和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

文字之教。

2015-02-28 | 他生の縁
やはり、古いパソコンは修復せず。
ハヤブサの例が、頭をかすめたのですが。
無理かなあ(笑)。

とりあえず、二階のパソコンを使用。
ブログは、夜のみの更新になります。

伊藤正雄氏の著作は、
辞書を引くようにして、
お目当ての箇所を、
拾い読みしてます。
たとえば、

「資料集成 明治人の観た福沢諭吉」。
この本に掲載された徳富蘇峰の
「文字の教を読む」を読んで、

「福沢諭吉 警世の文学精神」。
この本にある「『文字之教』の功績」を読む。

そして、「福沢諭吉論考」。
この本にある、関連箇所を拾い読み。

今日気になったのは、
「文字之教」でした。
そこで、
ネットで一番安い古本を検索すると、
古書店は、古書現世でした。
復刻版の3冊揃いで3500円。


古書現世は
はじめての古本屋ですが、
あれ、どこかで聞いたことがある。
そういえば、雑誌WILLに
「早稲田古本劇場」と題して連載があり、
その署名が「向井透史・古書現世」。

雑誌WILLをめくると、
連載文の最後に、紹介がある

「むかいとうし
1972年生まれ。古書現世二代目。
著書に『早稲田古本屋日録』(右文書院)
・・・店の住所は東京都新宿区早稲田
2‐16‐17」とある。

紹介に出ている、出版社の右文書院といえば、
伊藤正雄著「忘れ得ぬ国文学者たち」
の新版も、右文書院から出ていました。

糸はどのように結ばれているのか?
福沢諭吉著の復刻版「文字之教」を
古書現世へ注文。
これが、いつ届くのかなあ。
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福沢諭吉購入。

2015-02-27 | 地域
伊藤正雄氏の本は、
読むのに時間がかかりそう。
読むよりも買うほうが早い。
ということで、
てっとり早く、購入することに。
買うのは早く。
読むのは遅く。

持っていたのは
旺文社文庫「学問のすすめ」伊藤正雄校注
現代教養文庫「学問のすすめ」伊藤正雄訳

新刊として買えたのは
「現代語訳文明論之概略」伊藤正雄訳
(慶応義塾大学出版会・2010年)

古本で買えた伊藤正雄氏の著作は
「福沢諭吉論考」(吉川弘文館)
「福沢諭吉入門 その言葉と解説」(毎日新聞社)
「資料集成 明治人の観た福沢諭吉」(慶応通信)


う~ん。パラパラと開くだけでも、
ここを、クリアしなければ(笑)。
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晩年の著作。

2015-02-27 | 地域
伊藤正雄氏の本が
マイブームなので、
どこから読み始めようか
迷うのですが(笑)、
晩年の著作が
春秋社から出ている。
それが4冊。

「文章のすすめ」前篇
「文章のすすめ」後篇
「福沢諭吉 警世の文学精神」
「引かれ者の小唄」

うん。マイペースで読んでみます。

ちなみに、
足立巻一著「人の世やちまた」
(編集工房ノア)には、
足立氏の先生が伊藤正雄であり、
晩年の著作にかかわっていたことが
書かれており、印象深いのでした。
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老而益学。

2015-02-25 | 短文紹介
伊藤正雄著「引かれ者の小唄」(春秋社)を
パラパラとめくっていると、
私に印象深かった小文は、というと、
「一身にして二生を経るが如し」と
「老而益学」の二つの文でした。

ここでは、二つ目の「老而益学」
を紹介。

はじまりは、

「私が子供の時分、父親がよく口にしてゐた
歌があります。

 四十五十は洟垂れ小僧 男盛りは七八十

といふのであります。」

そして、窪田空穂氏の短歌を説明して

「〈年を取って読む本は、若い時より一言一句
の意味が身にしみて分る。自分の長い年輪の功で、
著者の気持に共鳴されることが増えて来るのである。
これこそ年寄の至上の楽しみで、なんぞ老いらくの
悲しみなどを訴へる必要があらうか〉
といふ意味であります。作者の窪田空穂氏は、
九十一歳まで長寿を保って、昭和四十二年
世を去りました。」

