和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

青木繁展。

2011-08-31 | Weblog
ブリヂストン美術館での青木繁展。
東日本大震災と祭りが気になるなか、
「海の幸」が神輿(みこし)を担いでいる姿と同じではないかという説がありました。さてっと、直接見る「海の幸」は完成品ではなく、描く過程をそのままに提示した作品であり、これは評価する審査員のほうがしんどいだろうなあ、と思ったりするのでした。つまり「詩は完成の放棄だ」という詩人の言葉が聞こえてきるような気がしました。これが完成してしまったら、駄作になってしまいかねないのじゃないかと妙に思えてきたり。まあ、そんなことを立ち去りがたく会場でウロウロしながら思っておりました。「海の幸」は均衡がいいのですね。そのバランスの迫力。たとえば、「わだつみのいろこの宮」では、女性二人が、どうしてもバランスが悪く間延びした感じに私は思えました。これなんか、直接見なければ、と思うわけです。絶筆という「朝日」(72.5×115.0)が近くで見ると太陽にひびが入っていて(傷みが気になるのです)、まるで素敵な女性の手がひび割れになっているような気がして残念なのですが、ひとたび、離れて見るならば、その粗も気にならず全体の構成がとても素敵に見えてくるのでした。青木繁の絵画は、各部屋ごとに見所を押さえた画面構成があり、それも立ち去り難く、またしても繰り返し見ていたのでした。
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俳句の「身分」。

2011-08-30 | 詩歌
井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)の
第1章は「子規と時代」。その章のはじめの、目次のわきに、こうあります。

「子規は俳句を文学にした。俳句の『身分』を上げた、と言いかえてもいい。江戸時代からある、『身分』の高い人のための文学のエッセンスに学んで、国民の文学として誇れるものを産み出していったのである。」

まあ、こんな風にはじまる一冊が面白く。なるほど、なるほどと読めるのでした。


ところで、昨日は、高速バスにて、ソワソワと雑用をすませたあとに、ブリジストン美術館「青木繁展」を見に行く。途中に読めるかと、もっていったのは、岩波文庫「漱石俳句集」。まあ、ほとんど、開かずじまい。その明治32(1899)年に

   秋はふみわれに天下の志    漱石

というのがありました。志を俳句に入れるんだなあ。
そういえば、虚子の俳句が思い浮かびます。
と岩波文庫「虚子五句集」(上)をひらいてみます。
ありました。大正2年2月11日 三田俳句会。東京芝浦。

  春風や闘志いだきて丘に立つ   虚子


一方は秋、虚子は春風。
「誇れるものを産み出して」いったのでしょうか?


もう少し、漱石俳句を

 一大事も糸瓜(へちま)も糞もあらばこそ   (明治36年)

 蜻蛉(とんぼう)の夢や幾度(いくたび)杭の先  (明治43年)

 秋立つや一巻の書の読み残し    (大正5年)


美術館では、見残しがあったのじゃないかと、立ち去り難く。ぐるぐると何回も見廻しながらの、行ったり来たり(笑)。
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これから湯に入ります。

2011-08-28 | 手紙
まだ、ブリヂストン美術館で開催されている「青木繁没後100年」の展覧会を見に出かけていない私です。最終日が9月4日。それまでに、なんとか行きたい。
とりあえず本を、というので、数冊本棚から取り出し、
パラパラめくっていると、あれこれと連想が働くのでした。
たとえば、青木繁から坂本繁二郎へ。そして坂本の牛の絵から、
たどりつくのは、夏目漱石の手紙でした。
そういえば、夏の今頃に、私は漱石のこの手紙を、毎年思い浮かべているような、そんな気がします(笑)。

