和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

連句のイロハすら知らぬ読者にも。

2016-09-30 | 道しるべ
渡部昇一著「楽しい読書生活」の最後に
付録の「無人島へ持って行く十冊」が載っていました。
そのなかに
幸田露伴「評釈芭蕉七部集」とある。
渡部氏のコメントを引用。

「近代で初めて全巻通して『芭蕉七部集』に注を下した書。
ドイツへ留学したとき、向うで淋しくなったら読もうと思って
『猿蓑(さるみの)』をもっていったくらい芭蕉好きなので、
露伴のこの評釈は時おり読み返しています。・・・」


芭蕉七部集を、いつかは読んでみたかった。
そう思ってどのくらいたったかなあ(笑)。
でも、素人の私には歯が立たない。
それが今月になって
伊藤正雄著「俳諧七部集芭蕉連句全解」をひらくと分かる。
今、半分ほど読み進んだところです。
うん。わかりやすく、楽しい(笑)。
ああ、連句というのは、こういうものだったのだ。
今まで知らずにおりました。

その「序」から少し引用してみます。

「私は多年大学で、七部集の連句を講じてきた。
・・・芭蕉の俳句に比べて、連句研究に開拓の後れ
てゐることを痛感せざるを得ない。本書はそうした
気持から、七部集中、実質的に芭蕉が一座したと
言ひ得る連句全部、すなはち歌仙十六巻について、
自分なりの解釈を試みたものである。・・・・
連句は人によって解釈が著しく岐れ易いので、
本書の言ふところももとより一家の試解を出ない。
しかし手の及ぶ限り古今の緒注を参照した上、
最も客観性に富むと思はれる自説を立てたつもりである。
学問的にはできるだけ高水準に、しかも
連句のイロハすら知らぬ読者にも難解の嘆を与へぬやうに、
といふのが私の根本的な用意であった。
・・・連句の解釈に百パーセントの正解を得ることは、
ほとんど神わざに近い。・・・」


うん。これを読み終ったら、はたして
幸田露伴の本へとすするかどうか(笑)。
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きみに悪が想像できるなら。

2016-09-29 | 詩歌
「Hanada」11月号の巻頭随筆に、
山際澄夫氏の文章のはじまりが印象に残ります。

まずは、引用。

「日本はどうなってしまったのだろうか。
北朝鮮による相次ぐ核実験やミサイル実験に
対する政治家やメディアの反応をみていて、
つくづくそう思う。この期(ご)に及んでも、
日本の自衛のための核武装はおろか、
北朝鮮の核、ミサイルを除去するための
軍事攻撃や憲法改正の議論すら聞こえてこない。」

これがはじまり、
ここから、文章が展開しておりました。

今日起きたら、
田村隆一の詩を思い浮かべました。


 新年の手紙(その一)  田村隆一

 きみに
 悪が想像できるなら善なる心の持主だ
 悪には悪を想像する力がない
 悪は巨大な『数』にすぎない

 ・・・・・・そして
 ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい
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月刊誌で読める「蓮舫」。

2016-09-29 | 道しるべ
ここのところ、月刊誌
「新潮45」「Hanada」「WⅰLL」が楽しい。
キーワードは「蓮舫」。

蓮舫氏の姓について、

「『首相を目指すなら、芸名だった『蓮舫』だけじゃ
なく、姓も込みの『村田蓮舫』を名乗らないと。
『民進党の蓮舫代表』じゃ、日本の政治家なのか
台湾の政治家なのかもわからない』――前回の座談会で
こんな話が出ていたけれど、そのとおりの展開になったな。」
(新潮45・記者匿名座談会p304)

「WⅰLL」の対談では、

加藤「中国名は謝蓮舫ですが、いまは結婚して村田姓ですね。」
(p181)

最初は「新潮45」10月号が出たのでした。
興味深い題名だったのが小田嶋隆の
「『商売にならない』民進党」(p68~)

ここで私が気になった箇所は

「同時期には、天皇陛下が生前退位の『お気持ち』
を表明する。・・・われわれは、この情報をいまだに
消化しきれていない。・・わたしたちは、天皇の
『お気持ち』に寄り添った処遇を希望している。
民進党のお気持ちには興味がない。・・・
生身の人間としての血の通った言葉を漏らしたので
あるから、その言葉は、どうしたって聞く者の
心を打たずにおかない。」
(p70)