次に鉄斎を語って、

「鉄斎の画は年を取るほど若くなってゐる。
ことに八十歳を越してから、一層筆力が
充実を加へたといふのが定評のやうであります。」

「彼(鉄斎)は晩年に及んで、『老而益学』
といふ印を彫らせたさうであります。」

そして、四頁ほどの文の最後はというと、


「学校には定年があるが、学問には定年がない。
芸術にも定年はありません。われわれは、
『老而益学』といふ鉄斎翁の精神をモットー
として、老いらくの男盛りをいよいよ楽しく
且つ有意義に送りたいものだと思ひます。」



この文は昭和50年4月19日と日付があります。

ちなみに、伊藤正雄氏は
明治35年5月に生まれ。
昭和53年3月に亡くなる。
享年77歳。
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操作不能パソコン。

2015-02-24 | 地域
長年使っておりました。
ウィンドウズmeの、
旧式パソコンが
とうとう操作不能に。
一日、なんやかんやと
つけたり消したりして、
作動するかと期待してたのですが。

愛着の一台なので、
まだ、あきらめきれない(笑)。
いままで、なんやかんやあっても、
作動してくれていたのに。
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嬉しさは。

2015-02-23 | 詩歌
伊藤正雄氏の著作を読むのが、
現在の、マイブーム。
ということで、古本。

井筒屋古書部(福岡市城南区南片江)
『引かれ者の小唄』(春秋社)が
今日届く。
900円+送料170円=1070円

ぱらり。
と開くと、ご自身の著書への
言及がありました。
『俳諧七部集 芭蕉連句全解』を
語っております。

「自家広告めいて恐縮だが」と
はじまっておりました。

「私が七部集の連句に関心を持つに至ったのは、
大正13年東大に入った年、沼波瓊音先生の
『芭蕉の研究』といふ名講義に接した時からである。」

「宣長を隔世の師と仰いだ幕末の歌人橘曙覧には、
有名な『独楽吟』五十二首がある。独楽吟は、
わが恩師沼波瓊音先生も愛誦措かれなかった
ようであるが、その中に、次の一首がある。

 楽しみは世に解き難くする書(ふみ)の
   意(こころ)を独り悟り得し時

これこそ私の心境そのものにほかならない。」

こうして次に、ご自身の『自適吟』なるものを
録しておられます(笑)。

その最後の二首を、ここに引用。

 嬉しさはわが書を誰が愛づらむと
   心昂(たかぶ)り眠れざる時

 嬉しさはわが亡き後もわが筆は
    生きてあらむと思ひ見る時

こうして4頁ほどの文の最後はというと、

「私は数へ七十五歳、今年、昭和五十一年
五月十七日をもって満七十四歳を迎へた。・・
願はくは私の死後も、日本の国が亡びぬ限り、
日本の国語が生きてゐる限り、図書館の埃の中
からこの本を見つけ出して、利用してくれる
殊勝な『神様』が、全国にせめて五人か十人は
絶えませぬやうに、――さういふ遠大な、否、
遠小な抱負のもとにこの本は成った。
百年の大計ならぬ、百年の小計の産物である。」


うん。ころころ変わるマイブームですが、
次に読む本が、決まりました(笑)。
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社会の全面を殺風景にする。

2015-02-22 | 短文紹介
伊藤正雄の「文章のすすめ」後篇にあった、
手紙の章には、

「『文章は書簡に始まって書簡に終る』
というのが私の持論である。」(p240)

そこに引用されていた福翁百話(明治30年)の
箇所

「・・用事もなき人に文通せざるは勿論、
要用の来書に対して返事せざる者さへ多し。
本人の不利のみか、社会の全面を殺風景に
するものと云ふべし。」(58話)