「今日からつくつく法師が鳴き出しました。もう秋が近づいて来たのでせう。・・・日は長いです。四方は蝉の声で埋つてゐます。以上  夏目金之助」

大正二年に芥川龍之介へ宛てた手紙でした。
この手紙のなかに、

「どうぞ偉くなつて下さい。然し無暗にあせつては不可(いけま)せん。ただ牛のやうに図々しく進んで行くのが大事です。」

という言葉がありました。
その三日後に、また久米正雄・芥川龍之介の二人へと、漱石は手紙を出しておりました。


「あせつては不可(いけま)せん。頭を悪くしては不可(いけま)せん。根気づくでお出でなさい。・・・それ丈です。決して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして吾々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。/是(これ)から湯に入ります。  夏目金之助 」


さてっと、坂本繁二郎著「私の絵 私のこころ」(日本経済新聞社)の最初の絵は、カラーで「うすれ日」が載っております。では、坂本氏の文章から引用。

「大正と改元されたその秋の第六回文展に出品しました『うすれ日』と題した牛の絵・・うれしかったのは夏目漱石の評文を新聞で見たことです。切り抜きを保存しているのですが、『うすれ日は小幅である。牛が一匹立っているだけで、自分はもともと牛の油絵は好きでない。荒れた背景に対しても自分は何の興味も催さない。それでもこの絵には奥行きがある。もっと鋭く言えば、何か考えており、その絵の前に立って牛をながめていると、自分もいつしかこの動物に釣りこまれ、そうして考えたくなる。もしこの絵の前に立って感じないものは、電気にかからない人だ』という意味の文章でした。・・・・牛は好きな動物です。自然の中に自然のままでおり、動物の中でいちばん人間を感じさせません。大正時代の私は、まるで牛のように、牛を描き続けたものです。・・・」(p59~60)

それにしても、坂本繁二郎のあの馬の絵は、私にはわからないなあ。能面の絵は、私はうけつけません。なんて、実物も見ないで、カタログで、かってに判断しております。うん。それはそうと、青木繁展を見に行こう。
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発句と目次。

2011-08-27 | 他生の縁
 新聞にほつくの熱さ見る日哉  子規

井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)のp30に、この句が引用してありました。その前のほうも引用したいのですが、ここでは、関係ないので次いきます。

新聞と発句という取り合わせで、私に思い浮かぶのは、齋藤十一。
ということで、本棚から取り出してきた、
「編集者 齋藤十一」(冬花社)に、こんな箇所。

「美和夫人の話によると、齋藤さんは亡くなり方も凡庸ではない。また亡くなる直前の夢に、御自身が造った新しい雑誌を見たという。目次の内容も明瞭に現れて、夢の中で感動されたらしい。それを書き留めて置かれなかったのが実に残念である。」(p40)

この本の、たとえば石井昴氏の回想文「タイトルがすべて」には

「『売れる本じゃないんだよ、買わせる本を作るんだ』『編集者ほど素晴らしい商売はないじゃないか、いくら金になるからって下等な事はやってくれるなよ』『俺は毎日新しい雑誌の目次を考えているんだ』次から次に熱い思いを我々若輩に語りかけられた。
齋藤さんの一言一言が編集者としての私には血となり肉となった。我田引水になるが、新潮新書の成功は新書に齋藤イズムを取り入れた事によるといっても過言ではない。
『自分の読みたい本を作れ』『タイトルがすべてだ』私はいま呪文のようにそれを唱えている。」(p182)
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持たざる国のその日暮らし。

2011-08-26 | 短文紹介
猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」(中公文庫)を、とりあえず読もうと、流し読み。
たとえば、こんな箇所。

「現在、どの歴史年表をひもといてみてもアメリカの対日石油禁輸措置は8月1日と書かれている。しかし、実質的な禁輸は『石油製品輸出許可制』が完全実施された6月21日で、その後は、一滴の石油も入手できなくなっていた。」(p161)

