和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

人としてのイロハ。

2016-01-31 | 手紙
正論3月号に
小川榮太郎氏が
「吉永小百合さんへの手紙」と題して書いておりました。

そのなかから、この箇所を引用。


「例へば渡部謙さんが安保法制騒ぎの最中の
八月一日にかうツイートしてゐる。
『ひとりも兵士が戦死しないで七十年を過ごして
きたこの国(憲法)は、世界に誇れると思う。
戦争はしないんだ』と。
或いは笑福亭鶴瓶さんも、八月八日の東海テレビで
『あの法律も含め、今の政府がああいう方向に行つ
てしまふつていふのは止めないと絶対だめ』と発言し、
対談相手の樹木希林さんが
『七十年も戦争をしないで済んだのは憲法九条が
あるから』と応じてゐます。
竹下景子さんも、安保法案反対アピールに名前を連ね、
『日本が戦争する国になれば、被害者であると同時に
加害者にもならざるを得ません』
七十年間日本人の戦死者がなかつたのは、
世界に戦争がなかつたからでも、
日本への過酷な脅威がなかつたからでもありません。
拉致被害者は厳然と存在しますし、
そもそも、憲法九条といふ紙切れ一つで地球の中で
日本だけが特殊な楽園であり続けられるかどうか、
この人達は一度でも考へた事があるのでせうか。
・・・・・・・・
『平和』が大切だといふ声を挙げる事と、
特定の法案に反対する事は全く意味が違ひます。
法案に反対するのであれば、
その法案が本当に平和を脅かす根拠と、
新たな立法措置を取らずとも我が国の平和が守られ
続けるといふ根拠を持たねばならない。
これは、俳優とか知名人とかいふ事以前に、
人としてのイロハではないでせうか。」

ここに、「人としてのイロハ」とある。
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自由アジア社。

2016-01-30 | 本棚並べ
日下公人著「組織に負けぬ人生」(PHP文庫)
の最初の方に、こんな箇所が

「その回想録は戦後、自由アジア社の月刊
『防衛公論』に連載され、昭和35年には
四巻の書物として出版された。
私が今村均を知ったのはその時その本を
偶然書店で手にしたからで、深い感銘を
もって読み、その四巻は本棚の一番大切な
所に置かれて今日に至っている。
しかし、今村均を偉いと思うか、
偉いと思わないか、また、偉いとしても
どこをどのように偉いと思うかは
読む人個人個人の問題であり、
また同時にその人の器量の問題であって、
最終的には本書の読者各位が回想録そのものに
直接当たっていただくのが一番である
(芙蓉書房刊「今村均回想録」が入手可能である)。
したがって、私のコメントなどはむしろ冒瀆では
ないかと恐れているが、今村均と読者の間の
世代差を補う位の役目を果してみたいと思う。」(p22~23)


はい、
自由アジア社の四巻本をネット注文(笑)。
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横車を押していた。

2016-01-29 | 道しるべ
日下公人の本に
「今村均氏の軍人生活
 一陸軍大将の回顧録に組織を生きる英知を探る」
(二十一世紀図書館・PHPの新書)
この本は題名をかえてPHP文庫に入りました。題して
「組織に負けぬ人生 不敗の将軍・今村均大将に学ぶ」

その「まえがき」のはじまりを引用。

「旧帝国陸軍と聞けば年配の方ならよかれあしかれ
さまざまな想い出をもっておられるに相違ない。
昭和五年生れの私の想い出を言うと、
今に勝つ、今に勝つと言いながら結局は敗戦つづき
だった中学生の頃の印象が一番強い。
日本陸軍はアメリカに対してはそのように弱かったが、
日本国内では滅法強い存在で、たとえば中学校には
どこでも配属将校が一人ずついて、教師に対しても
中学生に対しても横車を押していた。
配属将校というのは大正十四年(1925)から実施され
たもので、現役の陸軍将校2,000名が全国の中学校以上の
学校に配属され学生に軍事教練を教えた。
大正時代の行革は軍縮を伴ったので、
ポストがなくなった将校を各学校に配属したのだが、
それが時代の風潮に乗ってやがては人々の思想や
生活全般にまで干渉するようになったのを体験した。・・」


