和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

段ボール箱。

2014-01-31 | 本棚並べ
段ボール箱をカッターで切りながら、
新書や文庫の箱をつくる。
この頃、新聞の切り抜きなどしなくなり、
段ボールとカッターとガムテープで
本の移動をしていたりする。
すっかり忘れていた本がある。

要するに、本を読む気がしない(笑)。
パラパラひろげるのみ。

そして、段ボール箱にしまってあった
本をあらためて、本棚に並べてみたり。

目につくように工夫してみる。この頃、
パソコン画面に向うと、目が疲れる。
アリナミンEXを、今日飲んでみる。

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文章速達法。

2014-01-30 | 本棚並べ
本棚整理で、思い浮かび、それを書いておきます(笑)。

斎藤美奈子著「文章読本さん江」(筑摩書房・2002年刊)の巻末に「引用文献・参考文献」の一覧が104冊ほど載っております。

谷沢永一著「大人の国語」(PHP・2003年刊)の巻末にも附録「文章読本」類書瞥見として、4~5行のコメントをつけて一覧が載っております。
ちなみに、谷沢永一著「最強の『国語力』を身につける勉強法」(PHP)には「大人の国語」からの転載として「文章読本の名著リスト」が掲載されております。

さてっと、
谷沢永一・斎藤美奈子の、どちらの本にも、
堺利彦著「文章速達法」(講談社学術文庫・1982年刊)は取り上げられていなかった。

この「文章速達法」を
最初に教えてくださったのが、
山村修著「狐が選んだ入門書」でした。
そこには、「切れば血とユーモアの噴き出る文章術」
と題して紹介されておりました。

そして、次に読み返したのが
黒岩比佐子著「パンとペン」が出てからでした。

うん。
それだけなんですが、
ちょっと備忘録がてら書いておきます。
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新刊届く。

2014-01-29 | 本棚並べ
新刊3冊届く。

黒岩比佐子著「忘れえぬ声を聴く」(幻戯書房)
やなせたかし著「ぼくは戦争は大きらい」(小学館)
「山正之が米国・支那・韓国・朝日を斬る」(テーミス)

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「進言」と「ご注進」。

2014-01-28 | 朝日新聞
産経抄1月18日に

「またか、の思いを禁じえない」
「いつもの『ご注進ジャーナリズム』の手口である」

うん。ここで、あらためて
WILL3月号の見出しを並べると

「日本のメディアは中・韓の『工作員』か」
「安倍靖國参拝を貶めた朝日新聞」
「臆病な日本のジャーナリズム」
「秘密保護法反対朝日の狂乱」
「朝日は世論調査を悪用している」
「『朝日文化人』のデマと妄想」
「ちょっと変だよTBSと関口宏」

まだつづくのですが、見出し引用はここまで。
ひとつ引用しておかないと、
見出しだけで、判断すると勘違いされる(笑)
特別対談の百田尚樹氏の言葉に、

「たとえば、去年の安倍首相の靖國参拝に対して
朝日新聞から取材を受けた際、記者は
私と総理が何度か対談していることを知っていて、
『今回の参拝は百田さんが安倍首相に進言されたのですか』
と聞かれた。
『私は安倍首相が総理になられる前からも、
なられたあとも、個人的な気持として
靖國神社に参拝していただきたいと
申し上げただけで、進言では決してありません。
進言と書かれたら困ります』
と答えたのですが、記事には
『百田尚樹さんは安倍首相と今年会った際、
靖國神社に参拝するよう進言したと打ち明ける』
と書かれました。私は作家として、
『進言する』と
『気持ちを申し上げる』ということは
違うものだと思っているんです。
・ ・・・・・・   
私はあえて
『進言と書かれたら困る』とまで言ったのですが、
案の定書かれた。
それで頭にきて、ツイッターで
『朝日がこんな嘘を書きやがった』
と呟いたんです。
するとその書き込みが
ネット上にバーっと広がり、
多くの人に私の考えを知ってもらえました。
もしネットがなかったら書かれ損で
抗議もできませんから、
そう考えるとメディアの状況も
どんどん変わってきていると思っています。」(p41)

「書かれ損で抗議もできなかった」
状況が変わりはじめている。
それを雑誌で確認できる喜びがあって、
WILL3月号は元気がでます。
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話しおろし。

2014-01-27 | 本棚並べ
「座談の思想」を今月読んだので、
新刊の外山滋比古著
「人生複線の思想」(みすず書房)の
最初にある短文「言文近接」に、
つい、興味をもちました。
そこには、こうあります。

「大正に入ってから菊池寛『文藝春秋』の
座談会形式の創出は世界的な発明である。」(p5)

