の授業では教諭が『やめろ』と言うまで何十回も懸垂を続けたことも。『うちは砂糖屋で、重い砂糖袋運びを手伝ったからね』と話していたという。」

東京新聞の社会面では、小林誠氏との研究の様子が書かれておりました。

「『新しいアイデアを思いついて小林君に持っていくと、
彼は実験例を挙げて『これは矛盾する』『これはあかん』と
全部つぶしちゃう」と益川さん。小林さんも
「考え方が違うと両方とも譲りませんから」と当時の激しい議論を振り返る。
・・・最終的に英語の論文を書いたのは小林さん。益川さんが『英語は極端に苦手』だったからだ。1973年に出たわずか6㌻の共同論文は、素粒子論の基本概念となった。」
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余程偉い。

2008-10-26 | Weblog
出久根達郎著「百貌百話」(文春新書)。
その寺田寅彦の箇所に
「『天災は忘れたころにやって来る』は寺田寅彦の名言、と著名だが、寺田の著作にこの言葉はない。似たような言い回しがあり、弟子の中谷宇吉郎が要訳して広めたのである。」(p26)
これ、以前読んだのに、どこで読んだのか忘れてしまった言葉でした。
じつは、読売新聞の編集手帳(10月24日)のはじめに、この本の紹介文があったのであらためて開いてみて、ああ、ここにあったと気づいたのでした。
さて、コラム編集手帳は、こうはじまっておりました。
「何かしら問題が生じたとき、いろいろな人が解決法を考える。「『ドーデモイイ』という解決法のある事に気の付かぬ人がある」とは寺田寅彦の言葉という。作家、出久根達郎さんの著書「百貌百言」に教えられた。麻生首相が毎晩のようにホテルの高級バーなどに通っていることが庶民感覚にそぐわないと、このところ一部で問題になっている。これも解決法『ドーデモイイ』の例かも知れない。要は国民本位の政策が立案、実行できるかどうかが評価の分かれ目で、家で味噌をなめつつ酒を飲めば妙案が浮かぶものでもなかろう。首相は手銭での飲食と説明している。バー通いをやめ、その分のお金が麻生家の通帳に積み上がったからといって喜ぶ庶民もいまい。・・・・」

ところで、出久根氏のこの新書に引用されている寺田寅彦の言葉はというと

「ある問題に対して『ドーデモイイ』という解決法のある事に気の付かぬ人がある。何事でもただ一つしか正しい道がないと思っているからである」(p27)

ここから、『ドーデモイイ』連想。
内藤湖南著「先哲の学問」(筑摩叢書)というのがあります(どこにあったかなあ、と捜していた本でした。ちょうど本棚の隅にあったのを見つけたところでした)。その中に「大阪の町人学者富永仲基」という文があります(この本は、講演をまとめたもので読みやすい)。
その中にこんな箇所があったのでした。
【 『異部名字難必和会』の原則 】
「これはどうかすると今日歴史などを研究する人でも、この原則の尊いことを知らない人があります。これはどういう事かと申しますと、要するに根本の事柄は一つであっても、いろいろな学問の派が出来ますると、その派その派の伝える所で、一つの話が皆んな違って伝えられて来ると、それを元の一つに還すということは余程困難である。・・・それで富永は異部名字必ずしも和会し難しと言うて居る。つまり学派により各部各部で別々で伝えが出来て居るので、それを元の一つに還すことは出来にくいということを言い出したのであります。これは余程偉いことだと思います。
どうも歴史家というものは・・・・どれか一つ本当で、あとの残りは嘘だと、こう極めたがるのである。どれもよい加減で、どれが本当か分からぬと諦めるということが、どうも歴史家というものは出来にくいやうであります。・・ところが記録のある時代は、どうかするとそれを一つに極めることが出来ます。しかし記録がない、話で伝わって居ります時代のことは、どうしても極めにくいのです。そういう事は、いっそのこと思い切って極めない方がよいんですが、それをどうも皆んな極めたがるのです。その極めにくいということを原則にしたということは、大変えらいと思います。」(p72~73)

ちなみに最近読んだ松井高志著「江戸に学ぶビジネスの極意」(アスペクト)を開いてみますと、「知らざるを知らずとせよ、これ知るなり」というのがありました。
解説の最初はといいますと
「知らないことは、知ったかぶりをせず、知らないとはっきりさせなさい。知っていることと知らないこととの区別をつけることが、『知る』ことの始まりなのです、という『論語』にある有名な教え。」(p66)

