ブリヂストン美術館での青木繁展。
東日本大震災と祭りが気になるなか、
「海の幸」が神輿(みこし)を担いでいる姿と同じではないかという説がありました。さてっと、直接見る「海の幸」は完成品ではなく、描く過程をそのままに提示した作品であり、これは評価する審査員のほうがしんどいだろうなあ、と思ったりするのでした。つまり「詩は完成の放棄だ」という詩人の言葉が聞こえてきるような気がしました。これが完成してしまったら、駄作になってしまいかねないのじゃないかと妙に思えてきたり。まあ、そんなことを立ち去りがたく会場でウロウロしながら思っておりました。「海の幸」は均衡がいいのですね。そのバランスの迫力。たとえば、「わだつみのいろこの宮」では、女性二人が、どうしてもバランスが悪く間延びした感じに私は思えました。これなんか、直接見なければ、と思うわけです。絶筆という「朝日」(72.5×115.0)が近くで見ると太陽にひびが入っていて(傷みが気になるのです)、まるで素敵な女性の手がひび割れになっているような気がして残念なのですが、ひとたび、離れて見るならば、その粗も気にならず全体の構成がとても素敵に見えてくるのでした。青木繁の絵画は、各部屋ごとに見所を押さえた画面構成があり、それも立ち去り難く、またしても繰り返し見ていたのでした。
東日本大震災と祭りが気になるなか、
「海の幸」が神輿(みこし)を担いでいる姿と同じではないかという説がありました。さてっと、直接見る「海の幸」は完成品ではなく、描く過程をそのままに提示した作品であり、これは評価する審査員のほうがしんどいだろうなあ、と思ったりするのでした。つまり「詩は完成の放棄だ」という詩人の言葉が聞こえてきるような気がしました。これが完成してしまったら、駄作になってしまいかねないのじゃないかと妙に思えてきたり。まあ、そんなことを立ち去りがたく会場でウロウロしながら思っておりました。「海の幸」は均衡がいいのですね。そのバランスの迫力。たとえば、「わだつみのいろこの宮」では、女性二人が、どうしてもバランスが悪く間延びした感じに私は思えました。これなんか、直接見なければ、と思うわけです。絶筆という「朝日」(72.5×115.0)が近くで見ると太陽にひびが入っていて(傷みが気になるのです)、まるで素敵な女性の手がひび割れになっているような気がして残念なのですが、ひとたび、離れて見るならば、その粗も気にならず全体の構成がとても素敵に見えてくるのでした。青木繁の絵画は、各部屋ごとに見所を押さえた画面構成があり、それも立ち去り難く、またしても繰り返し見ていたのでした。