「Hanada」11月号の
上念司の「蓮舫新代表亡国の経済政策」では
「嘘つき」という言葉が最初の方にありました。
そこを引用。

「蓮舫氏は十八歳で台湾籍を捨てた
(のちに十七歳に訂正)などと苦しい弁明を
していたが、三十歳の時の雑誌『CREA』(文藝春秋刊)
のインタビューで、自身が台湾籍であると語っている
ことが発覚した。
蓮舫氏は、明らかに自分が二重国籍であることを
認識していたのだ。だからこそ、当初は
『二重国籍ではないはず』と弁明していたが、
すぐに『二重国籍か確認中』
『二重国籍解消手続き中』と説明は二転三転した。
この問題の本質は、代表候補の一人が嘘つきだった
ということに尽きる。
あれだけ与党を非妥協的、非寛容に追及したからには、
自身の問題にも同様の追及が必要だ。
世の中の多くの人がそう思っている。」(p59)

上念氏の文は丁寧に書いておられるので、
その最後の方も引用しておきます。

「蓮舫氏は、行政改革により無駄を省いて
財源を作り、教育、保育、高齢者福祉を充実させて
不安を取り除くという。本当にそんなことができるのか?
ここで、もう何かに気付いた人はいるだろう。
この政策こそ、2009年に民主党が国民を欺いた・・
マニフェストだ。蓮舫氏の経済政策は、なんと失敗した
民主党の丸パクリなのだ。そこには、なぜ
民主党政権がデフレを止められなかったのかという
反省が欠片(かけら)もない。
民主党政権がデフレを止められなかった理由はシンプルだ。
民主党政権は発足当初から金融政策を軽視し、
日銀の金融政策を転換させなかった。
そして菅内閣、野田内閣が推進したのは
消費税の増税だけだ。蓮舫氏のボスである野田佳彦
元首相は財務省の言いなりだった。だから、
野田政治の継承などをやられたら国民は困るのである。
さらに言えば、人々が恐れているのは近い将来の
増税であり、日銀が再び金融政策の運営に失敗して
デフレと超円高が襲うことである。そして
それ以上に国民が恐れているのは、
民主党政権が復活することなのだ。」(p65)

う~ん。せっかくなので、
蓮舫氏と中国の関係についても
引用したい「WiLL」11月号の
髙山正之・加藤清隆対談から

髙山】ノンフィクション作家の河添惠子さんによれば、
蓮舫の父親は、国民党のれっきとした中国人で、
バナナで大儲けした男だ。・・・
その中国との関係があるから、台湾出身なのに
すんなり北京大学に入学できた。その意味では
中国人そのもので、だから子供にも中国人名を
つけている。華僑根性まるだしだよ。

加藤】中国名は謝蓮舫ですが、いまは
結婚して村田姓ですね。

髙山】亭主の村田信之というのは左翼の活動家なんだ。
高野孟の弟子だから・・・高野は仲人までやっている。
蓮舫と一緒に北京大学に留学して、子供をつくって
帰ってきた。(p181)


ちなみに、「Hanada」11月号の蒟蒻問答からも引用。

久保】・・僕が蓮舫に関して
いまでも強く印象に残っているのは、
彼女が民主党政権時代の事業仕分けで
次世代スーパーコンピュータ『京』への
開発予算に対し、
『世界一を目指す理由は何か。
二位じゃ駄目なんですか』と
執拗に詰問し、予算削減を迫ったシーンです。
コンピュータの性能は当時、
世界一の座を巡って日本と中国が
鎬(しのぎ)を削っていて、
『二位じゃ駄目なんですか』というのは、
中国が一位でいいという言い換えでしょう。
幸いこの時は蓮舫の主張が退けられて、
最終的に開発予算が認められ、
『京』は計算速度で世界一になったけど、
また中国に抜き返されたそうです。
僕のようなパソコンと無縁なド素人が
言うのもなんだけど(笑)、
加藤尚武(「進歩の思想・成熟の思想」
講談社学術文庫)は、・・・・・
ミサイル発射に関しても、
コンピュータの処理能力の高いほうが
確実に目標に辿りつくし、
何万分の一秒の差で相手のミサイルを
撃ち落すことだってできる。
二位じゃ駄目なんです。
・・・・
話しを戻すと、つまり彼女の意識の根っこ
にあるのは中華思想=華夷秩序意識なのです。
一番は中国であり『日本ごときが
一番になるなんてとんでもない』という意識が、
ふだんは表に出なくとも・・・催眠現象のように
何かのキッカケで突如、露呈するわけです。
だから、あんな発言がひょいと出てくる・・・
(p110~111)

はい。引用しているとキリがないので、
お後は、雑誌を読んでみてください。
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さては能もなくは。