「アメリカの対日石油禁輸が最終的に発令されたのは昭和16年8月1日であった。・・・高橋中尉が陸軍省整備局資源課に放り込まれたのは15年7月10日。東條陸相に『もはやアメリカから一滴の石油も輸入される見通しがない』ことを報告したのは一年後の6月23日である。その間、持たざる国日本と、持てる国アメリカとの石油政策は対照的であった。アメリカの対日輸出政策は、完全に日本の窮地を知り尽くしたうえで計画的に実施されていた。これに対して、日本の輸入政策は、その日暮らしの場あたり的なものでしかなかった。そして南方進出・蘭印占領(インドネシアに石油を獲りにいくこと)も、結果的にはその場あたり的な選択の延長線上にあった。・・・・高橋は『南進南進と騒いではいても、実際にそれでは石油を獲りにいくにはどうするか、という調査なり計画なりは昭和15年まではなにひとつなかった。実際に私たちがそれに取り組み始めたのは買い付け騒ぎが一段落した昭和16年2~3月頃であったと思う』と証言している。具体的な作業にとりかかったのは上司の上田菊治少佐の命令によってだった。・・・」(p173~175)


「ドイツも国内産石油は微々たるもので、持たざる国だった。・・・独ソ不可侵条約を締結する。そして、ルーマニアを電撃戦で占領し、ルーマニア油田を確保した。しかし、中東を狙った独伊軍は北アフリカで敗れ、頼みのソ連石油は、六万トンしか送ってこない。これに不満を抱いたヒットラーは、不可侵条約を破ってソ連に侵攻する。条約締結当時の平沼内閣は『欧州の天地は複雑怪奇』といって総辞職したが、ヒットラーは極めて明解な戦争の論理で動いていたのである。・・・この大戦における軍需輸送物質の40%は石油であったとさえいわれている。」(p160)


う~ん。
持たざる国。
その日暮らし。
場あたり的。
この3つのキーワードで、
震災対策についての、
古くてあたらしい、
3題噺を、どなたかにお願いしたいなあ。
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色付・仰臥漫録。

2011-08-25 | 他生の縁
井上泰至著「子規の内なる江戸」(角川学芸出版)が、印象に残っております。
といって、再読しているわけでもなく。ただ、そこに紹介されている本を、ついつい注文してしまうのでした。たとえば山下一海著「白の詩人 蕪村新論」(ふらんす堂)を買いました。うん、でも井上泰至の本の方がよいと思いました。さてっと、正岡子規著「仰臥漫録」を、とりあえず、岩波ワイド版で読んだのですが、井上氏が紹介していた角川ソフィア文庫の「仰臥漫録」を注文し、今日届きました。カバー絵は飯野和好。それよりも何よりも、岩波文庫では白黒の絵が、角川ソフィア文庫には、キチンとカラー絵で最初の16ページ、楽しめるのでした。これはまいったなあ。「仰臥漫録」はただ読むだけじゃ、味わったことにならない。ということを気づかされたのでした。うん。いながらにして、今日の驚き。
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知り合いのおじいちゃん。

2011-08-24 | 短文紹介
上部一馬著「3・11東日本大震災 奇跡の生還」(コスモ21)を、拾い読み。
ちょっと見ただけなのですが、忘れない箇所を。

県立高田病院の近くにある3階建て気仙小学校のこと。

「菅野祥一郎校長は、高田町で用事を終えた頃、この大地震に遭遇した。
『凄い揺れでしたので、学校に戻らねば、と思って、気仙川をまたぐ姉歯橋まで戻ったら、交通規制がかかり、渡れなかったのです。やむなく、もう少し上流にかかる橋を渡って、慌てて学校に戻ったのです。子供たち90人ほどがランドセルを捨て、校庭に上履き姿で先生と避難していました。その時、知り合いのおじいちゃんが【これはデッカイ津波が来るぞォ!】とアドバイスしてくれたので、私はすぐ、山に登れ!、と叫んだのです』校庭には、近隣に住む住民も集まっていて150人から200人くらいにまでふくれ上がっていた。『小5,6年の児童は猛スピードで、アスレチック用に使っていた校庭脇の高台に一目散に逃げたのです。これを見た住民のみなさんも後を追って逃げてくれたのです』しかし、防潮堤を越えた津波の速さは、時速50キロメートルはあった。校庭では逃げ遅れた人や車が呑み込まれていた。阿鼻叫喚、恐ろしい光景が出現した。それは崖を十数メートル上って、一息ついた瞬間のことだった。真っ黒い断崖のような波が、アッという間に校舎の3階まで達した。小学校の体育館からは、2度ほど火柱が上がった。漏電が原因のこの火災は一晩中燃え続けた。・・・・」(p51~53)
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夏野行く。