とあったのが、印象に残るので、
それならと、今日「福翁百話全」を注文することに、

古書出島書店(福岡市城南区鳥飼)へ注文。
うん。せっかくなので、九州の古本屋へ
と明治時代の古書を注文することにしました。
すぐに返事がきて、今日集荷してくれるとのこと。
届くのが楽しみになります。

それにしても、

「社会の全面を殺風景にするものと云うべし。」

というのは、鮮やかな言葉だなあ。
反芻していると、
私など、殺風景の片棒を担いでいた
のだなあ。と思い至ります。

さて、明治時代の冊子で、
私に読めるかどうか?
それも、届いての楽しみ。

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読み尽くせない本。

2015-02-21 | 前書・後書。
伊藤正雄著「忘れ得ぬ国文学者たち」(右文書院)
の新版(平成13年)の解説は、坪内祐三氏。
その解説のはじまりは

「なかなか読み尽せない本がある。
私にとって、伊藤正雄の
『忘れ得ぬ国文学者たち』は、
そういう一冊である。」

この意味が、今年、私なりに
何となく、わかりかけてくる(笑)。

この本『忘れ得ぬ国文学者たち』の
終りの方に、伊藤氏ご自身を語った
『よろめき一代』という文がありました。
そこから引用。

「あえてひそかに誇りとする点をいえば、
著書と論文とを問わず、ごく僅かな例外を
除いては、自分の心から書きたいもの、
あるいは書く必要を感じたものしか
書かなかったことである。
他から注文があっても、それ以外の原稿は
引受けなかった。そのため私の著作は、
多くの場合、印税や稿料にはならなかったが、
時間や分量や内容に制限を受けることなく、
少なくともその時点で最善を尽したと信ずる
ものしか発表せずに済んだ。執筆者としての
私の信条は、『読者への親切心と責任感』の
一語に尽きる。したがって、文章の平易と
趣旨の明白とを念頭より忘れたことはない。
浅学非才による不備はやむを得ぬとして、
たとい二、三枚の雑文といえども、
推敲の手を抜いたやっつけ原稿を
編集者に渡した覚えはない。
この事だけは、閻魔の庁でも広言できると思う。
売文に身を汚さず、筆の純潔を保ち得た
境遇に感謝している。」
(p394~395)


この新版が出てすぐ購入したまま、
私は、トンチンカンな理解のままでした。

それでも、本は寝かせるものですね。
今年、めでたく
読み頃をむかえることとなりました。
このチャンスは、大切にいたします。
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夏彦の震災。

2015-02-20 | 地震
山本夏彦対談集
「浮き世のことは笑うよりほかなし」(講談社)
をパラパラとめくった時に
思ったのは、関東大震災のことでした。
対談相手に、夏彦さんは聞きます。

たとえば、大熊喜英さんとの対談で、

山本】 つかぬことをうかがいますが、
大熊さんは地震はこわいですか。

大熊】 関東大震災に遭っていますから、
こわくないですね。・・・・

山本】 へえ、嬉しいですね。
震災に遭った人はひどくこわがる人と
こわがらない人に分かれますね。 (p44)

清水幾太郎氏との対談の題名は
『誰も聞いてくれない地震の話』でした。
ここには、夏彦さんの震災体験の箇所引用。


山本】 私は小学校二年でした。生れは根岸
ですが、本郷曙町三番地はの三号という所へ
新築してまもない頃でした。
清水】 曙町というと東洋大学の前あたりですね。
山本】 はい。
清水】 すると被害はありませんね。
山本】 あのときは学校から歩いて帰る途中でした。
電車通りの真中を歩いていると、両側の菓子屋の
ガラスのケースからお菓子がポンポン飛んでくる。
両方から何か飛んでくるなあと思いながら、
子供なんて仕様がないもので、平気で帰って
きたんです。家の外で父が迎えに出ているので、
どうしてだろうって、このときはじめてこわく
なりました。家にはいると激しい余震です。
そのとき小学校六年ぐらいの兄貴が半狂乱に
なっているんです。ざあーっと瓦が降ってくる
下で、柿の木の回りをぐるぐる回って、
あらぬことを口走っている。・・・・
余震がこわいので、それから二、三日家の
なかでは寝られなくて、子供たちはみな庭の
砂場で寝ました。月夜が続いて星を仰いで
眠りました。ですから私の地震経験は
経験とはいえません。地震の体験は年齢と場所
に関係がありましょう。まだ幼く、また
往来で出あったせいでしょう。
ほとんどこわくありませんでした。

