当ブログは、引用からなっております。
引用すれば、カットし削る箇所は多い。
あれこれ、欲張ると焦点はボヤけるし。
不思議なもので、自分が引用していると、
他人の引用に興味を示すようになります。
惜しげもなく、削られた引用文をみていると、
削りカスと思われた箇所にも大切なものがあるような。
それでもって、引用された箇所の全体を読みたくなる。
ああ、こうして引用しながら、ここを削っているなあ、
とか、引用箇所がどうしても呑みこめないと、前後の
文章を通して読んでみたくなる。
うん。新聞でいえば、見出しだけで満足していたのが、
それだけで満足できず本文を読んでみたくなり始める。
馬齢を重ねやっとそういう気持ちになりつつあります。
人の引用する振り見て、我が引用する振り直せ。
はい。な~に、言ってるのやらですね。
大村はま著「新編教えるということ」(ちくま学芸文庫・1996年)は、
大村はまの講演を選んでまとめたものです。
そして「大村はま国語教室」の第11巻(筑摩書房・1983年)も講演集。
巻末の解説(倉沢栄吉)のはじまりにこうあります。
「本巻(第11集)は昭和31年から20年以上にわたる講演記録の中から
精選された講演集である。・・・・
著者は、もともと講演依頼に直ちに快く応じるという方ではない。
むしろ、消極的に対応する。それでも断りきれなくて・・・・ 」(p375)
はい。文庫「新編教えるということ」に掲載されなかった講演が、
全集第11巻に、載せられてありました。
ここには、全集第11巻の講演のはじまりを引用します。
はい。できるだけ削らないようにしてみます。
大村はまは、昭和22年制定された新制中学校へ赴任しました。
講演は、昭和31年12月広島県での講演です。
その「はじめに」は見出しが「教育技術について」とある。
技術といえば、「知的生産の技術」を私は思い浮かべます。
それでは、「はじめに」から適宜引用してゆきます。
「・・・母親が子どもを愛するといいますが、
どういうふうにその愛は表現されているでしょうか。
まったくあたりまえのことの中に表わされていると思うのです。
ごく平凡に、学校に遅れないように朝起こしてごはんを食べさせたり、
帰ってくれば身のまわりのことをしたりして世話をします。
そういう一つ一つのことの中に母の愛というものがさりげなく表されています。
ふだんは母の愛はどこにあるか目につかないように、
あるものではないかと思います。
私たち教師の愛というのも、そのようなものではないかと思うのです。
・・・毎日毎日の教室の中に起こってくる小さなことをいちばんいい
方法で処理し、そしてそれができるようにと思って苦心する。・・・
・・ふつうの時は、私たちとしては毎日毎日の、聞いたり、話したり、
読んだり、書いたりする子どもの生活を一歩でも向上させるために
自分の技術をみがくこと、それが教育愛だと思います。
技術ということばは聞き慣れないせいか、何かこう浅い表面的な
ことのように聞こえていやだという気持ちの方もあるようです。
技術というと技術屋ということばが出てきて、何か手先のことのような、
実際にはないものをうまくやるような印象を与えるように思われます。
そういう印象を与えることは残念なことですけれども、それを思いますと、
よけいに技術というものが、どういうものかを考えてみたいと思うのです。
私たちの毎日毎日やっています一つ一つの小さいことを、
技術と言っていいと思います。・・・・・
私たちは教育者として子どもへの愛を何で表現するかといいますと、
結局すばらしい指導技術でもって表わすほかには、
ちょっと表わし方がないのではないかと思うのです。
私がいろんなことをこうしたらいいんではないか、ああしたらいいんでは
ないかと考えてやってみますことも、結局はそういうところに根ざしております。」
これは、広島県大下学園国語教室研究会での講演とあります。
講演の題は「国語学習指導の記録から」となっておりました。
ここまでも、引用をところどころ削りました、ご勘弁下さい。
「はじめに」は、まだつづきます。
「私は、昭和22年新制中学校ができましたときに中学へ出ました。
それまで女学校におりました・・・・。
私は国語が好きで、指導法についてその前からいろいろなことを試みておりました。
中学校へ出ますときに友だちが反対をしまして、
つまらないことをするなと言ってくれました。
ですけれども、終戦直後の気持ちに押されたと申せばそれまでですけれども、
新しく生まれてくる中学校のために――当時経験年数が20年――
20年の経験をもって何かしたいという気持ちで胸がいっぱいになっていたのです。
・・・・・
それから中学校の生活が始まったのですけれども、
予想した以上の困難にたくさん出会いました。
しかし今考えてみますと、そのころの何もなかった時代に苦労したことの中から、
いろんな技術といわれることが発見できたのは、
どれほどよいことであったかわからないのです。
技術ということをいやがる方は人に見せるためといった、
また、小手先のことといった印象をお受けになるようですが、
私はそういう印象を拭っていただきたいという気持ちで
今このお話をしております。 」( ~p7 )
はい。これが講演の本題にはいるための導入箇所なのです。
うん。今回はちょっと長く引用しすぎでしたでしょうか?