2016-09-25 | 道しるべ
古橋信孝氏の古本を検索していたら、
黒田日出男・佐藤正英・古橋信孝編「御伽草子」(ペリカン社)がある。
それが届くと、そうだ、「おとぎ草子」。
いまなら、読みはじめられるかもしれない(笑)。

まずとりだしたのは、
講談社学術文庫の桑原博史全訳注「おとぎ草子」。

その中の「鉢かづき」をパラパラとひらく。
母親に死なれ、継母に家を追い出され、
そして中将殿に呼び止められる場面が印象深い。
その会話を引用。

 中将殿は御覧じて、

『鉢かづきはいづくへぞ』
とのたまへば、

『いづくともさして行くべき方もなし。
母に離れ候ひて、結句かかる片輪さへ付き候へば、
見る人ごとに怖ぢ恐れ、憎がる人は候へども、
憐れむ人はなし』
申しければ、中将殿きこしめして、

『人のもとには、不思議なる者のあるも、
よきものにて候ふ』
とのたまへば、
仰せに従ひて置かれかる。

さて、
『身の能は何ぞ』(特技はなにか)
とのたまひければ、

『何と申すべきやうもなし。
母にかしづかれし時は、
琴・琵琶・和琴・笙・篳篥(ひちりき)、
古今・万葉・伊勢物語、
法華経八巻、数の御経ども読みし
よりほかの能もなし』

『さては能もなくは、湯殿に置け』
とありければ、
いまだ習はぬことなれど、
時に従ふ世の中なれば、
湯殿の火をこそ焚かれける。



この場面、桑原博史氏の鑑賞はというと、
こうでした。

「さて、三位中将とのめぐりあいは、
しかしながらただちに鉢かづきの姫君に
幸福をもたらすものではなかった。
彼女は貴種流離譚の約束にしたがって、
まだまだ苦しむのだが、その苦しみの叙述の中に、
おかしみを忘れないのがおとぎ草子である。
ここでは、姫君の言葉の中の・・・・
また、なにか特技はと問われて、
管弦のわざと書物による教養とを正直にいっても、
相手は実用的な技術を期待しているので、
能なしと判断されるくいちがいも、
おかしい所である。
その結果として、湯殿の火を焚く運命に
見舞われるのは、悲しいことであるが。」(p173)
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宴たけなわではありますが。

2016-09-24 | 地域
今日は、地区の秋の祭礼・山車引き回し(10月9日)の
最初の練習日。太鼓に踊りに、そして花つくり。
初日なので、終わってから懇親会があります。
久しぶりに集まる面々。
場が盛り上がり。10時を過ぎても盛り上がっております。

私が幹事のころ、
こういう時の、〆の挨拶に迷ったことがあります。
藁をも摑む思いで(笑)、こう切り出したことを思い出します。
「え~。宴たけなわではありますが、これで中締めとしたいと
思います。」

今年の三役はどう閉めるのかと思っていると、
小さい声で「宴たけなわではありますが」と、
語り始めておりました。

さて、
「残したい日本語」(青灯社)に
「長(た)ける」と題した1頁(p126)の短文が
ありました。
せっかくですから、その後半部分を引用。

「季節や時間が過ぎて深まる意味にも用いられ、
『日がたける』『春たける』などという、また
『春たけなわ』ともいう。高齢になる意味にも
用いられ、『年たけて』ともいう。いずれも
最盛の時から、それがやや過ぎる辺りの頃を指して
用いられるのが、この言葉の独特のニュアンスである。
『たけなわ』は『宴たけなわ』など、催し事などにも
用いる。これも爛熟、円熟の時から、それをやや過ごした
辺りまでの頃あいを指して言われるようだ。
その微妙なニュアンスが捨てがたい。
十分な状態、といった感じがこもる。・・・・」

はい。二次会には行かず。
帰ってきて、このブログを更新しております。
あれ。もう十二時過ぎてしまった。
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古典はやはり。

2016-09-22 | 道しるべ
渡部昇一著「楽しい読書生活」を読んだことがあります。
それを、すっかり忘れていました。
それを、思い出したのは、
渡部昇一著「知的読書の技術」(2016年8月)。
これをネット検索すると、
「楽しい読書生活」を改題した本とあります。