清水】 私の家内は東京府下の大島におりました。
錦糸町のすこし先の方です。工場の横の道を
歩いているときにあっている。こわかったろう
けれど、家もつぶれもせず、焼けもしなかったせいか、
私と家内で地震の話をするとひどく食い違うんです。
(p57~58)

対談での清水幾太郎さんの震災体験談は
清水さんの文章とはだいぶおもむきが違い、
自然な臨場感がありますが、
ここではカット。
それは読んでのお楽しみ(笑)。
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文通・面会・談話・遊戯・会食・贈答等。

2015-02-19 | 手紙
伊藤正雄著「文章のすすめ」(春秋社)は
前篇が、文字の知識。
後篇が、言葉の智恵。
となっての2冊。

たとえば、前篇をぱらりとめくると

「社会学者清水幾太郎氏は、学者に似合わぬ
達文家である。その著『論文の書き方』と
『私の文章作法』(潮新書・昭和46)は、
自己の体験を土台とした文章論で、
私の知る限り、最も若い人に推奨したい良書といえる。」(p16)

なんて、さりげなく出て来る(笑)。

さてっと、後篇に手紙の章がありました。
そこから一部を引用。

「福沢諭吉は書簡の名人で、どんな相手にも
手紙を出すことを怠らなかった。『福翁百話』にも、
社交上文通の必要な事を力説し、次のように
戒めている。
『人に交はるの法甚だ多端なれども、
これを簡単に約して云へば、
文通・面会・談話・遊戯・会食、
また品物の贈答等に過ぎず。(中略)。
以上述べたる交際法は、易きやうにして
決して易からず。心身活発にして万事に
行き届き、あくまで根気よき人にして
始めて能くすべし。天下の大人は細行を顧みず、
など称して独り自得し、用事もなき人には
文通せざるは勿論、要用の来書に対して
返事せざる者さへ多し。本人の不利のみか、
社会の全面を殺風景にするものと云ふべし。
(58話「交際も亦小出しにす可し」)
・ ・・・・・・・
歴史家の森銑三氏などは、私の本が届くと、
とりあえず受取ったという簡単な礼状を寄越され、
それから暫く後に、改めて読後の感想を詳しく
書いて来られるのが常である。礼状一つで
人間の値打ちが分るのだから、
ゆめゆめ疎かにはできない。」(p262)


ここに、森銑三とある。
さてっと、伊藤正雄氏が森さんへと
送った本は、これかもしれないと
思える箇所がありました(笑)。

「新版忘れ得ぬ国文学者たち」(右文書院)
この解説を坪内祐三氏が書いております。
その解説のはじめに「森銑三は、こう書いていた」
という文を引用しておりました。
その引用箇所を引用しておきます。

「戦後岩本素白翁を通して知った伊藤正雄氏から、
『忘れ得ぬ国文学者たち』一冊を贈られた。
その『国文学者たち』というのは、上田万年・・・
の八人で、岩本翁もまたその中にはいっている。
そしてまた、翁よりも先に亡くなったけれども、
翁同様に私には忘れ難い人となっている沼波先生も、
またその中にある。それで私は、飛びつくように、
まず、沼波、岩本両氏に就いて記された部分を
読んだ。そして他の先生方についての各章は、
読むのをしばらく見合せたままで、
私だけの感慨に耽っている。」


こうして、感慨が綴られたであろう、伊藤正雄氏への
礼状を思い描いてみるのでした。
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老骨の使命。