2011-08-23 | 詩歌
垂乳根といわず草田男妻の乳
なんて、これでも、句になっていますか?
さて
句集「銀河依然」に「妻の誕生日に 二句」と前書がある、
その二句目

 肩ごしに見下ろす乳房岩の春


 夫(つま)が落す語を妻拾ひ夏野行く


句集「美田」には

 言(ことだま)の言(こと)をやすめて昼寝妻

 子のための又夫(つま)のための乳房すずし

 髪の奥から奥からの妻の汗

 またたきまたたき論鋒澄みくるよ汗の妻

 外光及びて晩夏家居の妻豊か



せっかくですから、昭和13年の句

 妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る


ちなみに、昭和37年の句には

 特殊たるに堪へぬく夫婦金木犀
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昼寝人。

2011-08-22 | 詩歌
しまいこんで読まずにあった文庫本。
といいましょうか。寝かせてあった文庫が、ちょうど読み頃となっておりました。
朝日文庫の「中村草田男集」(現代俳句の世界6)を、この涼しくなった日頃に読んでおりました。

 五十年そのまま窓中昼寝人  草田男   p199


そういえば、司馬遼太郎は「草田男は明治34年の生まれでしたか、松山の人であります。大学生であることを30歳ぐらいまで続けていた暢気な人でして・・・」(p163「『昭和』という国家」・NHK出版)と語っております。

草田男というと夏。今回
読みながら思い浮かんだのは
「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉。

草田男と『涼しい』というテーマ。
たとえば、「川崎製鋼所にて」と書いてある句

  極まればすずし鉄の湯流れ次(つ)ぐ  (銀河依然)

最初期の句には、「仁和寺にて」とある

 ふと涼ししきゐを越ゆる仁王門    (長子)

こんなのもあります。

 車窓金星一途なるものすずしけれ   (銀河依然)

 をみな等も涼しきときは遠(をち)を見る  (銀河依然)


句集「母郷行」に、チンドン屋と「すずむ」が並んでいました。

 白塗り十指そよがしチンドン屋すずむ

 チンドン屋と半学者なる詩人すずむ

 チンドン屋すずむ半男半女(はんなんはんにょ)姿

 チンドン屋緑蔭に吐息紅脚絆
 
 チンドン屋すずむヒタと世寂(しづ)かになし

 汗が糸ひく紅を血と拭きチンドン屋
 
 チンドン屋前後の荷解き緑蔭へ

 単身のチンドン屋の音ほそく涼し


ということで、草田男の「涼し」は、読み甲斐あり。

 いつもすずし末子(ばつし)二寸の下駄の音  (美田)


うん。今日はこのくらいで。あと一句。


 気は若からず心が若し夏の月    (美田)


この頃、曇り空で
いつも見ていた月が、
見れないさびしさ。

 

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身につける。

2011-08-21 | 短文紹介
猪瀬直樹著「言葉の力」(中公新書ラクレ)を再読。
といっても、線を引いた箇所や、付箋の箇所を見直すともなく開く程度。
そこで、
PISA「国際的学習到達度調査」というテストのことが取り上げられておりました。
それについて、
「PISAはいずれ、英語のTOEICと同じように、グローバルスタンダードになる。問題は、日本人がなぜこのテストに弱いかということ。アメリカも誤答率は日本を同じ程度だが、無答率が日本より低い。アメリカ人は思いつきでもなんでも書く。日本人は困ると白紙回答。問題はそこだ。・・・読解力以前に自分の考えを示す力も問われているのだが、日本人は説明をするということが下手だ。『××が好き』と述べる場合、『なぜですか』と問われると、日本人は『好きだから』と理由にならないことを平気で言う。根拠を挙げず、あいまいな説明しかできないから、何を言っているのか伝わらない。」(p56~60)

