本の整理して、あらためて思うのは、装丁のことでした。
森毅・鶴見俊輔が毎回ゲストを呼んでの鼎談本「日本文化の現在」(潮出版社)。
この装丁は、田村義也。
潮出版社の河合隼雄・鶴見俊輔の鼎談本も、田村義也の装丁がありまして、よく目立ちます。さてっと、「日本文化の現在」にはゲストのなかに梅棹忠夫氏が登場する箇所がありました。
そこでの梅棹氏の言葉にこんなのがあります。
梅棹】 科学的社会主義という言葉がありますが、これは科学に対する過大評価ですね。科学というのはそんなにきっちりしたものと違うんです。実にあいまいなものです。私は自然科学をおさめて人間として、科学の限界とかいいかげんさをよく知っています。
森】 あっはっはっ。
梅棹】 ねえ。数学はましかもしれんけどね。社会みたいな複雑怪奇なものを科学でやれるというのは、何という幻想かと思います。 (p258)
梅原猛対談集「少年の夢」(小学館)の装丁は谷本和彦とありました。そのカバーの文様は「ウイリアム・モリスのラッピング・ブック」(岩崎美術社刊)からとられておりました。
そこに梅原猛・河合隼雄・山折哲雄の鼎談が載っておりまして、題名が「法然と親鸞」。そのなかに、
山折】 やがて法然は天皇や貴族から一般庶民まで含めて、いろいろな人の帰依を受けるようになりますが、あれは今日的な言葉でいうと、心の癒し、いわばカウンセリングの名手だったわけでしょう。
梅原】 河合さんみたいなもんだな。
河合】 本来は宗教が、そして宗教家がそういった役割を担ってきた。ところが近代に入って、宗教の側からそれが離れていったので、われわれのような職業が生まれてくるわけです。
山折】 あの時代、つまり平安末期から鎌倉という時代は、歴史上、まさに日本人の精神的な大変革期といえるのではないでしょうか。 (p142)
あの時代じゃなくて、現代は、どういう時代だったのか。というと、
梅原猛著「心の危機を救え 日本の教育が教えないもの」(光文社)のはじまりに、こうありました。
「私がいま教育についての一冊の本を書こうと思うのは、オウム真理教の事件にショックを受けたからである。オウム真理教の事件は劇画的とも言えるまことに大胆で、無謀な殺人事件として日本の多くの人に衝撃を与えたが、それは私にもショックであった。・・・・一つの宗教の事件なのである。宗教の事件であるならば、宗教に強い関心をもつ哲学者の私にとっても見過ごすことのできないことなのである。オウム真理教の事件について論じないわけにはいかない。それを見過ごすことは哲学者としての怠慢なのである。」
(う~ん。哲学者かあ。オウム真理教については、私は養老孟司氏の文章が、わかりやすかった気がしています。)
ここで、「梅棹忠夫語る」にでてくる、梅原猛について語られた箇所が思い出されるのでした。(p199)
う~ん。何となく本の整理をしながらの拾い読み。
森毅・鶴見俊輔が毎回ゲストを呼んでの鼎談本「日本文化の現在」(潮出版社)。
この装丁は、田村義也。
潮出版社の河合隼雄・鶴見俊輔の鼎談本も、田村義也の装丁がありまして、よく目立ちます。さてっと、「日本文化の現在」にはゲストのなかに梅棹忠夫氏が登場する箇所がありました。
そこでの梅棹氏の言葉にこんなのがあります。
梅棹】 科学的社会主義という言葉がありますが、これは科学に対する過大評価ですね。科学というのはそんなにきっちりしたものと違うんです。実にあいまいなものです。私は自然科学をおさめて人間として、科学の限界とかいいかげんさをよく知っています。
森】 あっはっはっ。
梅棹】 ねえ。数学はましかもしれんけどね。社会みたいな複雑怪奇なものを科学でやれるというのは、何という幻想かと思います。 (p258)
梅原猛対談集「少年の夢」(小学館)の装丁は谷本和彦とありました。そのカバーの文様は「ウイリアム・モリスのラッピング・ブック」(岩崎美術社刊)からとられておりました。
そこに梅原猛・河合隼雄・山折哲雄の鼎談が載っておりまして、題名が「法然と親鸞」。そのなかに、
山折】 やがて法然は天皇や貴族から一般庶民まで含めて、いろいろな人の帰依を受けるようになりますが、あれは今日的な言葉でいうと、心の癒し、いわばカウンセリングの名手だったわけでしょう。
梅原】 河合さんみたいなもんだな。
河合】 本来は宗教が、そして宗教家がそういった役割を担ってきた。ところが近代に入って、宗教の側からそれが離れていったので、われわれのような職業が生まれてくるわけです。
山折】 あの時代、つまり平安末期から鎌倉という時代は、歴史上、まさに日本人の精神的な大変革期といえるのではないでしょうか。 (p142)
あの時代じゃなくて、現代は、どういう時代だったのか。というと、
梅原猛著「心の危機を救え 日本の教育が教えないもの」(光文社)のはじまりに、こうありました。
「私がいま教育についての一冊の本を書こうと思うのは、オウム真理教の事件にショックを受けたからである。オウム真理教の事件は劇画的とも言えるまことに大胆で、無謀な殺人事件として日本の多くの人に衝撃を与えたが、それは私にもショックであった。・・・・一つの宗教の事件なのである。宗教の事件であるならば、宗教に強い関心をもつ哲学者の私にとっても見過ごすことのできないことなのである。オウム真理教の事件について論じないわけにはいかない。それを見過ごすことは哲学者としての怠慢なのである。」
(う~ん。哲学者かあ。オウム真理教については、私は養老孟司氏の文章が、わかりやすかった気がしています。)
ここで、「梅棹忠夫語る」にでてくる、梅原猛について語られた箇所が思い出されるのでした。(p199)
う~ん。何となく本の整理をしながらの拾い読み。