今日の新聞一面は
「甘利経済再生相辞任」の見出し。

アメリカに対して強かった甘利明氏を、
日本の国会審議に滅法強い横車を押す野党――
というような思いで私は今日の新聞を読む。
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ムック風の本。

2016-01-28 | 道しるべ
気になる百人一首。
今日とどいた古本は角川文庫
「田辺聖子の小倉百人一首」。
その「おわりに」の参考文献は
こうはじまっておりました。

「百人一首関係の本は多いのですが、
一般にはムック風の本をおすすめします。
古来からの美しい絵も紹介されていて家族で楽しめ、
百人一首が身近になってよろしいように思います。」


ということで、さっそく参考文献の最初の本を注文。

大岡信「百人一首」(世界文化社)
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昭和33年の長崎国旗事件。

2016-01-27 | 道しるべ
思い出して
徳岡孝夫著「『民主主義』を疑え!」(新潮社・2008年)を
パラパラとめくる。

ありました。こんな箇所


「・・・
日本国家の吹奏にブーイングし、
手製の日の丸を燃やすのは、やめてもらいたかった。
粗末な指導者に導かれる粗末な十三億人が何を叫ぼうと
勝手だが、せめて記憶力は持ってほしい。それとも
彼らの歴史教科書には、
昭和33年の『長崎国旗事件』は載っていないのか?
長崎のデパートで開かれた中国切手の展示会に一人の
反共青年が来て、中国国旗をひきずり下ろした。
中国政府はそれを国家への侮辱だと怒り、
以後20年間繰り返し日本政府に謝罪を求めた。
北京、重慶などでの日本の国旗と国歌への侮辱を、
報道官の『遺憾』で済ますつもりか?
瀋陽の日本総領事館構内に踏み込んで
脱北者を連行した行為(主権侵犯)も、
まだ謝っていないんだよ。」
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字も絵も。

2016-01-25 | 地域
1月も最終週にはいりました。
「いろはかるた」から
「百人一首」へと
古本が少しずつ増えました。

そういえば、
と本棚から、田辺聖子著「古典の文箱」(世界文化社)を
とりだしてくる。
私は小説を読まないので、田辺聖子さんの本は
これくらいしか読んでおりません(笑)。

さてっと、この文箱に
「ひとあじちがう人生」という文がありました。

「おすすめしたいものがあるのだ。
マンガと川柳である。それに『いろはかるた』。
マンガが社会に定着してもうだいぶになるが、
たしかに一つの分野を開拓して、文学でも
映画でも表現できない世界を創造したと私は思う。」

「王朝の人々は、字を書くのと同じように絵も描いた。
手紙に走り書きしてそのそばにちょっちょっと
簡単な絵を描いたらしい。
絵は教養ある人のたしなみの一つであったようだ。
『源氏物語』の『絵合(えあわせ)』の巻で
光源氏が須磨謫居(たつきょ)中、つれづれのままに
スケッチした風景画が、最後に提出される。
そのあまりの美事さに、ついに絵合わせの挑みは
源氏方の勝ちになる。
そういう本式、本格の絵でなくても『落窪物語』の
貴公子は、恋文の端にさらさらとマンガ風な絵を描いている。
字も絵も、王朝紳士は同じようにかきこなしたらしい。
いまの若い人も王朝文化の流れを汲んで、
簡単なマンガなんか実に巧いものだ。
私のところへくる未知の読者のお手紙にも、
マンガを面白くあしらって、手紙の末尾には、
『乱文乱絵、失礼しました』と書かれてある。
ほんとに感心してしまうほど、たのしげにノビノビと
描かれてあっていいなあ、と思う。」(p306~307)


別冊太陽の「百人一首」を
アマゾンで検索していたら、
mimisenmanさんの書評が書かれていて、
学研の「百人一首 再現!!不滅の歌かるた」を
推薦しておられ、さっそく古本注文。
うん。読めてよかった(笑)。
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船橋市の市立図書館。