うん。それならと
本棚から「楽しい読書生活」を取り出して、
あらためて、パラパラ。

せっかくだから一箇所引用。

「古典はやはり、まず教室で教えることが大事です。
そうでないと、一生古典に触れる機会がなくなってしまいます。
古典というのは、ほとんどの人が
教室で教えられて初めてその良さに気づくものです。・・・・
その意味で、中学校や高等学校では
日本の代表的な古典を教えるべきです。・・・・
私の体験からいっても、
学校で教えてもらわなかった古典との接触は
非常に少ないように思います。
無い、といってもいいほどです。
古典のようなちょっとむずかしい読み物は
教えられたところからはじまり、
そこから徐々に興味が広がっていくのが一般的なのです。
・・・・・こうした私の体験からいっても、
古典というのは学校で教えられたことが基礎になっています。
学校では、近代文学などというヤワなものではなく、
もっと古典を教えていく必要があります。」
(p184~。第五章「読書各論」)

「近代文学というヤワなもの」
から、抜け出すのに、
いまから、独学(笑)。
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敬老の日・読売新聞。

2016-09-19 | 詩歌
9月19日(月曜日)の読売新聞をひらく。
今日は敬老の日だそうです。
1面と4面に、その関連記事。

たとえば、4面は、こうはじまっております。

「総務省が19日の『敬老の日』に合わせて
発表した2015年の高齢者に関する調査では、
ネットショッピングを利用し、旅行や習い事
といった趣味を楽しむ活動的な高齢者の姿が
浮かび上がった。・・・・」

ちなみに、読売新聞の月曜日は
読売歌壇・俳壇が掲載される日。
なんだか、ピントを絞れた気分。
それじゃあ、ということで、
敬老の記事、歌壇俳壇を、
交互に読んでみることに。

 読売俳壇・宇多喜代子選の3番目

 今日よりは宇治十帖へ夏季講座
    尼崎市 河野福子

 宇多喜代子選の8番目

 平仮名に似て頼朝の文字涼し
    越谷市 安居院康之


 読売歌壇・岡野弘彦選の8番目

 老いてなほ一日一首残さむと
  麻痺の右手をはげまして記す
     松山市 三木須磨夫


敬老の日の4面に、こうあります。


「介護を必要とせず
自立した生活ができる『健康寿命』が、
2013年の厚生労働省の調査で
男性は71.19歳、女性が74.21歳・・」

「厚労省が16年に実施した意識調査で
『高齢者だと思う年齢』として最多だったのが
『70歳以上』(41.1%)で
現状の『65歳以上』と考えている人は20.2%にとどまった。
『75歳以上』と答えた人は16.0%もおり、
高齢者の年齢を
健康寿命に近い70歳を超えたあたり
と考えている人が多いことがうかがえる。」


そして、新聞の一面左の見出しは、
「女性の3割65歳以上」。


 読売歌壇・小池光選の9番目に

 自転車に乗れば元気と人は言ふ
  あちこち病むをだあれも知らぬ
    東京都 白木静子


一面の記事のはじまりは

総務省は19日の敬老の日に合わせ、
日本の高齢者人口(9月15日現在)の推計を発表した。
65歳以上の高齢者は、総人口に占める割合は27.3%と
なり、過去最高を更新した。

「中でも女性は1962万人で女性の30.1%となり、
初めて3割を超えた。
65歳以上の男性は1499万人で、
男性人口に占める割合は24.3%だった。
64歳以下では男性が多いのに対して、
65歳以上では男女比が逆転し、
女性が男性より465万人多い。・・・」

65歳以上で男女比が逆転するのですね。

 読売歌壇の栗木京子選の1番目の短歌と選評は

 ヌスビトハギ群れ咲けば夫の供花とせむ
    この坂の半ば倒れいたりき
      枚方市 鍵山奈美江

【評】ヌスビトハギはマメ科の多年草。
名前は恐いが、夏に淡い紅色の小さな蝶形の
花を咲かせる。この花の咲く坂で倒れ、
亡くなった夫。「供花とせむ」が心に沁みる。


読売新聞の一面の最後の方にはこんな箇所。

「また、働いている高齢者も増え、
65歳以上の就業者数(15年)は
12年連続で増加し、前年比49万人増の
730万人と過去最多だった。
このうち、65~69歳の就業率は
男性が52.2%、女性が31.6%で、
高齢者の就業の場が広がっている。」


最後に引用するのは、
岡野弘彦選の一番目と二番目。
岡野弘彦氏は大正13年(1924年)生まれ。
その日、読売歌壇で選ばれた歌と選評を引用。

まず一番目

 稲刈るは五日の後がよいといふ
    穂を手にのせて九十歳の父
       匝瑳市 椎名昭雄 

【評】九十歳ともなれば前のように立ち働く
わけにはいかない。だが稲穂を掌にのせて
じっと見れば、刈り時は五日後というように、
微妙な見定めをぴたりと断言できるのだ。


