和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

五百年来塵埃にまかせしは。

2017-12-31 | 道しるべ
今年は年末になって
正法眼蔵にめぐり会えた年となりました(笑)。

増谷文雄さんの談話に

「私は仏教ばかりやっていますので、
仏教の立場から申しあげますと、仏教の立場からみても、
やはりだいたい13世紀というのでしょうか。
あの時代が一つの大きな転換期だということが言えると思います。
これは歴史全体を見なくても、仏教だけを見ても、
大きな転換期になるようです。ちょうどいま笠原さんが、
日本の歴史に三つの転換期があるとおっしゃいましたが、
仏教の立場からみても、やはり三つの転換期があるようであります。
まず仏教が入ってまいりましたのが6,7世紀ごろ、
それから約六百年をおきまして、
12,3世紀、これが鎌倉時代の大転換期でございますね。
それから第三には明治維新の前後から現代にいたる時期、
これがまたちょうど六百年です。
仏教のなかだけで考えましても、
六百年の大きな波をなして、
三つの転換期があるのです。
だが、その次に終戦後の二十年というのは、
これは少し早すぎて、別にして
私の考え方のフォルムのなかには入ってまいりません。
ともかく、そういう意味では、
鎌倉時代の仏教というのは、日本人が経験した
仏教的転換の最大のものと、私は考えています。」
(p125・池島信平編「歴史よもやま話」日本篇・上)


そういえば、
良寛の漢詩「永平録を読む」のなかに


・・・・
玉か石か人の問う無く
五百年来塵埃にまかせしは
主としてこれ法を選ぶの眼無きによる
・・・・
一夜燈前涙留まらず
うるおし尽くす永平古佛録。
・・・・・
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乱れ飛ぶレッドカードの朝日

2017-12-29 | 朝日新聞
今日発売の「WILL2月号別冊」は
「朝日新聞と言論犯罪」と題しております。
「朝日新聞」にはフリガナをつけて
「フェイクペーパー」としておりました。

さっそく購入。
雑誌で今まで掲載した
朝日新聞関連文や対談が満載されていて、
年末の朝日新聞のおさらい特集となっておりました。
すぐに忘れる、私にはありがたい特集。


たとえば、WILL9月号に掲載された
屋山太郎・潮匡人の対談は、こうはじまっておりました。

潮】 ようやく、蓮舫が戸籍と離脱証明書を出しましたね。
台湾籍を離脱したのが、2016年9月13日。
外国籍放棄の宣言をしたのが、2016年10月7日。
なんだ、やっぱり二重国籍だったじゃないか(笑)。

屋山】昨年から指摘されていた疑惑が真実だと判明したのに、
彼女はずっと薄ら笑い。・・・(p53)


うん。9月13日・10月7日は蓮舫の二重国籍記念日。
テレビに蓮舫氏が登場する「薄ら笑い」の時は、
すぐに忘れる私も、忘れずにいたいものです。
テレビは指摘してくれませんからね。

閣議決定も
忘れたくないものです。

潮】 ・・・安倍内閣は共産党と破壊活動防止法について
の答弁書を閣議決定しました(2016年3月22日)
 
 日本共産党は、現在においても、
 破壊活動防止法に基づく調査対象団体である。
 警察庁としては、現在においても、
 御指摘の日本共産党の
 『いわゆる敵の出方論』に立った
 『暴力革命の方針』に変更はないものと認識している

屋山】 これは、大事な閣議決定だったよね。

潮】 でも、この閣議決定をきっちり報じたメディアは
産経新聞だけでした。
朝日新聞なんか・・ほとんど黙殺に近かった。
(p58~59)

すぐに忘れてしまう私みたいな方のために。
きちんと朝日新聞を味わいつくす雑誌特集。
今年一年の朝日マスコミ総括お薦めの一冊。

たとえ、無視されようと、
イエローカードと
レッドカードは出し続ける。
という願いのこもった一冊。

乱れ飛ぶレッドカードのアラシ。
乱れ飛ぶレッドカードのアサヒ。

レッドカードを、朝日購読者に見せなきゃ、ちっとも怖くない。
公称650万部の朝日新聞購読者が購読料を払っているぞ。
みんなで渡れば、資金力に物言わせてレッドカードも怖くない。