うん。「座談の思想」でも、
菊池寛についてが、前半にページを割いて
とりあげられていたのが印象に残ります。
さてっと、
外山滋比古氏の短文の最後の方を
適宜つまんで引用してみます。

「それよりもおもしろいのは、
語りおろしの本が多くなったことで、
読者の反応もよく、ベストセラーがいくつも
生まれるようである。書いた本は読みづらく、
おもしろくないのに、同じ人が語りおろした本は、
わかりやすく、おもしろい本になっている例が
すくなくない、といわれる。
・・・・・・ 
語りおろし本はこれまでの本のイメージを
少しでなく変えつつある。
それに応える新しい読者も
あらわれているはずだ。
陰のはたらきをしているライターが
存在を増すであろうことは言うまでもない。

話すことばはひとに向って発せられるはずで、
語りおろしは、独りごとで、不自然だと言ってよい。
われわれは、ひとに向って話すとき、
もっとも多くのことを自然に伝えるらしい。
もしそうだとすると、
語りおろしを一歩すすめて、話しおろしの
本が出てもおかしくない。
話おろしなら、言文はずっと近く近接することができる。」


うん。そういえば、
私の本棚は、対談本などの、話おろしや
語りおろしの本が、やけに
多いのにあらためて気づかされるなあ。
それを中心に本棚を並べかえることが
今年の本棚整理の目安となる。
と、こういう時には、
本棚の本が少ないので助かります(笑)。

そう、何よりも、
外山滋比古氏の新刊など、
私は、お話が聴ける楽しみで
購入しておりました。

うん。これで、
語りおろし。
話しおろし。
と、棚おろし
の整理の目鼻がつきました(笑)。
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いまなお。

2014-01-26 | 短文紹介
昨日は、喉が痛く、
鼻水が出る。
はやく寝る。
司馬遼太郎の「護貞の話」を読む。
そこに、
「『細川日記』は、どのくだりも文飾などはなく、
いまなお切りとったばかりの生肉のような匂いがする。
事実尊重の精神は、おそらく狩野君山から
うけたものにちがいない。」
(p121.「春灯雑記」朝日新聞社)

ちなみに、
「『細川日記』が昭和28年に出版されたときは、
出版社(同光社磯部書房)の意向で
『情報天皇に達せず』という題名だった。
・・・・・  
昭和53年、中央公論から再出版されたときは、
注や索引などもついて、
単に『細川日記』という名称になった。」(p121)

うん。つぎは「細川日記」を読もう。

ちなみに、
司馬遼太郎の、この「護貞氏の話」の
最初の方に、こんな箇所がありました。

「本来、ハナシの妙はみじかさにあるようで、
複雑な事態から本質をとりだして数語で
それをあらわさなければ、
生きた会話にならない。
ただし、私がここで書いている文章は、
読み手が目の前にいない言語表現であるせいか、
護貞氏のような一刀彫の表現になりにくい。」(p64)


うん。
目の前にいない言語表現。
目の前にいる言語表現。
というのがあるのだ。
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細川護貞(もりさだ)氏。

2014-01-24 | 短文紹介
今日、「WILL」3月号届く。
読むと元気がでる(笑)。

その蒟蒻問答で
久保紘之氏がこう語っておりました。

「細川政権が誕生する一年ほど前、
父親の護貞が護熙をこう評したことがありました。
『彼は新聞の見出し的だと申しましょうか、
表面だけを見て、あとは感性で判断する
傾向が強い・・・・』
まさに言い得て妙。
おもしろいことに、護貞は息子のことを
『彼』と三人称で呼んでいた。
さすが、あの昭和の動乱期を
近衛文麿の秘書官として補佐しただけあって、
親子の情愛などに左右されない。
客観的な観察眼を感じさせる。
事実、そうでなければ
『情報天皇に達せず――細川日記』
(上下、磯部書房)のような
冷徹な事実描写、人物評は書けないと思う。
・・・・
堤さんのいまのお話を聞いて
『やはりなぁ』と思いました。
つまり、奴の政治家人生は常に
『見出し』だけで、
中身が空っぽなんです。・・」(p269)


そういえば、と
司馬遼太郎著「春灯雑記」をひらく、
そこに、「護貞氏の話」というのが
あります。そのはじまりは

「細川護貞氏には、どこか凄気(せいき)がある。
凄気というと、辞書をひけば、『物すさまじい気』
とあって、ことごとしすぎて気がひけるが、
護貞氏の印象は隻語でいえばそれしかない。」

うん。
「凄気」の人と、
「新聞の見出し的」人。
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(笑)。

