今回は、杉本秀太郎氏による追悼文をふたつ。
杉本秀太郎著『品定め』(展望社・2001年)
杉本秀太郎著『パリの電球』(岩波書店・1990年)
『品定め』に「司馬遼太郎一周忌に」がありました。
そこから、引用。
「五十代半ばに『ひとびとの跫音(あしおと)』という長編がある。
司馬さんの作品中で私はこれがいちばん好きだ。」
「司馬遼太郎の作中にはめったにないことだが、
ここには作者が友として親密に交わった人びとが
相つらなってあらわれる。・・・・・
作者はこれまためずらしいことに、
自分の日常についてしるしていう――
『私事だが、私は大阪の東郊に住んでいる。
一種のっぺらぼうの暮らしで、日記はつけず、
人なかに出ず、友人の数はすくなく、書斎には
五年前にかけわすれた古ごよみがそのままかかっていて、
自分自身のなかを過ぎてゆく歳月については、
感覚が薄ぼんやりとしている』と。
また、この人たちのことを書くのに、曇っていて
『重い湿気が頸すじにかぶさってくるような日』はふさわしくない、
晴れた日を待ち、この連載原稿にとりかかる、と打ち明ける。
もって思い入れの深さを察することができる。」
(p227~228)
ここに、『この人たちのことを書くのに、曇っていて
・・はふさわしくない、晴れた日を待ち・・』とありました。
司馬遼太郎で、私に思い浮かぶのは「この国のかたち 五」です。
そこに神道が語られておりました。はじまりは
「神道(しんとう)に、教祖も教養もない。
たとえばこの島々にいた古代人たちは、
地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも
底(そこ)つ磐根(いわね)の大きさをおもい、
奇異を感じた。
畏(おそ)れを覚えればすぐ、そのまわりを清め、
みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした。
それが、神道だった。
むろん、社殿は必要としない。
社殿は、はるかな後世、仏教が伝わってくると、
それを見習ってできた風である。・・・」
もどって、『パリの電球』に「追悼・石川淳」がありました。
そこにどういうわけか『神の矛先』という言葉がでてきます。
「・・ちっとも古びていないのはその内容である。
茫としていて何もないあたまのなかに、
ことばを一つ投げこむ。そこから事がはじまる。
神の矛先からしたたり落ちた泥土が島のかたちをなしたように、
あたまのなかが宇宙のはじまりと同じさまを呈する。
うごき出したものをたしかめているうちに、
こちらも位置を更めなければ、見ているものが見えなくなる。
はじめにことばありき。それをこういうふうに合点させてくれた人は、
石川さんよりほかにはなかった。・・・・・
はじめのことばが問題である。あわてながら思い直した。
ことばの場を清潔に洗うことが、まずは大事な条件にちがいない。
ことばでことばを洗う・・・・」(p68)
あれ。2冊引用するつもりで、
3冊、引用してしまいました。