腐っても鯛。
腐っても朝日新聞。
朝日購読者公称650万部一丸となっての洗脳玉砕。
朝日に加勢するマスコミ軍団の資金力を断つには、
どうすればよいのか、

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朝日は簡易書留で訴訟開始。

2017-12-28 | 朝日新聞
産経新聞の社会面(26日)に

「朝日新聞社は25日、
執筆者で文芸評論家の小川栄太郎氏と
発行元の飛鳥新社(東京)を相手取り、
謝罪広告の掲載と計5千万円の損害賠償
を求める訴訟を東京地裁に起こした。」

小川栄太郎著
「徹底検証『森友・加計事件』朝日新聞による
戦後最大級の報道犯罪」

この書籍を出版され、
名誉を傷つけられたとしての
朝日新聞社による賠償訴訟。

朝日の言い分は
「本社には一切取材もないまま、
根拠もなく、虚報、捏造、報道犯罪などと
決めつけている。
事実に反した誹謗中傷による名誉毀損の
程度はあまりにひどく、
言論の自由の限度を超えている」
とコメントを出した。


うん。朝日新聞一面紙面の消費期限が切れ、
「モリカケ」ってなんだったっけ、という
朝日購読者の忘却期限が過ぎてくれるまで、
裁判は続くのでしょう。

さてっと、小川榮太郎氏の語りは
雑誌「正論」2月号でじっくりと読めます。

髙山正之氏との対談です。
そこに

小川】 ・・・本当に。
朝日新聞の広報部長は申入書を出すにあたって、
弁護士や法務担当者に相談しているようには思えないのです。
あれだけの大企業が一個人にいきなり賠償という言葉を
突き付けてくるとは・・・。
私は朝日への回答書を書く上で、
3つの弁護士事務所と相談しましたけれど、
共通して『アホらしくて普通なら相手にしないレベル』
と言われました。
つまり賠償を請求するだけの法的構成が
まったく見えないんですよね。
単に苦情を言ってるだけ。
だからもし社内的に強い姿勢を示すためなら、
厳重抗議と訂正・謝罪要求で止めておけばよかった。
それが『賠償』の1語が入っている。
もう支離滅裂です。

髙山】 そうだよ。僕のも、小川さんのも
簡易書留で郵送されてきたけど、
訴訟にするなら普通、まず内容証明で送りつける。
外には出さないものです。
それで話がこじれたら訴訟へ、
とかいうステップが続くんだけど、
今回の場合は内容証明でもなく、
抗議文を出し、一緒にネットに張り付けた。
なんだか『こんなきついことを言ってやったぜ』
というポーズみたいな印象を免れない。

小川】 しかし、あれは禁じ手です。
・・・・

髙山】 相当な嫌がらせですよね。

小川】 常識的に考えたらこれは
恫喝行為に該当しますからね。
朝日新聞は文句があれば紙面でいくらでも反論できますし、
言論機関としてはまず言論で戦うのが常道です。
朝日の場合、発行部数が公称で650万部でしょう。・・
これだけの大メディアが、まだ8~9万部しか売れていない本の
著者個人に対して恫喝をかけてくるのは
朝日の大嫌いな筈の『権力の横暴』そのものです。
(p55~56)


うん。この12頁の対談は
読み応え満点(笑)。
ということで、この対談からあと一箇所引用しておきます。


小川】 ・・・・
しかし私には迷惑千万な話です。
別に朝日新聞など本当は相手にしたくはないのですから。
ずっとウソの報道に付き合わされて、
疲れ果てているわけですよ。
朝日新聞が何か素晴らしい、創造的な話を出してくるならいいが、
自らの正義を信じ込んで嘘をついて恥じない人達が
政治的影響力を持っているから仕方なく相手にしている。
始末に悪い話です。(p63)


うん。文学とは何か?
もちろん、私には分かりませんが、
ここには、現代の輪郭を彫り上げる言葉があるのじゃないか?
そう感じられてきます。
650万部と9万部。
「ウソの報道に付き合わされる」「始末に悪い話」の裁判の行方。
このシガラミが「現代文学」なのだと、私は言ってみたい。
はからずも、日本文学の最前線に、
躍り出ることになった小川榮太郎氏に拍手。

