渡部昇一著「楽しい読書生活」の最後に
付録の「無人島へ持って行く十冊」が載っていました。
そのなかに
幸田露伴「評釈芭蕉七部集」とある。
渡部氏のコメントを引用。
「近代で初めて全巻通して『芭蕉七部集』に注を下した書。
ドイツへ留学したとき、向うで淋しくなったら読もうと思って
『猿蓑(さるみの)』をもっていったくらい芭蕉好きなので、
露伴のこの評釈は時おり読み返しています。・・・」
芭蕉七部集を、いつかは読んでみたかった。
そう思ってどのくらいたったかなあ(笑)。
でも、素人の私には歯が立たない。
それが今月になって
伊藤正雄著「俳諧七部集芭蕉連句全解」をひらくと分かる。
今、半分ほど読み進んだところです。
うん。わかりやすく、楽しい(笑)。
ああ、連句というのは、こういうものだったのだ。
今まで知らずにおりました。
その「序」から少し引用してみます。
「私は多年大学で、七部集の連句を講じてきた。
・・・芭蕉の俳句に比べて、連句研究に開拓の後れ
てゐることを痛感せざるを得ない。本書はそうした
気持から、七部集中、実質的に芭蕉が一座したと
言ひ得る連句全部、すなはち歌仙十六巻について、
自分なりの解釈を試みたものである。・・・・
連句は人によって解釈が著しく岐れ易いので、
本書の言ふところももとより一家の試解を出ない。
しかし手の及ぶ限り古今の緒注を参照した上、
最も客観性に富むと思はれる自説を立てたつもりである。
学問的にはできるだけ高水準に、しかも
連句のイロハすら知らぬ読者にも難解の嘆を与へぬやうに、
といふのが私の根本的な用意であった。
・・・連句の解釈に百パーセントの正解を得ることは、
ほとんど神わざに近い。・・・」
うん。これを読み終ったら、はたして
幸田露伴の本へとすするかどうか(笑)。
付録の「無人島へ持って行く十冊」が載っていました。
そのなかに
幸田露伴「評釈芭蕉七部集」とある。
渡部氏のコメントを引用。
「近代で初めて全巻通して『芭蕉七部集』に注を下した書。
ドイツへ留学したとき、向うで淋しくなったら読もうと思って
『猿蓑(さるみの)』をもっていったくらい芭蕉好きなので、
露伴のこの評釈は時おり読み返しています。・・・」
芭蕉七部集を、いつかは読んでみたかった。
そう思ってどのくらいたったかなあ(笑)。
でも、素人の私には歯が立たない。
それが今月になって
伊藤正雄著「俳諧七部集芭蕉連句全解」をひらくと分かる。
今、半分ほど読み進んだところです。
うん。わかりやすく、楽しい(笑)。
ああ、連句というのは、こういうものだったのだ。
今まで知らずにおりました。
その「序」から少し引用してみます。
「私は多年大学で、七部集の連句を講じてきた。
・・・芭蕉の俳句に比べて、連句研究に開拓の後れ
てゐることを痛感せざるを得ない。本書はそうした
気持から、七部集中、実質的に芭蕉が一座したと
言ひ得る連句全部、すなはち歌仙十六巻について、
自分なりの解釈を試みたものである。・・・・
連句は人によって解釈が著しく岐れ易いので、
本書の言ふところももとより一家の試解を出ない。
しかし手の及ぶ限り古今の緒注を参照した上、
最も客観性に富むと思はれる自説を立てたつもりである。
学問的にはできるだけ高水準に、しかも
連句のイロハすら知らぬ読者にも難解の嘆を与へぬやうに、
といふのが私の根本的な用意であった。
・・・連句の解釈に百パーセントの正解を得ることは、
ほとんど神わざに近い。・・・」
うん。これを読み終ったら、はたして
幸田露伴の本へとすするかどうか(笑)。