そして、p65に
「PISAのような、ヨーロッパ型の言語技術を身につける教育をしながら、俳句や短歌のような日本語のリズムにもとづいた言語技術も学ぶ必要があるのだ。両方をきちんと身につけると、日本人は言葉の力で優位に立つことができると思う。」

さてっと、この本では、それ以降に「俳句や短歌」への言及はない。
けれども、これだけの指摘でも、印象には残ります。
「両方をきちんと身につける」ためには、どうしたらよいか。
という、次の行をさがしに。


老いてなほ稽古大事や謡初(うたいぞめ) 高浜虚子


うん。年齢は、この際関係ないですよね。
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我儘な楽しみ。

2011-08-20 | 詩歌
お盆には、家族全員がそろっての食事。
なかなか、うち揃って食事することもありません。

こうして数日すると、思い浮かぶのが、
橘曙覧の和歌。というわけです。

 たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物を食ふ時

 たのしみは家内五たり五たりが風だにひかで在りあへる時


3月11日・東日本大震災の年だからでしょうか。
別の味わいを読みます。
そういえば、
窪田空穂に「橘曙覧の歌」と題する文。それは
「橘曙覧の歌を歌壇一般に紹介したのは故正岡子規である。」
とはじまっておりました。

窪田空穂の「橘曙覧といふ人」には、漢詩との関連を指摘している箇所があり、読み直して、あらためて輝いて見えるのでした。そこも引用。


「『橘曙覧全集』の中には、彼の随筆も収めてある。分量としては多くはないが、内容としては貧しいものではない。その中の歌話の一則に、歌をして漢詩に劣らない物にしなくてはならないといふことを、熱意をもつて言つてゐるものがある。彼のそれを
言つてゐるのは、漢詩にはさまざまの風体があつて、内容も複雑であるが、歌は単調で、変化がない。内容も単純に過ぎると、嘆息をもつて言つてゐるのである。事実、彼の歌には、漢詩の影響が濃厚で、これは新古今などの比ではない。・・・・・彼自身もその性分として、漢詩の面白みは十分に理解してゐたものと思はれる。しかし結局、彼は何よりも歌が好きであつたので、歌をもつて漢詩に打克ち得るもの、よりよき物としなければ虫が納まらなかつたと見える。・・・彼はそれをしたのである。万葉の強さ、新古今の複雑さも、思ふに彼の此の一念によつて捉へられたものではないかと思はれる。
人に対しては思ひ切つて我儘だつた彼は、芸術的にも同じく主我的であつて、他のあらゆる美を面白いとは思ふものの、そのいづれにも屈服することが出来ず、その総てを我が部分として、それを踏み、その上に立たなければ承知が出来なかつたものと思はれる。」(全集第十巻・p432~433)
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コオロギ。

2011-08-19 | 地域
夜寝つけないので、つい起きてパソコンに。
何年ぶりかで、炭酸コーラペットボトルを
買い置き、これで二本目。
この頃は、本は積んどかなくなりました。
ダンボール箱をカッターでふたつにわけて、
そこに本を入れこんで、簡易本棚にしております。
パソコン脇のそのダンボールに、
秋の訪問者・コオロギが今日おります。
いったい、どんな家に住んでいるのかって(笑)。
寒くなると、鼠が屋根裏に入りこんだりするので、
さてっと、ねずみとりもち「ピッタンコ」でも
置くことにしましょう。
あれ、パソコン画面に、コオロギがしがみついてたり。
そういえば、
新潮45の9月号が発売になっておりました。曽野綾子の連載に
まず、目を通すと、こんな箇所

「新聞記事を切り取っておくことは、ITを使いこなせていない私の、未だに残っている素朴な仕事である。鋏が見つからない時には、そのページを仕方なく急いで『ひっちゃぶいて』おく。そうでないと、私は大切だと思う資料ほど、よくなくす癖がある。」(p15)

うん。切り取りかどうかと分けるならば、
私は、ずぼらの『ひっちゃぶいて』派。
その新聞紙の隙間に、さっきのコオロギがウロチョロ。
うん。ゴキブリでないのは、ありがたい。
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吉村昭講演。