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三度目ぐらいに。

2017-12-25 | 道しるべ
そうだ。
と思って
「渡部昇一的生き方 ヒルティに学ぶ心術」(致知出版社)
を取り出してくる(笑)。

「知的生活 楽しみのヒント」渡部昇一・林望 (PHP)
ヒルティ著「幸福論」第一部(岩波文庫)
P・G・ハマトン「知的生活」(講談社)
これも、取り出してくる。

といっても読むわけではなくって、
まるで、辞書でもひくように探し物ならぬ
言葉探し。
「ヒルティに学ぶ心術」にこんな箇所。

「精神的な仕事、あるいは知的な仕事を
非常に簡単になし得るには繰り返すことである。
言い換えれば、訂正することである。
というのは、ほとんどすべての知的な仕事は、
最初はただ、輪郭的に把握されるだけであって、
三度目ぐらいに着手して初めて細かいところまで
見えてくるのである。・・・」(p106)

うん。今年は
渡部昇一を読み直そうとしていたのでした(笑)。
それがいつのまにか、
山本七平へ、そして正法眼蔵へと
ころころと変わります。

うん。古典だからか、比較にならないのでしょうが、
正法眼蔵は、わからないけれど、飽きない。
やっと、飽きない本をみつけた年の暮れ。
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机の配置。

2017-12-24 | 本棚並べ
パソコンの机まわりの整理。
何やら、すっかり忘れているものを
段ボールにつめこんで、
とりあえず、見た目はすっきり。

机のわきの本は、
増谷文雄著作集と学術文庫「正法眼蔵」を置く。
だいぶまえに頂いてあった
曹洞宗のお経本も、そこに並べて置く。
そのお経本に

「いのちは光陰に移されて
しばらくもとどめがたし、
紅顔いずくへか去りにし、
たずねんとするに・・・」
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「文藝春秋」のバトン。

2017-12-23 | 道しるべ
PHP新書の新刊。花田紀凱・門田隆将対談の
「『週刊文春』と『週刊新潮』」が届く。

あらためて、月刊雑誌「Hanada」2月号をひらく。
その蒟蒻対談で堤堯氏が

「文春に入ってからは、
池島信平さんや粕谷一希さんに、
よく『バカ野郎!』と叱られた。
みんな死んじまったけれど、
思えば有り難い存在だったなあ。」(p101)

PHP新書の新刊の「おわりに」は
花田紀凱氏。こうはじまります。


「ぼくが文藝春秋に入社したのが昭和41年(1966年)。
以来、ずーっと雑誌の編集に関わってきた。約五十年。
・・・文藝春秋で働いた三十年のうち、
十七年間『週刊文春』で仕事をし、
うち六年間は編集長を務めた。・・・
昭和52年(1977年)、田中健五さんが
『週刊文春』の編集長になったとき、
ぼくはデスクのひとりとして月刊『文藝春秋』から
一緒に異動した。」(p307~p308)


この新書の「はじめに」で門田隆将氏は
ご自身のことを

「大学を卒業して新潮社に入社し、
週刊新潮編集部に配属された私は、
以来、2008年に独立するまで25年間勤めた。
・・うち18年を特集班のデスクとして、
特集記事を八百本近く執筆してきた。」

その「はじめに」で
川上達史・PHP新書編集長からの
依頼電話を紹介しておりました。

「川上氏はこうつづけた。
『新聞がこんな情けない状態になっている今、
これからの日本のジャーナリズムの行く末に
も言及するような対談を花田さんとやってほしいんですよ』
電話の向こうで、川上さんは、そんなことを言っている。」
(p4)


月刊「Hanada」2月号を読める楽しみに、
PHP新書の新刊もくわわります。

うん。池島信平と齋藤十一と
二つの潮流が、ここで結びつくような
何だか得した気分(笑)。
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歴史です。

2017-12-21 | 前書・後書。
古本届く。
池島信平編「歴史よもやま話 日本篇・下」(文藝春秋)