2016-01-24 | 産経新聞
思い出しながら古新聞をひっくり返す。
産経新聞の一面コラム「産経抄」。
その2015年11月20日。

はじまりは

「出勤前に、『MARUZEN&ジュンク堂書店
渋谷店』に寄ってきた。開催中の民主主義を
テーマにしたフェアで棚に並んだ本を確かめるためだ。
・・・・
実はフェアが9月に始まったとき、
佐伯(啓思)、長谷川(三千子)両氏のような
保守派論客の本は選ばれていない。・・」

この日のコラムの最後の方も引用。

「平成14年、千葉県船橋市の市立図書館で、
保守派の著者の本が大量に廃棄されていたことが
発覚する。司書が、勝手に判断していた。
図書館の驚くべき『主張』について、
小紙以外の新聞はほとんど無視した。・・・」


う~ん。産経新聞購読者以外は
「千葉県船橋市の市立図書館」と言われても
何のことか、いまだに分からないかもしれない。


これが、2015年12月3日のコラムへとつながって
おりました。そのコラムの最後を引用。


「先日書いた、図書館についてのコラムに対して、
奈良県の読者から手紙をいただいた。
地元の図書館は、『正論』『WILL』から、
『新潮45』まで、保守系の雑誌を一切購入しない。
児童書の『平和教育』コーナーには、
過去の日本のマイナス面を強調した本ばかり、
との嘆きも綴られていた。
『右傾化が進んでいる』。
リベラル派の論者だけを集めたテレビの
報道番組で、繰り返される嘆きの声は、
まったく当たっていない。」

う~ん。
今年は
月刊雑誌の「WILL」「正論」「新潮45」
を読む読まないは別として、買ったならば、
きちんと並べて、本棚か、どこかに整理して
紛失には気をつけることにします。
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大東亜と太平洋。

2016-01-23 | 道しるべ
日下公人の「繁栄のヒント」が
雑誌「WILL」の巻頭随筆で連載されてます。
その連載の2016年1月号から引用。

はじまりは

「太平洋戦争か大東亜戦争か知らないが、
私の場合、七歳の時に始まった戦争は『支那事変』で、
十一歳の時、『大東亜戦争』と呼称す、になり、
十五歳の時、終戦になると、NHKその他が『太平洋戦争』
という勝手な命名を世に広めた。
岩波書店は『十五年戦争』とも言った。

・・・・
日本は面白い国で、何でも二本立てだから
これでよいのかと思っていると、
両派はお互いにレッテル貼りの戦いを始めた。
戦争の本義については議論しないで、
太平洋戦争派は相手を右翼とかリビジョニストと呼び、
大東亜戦争派は相手をマッカーサーによる敗戦利得者と呼ぶ。

日本を取り戻そうという人は保守派と呼ばれる。
が、それがマッカーサー以後の日本を守ろうとるす保守派と、
それ以前の日本を取り戻す保守派の二つに分かれるとは面白い。

庶民は昔からこうしたレッテル貼りの日本には
馴れていて何とも思っていないが、
欧米流の大学教育を受けた人は一本化を
進歩的、合理的と思っているので、
政府審議会の答申に、たとえば両論併記があると、
曖昧だとか時間の無駄だったとか書くが、
しかし『ではどちらが理に適っているか』についての
自分の考えは言わない。・・・・」
(p20)

このあとに
安倍首相のアメリカ上下両院における
スピーチへの言及になるのですが、
ここまでにしておきます。

それにしても
図書館には、雑誌「WILL」も「正論」も「新潮45」も
置いてないという噂は本当ですか?

