坂東眞砂子さんが「私は子猫を殺している」と告白するコラムを掲載して、
反響を呼んでいるそうです。
現在、坂東さんは仏領タヒチ島在住なのだそうです。
そのコラムは日経新聞夕刊の「プロムナード」というコーナーで、
「子猫殺し」というタイトルが付けられた坂東さんのコラムだそうです。
読売新聞の8月24日夕刊によると
「『こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている』で始まり、生まれたばかりの子猫を家の隣のがけ下に投げ捨てていると告白している。その上で、飼い猫に避妊手術を受けさせることと、子猫を投げ捨てを対比し、『生まれてすぐの子猫を殺しても(避妊と)同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ』と書いた。」
ここで、竹村公太郎著「日本文明の謎を解く」が思い浮かびました。
そこには、「なぜ、平安の都に盛んに登場した牛車は、姿を消していまったのか?」
という疑問が考察されておりました。
疑問はつづきます。
「なぜ、日本では馬車や牛車が発達しなかったか。発達させるどころか衰退させてしまったのか?」
ここでは、猫の話ではなくて、牛や馬の話です。
けれども、つながりがあるのでした。
「中国から馬車や牛車が入ってきた。その際、車の動力となる馬や牛を去勢する技術も一緒に入ってきた。しかし、日本人は馬や牛の去勢を徹底しなかった。
日本人は牛や馬を道具として扱わなかった。馬や牛に名前を付けて、家族の一員として扱ってしまった。家族になれば当然、去勢を施すなどということはできない。
去勢しない馬や牛は扱い難い。それでも馬はどうにか調教によって人に馴染む。しかし、牛は馬のように調教が効かない。普段の牛は草食でおとなしいが、突っ走りだしたら止まらない。牛は臆病なためか、外部の刺激に対して敏感だ。とくに去勢しない牛は危険である。ちょっとした刺激で暴れだす。」(P 102)
そして、平安時代の絵巻「日本の絵巻 年中行事絵巻」(中央公論新社、1987)からの指摘をしているのでした。
「この絵巻では、牛車の場面が25場面描かれている。その場面の3分の1近くの七場面で牛が暴れているのだ!・・牛は役には立つが、厄介物であった。牛車によって多くの人が傷つき、物が壊された。とくに人通りの激しい都は、牛にとって刺激が多い。都会と牛車は相性が悪く、牛は少しずつ農村部へ追いやられていったのだ。」
さらに竹村さんは調べておりました。
江戸の屏風絵である「江戸名所図屏風」と「江戸図屏風」を見に出かけて、
「私は心から驚いてしまった。
この江戸時代の二つの屏風絵に『車』の影も形もなかったのだ!
車は江戸文明から消え去っていた。牛車も馬車も完全に姿を消してしまっていた。」
この箇所は、まだ続くのですが、これくらいにして、
8月25日の産経新聞の国際欄に北京の野口東秀さんの署名記事がありました。
そこには
「中国山東省の村で『当局が強制中絶など不当な人口抑制を行なっている』と告発した全盲の人権活動家や世界的にも著名な人権派弁護士が逮捕、拘束された。」とあります。
中国の人口問題は、
加藤徹著「貝と羊の中国人」(新潮新書)のなかの第4章「人口から見た中国史」によると歴史的な背景がよくわかり、現在の資源を食いつぶしてゆくような経緯が、人口問題と絡んで浮かび上がってきます。
また岡田英弘著「この厄介な国、中国」(ワック)には
「これは14世ダライ・ラマの著書に書かれていることだが、巡回医療班がチベットの奥地を回って、結婚適齢期の女の子に不妊手術を施しているという」
という箇所がありました。
産経新聞の記事を読んで、自国の村でも強制中絶をさせているとなれば、領有地であるチベットへの不妊手術などは、当たり前のことだったのだと気づきます。
加藤徹さんの本では
「中国では、人口増減のサイクルが歴代王朝の寿命を決定した。しかも、破局の到来を回避できた王朝は、一つもなかった。」という歴史認識をしめしておりました。
坂東さんのコラム「子猫殺し」から、
中国の強制中絶まで新聞の記事はさまざまな考える材料を提供しております。
文化の問題を含めて、どこをどう結びつけてゆけばよいのか?
ただ、問題を隠す体質としてなら、坂東さんは正直に情報公開をしている
といえることになります。そうして公開された情報を丹念に比べてゆく
そんな発想が各自の判断にゆだねられているのだと思うのでした。
それにしても、私は読んでいないのですが、
坂東眞砂子さんとは、どんな小説を書く人なのでしょう?