そのあとがきから引用。

「昭和八年五月、
文藝春秋社の入社試験の面接の時、
菊池寛氏が、『君の専攻、なんだい』と言ったので、
『歴史です』と答えたら、ちらりとこちらを見て、
『ああ、そうか!』とうつむくと、
メモに顔を押しつけて、何かモゾモゾ書きつけていた。
ーーああ、これは大丈夫だなとその時直感したが、
果して入社出来た。
菊池寛氏は、たいへんな歴史好きである。
それから亡くなるまで、
先生とはずいぶん歴史について話をしたが、
人生の実感に貼りついている、歴史観、
人物論は実にユニークなものであった。
旧制高校時代は安藤祐専、大学では辻善之助
という優れた先生方に、国史概説を学んだが、
わたくしの本当の日本史の先生は、
菊地先生だと今でも思っている。」


ネットで古本屋の入荷本リストを見ていたら、
河谷史夫著「読んだふり」(洋泉社)と
いうのがあったので、その題に思わずニヤリ。

はい。私は
本の前書と後書を読んで
もう「読んだふり」を決め込むタイプ。

今回も、この後書で満足(笑)。
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広辞苑の「自由」でしょ。

2017-12-21 | 朝日新聞
雑誌「新潮45」2018年1月号の巻頭随筆は徳岡孝夫氏の留学時代を
振りかえっております。
はじまりは、
「新学期の一時間目。『新聞学概論』のマーフィー先生」

その授業は、
「そして、一時間目の結論は
『言論は自由である。しかし満員の映画館の中で火事だ!
と叫ぶ自由はない』だった。」

締め括りは、
「言論の自由は改めて言うまでもない。
行き過ぎて社会を歪めないようにする方が大事だ。
彼らは、してはならないことから言論を考えた。
方向が日本とは逆であった。」

昨日の産経新聞、
産経抄12月20日は広辞苑をとりあげております。
そこから引用。

「第6版の中華人民共和国の項目を見て驚いた。
行政区分を示す地図で、台湾が26番目の省として表記されている。
台北駐日経済文化代表処や在日台湾人組織が、
岩波書店に対して修正を求めるのは当然である。」

う~ん。コラムの真ん中は省略。
後半の最後までを引用。

「水野さんによると、
広辞苑は版を重ねるに従って、
偏向の度合いを増してきた
(「『広辞苑』の罠」)。
たとえば第1版で
『日本軍が南京攻略の際に行った暴行事件』
だった南京事件が、
第3版では『大虐殺事件』となる。
第4版からは
『南京第虐殺』という項目が別個に独立した。
『日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および
一般市民を大量に虐殺し、あわせて
放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件』
と説明する。
中国の主張通り、日本がどんどん悪玉になっていく。

『言葉は、自由だ。』。
広辞苑の宣伝用小冊子の表紙にあったコピーである。
ただ来月12月に発売される第7版が、
反日思想や中国の圧力からどれだけ自由なのか。
とても期待できそうにない。」

慰安婦像の増殖のルーツをたどれば、
そこに、広辞苑が隠れておりました。
「行き過ぎて社会を歪める」ことに
見事成功させた岩波書店「広辞苑」。

「行き過ぎて社会を歪める」広辞苑。
「行き過ぎて社会を歪める」朝日新聞。
検証も知らずに、ただただ、
コピーしたように虚に吼える追随者たち。







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クロスオーナーシップ。

2017-12-19 | 朝日新聞
月刊「Hanada」2月号が届く。

小川榮太郎氏の文が掲載されている。
読み始めると、こうあります。

「朝日新聞の抗議文への私の回答文だが、
朝日に発出し、ネットで公開しているものは、
原文を半分近く圧縮したものだ。
そこで今回、朝日新聞への回答を
フルヴァージョンで初公開することにした。
以下がその全文である。」

以下14頁。
うん。やっぱり全文を読まなくちゃね。

そして、次に
上念司氏の文からは、
「クロスオーナーシップ」を紹介した
この箇所を引用。

「ちなみに、朝日新聞が事あるごとに
攻撃している企業の内部留保だが、
日本企業の平均値は総資産の二十五%程度であると
言われている。これに対して、
朝日新聞の内部留保は、
代表的な勘定科目である利益剰余金で見た場合、
総資産の約五十%(三千八十億円)にも上る。