次に二番目

 両目の手術終へたる老い妻が
  空のあをさをくりかへし言ふ
    横浜市 本多豊明

【評】私にも同じ様な体験がある。
眼帯の取れたのちの、眼に入るものの
形の確かさ、空の光のまぶしさ、
生まれ変ったような新鮮さだ。
だがそれもすぐ老いの日常にもどる。


読み甲斐のある
読売新聞9月19日でした(笑)。

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月である。

2016-09-17 | 地域
昨夜は、電気を消して、
月明かりを、楽しもうとしたのですが、
寝ちゃいました(笑)。

今夜は、雲の輪郭を
浮かび上がらせるような月明かり。


ちょうど、パラパラとめくっていた本に、

「丈山の隠栖した洛北詩仙堂には、
四方に窓をあけて眺望をほしいままにする
嘯月楼と称する建物が今も遺ってゐる」
(p88)

という箇所がありました。
そういえば、と取り出してきた本は
上田篤著「庭と日本人」(新潮新書)。
そこからの引用。



「茶室をみるなら、やはり道路の露地門あるいは
邸内の露地口からはじめて、外露地・内露地を
めでながら、蹲(つくばい)で手をあらい口を
すすいだのち茶室にあがるべきだろう。
それも夕刻、月のあるときがのぞましい。」(p118)

もう一箇所引用。

「では、建物と庭をいっしょにした
どういう建築がいいというのか?その答は
『その建築がどういう点で人々の心をとらえるか』
という一点にかかっている。そしてそれにきまった答はない。
TPOなのだ。時と場所によっていろいろにかわる。
ところが、桂離宮のばあいにはそれが非常に
はっきりしている。月である。月がうつくしくみえるとき
桂離宮は最高の姿をみせるのだ。
そこで桂離宮のよさをしるためには、
月夜の晩にでかけなくてはならない・・・・
だから月もない昼の桂離宮にでかけて
『桂は美しい』とか『美しくない』とか
いってもはじまらない。桂離宮をしるためには
よろしく月夜の晩におとずれて、
じっくり月をながめるべきなのである。
それを意図して桂離宮はつくられているからだ。」(p159)


そばにある大切なものを
忘れて過ごしております(笑)。
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「乱談のセレンディピティ」の間違い。

2016-09-16 | 好き嫌い
外山滋比古著「乱談のセレンディピティ」(扶桑社)
を以前読んで、印象に残っている箇所がありました。

この本に「三人の力」という箇所があります(p70~)
そこに間違いがありました。
まずは、間違いを引用。


「『三人寄れば文殊の知恵』ということわざがある。
読書信仰の強い日本である。このことわざの意味が
半ばわからなくなっている。
辞書に当たってみる。
『平凡な学者でも、三人が集まって相談すれば、
よい知恵が浮ぶものだという意』
(岩波ことわざ辞典)

本当は、そんなことを言っているのではない。
学者が三人集まるのではなく、
人が三人集まって、話し合っていると、
文殊のような知恵が飛び出してくることがある、
といっているのである。
三人が学者である必要などまったくない。
・・だたの人でいい。三人が集まって
考えを出し合えば、たいへんな名案が浮かぶ。」


うん。うん。すごい指摘だなあと
印象に残った箇所でした。

さてっと、今日
あらためて
時田昌瑞著「岩波ことわざ辞典」(岩波書店)。
その2000年10月18日第一刷発行の本です。
それをひらいて確認をしてみました。

それはp277にありました。
はじまりは、こうです。

「平凡な者で三人が集まって相談すれば、
よい知恵が浮ぶものだという意。・・・・」

辞書には「平凡な者」とあります。
外山滋比古氏の著書には、「平凡な学者」に
いつのまにかかわってしまっておりました。

もう岩波書店から、苦情が、扶桑社へと
いっているかもしれませんね。

それにしても、調べもせずに、
しばらくの間、私は時田昌瑞氏の著作を
不審に思ってしまいました(笑)。ゴメンナサイ。
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今年の十五夜は。

2016-09-15 | 地域
昼間は曇っていて、時々雨。
それでも、こちらでは、
夜も8時半を過ぎると、
雲間から月が出て、
きれいな月夜となりました。
え~と。
誰が指摘したのでしたっけ。
「愛してます」というのを
夏目漱石は、
日本では、「月がきれですね」
というんだと指摘したのは。

