徒然草の第八段が、のちのちまで、印象に残るのは、
久米の仙人を、チラリと登場させているからでしょうね。
岩波文庫で5行たらずの文です。ここでは、原文で引用。
「世の人の心惑はす事、色欲には如かず。
人の心は愚かなるものかな。
・・・・・・・・・
久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、
通(つう)を失ひけんは、まことに、手足、はだへなど
のきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、
外(ほか)の色ならねば、さもあらんかし。」
え~と。
古本の「日本古典物語全集」(岩崎書店)が届きました。
その⑧が、神田秀夫著「今昔物語」。パラパラめくれば、
『久米寺』と題する文が、載っております。
神田秀夫氏は「1028も話がある今昔物語から27の話」を
選んで、この本に載せているのだそうですが、ここで、
徒然草に登場していた、あの久米の仙人に出会えたのでした。
はい。徒然草でちょっと触れられていた、
久米仙人の物語が具体的に語られておりました。
こちらは、神田秀夫氏の現代語訳で紹介します。
はじまりから
「今はむかし、大和の国(今の奈良県)の吉野の郡(こおり)に、
竜門寺という寺がありました。」
ここで仙人の修行をしていた『久米』が、もう一人におくれ
「仙人になって、空に飛びあがりました。」
まずは、徒然草での場面を、今昔物語では活写されております。
「さて、久米が、空を飛んでわたっていくと、吉野川の岸で、
若い女の人が、川にはいって洗濯をしているのが見えました。
自分の着物をぬらさないように、女の人は、すそを高くはしょっています。
澄んだ流れにつかっている素足の、そのふくらはぎの白さ。
それに見とれた一瞬、久米は、心におこった色欲のために、
通力をうしなって、飛べなくなり、まっさかさまに、
その女の人の前に落ちました。
ぼっちゃああん
女の人は、着物から、顔から、頭の髪まで、水しぶきをはねかけられ、
見ると、ひとりの男が、全身ずぶぬれになって、水のなかで起きあがり、
耳の根まで赤くして、うつむいて目の前に立っています。
『まあ。』
きもをつぶして、あきれて、くるりとうしろを向いて逃げながら、
そのぬれねずみのおかしさに、思わず、ぷっと笑いました。
そのとき、『もしもし。』と、呼びとめる男の声が聞こえてきました。
こういうことがありますからね。男の子と生れたら、
うっかり女の人の白い足に見とれたりしてはいけません。
一生とりかえしのつかないことになります。」
はい。ここまでなら、徒然草で紹介されていた
箇所でしょうか。今昔物語は、まだつづきます。
「久米の仙人の、このお話は、竜門寺の扉に絵に書かれ、
菅原道真が、それに文をそえて残してあったそうですが、
いまはどうなりましたか。
久米は、もう仙人ではない、ただ人になってしまったわけですが、
馬を売りわたすときの証文にサインするとき、
『前の仙(せん)、久米』と書いてわたしたというお話もあります。
その洗濯をしていた女の人は、あとで、自分のふくらはぎに
見とれたために、久米が半生の修行を水の泡にしたことを知って、
そういうわけで落っこちられたのでは捨ててもおけないと、
やさしい心から、久米の妻になってやりました。
むかしは、そういう女の人もいたのです。」
さてさて、今昔物語には、こんな話も載っているのですね。
いままで、知らずにおりました。
それなら、と数冊の本をさがしてみます。
杉浦明平著「今昔ものがたり」(岩波少年文庫)
杉本苑子著「今昔物語集」(講談社少年少女古典文学館⑨)
「もろさわようこの今昔物語集」(集英社・わたしの古典⑪)
山口仲美著「すらすら読める今昔物語集」(講談社)
はい。その目次をひらくも、久米の久もありませんでした。
福永武彦訳「今昔物語」(ちくま文庫)は、600頁以上もある
あつい本でしたが、こちらの目次にも見あたりません。
うん。それなら、この機会に、神田秀夫の「久米寺」の
後半最後までも、引用してよいではないか?