中身を見てみると、
その大半はテレビ局やラジオ局の
株式と不動産に化けている。
実は、この莫大な内部留保によって
株を買うことで、朝日新聞は
メディアを支配しているのだ。
これはクロスオーナーシップと呼ばれ、
他の先進国では禁止されている
メディアの独占である。
日本のマスコミが偏向報道をいくら
垂れ流したところで誰も批判しない訳は、
この企業支配の構造にあると言ってもいいだろう。」
(p64~65)


う~ん。
ほかにも引用したい人の文は
あるのですが、今回は、ここまで(笑)。
はい、この2月号は
どれも読みごたえがありそうなんです。
年末年始の雑誌一冊選ぶなら、私はこれです。
おっと、まだ「WILL」が発売されていなかった。
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「歴史好き」の人間である。

2017-12-14 | 道しるべ
増谷文雄氏の文を読んでいたら、
池島信平編「歴史よもやま話 日本篇・上」からの
引用があったので、さっそく古本で注文。
それが今日届く。

話はかわって、
木曜日は、NHKBSプレミアムで、
「英雄たちの選択」があります。
ついついと、見忘れることの方が多いのですが、
司会が磯田道史なので、楽しみにしております。

もどって、
池島信平編「歴史よもやま話」は
ラジオ番組の単行本化。
昭和36年夏からはじまり六年間もつづいた番組。
池島信平氏は明治42年生まれ。当時の文藝春秋社長。
この本のまえがきは池島信平氏が書いておりました。
そこから引用。

「わたくしはいわゆる『歴史好き』の人間である。
三十余年前に、学校で歴史を専攻し、その後、
歴史や伝記を愛読しつづけているので、
この座談会の司会は、実はたいへんたのしみであった。」


「世界や日本の歴史の一番面白いところを語り合おう、
また歴史の一番うまいところを味わいつくそうという主旨で、
実にアトランダムに題目を選んできたので、
まさかこれが四巻の本になるとは最近まで思わなかった。」


さてっと、この「日本篇・上」に
「鎌倉仏教 親鸞・道元・日蓮」と題して
笠原一男・増谷文雄・唐木順三が登場して
話が盛り上がっておりました。
う~ん。いろいろと引用したいところは
あるのですが(笑)。
ここでは、とりあえず最後の箇所を引用しておきます。

池島】 ではおしまいに、
この三人のなかで、どなたがお好きですか。
わたくしは先祖代々曹洞宗なので道元です。
正法眼蔵は分からないが、二世の懐奘(えじょう)
の「正法眼蔵随聞記」は愛読書です。

笠原】 親鸞です。
なぜ親鸞が好きかと申しますと、
先ほどちょっと触れましたけれども、
最後まで責任を持つという、この責任感。
宗教家でいちばん大切なのは、
この責任感だと思いますが、
その責任感を持つということと、
もう一つは、黙ってついて行かないで、
納得のいくまで問いただして、自分で選ぶという、
この二つの態度が、やはり現代社会で
いちばん必要じゃないかという、
これを親鸞が身をもって九十年の生涯のあいだ
貫ぬき通した、こんなところに
非常に魅力を感じますね。

池島】 唐木さんは、
もし講演会があるとすると、
道元さんのほうにまず最初に行きますか。

唐木】 それはそうじゃないな。
僕は自分が死ぬとき、
『南無阿弥陀仏』と言うか、
それとも『無ーッ』とかなんとか言うか、
まだうやむやです。(笑)

池島】 そうですか。
近いのはどなたですか。

唐木】 道元は舅のようなものです。
僕には舅のような気がするね。
親鸞がそれではおじさんかと言えば、
そうでもない。まあ、
死ぬときにはどうかわからんな。

池島】 日蓮はいかがですか。

唐木】 ちょっと、
あんな元気のいい人はごめんこうむるね。(笑)