2015-02-18 | 前書・後書。
伊藤正雄著「文章のすすめ」(春秋社)
その前・後篇の2冊セットで
古本400円。

「文章のすすめ」なんて、
いかにも、どこにでもありそうな題名で、
最初は、買うのを躊躇したのですが(笑)。
よく見ると、著者・伊藤正雄とある。

伊藤正雄といえば、
「忘れ得ぬ国文学者たち」(右文書院)の
著者じゃないか。と注文。


ふるほん上海ラヂオ(京都市北区衣笠)
他にも、こまごまと合計で2000円買ったので
送料がサービスとなりました(笑)。

伊藤正雄著「文章のすすめ」の
すっきりとした「はしがき」には


「私は常に、

『文章とは、
だれでも言える言葉で、
だれもが言えぬ事を、
だれにも納得ゆくように
書くべきものだ』

と信じている。
本書はそうした信念から、
できるだけ自己の体験を土台にして、
率直な意見を、特に若い読者に聞いて
もらうつもりで筆を執った。文例も、
自作の文を挙げた場合が多い。
よかれあしかれ、著者個人の体臭が
フンダンに発散しているのが、
類書と一味違うところである。

本書は、福沢諭吉の言説を引いた
ところが随所にある。福沢は、
明治の思想家として抜群だった
のみならず、その平明達意の名文は、
彼の啓蒙主義的文章観と相俟って、
今日にも多大の示唆を与えるものがある。
いわば本書は、福沢流の実学的文章論の
現代版を目ざしたものとも言えよう。
題名『文章のすすめ』も、福沢の
『学問のすすめ』に倣ったこというまでもない。」

うん。この古本を得て、うれしい。

そういえば、
読了したばかりの原田種成著「漢字の常識」も
先生で、今回の伊藤正雄氏も先生。
ということで、
「はしがき」の最後も引用しておきます。

「不文不才、取るに足らぬ一教師ながら、
五十年に亙る教壇と文筆との経験は、
幾ばくかの年輪を私の人生に加えた。
学生の文章をはじめ、新聞・雑誌・著書・
テレビ・ラジオなどを通して得た所感と、
自らの体験との集積が本書である。
多年世に訴えたいと思っていた所見を、
こうした形で発表し得ることは、
老骨の使命の一つを果たし得た満足感に
耐えない。老婆心ならぬ老爺(ろうや)心が、
今後の世代に何ほどかのお役に立てば
本懐である。
 昭和52年   」


うん。この「はしがき」も素敵(笑)。
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漢字を楽しく。

2015-02-17 | 前書・後書。
昨日、原田種成著「漢字の常識」(三省堂)を
本棚からとりだして、ひらいていたら、
そのまま、はじめから読み出すことに。
いまは、真中辺まで読みつながったところ(笑)。

これが面白いんだなあ。
あんまり面白いので、
よく咀嚼するために、
全部読み終わるまで、
黙っております(笑)。
でも、「あとがき」から、
引用するぐらいならいいでしょう。

「大学生に前著『漢字の教養』について
レポートを書かせたとき、学生たちは、
漢字の本なのでいやいや読み始めたところ、
これも知らない、あれも知らなかった、
なるほどと思うことばかりで、いかに
自分が漢字について無知であったかを
思い知らされ、先を読むのが楽しくなり
途中でやめられなかったと報告していた。
今回も本書によって漢字を楽しく味わって
いただければ幸いである。」

うん。まずは、この楽しみを
咀嚼しながら、読了することに。
そして、読了すると、
何も言いたくなくなるような、
手ごたえがあります。
なぜって、
この楽しみを、もれなく
このブログで伝えるのは、
私の手にあまるし、
「いやいや読み始める」気持ちもわかるし(笑)。
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写、一遍にしかず。

2015-02-16 | 地域
先頃、民俗学の方の講演を録音して、
それを活字におこしたことについて書きました。

何ぶんにも、耳バカなもので、
自分の都合で、気分次第でもって、
飛び飛びに聞いていた講演です。それを、
いざ、声を活字にかえる段になると、
丁寧に、言葉をなぞることになり、
言葉の道筋を、あらためて辿り。
意味の深みへと降りてゆくことと
なりました(笑)。