2011-08-18 | 短文紹介
文芸春秋9月臨時増刊号「吉村昭が伝えたかったこと」。
ここに、講演が掲載されておりました。
なんでも、文芸春秋7月号に掲載されて、その再録。
平成11年田野畑村での講演とあります。
題は「災害と日本人 津波は必ずやってくる」。

分かりやすく、読めてよかったと思いました。
それにしても、文芸春秋7月号では読まずじまい。
再録は、ありがたかったなあ。
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機会主義・市民主義。

2011-08-17 | 短文紹介
読売新聞8月14日(日曜日)の「地球を読む」は中曽根康弘氏が書いておりました。
そこに、こうあります。

「菅首相の唱える『市民主義』とは、私たちの周辺にある市民生活を中心にした政権思想で、歴史や文化の伝統を背負った過去や、目標や理想を持った未来への挑戦に欠けた政治思想である。この『市民主義』なるものは、ややもすれば選挙目当ての狭小で迎合的主張が主となり、国としての歴史や、文化との連続性がないという弱点がある。」


「その政治は得てして一過的、功利的、場当たり的になり・・政治的継続性がない。このため、衆目を引く課題を次々と見つけ出すことで、政権の延命を狙う『機会主義的』なものとなってきた。」

最後は、こう締めくくっておりました。

「菅政権を通し、民族や国家の歴史の流れを無視した形での、いわゆる歴史的実験ともいうべき『市民主義』の意味が明らかにされ、国家の統治原理としては甚だ不十分である事が示されてきた。次期政権は、この教訓を生かさねばならない。」



月刊雑誌「Voice」9月号。
中西輝政の「脱原発総理の仮面を剥ぐ」は、読み甲斐があり。
誰も指摘してこなかった方面から、
あるいは、誰も指摘していた表層を掘り下げて
菅直人の読解を促します。
うなぎみたいにぬるぬると逃げ廻るツケを読み解く方法を教えてくれていて、言葉の信頼度を増す、ありがたい論考。だと、私には思えました。
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はじまり。

2011-08-16 | 短文紹介
新刊・日下公人著「いま、日本が立ち上がるチャンス!」(WAC)。
簡単に読めるので、読みました。

一箇所だけ引用するなら、ここかなあ。

「富士山大噴火の話も十年か二十年に一度は繰り返し出てくる話である。幸いにまだ起こっていないが、自然災害の予測はむずかしい。いくら科学技術が進歩して想定しても、想定外のことは出てくる。
そういう想定外のことについて、昔から人類は何をしてきたかといえば、『そういう予言をするなら、自分を賭けろ』(at your own risk)で、それが資本主義の根本精神である。未来はわからない。未来のことを言うのは、サイコロの『丁』『半』を言うのと同じで、手金を賭けるのがルールである。賭けた人だけに発言権がある。『賭けていない人は黙っていろ』というのが資本主義の根本原理である。
・・・無責任な予測は、いくらされても困る。予測するのであれば、自分の財産か名誉を賭けねばならない。歴史は、そんなことを繰り返してきている。今回、枝野官房長官の放射能被害などについての口癖は『ただちに被害はない・・』であった。これは『いますぐではないが、そのうち被害があるよ』という意味らしいが、【ただちに】のところが如何様にも解釈できる。もし本当に害がないというのなら、官房長官でも原子力安全・保安院の報道官でも、原子力安全委員会でもいいが、責任者が原発事故の危険範囲とされた半径20キロか30キロの圏外ぎりぎりのところで、毎日会見を開けばよかった。
関西電力の会長は毎年孫を連れて美浜へ海水浴に行ったので、それを見て住民は何となく安心したという話がある。」(p57~58)

あと一箇所。

「今回の震災で、政治家も官僚も学者も、そしてマスコミもいかに無責任で無能かということを国民はよくわかった。このことによる大きな変化はいまからはじまる。」(p91)


はじまり。はじまり。
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