増谷】 私は、じつは浄土宗の寺に生まれた
人間なんでございますけれども、
だれが好きかと言われますと、
これはいちばん怖いけれども、道元さんですね。
だいたい先生というのは、怖いほうがいいですね。
そういう意味で叱られてみたいと思いますね。
そういう意味で、念仏門の寺に生まれながら、
道元さんに非常に心をひかれるんですね。
しかし唐木さんと同じように、
死ぬときはどうなるかと言われると、
これはやはりお念仏に行きそうですね。
いちばん口にのっていますからね。



ちなみに、池島信平編「歴史よもやま話」は

  日本篇・上
  日本篇・下
  西洋篇
  東洋篇

の4冊が出ており、文庫にもなっているようです。
はい。ほかの3冊も古本屋へ注文しました(笑)。


ちなみに、「池島信平対談集 文学よもやま話」
上下巻というのもありました。



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巻頭言。

2017-12-12 | 道しるべ
月刊雑誌「Voice」1月号の巻頭言は
宮家邦彦(みやけくにひこ)氏。
こうありました。

「筆者ご縁があって、本号から
本欄『巻頭言』を担当することになった。」

その巻頭言から、すこし引用。


「新しい情報を入手する時間が短くなった分、
われわれは自らの思考を深めているだろうか。
むしろ、状況は逆だ。
テレビを見なくなった若者は、
考えることなくスマホを視聴する。
多くの人が情報の速さを競う半面、
その情報が本当に正しいかを含め、
物事をじっくりと『考える』時間は
ますます短くなっているのではないか。」

『考える』時間といえば、

読売新聞の今日12月12日の一面コラム
「編集手帳」が印象深い。
元横綱日馬富士の傷害事件をとりあげております。
そのコラムの後半を最後まで引用。


「依然すっきりしないのは、
被害者の貴ノ岩が口をつぐんだままでいることに尽きよう。
元横綱によれば、相撲部屋はちがっても、
自らと同じく親を失う不幸を経験した貴ノ岩を
他人とは思えず、兄弟のような付き合いをしていた。
礼節を欠く態度に必要以上にカッとなったのは、
若い力士への思いがあったからだという。
暴力は許されない。それは当然として、
元横綱の気持ちのみは理解できる。
信じてもいいものか。
真実にかぶさるほこりを払えるのは
貴ノ岩その人しかあるまい。」


ここには、
速さのスマホと
理解できる礼節と
じっくり『考えたい』問題が
解決されるわけでもなく、
横たわっているのでした。

せめてものこと、
その問題の在りどころを
コラムは、指摘されております。

ということで、
ガンバレコラム。
がんばれ巻頭言。

貴重な考える時間を、
味読させていただきます。

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短期的な洗脳力。

2017-12-11 | 朝日新聞
今日、町の本屋さんが雑誌VOICE1月号を届けてくれる。
ついでに、来年カレンダーを頂きました(笑)。

まず、雑誌をめくって読んだのが
小川榮太郎「なぜ私は朝日と闘うのか」
8頁ほどの文です。

ところどころ引用。

「主犯ははつきり立証できる。
朝日新聞である。」(p91)

「マスコミを通じてしか両事件を知らない
大多数の読者は、
マスコミ報道と森友問題、加計問題の実態の
極端な乖離に驚愕するはずである。
彼らが国民を洗脳した手口とストーリーは、
報道のモラルを完全に逸脱した
情報謀略としか評しやうのないものだからだ。」
(p92)

「主流メディアが、
国民からの信頼を悪用し、
『虚報』で、正当に選ばれた
高支持率の政権の転覆を図る。」

「なぜ、私たちは、
イデオロギーや思想表現の自由と・・・
『政治に関する重大な事実の正確な報道』の義務
への大きな違反行為を、混同し、
後者を平気で許してしまふのか。」(p93)

「特に深刻なのは、
国会質疑の主要な論点とマスコミ報道が
全く対応してゐなかつたことである。」


「中長期的な日本国民の輿論は、
民主党政権と安倍政権の比較を経験した中で、
確かに成熟し、安定してきてはゐる。が、
短期的なマスコミの洗脳力は決して衰へてはゐない。
・・マスコミの短期影響力は怖いのだ。」(p96)


はい。これだけを読めただけでも、
この雑誌を買った甲斐があります。
はたして文藝春秋1月号には、
こんな文が載るのでしょうか?