上に引用した文を図書館では読めないとしたら、残念。
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支那と書くのは止めて頂けませんか。

2016-01-22 | 本棚並べ
池永陽一著「学術の森の巨人たち」(熊本日日新聞社)

ここに、池永氏が平川祐弘氏との出会いになった
箇所があり、そのキーワードが「支那」でした。

「ただ先生は以前、我が講談社から『西欧の衝撃と日本』
という本を出しておられるが、その際編集部から
『中国を支那と書くのを止めて頂けませんか』と
言われたことに不満を持っておられると聞いていた
・・・・」(p114)

この引用文のすこし前には、こうあります。

「この時まで平川先生のように率直に自分の
考えを表明される先生にはお会いしたことがなかった」

という指摘があるのでした(笑)。
うん。率直に自分の考えを表明する
人との出会いが、さりげなく書かれておりました。

うん。うん。
「率直に自分の考えを表明される先生」の
文を身近に読める。という、ありがたさ。
今年こそ、平川祐弘氏の未読本を踏破できますように。
そう、新年1月に書いておこう。
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手習いとは。

2016-01-22 | 道しるべ
『白洲さんは「四十の手習い」とは歳をとってから慌てて新しい趣味に手を染めてみるということではなく、かつていろいろ中途半端だったことをやりなおすことなのだと言っていた。』

上記の言葉は
松岡正剛の千夜千冊
1599夜『枕詞論』の中にでてきます。

「かつていろいろ中途半端だったことをやりなおすことなのだ」

うん。今年の目標が鮮明になりました。
ありがたい。
中途半端は、私の十八番(笑)。
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古本届く。

2016-01-21 | 古典
注文してあった古本が届く。

尚古堂(横浜市保土ヶ谷区鎌谷町)

今村均著「私記・一軍人六十年の哀歓」(芙蓉書房)1200円
今村均著「続一軍人六十年の哀歓」(芙蓉書房)1400円
送料460円
以上合計3060円
どちらも函入りで、きれいでした(笑)。
ありがたい。

「私記・一軍人六十年の哀歓」の編者あとがきを引用。

「本書は今村大将が陸軍に出身、陸軍士官学校を卒業し、
陸軍歩兵少尉としてその第一歩を踏み出してから、
終戦となりラバウル、ジャワの戦犯として世上有名な
マヌス島における服役に至る間、陸軍生活約六十年の
自叙を総括してまとめたものである。
本書の前半、陸軍現役時代の活躍記はかつて
自由アジア社において刊行された同大将の回想録に依る
ところ多く、後半の戦争裁判の記録は元・社団法人
全国戦争犠牲者援護会のご協力によるもので、ここに
本記録の完成にあたり衷心お礼を申し上げる次第である。
本書の大部は大将が獄中において乏しい紙と鉛筆とを
求めて記録されたもので、大将独特の細心さを以て
粗末な罫紙に極めてこまかい字でビッシリつめて
書かれており、獄囚として暗い光の下で執筆した
当時を偲ばせて涙ぐましいものがある。・・・・」


「続 一軍人六十年の哀歓」の編者あとがき

「著者は戦争裁判に問われて入獄中に、身近にある
罫紙を手に入れては、チビた鉛筆を細く削りながら
細字で綿密にビッシリ書きためた記録を、二十九年に
出獄帰宅してからもしきりに手を入れていた。
それが防衛庁戦史室の西浦進氏や稲葉正夫氏らの
ご配慮によりタイプ印刷されて関係各方面に配布されたのは、
昭和三十二年の三月であった。戦史資料陸第五号
『今村均大将回想録』第一として、初めて日の目を見たのである。
それ以後続刊されて、巻十が出来たのは昭和三十三年十一月であり、
終戦迄の記録合計十冊が完成したわけである。
昨年(昭和四十五年のこと)五月、額田担氏の肝いりにより、
小社はこの記録を『私記・一軍人六十年の哀歓』と題して出版した。
この書は著者の一代記的自叙の形をとり・・・・

その後、読者の方々のご熱望特に是非続篇をとの声が強いので、
小社では検討を重ねた。著者はこの記録を防衛庁で公けにされる
前後に、『愛国心』や『国防』などの問題について請われて
感想を述べており、終戦直後ジャワから巣鴨への、又巣鴨から
マヌス島への旅日記をも遺している。又編集上の都合で、
少年時代の記録やイギリス駐在武官時代の記録はすべて
前著から洩れていた。特に、著者が『戦陣訓』の起草をした
教育総監部本部長時代に、島崎藤村先生を訪ね、
文章について教えを請うた珍しい記録もある。
あれやこれや慎重に考究の結果、この際遺稿の総集篇の
公刊をもって愛読者のご熱望にお応えしなければならぬと
いうことに決し、ここに『続・一軍人六十年の哀歓』と
題してその完全を期することにした次第である。・・・」
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富士の高嶺に。