う~ん。「無知の知」という土俵からはずれて、場外乱闘というイメージが
何やら浮かんできます。
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汗と不満と甘い夢。

2008-10-24 | Weblog
10月の新聞もたまったので、ちょいと整理。
ノーベル賞の受賞記事をあらためて興味深く読みました。
まずは年齢順に南部陽一郎氏。

素粒子論の世界的権威。
物質の質量の起源を説明する「対称性の自発的破れ」や量子色力学、ひも理論など数々の独創的なアイデアを提唱。素粒子の標準理論の構築に大きく貢献した。独創的な研究は、
「10年先を知りたいなら、南部の論文を読め」と高く評価された。
シカゴ大学の研究所同僚は「名誉教授となってからも毎日のように研究所に来て・・」

昨年帰国した際の取材には「物理学の醍醐味は、クロスワード・パズルのような謎解きの面白さ」と語られております。

以上は産経新聞の10月8日社会面の記事。
そのあとに、こうもありました。

「論語の『学びて思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし』が信条。自分で考えることと、他人から教わることはともにないがしろにしてはならない、という意味だ。『研究は汗と不満と甘い夢でなり立っている』。自身はかつてこう話した。・・・」

産経新聞の10月9日にも南部氏へのインタビュー記事。
「『ひらめきじゃないですよ。2年間考え続けた』・・・シカゴ市内の自宅で、受賞理由となった理論は着想から2年がかりで導き出したもので、研究には日々の努力が大事だと強調した。」「『世界中の論文が毎日、新聞のように手に入る』現在の学生や研究者が置かれる環境を『幸福だと思う』と話す一方、『自分自身で考える暇がないことがあるかもしれない』と独創の大切さを説いた。」


それでは、ここで余談にいきましょう。
論語の「罔(くら)し、殆(あや)うし」。
穂積重遠著「新訳論語」(講談社学術文庫)には
こんな余談が記されておりました。
「これは学習と思索との伴わざるべからざることを述べたもので、現代の学問・思想にも適切な名言と思うが、かつて東大法学部の入試問題として、この語を読んでの感想をしるせ、というのを出したことがある。」
その中の愉快の答案が引用してあったのでした。
ではその答案
「自分は高校の水泳選手で、初心者をコーチしたが、どうしても泳げるようにならなぬ者に、二種類ある。第一種は教える通りに手足を動かすが自身に浮こう泳ごうという気のない者、これは『学びて思わざる』者である。第二種は、浮こう泳ごうとあせってむやみに手足をバタバタさせるが少しも教える通りにしない者、これは『思いて学ばざる』者である。いずれも水泳が上手になれぬ。あにそれ水泳のみならんや。」


桑原武夫著「論語」というのがあります。
そこからも、引用しておきましょう。

子日、學而不思則罔。 思而不學則殆。

子日わく、学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(まど)う。

「学的生活における態度の問題を『学』と『思』との対比においてとらえたものである。『学』とは先王の道を書物によって、あるいは書物を媒介とする先生の教えによって、習い知ることである。『思』とは自分自身が思索することである。古典を読むばかりでみずから精神を悩ませて考えることをしないと、受動的に学的蓄積がふえるのみで、能動的に整理されることがない。ぼんやりと混乱して焦点のない学問になる。反対に個体的思索にのみふけって人類の知恵ともいうべき古典によって規制することを怠るならば、独善的な堂々めぐりにおちいって疲労困憊し不安定な妄想に終るおそれがある。『殆』という字は古注では『つかる』とよんでいるが、朱注では『あやうし』とよむ。私は武内義雄のよみに従い『まどう・惑う』と解しておいた。
仁斎が、『昔の学者は思うことが学ぶことより多く、今の学者は学ぶことが思うことより多い。』と解説しているのは面白い。文献主義の批判であると同時に、彼自身の独創的思想家たる面目がうかがわれるからである。もっとも仁斎ほどの才能のない青年学徒が基礎的読書ないしトレーニングを怠って、ただ性急に独創性にあこがれることの危険を忘れてはならない。古人の模倣を通過しない秀れた新しさなるものはありえない、といったのはたしかアナトール・フランスだった。
『衛霊公第十五』の31に『子日わく、吾れ嘗(かつ)て終日食らわず、終夜寝(い)ねず、以て思う。益無し。学ぶに如かざる也。』とあるのは、この章の後半の部分を体験的に述べたのである。あわせ考えてほしい。」


