読売新聞3月27日の「本のよみうり堂」
書評欄に月本昭男氏の書評で
藤井貞和著「日本文学源流史」(青土社・4200円)
が載っておりました。
そこにこんな箇所がある。
「江戸時代は鎖国を掲げてはいても、
引き続き欧州の知識と文物が導入される
『新しい時代』であった。
それを知りながら、鎖国を
『のほほんと受け止め』、
かたくなに偏狭な国粋主義を守ろうとした
本居宣長は作家として凡庸であった、
と著者の眼には映る。・・・」
おいおい。
本居宣長は作家じゃない。
作家として扱ってはいけないのじゃないですか。
ということで、著者には興味がありますが、
この本は絶対に買わないことにします。
それはそうと、
河合隼雄著「未来への記憶」(下・p135)を
ひらく(笑)。
そのケレーニイが登場する箇所を引用。
「そうしたら、また急にケレーニイが
『あなたは詩を書くか』と言うんです。
ぼくは詩ってのはどうも読むのも苦手なほうなので、
『詩はぜんぜんわかりません』と正直に答えました。
そうしたら、『文献はあまり読まなくてよろしい。
日本の神話を繰り返し繰り返し読みなさい。
何度も何度も読んでいたら、あなたの心に自然に
詩が生まれてくる。それを書いたら、
それが最高の論文である』と
ケレーニイが言ったのです。それでぼくは
『詩は書けないけれど、まあ、がんばってやります』
てなことを答えて、それで別れたのです。」
うん。おもむろに、本棚で埃をかぶった
小林秀雄著「本居宣長」をとりだす。
この本のはじまりは、こうでした。
「本居宣長について、書いてみたいといふ考へは、
久しい以前から抱いてゐた。
戦争中の事だが、『古事記』をよく読んでみようとして、
それなら、面倒だが、宣長の『古事記伝』でと思ひ、
読んだことがある。それから間もなく、
折口信夫の大森のお宅を、初めてお訪ねする機会があつた。
・・・・・帰途、氏は駅まで私を送つて来られた。
道々、取止めもない雑談を交して来たのだが、
お別れしようとした時、不意に・・・・」
小林秀雄著「本居宣長」は
のちに、新潮文庫で上下巻として出ており、
文庫の下巻では、小林秀雄と江藤淳対談が
最後に載っておりました。そこからも引用。
江藤】今度刊行された『本居宣長』をお書きになり
始めてから完成されるまで、十年ぐらいかかっている
のでしょうか。
小林】十一年半ですって・・・・。
勝手にやっているうちに、そんな事になったんです。
碁、将棋で、初めに手が見える、勘で、これだなと直ぐ思う、
後は、それを確かめるために読む、読むのに時間がかかる、
そういう事なんだそうだね。言わば、私も、そういう事を
やっていたのだね。・・・・
・・・・・・・・
小林】 ぼくは『古事記伝』を読んだ後の感動が残っていて、
何とかその感動をはっきりさせたいという気持ちがあった
んですね。それは戦争中の事です。
・・・・・
江藤】そうすると、宣長の著作では最初に
『古事記伝』をお読みになったのですね。
小林】そうです。『古事記』をしっかり読もうと思い、
どうせ読むなら『古事記伝』で読もうと思った。
江藤】それもやはり、勘のようなものですか。
小林】それは、勘ではない。
はい。しばらく身近に
小林秀雄著「本居宣長」を置いておくことに、
学生時代以来かもしれない(笑)。
うん。本居宣長は作家ではない。