2016-01-20 | 詩歌
水曜日は定休日。
朝8時に床屋へ。
昼は二人して回転寿司へ。
途中で富士山がきれいに望める。
これは、晴れて風が強かったおかげ。
たっぷりと雪をかぶった富士山。
その裾野や低い山々までが一望できる。
湾をとおして見る贅沢気分。

お昼過ぎ、義理の父母へとすぐに連絡
時間をおかずに、
4人して、1時間ほどのドライブ。
湾からの冬の富士山。


田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
  富士の高嶺に 雪は降りつつ
          山部赤人


ここは、田子の浦じゃなく館山湾。


ネット古書店へと
別冊太陽の百人一首を注文。
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羽生結弦の阿修羅。

2016-01-19 | 詩歌
読売歌壇1月18日。
岡野弘彦選の一番目が印象に残る。

興福寺の阿修羅のごとき貌(かお)を
して羽生結弦はすべて終へたり
  水俣市 角田聖子

【評】この歌を見て、ああそうだと
共感する人が多いはず。競技を終え
汗にまみれて、きっと正面を切った
羽生選手の顔は、若き仏法護持の神、
阿修羅に似て清くりりしい。



小池光選の二首目には

わが短歌(うた)が載ればすなはち
『よんだぞ』と遠距離電話をくれし友逝く
   城陽市 相原洋次

【評】毎回、読売歌壇を題材にした歌が
何首も寄せられる。この歌もその一つ。
古き良き友であった。こうやってまた
歌が載ったが、もう電話は来ない。
哀切深い歌である。



読売新聞の一面コラム
「編集手帳」を読んでいると、
ときに、読売歌壇からの引用がある。
うん。読売新聞の厚みを感じられる瞬間(笑)。
  
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われながら恥ずかしい。

2016-01-18 | 前書・後書。
何を読んだらよいのかと(笑)、
前書と後書とをパラリ。
気になっていていた
加藤秀俊著「メディアの展開」(中央公論新社)の
はしがきを開く。

はしがきの最後の方に


「『見世物からテレビへ』以降の雑多な著作のなかでも
ずいぶん徳川期の書物などを引用しているけれども、
あれは手当たり次第に発見した文献をもっとらしく
参照していただけで、本格的にあれこれの書物を
完読したわけでもなかったし、たとえば天明狂歌の
仲間たちのように同時代人たちのこまやかで愉快な
交友などをしらべることもなかった。
・・・若気の至り、といって弁解することもできようが、
いま再読してみるとわれながら恥ずかしい。・・」


こういう語りにつられて読んだのに、そして、
昨年の読書なのに、さっぱり覚えていない。
こころして、再読しなくちゃ。
そう思える貴重な本に出会えたという幸せ。
でもって、今年は一回目の再読。
どれほど、参考文献へと駒をすすめられるのか。
うん。それが問題(笑)。

はい。2016年1月の抱負。
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今村均回顧録。

2016-01-17 | 書評欄拝見
産経新聞1月17日(日曜日)の
読書欄に平川祐弘氏が書いておられる。
うん。読まなきゃ(笑)。
「この本と出会った」という欄でした。
平川氏が取りあげたのは、今村均回顧録。
そのはじまりは

「敗戦後、日本人は自国に自信が持てなくなった。
とくに国を滅ぼした陸軍の将官は軽侮のまなざし
で見られた。だがそんな時期に
『この本と出会えてよかった』と深く感銘された
のが今村均陸軍大将の自伝である。
内実に富み細部が語られていたからだけではない。
このような日本人がいたことが有難かったのである。」

そして、平川氏の文の最後は

「維新前後の日本を解き明かす一冊が
福沢諭吉の『福翁自伝』とすれば、
昭和の陸軍大国日本の表裏を解き明かす一冊は
『今村均大将回想録』だろう。
誰か西洋人の日本研究者で英訳する人は
出ないものか。」
コメント (2)
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