論語をろくすっぽ通読したことがない私は、せめて、こうして摘み食いをして楽しむのでありました。ちなみに、読売新聞10月15日「顔」欄。そこに「子供向けの論語読書会をスタートさせる 下村澄(きよむ)(79歳)」という記事がありました。
そこには、「論語の子供塾を25日から東京で始める。計60人の定員は満員。『子供が変れば大人も変わる』と期待する。」とあるではありませんか。なるほど。
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カレンダー。

2008-10-19 | Weblog
来年のカレンダーが販売されておりますね。
10月30日には年賀はがきも販売されます。
毎日新聞2008年10月19日。つまり今日の「毎日歌壇」
篠弘氏選の最初は

 カレンダーに終戦記念日の付記なきを妻と語りぬ黙祷の後

           山形市 渡辺蔵王

選評はというと、「確かにどの暦も記載されていない。
戦争で肉親を失った作者なのであろう。この違和感には説得力がある。」

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言葉の常備薬。

2008-10-17 | 詩歌
松井高志著「江戸に学ぶビジネスの極意」(アスペクト)
を読んでおります。
「心」への処方箋に、和漢の薬(言葉)をブレンドした江戸期の妙薬。
それをきちんと配合しながら列挙しております。
漢方薬は、即効性はなくとも、じわじわと効能がひろがります。
まあ、そんな味わいのある言葉の処方箋。
まず、この本の最初に登場する言葉はといいますと。
これが
「急がずば濡れざらましを旅人の
 後より晴るる野路の村雨(むらさめ)」
解説と効能も書かれております。
「災難に遭ったりして、苦しい時に、ちょっと辛抱すれば状況が好転する(待っていればはげしいにわか雨もすぐにやんで晴れる)のに、旅人は先を急ぐあまり駆けだしていき、ずぶ濡れになってしまう。短気を戒め、辛抱の大事さをたとえる教訓和歌。困った時もまず慌てるな、という教え。」

さて、松井高志氏は、このあとにどう書いているか。
これ、見逃せないので、引用しておきます。

「簡単に言い換えれば『泡を食うな』ということで、それだけではあんまり味わいがないので、こういう教訓和歌にしてあるわけだ。昔の人にとっては、こちらの方が覚えやすく、またありがたみがあった。ただリズミカルだから覚えやすいだけではない。歌には日常語にない一種の霊的パワーが宿る、と、かつては考えられていたようである。・・」

この本にその「日常語にない一種の霊的パワー」を感じてもれえるかどうか。すくなくとも、発信者にはそれへの用意があり、あとは読者(受信者)の感性へと、効能がじわじわと試されているような一冊。

ということで、そんじょそこらのハウツウ本とは、すこし毛色の違う「心の処方箋」となっております。とかく落ち込みやすい諸兄に、気持ちの切り換えのテンポを、言葉の味わいとともに鮮やかに蘇えらせてくれる常備薬として最適。
そうそう、困ったときに慌てずに、ひらく常備薬として。
あるいは、日頃に服用する、言葉の健康ドリンクとして。

私など、恥ずかしながらはじめて聞く言葉が、けっこうありました。
たとえば、「今でも挨拶などでこの歌を口にする人がかなりいる」
という言葉「人多き人の中にも人ぞなき 人になれ人人になせ人」
これなど、解釈を聞かなければ、私にはチンプンカンプン。
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首相一人。

2008-10-15 | Weblog
地域の山車引き回しが10月12日にありました。
今年は臨時会計で、祭り当日の会計担当。
あとは、25日の反省会を残すのみ。
いやあ、いろいろあって、楽しかった。
それで、このブログ更新を、すっかり忘れておりました。

さてっと、その間に読んだのはというと、
ちくま学芸文庫の水野弥野子訳「正法眼蔵随聞記」。
現代語訳で、やっと内容が理解できました。

それはそうと、文芸春秋11月号の新聞エンマ帖。
そこにあった、「衆院解散」の文字。
気になる箇所、しっかりと引用しておきます。

まず
「福田康夫前首相の突然の退陣表明によって幕を開けた自民党総裁選騒動。・・」とはじまっておりました。ちょっと新聞の動向を丹念に調べてあるので、きちんと引用しておきます。