反響を呼んでいるそうです。
現在、坂東さんは仏領タヒチ島在住なのだそうです。
そのコラムは日経新聞夕刊の「プロムナード」というコーナーで、
「子猫殺し」というタイトルが付けられた坂東さんのコラムだそうです。
読売新聞の8月24日夕刊によると
「『こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている』で始まり、生まれたばかりの子猫を家の隣のがけ下に投げ捨てていると告白している。その上で、飼い猫に避妊手術を受けさせることと、子猫を投げ捨てを対比し、『生まれてすぐの子猫を殺しても(避妊と)同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ』と書いた。」
ここで、竹村公太郎著「日本文明の謎を解く」が思い浮かびました。
そこには、「なぜ、平安の都に盛んに登場した牛車は、姿を消していまったのか?」
という疑問が考察されておりました。
疑問はつづきます。
「なぜ、日本では馬車や牛車が発達しなかったか。発達させるどころか衰退させてしまったのか?」
ここでは、猫の話ではなくて、牛や馬の話です。
けれども、つながりがあるのでした。
「中国から馬車や牛車が入ってきた。その際、車の動力となる馬や牛を去勢する技術も一緒に入ってきた。しかし、日本人は馬や牛の去勢を徹底しなかった。
日本人は牛や馬を道具として扱わなかった。馬や牛に名前を付けて、家族の一員として扱ってしまった。家族になれば当然、去勢を施すなどということはできない。
去勢しない馬や牛は扱い難い。それでも馬はどうにか調教によって人に馴染む。しかし、牛は馬のように調教が効かない。普段の牛は草食でおとなしいが、突っ走りだしたら止まらない。牛は臆病なためか、外部の刺激に対して敏感だ。とくに去勢しない牛は危険である。ちょっとした刺激で暴れだす。」(P 102)
そして、平安時代の絵巻「日本の絵巻 年中行事絵巻」(中央公論新社、1987)からの指摘をしているのでした。
「この絵巻では、牛車の場面が25場面描かれている。その場面の3分の1近くの七場面で牛が暴れているのだ!・・牛は役には立つが、厄介物であった。牛車によって多くの人が傷つき、物が壊された。とくに人通りの激しい都は、牛にとって刺激が多い。都会と牛車は相性が悪く、牛は少しずつ農村部へ追いやられていったのだ。」
さらに竹村さんは調べておりました。
江戸の屏風絵である「江戸名所図屏風」と「江戸図屏風」を見に出かけて、
「私は心から驚いてしまった。
この江戸時代の二つの屏風絵に『車』の影も形もなかったのだ!
車は江戸文明から消え去っていた。牛車も馬車も完全に姿を消してしまっていた。」
この箇所は、まだ続くのですが、これくらいにして、
8月25日の産経新聞の国際欄に北京の野口東秀さんの署名記事がありました。
そこには
「中国山東省の村で『当局が強制中絶など不当な人口抑制を行なっている』と告発した全盲の人権活動家や世界的にも著名な人権派弁護士が逮捕、拘束された。」とあります。
中国の人口問題は、
加藤徹著「貝と羊の中国人」(新潮新書)のなかの第4章「人口から見た中国史」によると歴史的な背景がよくわかり、現在の資源を食いつぶしてゆくような経緯が、人口問題と絡んで浮かび上がってきます。
また岡田英弘著「この厄介な国、中国」(ワック)には
「これは14世ダライ・ラマの著書に書かれていることだが、巡回医療班がチベットの奥地を回って、結婚適齢期の女の子に不妊手術を施しているという」
という箇所がありました。
産経新聞の記事を読んで、自国の村でも強制中絶をさせているとなれば、領有地であるチベットへの不妊手術などは、当たり前のことだったのだと気づきます。
加藤徹さんの本では
「中国では、人口増減のサイクルが歴代王朝の寿命を決定した。しかも、破局の到来を回避できた王朝は、一つもなかった。」という歴史認識をしめしておりました。
坂東さんのコラム「子猫殺し」から、
中国の強制中絶まで新聞の記事はさまざまな考える材料を提供しております。
文化の問題を含めて、どこをどう結びつけてゆけばよいのか?
ただ、問題を隠す体質としてなら、坂東さんは正直に情報公開をしている
といえることになります。そうして公開された情報を丹念に比べてゆく
そんな発想が各自の判断にゆだねられているのだと思うのでした。
それにしても、私は読んでいないのですが、
坂東眞砂子さんとは、どんな小説を書く人なのでしょう?