井波律子著「書物の愉しみ」(岩波書店・2019年)。
この書評集で紹介されている
堀田百合子著「ただの文士 堀田善衛のこと」(岩波書店・2018年)が
気になって古本で注文。それが届く。
さっそくパラパラめくっていたら、編集者と作家のことが
気になりました。
父・堀田善衛の内輪話に
『 作品の善し悪しは、編集者の善し悪しで半分決まる 大事だ 』(p197)
とあるのでした。
宮崎駿さんが訪ねてきたことに触れて、堀田善衛氏は娘にいっています。
『宮崎さんは『方丈記私記』が好きらしい。エライ人だ。・・』(p189)
本のはじめの方に、『方丈記私記』と編集者のことが出てきておりました。
最後にそこを引用しておくことに。
「1970年7月、筑摩書房の総合雑誌『展望』に『方丈記私記』の
執筆を開始。翌年4月号までの連載でした。・・
当時の、父の担当編集者、岸宣夫氏に執筆時の話を伺いました。
当初、『方丈記私記』は連載もなく、単行本になる予定なども
なかったのです。・・・・
PR用の予告も出た。しかし、父(堀田)は書かない。
では、『展望』に連載して、仕上がったら・・・と提案され、
父は、それなら出来るかもしれないということで、連載が開始されたのでした。
岸さんは、数年前に『展望』編集部に配属されたとき、
誰が堀田善衛の担当をするかということになり、
即座に手を挙げたそうです。・・・・
以来、父が亡くなるまでの30年、父は担当編集者は
岸さんでなくては駄目だと言い、営業部に異動しても、
教科書部に異動しても、筑摩書房での父の仕事はほとんど岸さんが担当。
単行本も、二度の全集も、岸さんが編集作業をしてくださったのです。」
( p70~71 )
この次のページに『方丈記私記』のはじまりが引用されておりました。
「 私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、
われわれの古典の一つである鴨長明『方丈記』の鑑賞でも、
また、解釈、でもない。それは、私の、経験なのだ。
『方丈記私記』は、この一文で書き始められたのでした。
連載は、原稿が滞ることもなく、淡々と進められていったそうです。
が、一度だけ――70年11月、父は第四回A・A作家会議ニューデリー大会
に出席するため出かけなければならない。
翌日がその出発日というときに、
『 岸さん、原稿が間に合わない。今日は手伝ってくれ 』
と言われたそうです。
岸さんは父の指示した岩波の日本古典文学大系『方丈記』からの
引用文を書き写し、父に渡す。父はそれに続けて原稿を書く。
そして岸さんは、次に引用文を書き写す。その繰り返しで、
深夜に原稿は出来上がったそうです。
わが家に泊まり込んで、父の仕事の手伝いを
してくださった編集者は、岸さんただ一人です。
後日談があります。・・・
『 岸さん、あんな装丁の本はイヤだ 』・・次に、
『 岸さん、10章分それぞれの章のタイトルを考えてください 』
だそうです。・・・
岸さん、編集者になって初めて作った単行本です。
そしてこの『方丈記私記』は71年11月第25回毎日出版文化賞
を受賞したのでした。よかったです。
父にとってではなく、岸さんにとって、です。
その後、ちくま文庫に入った『 方丈記私記 』は、
『 インドで考えたこと 』に続く父のロングセラーです。・・・
後に、父は『方丈記私記』の生原稿を製本し、
岸さんにプレゼントしました(現在、神奈川近代文学館所蔵)。」(~p73)