2011年に出版されていた
「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」(国立民俗博物館)に
元岩波編集者・小川壽夫(ひさお)氏が
「知的生産の技術」誕生の頃を書かれております(p102)。
最初に小川さんが岩波の編集会議で企画提案したさいに
「知的生産とはいったい何だ、ハウツーものじゃないか、
ときびしい批判を浴び、『保留』となってしまった。」
とあります。
これからまたゼロからのスタートで
編集者小川さんと、梅棹氏で話し合いがもたれたようです。
「話は、個人の書斎における技術にとどまらなかった。
情報検索、インタビュー、座談会、共同研究、図書館システム、
情報管理など、行動や組織の知的生産に及んだ。・・・・・
くりかえし話題になったのは、秘書の重要性、
日本語タイプライター、個人研究の共有化、だったと思う。
対話しながら自問自答し、迷ったり横道に入ったり、
だんだんと考えを煮つめていく。
原稿はあらたに書き下ろす形になったが、
なかなかスタートしない。・・・・・」
「・・・・・2010年に店頭に並んでいるのは86刷、
超ロングセラーである。奥付の発行者(社長名)は
五たび替わっている。内容はいっさい変わっていない。
コンピュータ全盛の時代に読みつがれているのだ。・・・」
ここに、「内容はいっさい変わっていない」とあります。
新書が、発売になったのは1969年7月。
「知的生産の技術」の「はじめに」には
「コンピューターが家庭にまでいりこんで、
それを操作することが人間としての最低の素養である、
という時代がくるのは、もうすこしさきのことかもしれない。
しかし、今日でもすでに、大量の情報機械が、専門家の手をはなれて、
一般市民の手にうつりつつある。その操作に習熟することは、
現代の人間として当然の素養となる。・・・」(p16)
「はじまり」から引用したら、新書の「おわりに」からも引用
「この本にのべたことは、どれひとつとっても、
理屈は、しごくかんたんである。ただし、この種のことは、
頭でいくら理解しても、やってみなければまったく無意味である。
自分でいろいろ、こころみていただきたい。
・・・・くりかえしいうが、実行がかんじんである。
・・・・どの技法も、やってみると、それぞれにかなりの
努力が必要なことがわかるだろう。こういう話に、
安直な秘けつはない。自分で努力しなければ、うまくゆくものではない。」
(p216)
もどって、編集者小川さんが『くりかえし話題になったのは』
と指摘する、『秘書の重要性』『日本語タイプライター』・・・
秘書といえば、藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社)
は、1966年1月にもらった梅棹氏からの手紙、
ひらがなタイプライターで打たれた手紙からはじまるのでした。
藤本さんが尋ねます。
『先生、梅棹研究所のおかみさんの仕事って、
具体的にいって、どんなことをすればいいんですか』
それに梅棹氏は答えて
『それはね、たとえばここにある
ひらかなタイプで手紙をうってもらうとか、
ファイリング・システムで書類を整理してもらうとか、
こまごましたことがいくらでもある。
しかし、そういう技術的なことは、
あまり気にしなくてよろしい。技術はけいこすれば、
じきにできるようになります。それよりも大事なことは
・・・・・・・まあ、そんなところかな。』(p55)
「二週間ほどたったころのこと・・・・
タイプライターにむかって・・相変わらずポツポツで、
あまり上達のあとはみられなかった。
自分の机にむかって事務をはじめた先生が、
十分もしないうちに出てこられた。
『いっぺん、斎藤強三さんに会っておいたほうがいいな』
わたしのポツンポツンタイプをきいて、
これでは・・・と思われたにちがいない。
電話でご都合をうかがうと、
『これからすぐお越しくださるなら、
家におりますからどうぞ』とのご返事。
さっそく先生の車でかけつけた。・・・・」(p79)
「それにしても、わたしは最初に斎藤さんから
『スピードのことは気にしなくてもいいですよ。
続けてうっていれば、じきに慣れますよ』
といわれたことが、よかったと思う。その言葉で、
わたしの心はどれだけリラックスしたことか。」(p88)
ここで、藤本さんは
梅棹忠夫さんから、『あまり気にしなくてよろしい』
斎藤強三さんから、『気にしなくてもいいですよ』
と言われるのでした。
何で、このことが気になったかといいますと、
昨夜は、川喜田二郎著「発想法」を数ページめくって、
そういえば、だいぶ昔に買ってあった
川喜田二郎著「パーティー学」(現代教養文庫・昭和39年)
が、整理していたら出てきたのを思い出しておりました。
はい。私のことですから、買って読まずに、
しかも捨てずにありました。
はい。今日になって、その文庫をはじめてひらく、
最後の方に「チームワーク」という章があるので
読んでみる。そこには、こんな言葉がありました。
「私は、仕事をするに当たってつねに彼らが
自分のペースを守れるように配慮しましたし、
またペースを守ることを彼らに再々注意しました。
たとえば、期限を要求して彼らをせきたてることなどは
一度もしなかったくらいです。・・・・」(p204)
ここに、
『期限を要求して彼らをせきたてることなどは一度もしなかった』
とあるのでした。
秘書の重要性を、編集者小川さんに語っていた梅棹氏は、
その頃、同時に重要な秘書を育てておられる最中でした。
この「チームワーク」に「重要なこと」がありました。
「重要なことは、両君がやってくれた仕事の結果を、
よく見、よく聞いてあげることでした。
そして、それについて講評をすることでした。
講評の結果がよくても悪くても、それは両君に
仕事のハリアイを作りだすことになったからです。
こうしてこの方法はまた、自分たちはなにか有意義な
ことをしているという感情を培い、われわれの間に
連帯感を創りだしていきました。」
(p202「パーティー学」)
いままで、食わず嫌いのように、読まず嫌いだった
川喜田二郎氏の著作に、がぜん興味がわいてきます。