「最初に『暴走』したのが読売。まだ自民党総裁選が告示される前、候補者も確定していなければ、臨時国会の召集日も決まっていない9月6日付朝刊で「『10月上旬解散』濃厚」「11月9日投票軸に」との見出しを一面トップに打ち、記事では『臨時国会で新首相の所信表明演説と各党代表質問を行った直後の10月上旬に衆院を解散する方向で、自民党が公明党と調整に入った』と自信満々。さらにご丁寧にも『予想される政治日程』と題した日程表を掲載、『10月3日(金)または6日(月)衆院解散』『10月28日(火)公示』『11月9日(日)投開票』という具体的な日取りまで書き込んでいた。・・・他紙も負けてはいない。毎日が『衆院選11月9日投票有力』(8日付)と読売に追随すれば、産経も『?』マーク付きながら、『10月26日 衆院選の投開票」を予想し続けた。そんな中で目を引いたのは、それまで慎重姿勢を維持してきた朝日がついに18日付朝刊の一面トップで『来月26日 総選挙へ』『3日解散 自公合意』と、完全な『断定報道』を行なったこと。他紙を含め、これで完全に流れは『10月26日選挙』に固まってしまう。・・・
一連の選挙日程報道を『暴走』と呼ぶのには理由がある。まず、衆議院の解散権を持つのは首相ただ一人で、その新首相が確定していない段階で、なぜ解散・総選挙の日程が決まっていくのか、という疑問に全く答えていないという点がひとつ。・・・また冒頭解散を与党が模索したのは、総選挙で盛り上がった熱気が冷めないうちに解散・総選挙を行なえば勝てる可能性が高いという『党利党略』に他ならず、そこには『国民のため』という視点が完全に欠如している。この点を批判した記事があっただろうか。」


私に思い浮かぶのは、佐藤栄作首相の退陣記者会見。
1972年6月。
「新聞記者は出て行ってくれ。
 僕はテレビを通じて国民に直接話したい。
 新聞の文字になると(真意が)違う」
と言って新聞記者を会場から退席させて、
一人テレビカメラに向かって演説したのでした。


佐藤首相の一人演説。あれから36年。


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今回は読む気に。

2008-10-06 | Weblog
産経新聞2008年10月6日。つまり今日。
曽野綾子の連載コラム305「透明な歳月の光」を読みました。
こうあります。
「首相の所信表明演説の全文を掲載してくれた新聞があったので、それを読むことにした。ということは、今回初めて読む気になったのである。今までは、首相の所信表明演説の紙面を見るだけで、私は文字を追う気になれなかった。忠実な人は今までもずっと読んでいたのだろうが、私は勝手なのだろう。読む気が起きる時とそうでない時とがある。」

さて、ここが前段階。つぎはこうでした。

「どうして今回は読む気になったのだろう、と考えたら、昔先輩の編集者から受けた文章作法の原則が私の心理に作用していることがわかった。初めて新聞小説を書くことになった時、私は恐怖に硬くなっていた。その時、私に読者を意識した文章の書き方の心得を教えてくれたのは、一人の年上の編集者だった。文章は謙虚な姿勢で書くこと。つまり向こうが読んでくれて当然と思わないこと。読んで頂くには遅くともスタートして十日目までに、読者に興味を持たせること。
恐らく首相の所信表明演説だったら十行目までに、読者の心を捕える個性が示されねばならないということになるだろう。
次に大切なのは、紙面(字面)の緩急と明るさ。あんまりむずかしい字をぎっしりと詰め込むと息苦しくなり読者に無礼である。なんとなく明るく、風通しのいい紙面が大切なのだが、文章にむだを許してはならない。
まだ数項目あるのだが、今回の首相の所信表明演説は、最初の二つの条件を満たしていたのであろう。・・・・」

ここで最後の〆の言葉を引用しちゃいましょう。

「人は、社会的な地位や立場の如何(いかん)にかかわらず、個人として言うべき哲学とその言葉を持たねばならない。それが平易な表現で他者に伝えられなければならない。その能力がない人は、どんな秀才でも機能の一部に甘んじるほかはないのである。」

え~と。こうして曽野さんのコラムを引用していると、
首相の所信演説全文を、あらてめて読み返してみたくなりました。
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