朝日新聞で読めない。
文藝春秋で読めない。
そんな文を、読めた。
ということで、
小川榮太郎氏に
一票入れるつもりで
雑誌を買ったような気分になります。
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古本著作集の注文。

2017-12-10 | 本棚並べ
正法眼蔵の原文・現代語訳は、
読み進めずにいるのでした。
うん。腰を据えてゆきます。

視点をかえて、古本を注文する。
これも正法眼蔵の手ごたえです。

というわけで、正法眼蔵の
現代語訳をされた増谷氏に触手をのばし、
増谷文雄著作集全12巻に3冊ほど欠けている
不揃いの9冊を注文。
送料共で6370円なり。

その前に、
増谷文雄著「日蓮 書簡を通してみる人と思想」(筑摩叢書)
を古本で購入して、はじまりの「宗教者の書簡」の箇所を読み。
宗教者の書簡という、広がりある領域をご教示願えたのでした。
うん。増谷文雄著作集を手元に置くことにします。

本を読むのは遅いのに、
古本の注文は早い(笑)。
わくわくと期待の注文。

正法眼蔵は未完の大作。
増谷文雄氏を得て、これでもって、
腰をすえての完走をめざします。


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道元のから手。

2017-12-08 | 三題噺
山折哲雄著「早朝坐禅」(祥伝社新書)
「人形 1 御所人形」(京都書院・昭和60年)
増谷文雄著「親鸞・道元・日蓮」(至文堂・日本歴史新書)


以上3冊から引用。
以下には、この3冊の順に引用してゆきます。

「雲水たちは、食器の上げ下げをするとき、
必ず両手を添えていたのだ。碗(わん)や皿を、
決して片手で扱おうとしない。
一口食べては両手でその器を静かにおき、
また別の器を両手で持ち上げている。
その往復運動は、見ていて快いリズムを
感じるほど楽しかった。・・・
そこで私は思ったのだ。
器に両手を添えるという身体作法が、
その無限の繰り返しのなかで、
いつのまにか『合掌』という
作法に結晶することになった
のではないだろうか、と。
食事の前後に合掌するのは、
この身体作法と決して無縁なもの
ではないに違いない。・・・」(p133~134)

うん。いつも茶碗を片手で扱っているので、
私の合掌は、いつもぎこちない。

思い浮かんだのは、御所人形。
稚子の可愛らしさを表現していて
写真で見たのは
霊鑑寺門跡の御人形のひとつでした。
木彫りに胡粉を塗り重ねた白い肌の
稚子人形が座っていて
丸顔の「水引手 紅の着衣」と
題された人形の写真でした。
すこし頭を上に向けて
両手をひらいて、そのままとじれば、
なんだか、拍手でもしそうな動作を
している人形でした。

以上で2冊引用。
3冊目は道元の「空手にして郷に還る」
という箇所を引用して終わります。

「道元は、1227年、28歳にして故国に帰ってきた。
・・・
これまでにも、海をわたってかの地にいたった
この国の仏僧はすくなくない。その中には、
この国の第一級の人々もおおい。そのとき、
彼らがかの国からもたらしたものは、
いまだこの国にしられていない経巻、仏像であった。
それらによって、この国の人々は、新しい仏教の
教法に接することを得た。また、新しい道具や
その他のものも、あわせて彼らによってもたらされた。
それらによって、この国の文化はゆたかにされた。
さらには、たとえば、茶の実をもたらして、
その栽培と喫茶の法を伝えるというようなこともあった。
それらの新しきものの招来は、人々の目をそばだたしめ、
心をおどらせたであろう。だがいま、道元が在宋五年にして、
新たにもたらしたものはなにか。それは
『眼横鼻直なることを認得した』ことだけであったという。
・・・・詮ずるところをいえば、
『空手にして郷に還る』、から手で帰って来たという。
これまでの留学僧はすべて、なにか新しいものをもって
帰ってきた。なんにも新しいものをもたずに帰ってきた。
だが、そのことこそ、まったく新しいものをもたらした
ことであり、そのことこそ、まことに瞠目し驚心すべき
ことであった。その意味をたずねてゆけば、そこに
道元の仏教把握のかなめが存していることが知られるのである。」
(p136~138)

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