それはそうと。

万葉集の案内を読むと、
月の見方が、かわります(笑)。

たとえば、
古橋信孝・森朝男「残したい日本語」に
「月の名」と題した文が最後の方にある。

そこから、チラリと引用してみることに。

「月には特別な力があると考えられていた。
・・・・昼は人の時間帯、夜は神の時間帯と
いう住み分けが成立した。
しかし、恋愛は夜にするものだった。
ではどのようにして外出できたのだろうか。
『万葉集』の歌をみていると、

闇夜(やみ)ならばうべも来まさじ
 梅の花咲ける月夜に出でまさじとや
      (巻八・1452)
(闇夜なら来ないのもうなずけます。
梅の花が咲いているのが美しく見える
月夜にいらっしゃらないなんて)

というような歌が多くあり、
月の出ている夜は恋人が訪ねて来るものだったとわかる。
・・・・
このようにして、恋人は月の出を待ち、
逢い引きをすることができたことがわかる。
・・・・・
月の出を待ち焦がれているうちに夜が更けてしまった
という歌がある。・・・これは恋人の訪れを待って
いるのである。そうしているうちに月が出たが
恋人が来ないで、夜が更けてしまったという意味の
歌としか考えられない。
この『いさよふ月』が十六日の夜を『いざよひ』と
呼ばせるようになった。
恋人を待っている気持ちがそうさせたのである。
満月の翌日、昨夜の充実した夜の記憶がある
と思うのがいいだろう。
十六夜を『いざよひ』ということは、
十七夜の月を立待ちの月、
十八夜の月を居待ちの月、
十九日の月を寝待ちの月というように
連続して名があることと繋がっていると想定させる。
庭に出て早く来ないかと立って待っているのが十七の月、
来ないので縁先で座って待っているのが十八夜の月、
そして諦めかかって寝て待っているのが十九夜の月
というようになる。
つまり、これらの名がついている月の名は
恋愛からできた言い方ではないかと思われるのである。」
(p180~182)


はい。
2016年9月15日の十五夜は、色っぽい。
万葉集の歴史に彩られて見える(笑)。

ちなみに、
古橋信孝著「雨夜の逢引」(大修館書店)の
はじまりは「月夜の逢引」という文でした。
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正直で楽しい。

2016-09-13 | 詩歌
今日は、
読売新聞の歌壇・俳壇が掲載される日。
というか、毎回月曜日が
今月は、12日月曜が新聞休刊日だったのでした。
それで、13日に掲載がズレたのでした。

歌壇・俳壇に本が登場すると
つい読み直します。

栗木京子選の二番目でした。

 定年に備え密かに買い溜めし
      本が千冊眠気を誘う

   川崎市 新垣一雄

【評】千冊もの本を買い溜めたことに感心した。
本来ならば千冊を眺めて悦に入るところだが、
結句「眠気を誘う」が正直で楽しい。
起承転結が見事に決まった一首である。


俳壇には「区のお知らせ」
というのがありました。

小澤實選の5番目。

 読み返す区のお知らせや震災忌
  
   東京都 斎木百合子




俳句と本といえば、読み直したくなって
坪内捻典著「俳人漱石」(岩波新書)をひらく。
その最後に紹介されていた俳句はというと、

 秋立つや一巻の書の読み残し

この解説の始まりはこうでした。

「大正五年九月二日の芥川龍之介あての手紙に
書かれている俳句です。・・・・さらにいえば、
この年の十二月、漱石さんは他界されます。」
(p208)


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隣の国が戦争を。

2016-09-12 | 地域
「姥捨山の話」
を宮本常一氏が紹介しておりました。

「姥捨山というのは、年をとった人は
捨てなければいかんというので捨てにいく。
ところがある孝行息子が自分のおばあさんを
捨てにいくはいかにも申し訳ないと思って、
ひそかに自分の家の中に隠しておいて食事を運んでいた。

そのとき隣の国から、いろいろの難題をふっかけてきた。
殿様がそれを臣下の者に、どのように解いたらよいか、
たとえば一本の枝をもってきて、
『どちらが頭か尻か、それを調べろ』と尋ねたけれども、
だれも答えることができない。
そのおばあさんに聞いたら、
『なんでもないことだ、
その枝を水の上に浮かしてみたらよく分かる。
よく浮いた方が末で沈むほうがもとだ』