2014-01-21 | 本棚並べ
本を読まないので、
本棚の整理を始める(笑)。

あちこちに、移動させて、
それだけで、読んだ気分(笑)。

文庫本や新書は、再読しようとすると
見つけられないことがあるので、
できるだけ、一箇所にまとめようと思う。
そんなに再読本は、無いから簡単(笑)。

味読じゃなく、未読本は始末に困る(笑)。
それを忘れて、新刊に釣られる自分を笑う。
初笑い。
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もし、こうなら。

2014-01-19 | 地域
磯田道史著「歴史の読み解き方」(朝日新書)に
「幕末薩摩の『郷中(ごじゅう)教育』に学ぶ」
という章があり、一読印象深い。
それで読み直してみました。
その文の最後に

「大人が、自分が良いと思った価値を、
格式ばらずに次世代に伝える努力をする。
その情熱が我々には足りないかもしれません。
このままでは、この国は想定外の事態に
対処できなくなるのではないでしょうか。
子供に『もし、こうなら』と想定して考えさせる
判断力練磨の教育が、
現代においてはもっとも重要です。」(p170)

その次に章は
「歴史に学ぶ地震と津波」。
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コセチパトホシジリペ。

2014-01-18 | 短文紹介
板坂元著「発想の智恵 表現の智恵」(PHP研究所)
のなかに、漫画家・やなせたかし氏が登場する箇所があります。

題は「文章を書くにもお土産が必要だ。」

「私が学徒出陣で入営したときの
班つきの『柳瀬軍曹殿』から
法廷伝染病の講話を受けた。そのとき
『コセチパトホシジリペ』と教わった。
それを今でも覚えている。
コはコレラ、セは赤痢、チが腸チフス。
以下パラチフス、痘瘡、発疹チフス、猩紅熱、
ジフテリア、流行性脳脊髄膜炎、ペストの頭文字だ。
ほかには何を話されたかは忘れても、
この言葉だけは今でも覚えている。
柳瀬軍曹殿は漫画家の『やなせたかし』氏である。
私はこのように相手に刻印される言葉を
『お土産』といっている。・・・」(p117)


そういえば、
やなせたかし氏がインタビューに答えた
「ぼくは戦争はきらいだ」という本が
新刊としてあるそうで、気になります。
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二次災害。

2014-01-17 | 地震
河合隼雄著「おはなしおはなし」は、
新聞に連載され、
のちに単行本。そして文庫本となりました。

新聞の切り抜きは、
私の場合、かならず挫折するので(笑)、
最近は、とんとやらなくなりました。

けれども、一度だけ、
成功した例があり、
それが
河合隼雄の連載「おはなしおはなし」でした。

平成4年(1992)に週一回、日曜日の連載。
河合氏の文に、遠藤彰子さんの題字・画。
毎回魅力の絵が遠藤彰子さんによって描かれ。
それが切り抜きの愉しみとなって
無事、スクラップ帳を完結できました。

単行本もたのしみにしていたのですが、
長新太さんの表紙カバー絵のみで、
ガッカリした覚えがあります。
それほどに、遠藤彰子さんの絵が
よかったのだなあと、
あらためて思ったのでした。

ちなみに、文庫本になった際の
巻末エッセイ「おはなし おはなし トカトントン」
は山田太一氏が書いておりました。

さてっと、
河合隼雄著「おはなし おはなし」の中に、
「二次災害」という題の文があります。
そこに
「二次災害は阻止したり、軽減したりできる。
しかし、一次災害については他人は何もできない。」

「・・それを避けては通れないし、それを避けようとして、
また二次災害を起こすこともある。」

ちなみに、この文の最後は

「考えてみると、私の仕事は、
悩みから逃げようとしてもがいている人に、
安心して悩みにどっぷりとつかっていただくのを
援助している職業と言えるかも知れない。」
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今年のテーマ。

2014-01-16 | 地域
「座談の思想」を読んでから、
そうだ、
「震災の思想」というのも、
ありかもしれない。
うん。今日寝起きに思いました(笑)。
ということで、
本年前半期のテーマが決まり。
このブログなり、
語る相手を決めて、
「震災の思想」というお題で、
思うことをまとめてみることに。
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オノマトペ読本

2014-01-14 | 本棚並べ
井上ひさし著「自家製文章読本」(新潮文庫)に
「文間(ぶんかん)の問題」があり、
その次の章が
「オノマトペ」になっておりました。

ということで、「オノマトペ」の箇所を読む。
う~ん。素敵なので、うなってしまいます。

ちなみに、この文庫の解説はロジャー・パルバース
という方でした。その解説に
 
「・・・一例をあげよう。
日本語の文章でオノマトペを多用してはいけない
という考え方に対して、井上さんはその効用を説いている。
・ ・・・・・
作家が言葉を選ぶとき、その意味でなく響きによって
選んでいるケースは、その作家自身が意識しているよりも
かなり多いのではないかと思っている。
だがそのような考え方は日本語の文章の世界では
はなはだ軽視されてきた。
この章を読んだ方はきっと新鮮な感銘を
受けたのではないだろうか。
『オノマトペは子供っぽい。大人が使う言葉ではない』
という思い込みからは豊かな日本語は生まれはしない。
だからこそ井上さんはこの章を設けたのだろう。
・ ・・・」(p264~265)