さてっと、これは何なのか?
たとえば、読書でもただ読むだけでなく、
それを、書き写すことがよいといわれます。
この格言は、
私には、何ともピンとこなかったのですが、
今回の、録音から活字おこしをしていると、
その気分が、よく分る気がしました。

たとえば、こういう箇所を引用してみます。

「良い言葉づかいや、うまい表現を学ぶには、
良い文章を書き写すのが一番よい。古人も
『読、十遍は、写、一遍にしかず(十遍読むより
も一遍書き写すほうが勝っている)』
と言っている。書き写すということは、
一字一字、筆を進めて行くときに、
次にはどういう言葉を用いるかというところで、
原作者が執筆しているときに近い状態になる
ことができる。これは、表現を養う上において、
殊に有益で、単に読んでいるだけでは得ることの
できないものである。・・・」
(原田種成著「漢字の常識」p173)

うん。
同じ講演を録音で十回聞きなおすなら、
一回、それを活字に直してみる。
ということなら、ピンとくるものがあります。
私なら、
『講演、十遍は、写、一遍にしかず』と
いうように直したくなります(笑)。

むろん。講演自体が印象深く、惹かれる
内容だったからなのでした。
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戦後は絶無に。

2015-02-15 | 短文紹介
宮本常一著「民俗学の旅」(講談社学術文庫)
の最後の方をめくっていると、
佐渡のおんでこ(鬼太鼓)学校のことに
ふれた箇所がありました。

「この仲間の集団としての生活ぶりはまことに
見事であった。酒を飲まず煙草を吸わず
新聞を読まず、ラジオ・テレビも視聴せず、
砂糖も用いなかった。太鼓を叩くことに
集中すると、できるだけ雑音のはいらない
生活をしたくなるという。
テレビも新聞も見なければ時代おくれになる
ように考え勝ちだが、時代おくれというのは
創意工夫を失って物まねだけで生きてゆく
ことではなかろうか。・・・」(p215)

「ラジオ・テレビも視聴せず」とあります。
う~ん。テレビ漬けの私には耳が痛い。
そういえば、
「『夏彦の写真コラム』傑作選1」(新潮文庫)に
「秋の夜ながなくなる」という題の文がありました。
そのはじまりは

「『テレビのない家庭』を本誌で読んで、そんなうちが
まだあったかと乗りだしたら川嶋紀子嬢のうちだと
知っていかにもと思った。失礼ながらあの顔というより
あの表情、挙措進退は戦前のものである。戦前なら
ずいぶんないではなかったが、戦後は絶無になった。
ことにジョギング中をカメラに待ちぶせられ、
他意なく立ちどまって会釈なさった写真はよかった。
微笑をたたえている。」(p219)

興味深いので、もう少し引用をつづけます。

「テレビを見ないで育つとああいう表情になるなら、
今後はテレビを見ないことがステータスになって、
あの表情を回復するなら、女子のためにも男子の
ためにも、大げさに言えば邦家(ほうか)のため
にもめでたいが、ダメだろう。
私はテレビぎらいというよりほとんど憎んでいる。
あんなもの百害あって一利がない、
ないほうがいいと思っているが、出来たものは
出来ない昔に返らぬこともよく承知している。」

この文の最後は、こうでした。

「川嶋家の家長はテレビ好きだそうだ。
それがどうしてテレビを見せないことに
成功したのか、いずれゆっくり承りたいと
思っている。」
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喋る宮本常一。

2015-02-14 | 地域
宮本常一の、おそらく最後のお弟子さん。
その講演を聞かせていただきました。
地元の、それもすぐ近くであったので、ちょっと
時間をさいて出かけられ、よかった(笑)。

どうも、私は耳バカで、
聞いても、右から左へと内容が
素通りしてしまう。
これはいけないと、今回は
録音させてもらうことに、
30~40人ほどを相手の講演なので、
気楽に、講演直前に、録音許可を、
講演者にお願いするとOKしてもらえました。
ありがたい。
今になって、
その録音をあらためて、
文字に打ちこんでおります。
うん。うん。と打ち込んでいる段階で、
やっと、内容が理解できる私なのでした。