あるいは『灰を縄になってこい』といわれて、
さて、そんなむずかしいことができるものかと
みんなで悩んでいると、
そのおばあさんは、
『簡単なことだ。縄になってものを焼いて、
灰にして持っていけばいいじゃないか』
『なるほど』というので、
それを持っていったところが、はあ、
これはたいした知恵のある人たちがおる国だと思って、
隣の国が戦争をしかけてこなかった。
そこで殿様は、
『お前はなかなかよくできるから、
お前の望みどおりのものを取らせる』
『実は、私のおばあさんを山へ捨てるのを止めて頂きたい』
『捨てたのだろう?』
『いえ、捨てておりません。実はこうして家へ
置いたおかげで、こういうことになったのでございます』」


これは、「民話について」で
紹介している宮本常一氏の報告です。
このあとに宮本氏はこう指摘しております。

「これなどはたいへん面白い話だと思いますが、
そういうような知恵を大事にする話は非常に沢山あるのです。
結局、われわれがすぐれた知恵を持つということは
いろいろの困難を克服するもとになるのだ、
そういうことを教えております。
その知恵というものは、ただ頭の中で考えた
だけで得られるものではなく、多くの人、
あるいは自然の助けを得る、またわれわれが
いろいろ訓練をすることによって得られる。
そういうようにして得られるものである。
これが知恵のあり方であったように思います。
・・・・
ですから昔話というのは、一つ一つ聞けば、
ごくつまらないことのように思われますが、
われわれにとってはそれが非常に大事な教養になる。
今日のような、論理とかいうもので内容のない、
ただ一つの思考方法だけで片づけていくことが
よいことではなくて、いろいろの体験を通して
そういうものをもっていくことが大事だ、
これが昔の人たちの考え方にあったのだと思います。
そしてそれらが昔話の中で語られているわけです。」
(p46~47)

以上は
「宮本常一著作集別集2・民話とことわざ」(未来社)より。
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天皇陛下の旅。

2016-09-11 | 地域
象徴としてのお務めについての
「天皇陛下のおことば」
全文を読んでみました。

「これまでのように、
全身全霊をもって象徴の務めを
果たしていくことが、難しくなる
のではないかと案じています。」


そのあとでした
私が「万葉集百歌」を開いたのは、
そこで、古橋信孝氏は
柿本人麻呂の歌を説明しながら、
こう指摘していたのでした。

「天皇が諸国を行幸するのは、
その国の霊威を身につけるためである。
官女も霊威を浴び、その霊威によって
天皇を守る役割をもった。」(p57)

もどって、
「天皇陛下のおことば」に
こんな箇所があります。

「・・・
日本の各地、とりわけ遠隔の地や
島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、
大切なものと感じて来ました。
皇太子時代も含め、これまで私が皇后と共に
行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、
国内のどこにおいても、
その地域を愛し、その共同体を地道に支える
市井の人々のあることを私に認識させ、
私がこの認識をもって、
天皇として大切な、国民を思い、
国民のために祈るという務めを、
人々への深い信頼と敬愛をもって
なし得たことは、幸せなことでした。」



「その地域を愛し、その共同体を
地道に支える市井の人々」
によって、その国の霊威は宿るのでしょうか?


「正論」10月号の
巻頭コラム:髙山正之の「折節の記」。
そこで、敗戦の日のことから語りはじめられて
おりました。

「・・あのころ、菅直人みたいな連中が
マーク・ゲインにおだてられて
天皇の戦争責任を叫んでいた。
そんな中、昭和天皇は全国巡幸をGHQに求められた。
・・・かくて昭和21年2月19日、
川崎の硫安工場を皮切りに、翌日は新宿の焼け跡に、
と巡幸を始められた。人々が殺到したが、
それはGHQの思惑とは違った。
手を合わせ、お声に涙し、そして万歳がいつまでも続いた。
翌年は東北と関西を巡幸された。
初夏に大阪を訪ねたときは歓迎する数万の市民の
波に警護のMPが威嚇発砲するほどだった。
人口3万の飛騨高山では巡幸を聞いて
13万人が押し寄せた。
ずっとあと、昭和29年の北海道巡幸の折に
旭川市に15万人が出迎えるまで、この記録は残った。
広島も訪ねられた。
原爆被災孤児の施設で、
頭皮を失った孤児を抱きしめられた。
男の子は微笑み、シンとした院内は
やがて涙と嗚咽に包まれた。
原爆投下地点の相生橋前で
陛下のお言葉を聞いた7万市民の
間から沸き起こった『陛下万歳』の声は
竜巻のように広島の空気を震わせた。

この圧倒的な現象にGHQは驚愕した。
広島からの帰途、民政局のポール・ケントは
お召列車の沿線で子どもたちが
禁止された日の丸を振っていたのを見て、
これを口実に巡幸を打ち切らせた。
陛下の存在が日本人を突き動かしている。
憲法の言う国事行為の域を出ている
というのが米国側の判断だった。