そう思いました。
「ところで、そのころ、天皇は、この大和の国の高市(たけち)の郡に
宮殿をつくろうとしていらっしゃったので、大和の国のなかでは、
その労役にしたがう人夫が集められていました。
久米も、その人夫にかりだされました。
しごとというのは、力のいる材木運びです。
ほかの人夫たちは、久米のことを、『おい、仙人、仙人』と呼びます。
監督の行事官は、おかしなことを言うと思って、
『おまえたちは、あの男のことを、なんで『仙人』と呼ぶんだ。』
とききました。人夫たちが、そのわけは、こうなんですと、
いままでのことを話して聞かせますと、行事官たちは笑って、
『ほう。これはまた、とうといおかたがおいでになったもんだ。
仙人にまでなんなさったんなら、その余徳でひとつ、
この材木を飛ばしていただこうじゃないか。
汗水たらして、かついで運ぶこともなかろうぜ。』
と、からかい半分、聞えよがしに言いました。
久米はこまって、すすみ出て、
『わたくしは、もう仙の法など忘れてしまいました。
年をとるまえの話でございます。とても、そんな
験(げん)をあらわすことなどおよびもつきません。
今はもう、このとおり、ただの人夫になっております。
どうか、ごかんべんねがいます。』
とおじぎをしました。
行事官たちは、どっと笑いこけました。
そう笑われては久米とても、くやしくてたまりません。
目のなかまでまっかにさせて、思わず、
『そんなにおっしゃるならば、
ものはためしということもありますから、祈ってみましょうか。』
と言ってしまいました。
行事官は、これはほんとのばか者だ、
頭がどうかしていると思いましたから、
『おう。それはありがたかろうぜ。ひとつたのむよ。』
と、また笑って答えました。
久米は、その場をはなれました。なるほど自分は、
あの妻の美しさにまよって、仙人になりそこなった笑われ者だ。
しかし、自分のことは、自分がいちばんよくわかっている。
あいつらが笑うほどに通力が落ちてすっかりなくなっているわけではない。
おのれ、ひとつ、目に物見せてくれようと、帰るやいなや、
わけを話して、妻を遠ざけ、一つのお堂にこもりに行きました。
そこで、久米は身をきよめ、断食して、七日七夜というもの、
一念をこめて、一生けんめいお祈りをつづけました。
・・・・・・・・・・
すると、八日めの朝、
空に雲が古綿(ふるわた)をしきつめたようにかさなりはじめ、
灰いろになり、ねずみいろになり、暗くなり、やみになり、
いなずまが走り、雷がなりひびき、たたきつけるような雨が降って、
みんなをおどろかしました。とにかく、まっくらやみで、
なにも見えやしません。これは、ただごとではない。まるで夜だ。
なんの たたりだろうとがやがや言っているうちに、また、
もう一ど夜が明けはじめ、古綿がはがれ、雨がやみ、日がさして、
からりと晴れました。
行事官も人夫たちも、また、仕事場へ出てきました。
見ると、材木が、あんなにたくさん伐って積んでおいた材木が、
一本もないじゃありませんか。どこへ行った、どこへ飛んだと
おおさわぎをし、山のふもとから宮殿を建てる敷地に来てみると、
なんだ、みんな、ここに来ているじゃありませんか。
だれが運んだのでしょう。行事官たちは、目を見はって、
口もきけません。こんどは、人夫たちが、どっと笑いました。
だれが申しあげたものか、天皇はこのことをお聞きになって、久米に、
免田(めんでん)三十町(租税をおさめなくてよい9万坪の耕地)を
たまわりました。久米はよろこんで、この土地からとれるもので、
一軒のお寺を、その高市(たけち)の郡(こおり)に建てました。
久米寺というのが、それです。・・・・・・・・・」
(p54~p60)
はい。ほとんどを引用しちゃいました。ちなみに、
池上洵一編「今昔物語集 本朝部(上)」(岩波文庫)の
p90~p94で、原文は読めます。
話はかわりますが、
今日で、相撲は千秋楽。
相撲といえば、稀勢の里が思い浮かびます。
いまは、荒磯親方として解説で、その声が聞こえるのですが、
横綱になって、引退して、あとは結婚なのになあ。