それじゃあと、
ここから、宮本常一の本を読めばよい
のでしょうが、そこへは、いかずに、
読んだのは解説。講談社学術文庫の
宮本常一著「民俗学の旅」。
その神崎宣武の解説を、
なるほど、なるほど。と読みました。

神崎氏は、
「私は、武蔵野美術大学に在学中から、
先生が亡くなるまでのおよそ25年間、
比較的近しいところで宮本常一に師事した。」

と解説にあります。
もう少し解説を引用してゆきます。

「ある時期、私(神崎)は、働いている人の手を
止めてまで聞きとり調査をしていいのだろうか、
と思いなやんだことがある。それは、
先生への反発でもあった。くる日もくる日も、
昼であれ夜であれ、傍らでノートをとる私が
あきれはてるほど老人相手に延々と話を聞きとる
のである。相手もさぞや疲れているのでは、と
思えた。それで、ある晩、私はその疑問を
口にだした。
 
 『友だちだと思い、思われたら、少しのじゃまは
気になるまい。それで話に興がのれば、
一気に聞くのがよい。質問に答えてもらうんなら、
互いに疲れもしよう。だが、人はみんな、
話したいことをもっている。その人が話したい
ことをその人が話そうとしているときは、じっと
聞いたらいい。話には、ひとつの流れがあって、
これに口をはさんだり止めさすのはよくない。』

先生は、そういう意味の答えを返された。・・・
聞きとり調査とは、問わず語りに耳を傾けるのが
よろしいのである。それが望ましい。友だちに語るが
ごとく話が流れるところに、質問ではけっして得られ
ない真実が吐露されるものである。が、その友だち
同様の信頼関係をつくるのがむつかしい。これは、
互いの相性が問われることでもあるが、つまりは
自身の人間性が問われることなのである。・・・」
(~p240)


さてっと、解説には『よく喋るおじさん』という
表現があります。その箇所も引用しておかなきゃ。

「昭和42年(1967)・・ほぼ時を同じくして、宮本は、
武蔵野美術大学で民俗学の講義を行なうことになる。・・
私は、そのころからの宮本常一しか知らないのであるが、
はじめの印象を遠慮なくいうと、『よく喋るおじさん』
であった。フィールドワークであれほど聞き上手な人が、
私などを相手には、ほとんど相の手もはさませないほど
によく話した。躁的な多弁症なのではないか、と疑う
ばかりであった。
また私ごとで恐縮だが、学生のころの私は、人前に立つ
とあがって膝がふるえ、うまく話せないでこまっていた。
ところが、先生は、そんな私を研究会の発表者に連続で
指名し、その夜、食事に誘ってくれたものだった。

 『みんなにわかってもらおうとして話すから失敗
するんだ。わかってくれるのは誰かひとりでいい、
そのために自分を正直に語るつもりで話すのがよい。
儂(わし)も、大学に来てみてよかったことがある。
それは、君らを相手にあれこれ話をしているうちに
自分の考えがまとまってくる、ということがわかった。』

それはともかくとして、しかし、宮本常一の講義は、
何よりも自身の民俗学的な思想を問うために機能して
いた、と、私は確信するのである。」(~p245)


ちなみに、私が講演を聞いたのは、昭和30年生まれで、
武蔵野美術大学でのおそらく最後のお弟子さんのお話で
した。聞けて、よかった。そして、ありがたかった。

こうして、講演の録音した言葉を活字にしていると、
民俗学というのは、たとえていえば、
小学校の校庭の二之宮金次郎像。
その像を思い描いてください(笑)。
私など、金次郎の本を読んでいる姿に、要約して、
目がいってしまうのですが、民俗学というのは、
より全体像を見て、むしろ、背負っている背負子
(しょいこ)と枝木とに着目する学問らしい。
そういうことが、やっと、飲み込めた気がします。
これで、宮本常一を読むことができそうです。
ありがたい収穫でした。


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