魅力的な
井上さんの「オノマトペ」の章は、
引用するのが、もったいないので、
各自が読んでのおたのしみ(笑)。

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観念の守備範囲。

2014-01-13 | 短文紹介
テレビで、サッカー中継を見ていると、
守りが堅く、ゴールを決めるのは、まれで、
数にすると、イエローカードをもらうほうが
多いのじゃないか(笑)
と思ったりしながら、みていることがあります。

さてっと、そういえば、
国会中継も、イライラ度で比較すると、
サッカー観戦と同じような気がしてきます。
場外乱闘はプロレスで、
そういえば、国会議員には、
プロレスの方がいらっしゃるけれど、
サッカー選手あがりは、いませんね。

さてっと、
きれいにゴールを決めるのは一瞬で、
たいてい見逃していたりします。
そうすると、繰返されるゴールを決めた際の映像が
なんとも、ありがたい。

国会の議論も、
乱闘などは、たびたび映像となりますが、
きれいに決った議論となると、
はたして繰返し放映されているのか、
ちょっと疑問に思えてきます。
私が聞きたいのは、
きれいな意見を拝聴できる喜びにあります。

そのほとんどが、防御にはばまれて
ゴールを決められないわけですが、
やはり、白熱した議論の魅力は、あるはずです。

ということで(笑)、
鶴見太郎著「座談の思想」(新潮選書)から、
みごとに、シュートが決ったような座談の箇所を引用。

それは、竹内好と梅棹忠夫の座談にありました。
竹内好が「いまのアジアの抵抗運動は、
単に生存権の主張という以上に、人類的な
普遍の価値を高めるという意味をもっている。・・・」
というように指摘すると、
それに対して梅棹忠夫が語る箇所。
そこを引用。

「その見方は、やや楽観的にすぎるように思いますが・・・。
それは、アジア諸国において
そういう動きを示している人たちに対する、
たいへん好意的な見方ではありますが、
そういう方向が、今後のアジア諸国において
圧倒的な力を持つようになるかどうか、
心配だというわけです。
アジアの内部自体に、
人類的普遍的価値をぶちこわすような要素が、
ないとはいえない。
日本のことをいえば、われわれ日本人は、
アジア諸地域のもっているこの種の事実的側面を、
うっかりすると見のがして、
観念が空中滑走をしてしまうんじゃないか、
という心配をもちます。・・・」


うん。最初から読めばダラダラとしやすい、
座談ではありますが、
こうして、繰り返して読みたい
その箇所をとりあげる、
この「座談の思想」は、ありがたい。
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話の中の余白。

2014-01-11 | 本棚並べ
鶴見俊輔著「文章心得帖」に
「これは文間文法の問題です」と語られている箇所があり、
印象に残っております。
「一つの文と文との間は、気にすればいくらでも文章を押し込めるものなのです。だから、Aという文章とBという文章の間に、いくつも文章を押し込めていくと、書けなくなってしまう。とまってしまって、完結できなくなる。そこで一挙に飛ばなくてはならない。」

「一つの文と文との間をどういうふうにして飛ぶか、その筆勢は教えにくいもので、会得するほかはない。その人のもっている特色です。この文間文法の技巧は、ぜひおぼえてほしい。」

うん。ひさしぶりに、
鶴見俊輔の、この箇所を思い出したのは、
ほかでもない、鶴見太郎著「座談の思想」(新潮選書)の
桑原武夫氏をとりあげている箇所を読んでいる時でした。

鶴見太郎氏は、そこでこう指摘しておりました。

「座談会に限らず、話し手によって
微に入り際を穿つような説明が続くと、
却って周囲が話に加わることがはばかられる
という空気を生みやすい。
それよりも、話し手が自分の言わんとする
対象をほぼ把握しているけれども、
まだはっきりとそこまでには到っていない、
という意思を示し、
話の中に余白のようなものを作る方が、
はるかに読む者、聞く者の側の想像力を刺激する。
しかも、その余白をめぐる描写が
桑原という稀有の表現者によってなされていることが、
なおさら聞き手の想像力をかきたてていき、
その余白に向かって周囲の発言が
自然に生まれていく。・・・」(p165~166)


さてっと、
とりあえず、鶴見太郎著「座談の思想」を
読み終る。
「謦咳に接する」。
そんな機微に触れたような読後感。
うん。新春に読めてよかった一冊。
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