北村薫著「自分だけの一冊」(新潮新書)の副題は、
「北村薫のアンソロジー教室」となっておりました。
今日は本を読まなかったので、
この新書のことを思っておりました。
本を読んでいると、その活字に注意がそれなりに集中しているものですね。すると、本を読まないときは、集中力がきれて散漫な状態となっているのかもしれません。
「自分だけの一冊」に、あの段ボールについての箇所。
「本は段ボールに入れたら、もう、おしまいです。整理しようと思っているうちに、上に新しい本がどんどん積まれてしまう。わたしは、うちにある本の背表紙が見えないと、探すのをあきらめて、素直に図書館に行きます。図書館にもある本なら、その方が圧倒的に早い。物理的な距離は現実の距離ではない。図書館にない本は、出来るだけ背表紙を出すようにしています。」(p43)
この箇所が、ちょっと引っかかっております。いまだに。
そういえば、と思い出すのは谷沢永一編「書斎」(日本の名随筆別巻6・作品社)があったなあ。それはそれとして、
私も書斎のアンソロジーを思いうかべたくなります。
といっても、私の場合は3冊。これぐらいしか思い浮かびません。
とりあえず、本を列挙。
八木秀次監修「精撰 尋常小学修身書」(小学館文庫)
山野博史著「本は異なもの味なもの」(潮出版社)
「WILL」2008年2月号の対談渡部昇一・日垣隆。
最初から順番に引用してみます。
「 せいとん
本居宣長は、わが国の昔の本を読んで、日本が大そうりっぱな国であることを人々に知らせた、名高いがくしゃであります。宣長は、たくさんの本を持っていましたが、一々本箱に入れて、よくせいとんしておきました。それで、夜、あかりをつけなくても、思うように、どの本でも取出すことが出来ました。宣長は、いつもうちの人に向かって、『どんな物でも、それをさがす時のことを思ったなら、しまう時に気をつけなければなりません。入れる時に、少しのめんどうはあっても、いる時に、早く出せる方がよろしい。』といって聞かせました。宣長が名高いがくしゃになり、りっぱなしごとをのこしたのには、へいぜい物をよくせいとんしておいたことが、どれだけやくにたったか知れません」(p86~87)
つぎは、柳田國男です。
「古本屋で昔の雑誌の端本あさりを趣味にしていると、時折、思わぬ掘り出し物に出くわすことがある。・・・・『新女苑』(昭16・6、実業之日本社)という戦時下の婦人雑誌の『私の勉強部屋』と題するグラビア・ページ。書斎の柳田をとった写真に小文が添えられている・・・四十畳の大書斎について、柳田はこう語っている。『本をそちこちの戸棚押入れに分散させて置いて、夜中に懐中電燈を持つて捜しあるく苦しみを私は二十数年の間味はつた。その一大反動として人が笑ふやうな広い書斎を作り、本を壁紙の代りにして窓以外には何の飾りもせず、其のまん中に坐つて見たときには得意であつた。しかしもつと早くこうしようとなぜ勧めてくれなかつたか。もう四五年しか無いぢやないかなどと、妻に無理な事をいつて居たものだつたが、幸ひにそれが延期して今年で十五年になる。・・・』」(p24)
最後は雑誌対談。
渡部昇一氏はこう語ります。
「・・整理しきれずに、見たい本がどこにあるのかわからず歯がゆい思いをしながら死ぬのと、新しい書庫を建てるために借金をするのと、どちらがより愚かかと考えたわけです。どちらも愚かであることは明白ですが、少しでも愚かでないほうを選択しようと。英語で言えば『less foolish』なのは、どちらかということです。」
日垣隆氏は、そのあとに
「しかし、77歳から数億円の借金というのは普通では考えられないことです。・・・」
「北村薫のアンソロジー教室」となっておりました。
今日は本を読まなかったので、
この新書のことを思っておりました。
本を読んでいると、その活字に注意がそれなりに集中しているものですね。すると、本を読まないときは、集中力がきれて散漫な状態となっているのかもしれません。
「自分だけの一冊」に、あの段ボールについての箇所。
「本は段ボールに入れたら、もう、おしまいです。整理しようと思っているうちに、上に新しい本がどんどん積まれてしまう。わたしは、うちにある本の背表紙が見えないと、探すのをあきらめて、素直に図書館に行きます。図書館にもある本なら、その方が圧倒的に早い。物理的な距離は現実の距離ではない。図書館にない本は、出来るだけ背表紙を出すようにしています。」(p43)
この箇所が、ちょっと引っかかっております。いまだに。
そういえば、と思い出すのは谷沢永一編「書斎」(日本の名随筆別巻6・作品社)があったなあ。それはそれとして、
私も書斎のアンソロジーを思いうかべたくなります。
といっても、私の場合は3冊。これぐらいしか思い浮かびません。
とりあえず、本を列挙。
八木秀次監修「精撰 尋常小学修身書」(小学館文庫)
山野博史著「本は異なもの味なもの」(潮出版社)
「WILL」2008年2月号の対談渡部昇一・日垣隆。
最初から順番に引用してみます。
「 せいとん
本居宣長は、わが国の昔の本を読んで、日本が大そうりっぱな国であることを人々に知らせた、名高いがくしゃであります。宣長は、たくさんの本を持っていましたが、一々本箱に入れて、よくせいとんしておきました。それで、夜、あかりをつけなくても、思うように、どの本でも取出すことが出来ました。宣長は、いつもうちの人に向かって、『どんな物でも、それをさがす時のことを思ったなら、しまう時に気をつけなければなりません。入れる時に、少しのめんどうはあっても、いる時に、早く出せる方がよろしい。』といって聞かせました。宣長が名高いがくしゃになり、りっぱなしごとをのこしたのには、へいぜい物をよくせいとんしておいたことが、どれだけやくにたったか知れません」(p86~87)
つぎは、柳田國男です。
「古本屋で昔の雑誌の端本あさりを趣味にしていると、時折、思わぬ掘り出し物に出くわすことがある。・・・・『新女苑』(昭16・6、実業之日本社)という戦時下の婦人雑誌の『私の勉強部屋』と題するグラビア・ページ。書斎の柳田をとった写真に小文が添えられている・・・四十畳の大書斎について、柳田はこう語っている。『本をそちこちの戸棚押入れに分散させて置いて、夜中に懐中電燈を持つて捜しあるく苦しみを私は二十数年の間味はつた。その一大反動として人が笑ふやうな広い書斎を作り、本を壁紙の代りにして窓以外には何の飾りもせず、其のまん中に坐つて見たときには得意であつた。しかしもつと早くこうしようとなぜ勧めてくれなかつたか。もう四五年しか無いぢやないかなどと、妻に無理な事をいつて居たものだつたが、幸ひにそれが延期して今年で十五年になる。・・・』」(p24)
最後は雑誌対談。
渡部昇一氏はこう語ります。
「・・整理しきれずに、見たい本がどこにあるのかわからず歯がゆい思いをしながら死ぬのと、新しい書庫を建てるために借金をするのと、どちらがより愚かかと考えたわけです。どちらも愚かであることは明白ですが、少しでも愚かでないほうを選択しようと。英語で言えば『less foolish』なのは、どちらかということです。」
日垣隆氏は、そのあとに
「しかし、77歳から数億円の借金というのは普通では考えられないことです。・・・」