今上天皇がその憲法に触れない形で
個人的な思いを語られた。
ご退位を語られたように言われるが、
あれは現行憲法の言う
『象徴天皇』とは一体何なのか、
『国事』とは何なのかと
問われているように聞こえる。・・・」
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和歌がある。

2016-09-10 | 道しるべ
古橋信孝氏の本への興味から
数冊とどきました。
はい。とどきましたが未読です。

「万葉歌の成立」(講談社学術文庫)
「雨夜の逢引」(大修館書店)

ということで、とりあえず読んでいる
森朝男・古橋信孝「残したい日本語」(青灯社)から、
この箇所を引用。

「日本文化の基底には、
言葉は心をうまくあらわせないという認識があると思う。
だから、虚構の物語文学が発達し、すぐれた作品を
生み出すことになった。心は和歌によって表現しうると
いう考え方が『古今和歌集』の序にある。
物語文学にも、登場人物の心を表現する場面には和歌がある。
そういう基本的な認識から、言葉に重きを置かない文化が
育まれた。だから、言葉に出さないで、察することを重要視する。」
(p155~156)

うん。私なんかは、
本を買っても読まないで、察するばかり(笑)。
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この道や行く人なしに

2016-09-09 | 道しるべ
「万葉百歌」(青灯社)で気になった
山本健吉・池田彌三郎著「萬葉百歌」(中公新書)届く。
まずは、序をひらくと
山本健吉氏が最初に書いております。
そのはじまりは

「何度読んでも読み飽きない日本の詩集としては、
私は萬葉集と芭蕉七部集とを挙げる。
読むたびに、何か新しい発見があるのだ。
おそらくこの二冊は、
日本人にとっていつまでも心の支えとなり、
魂の故郷となるような詩集であろう。」

すこし先には

「小倉百人一首式の優雅な歌が、
つまり日本の歌というものだと思っていた私に取って、
萬葉集を見出したことは大きな驚きであった。・・・」


つぎの、池田彌三郎氏の序の言葉は
こうはじまっておりました。

「去年、柳田国男先生がなくなられて、その葬儀の帰りに、
山本健吉、加藤守雄両氏と民俗学や国文学の将来などを
語り合っているうちに、三人で萬葉集の輪講を始めよう
というような話が出た。三人とも慶應義塾大学の
国文学科で、折口信夫先生の指導をうけた者であるから、
師説から出発して、萬葉集について自由な考えを出してみよう、
というようなつもりであった。ところが・・・・」


さてっと、山本健吉氏は
「萬葉集」と「芭蕉七部集」の二冊をあげておられる。

ちょっと「芭蕉七部集」に触れておきたくなる。
伊藤正雄著「俳諧七部集芭蕉連句全解」(河出書房新社)
の序説のなかで、伊藤氏はこう書いておりました。

「われわれが日本人として、当然祖先伝来の文化遺産を
継承するためにも、連句が与へる示唆はまことに大きいのである。

右と関連してさらに見のがせぬのは、
連句は国語の宝庫であり、
日本人の表現生活の結晶だといふことである。
万葉集はしばらく措き、平安朝の昔から江戸時代の末に
至る千年間の和歌を見ると、あまりにも語彙の窮屈、
発想の単調に驚かざるを得ない。よく倦きもせずに、
千年間、千篇一律の歌を詠み続けたものと、
歴代歌人の辛抱強さに呆れるばかりである。
しかるに、目を俳諧(連句)の世界に転ずると、
その語彙の無尽蔵と発想の自由さに、
応接のいとまなさを禁じ得ない。
それは、和歌のマンネリズムにあきたらぬ
近世庶民の智恵の産物である。五七五の長句、
七七の短句の中に、それぞれ複雑微妙な
詩趣詩想を盛込むために、より自由で、簡潔で、
含蓄の多い俳諧独特の語彙・語法が発達した。
それは、日本語としてギリギリの極限にまで
練り上げ鍛へ上げられたエキスともいへよう。
そこには、伝統和歌を一応吸収しながら、
遥かに滋味に富んだ多種多彩な表現がある。」


ことしのはじめに
小倉百人一首への興味をもった私ですが、
つぎは、万葉集と芭蕉七部集へと道がひらけた。
そんな気がしてきました。

芭蕉といえば、そういえば、

この道や行(ゆ)く人なしに秋の暮

というのがあったなあ(笑)。
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