和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

沢村家の本棚。

2012-10-30 | 本棚並べ
ときどき、本がつながってゆくような、
そんな、快感を味わうことがあります。
あなたも、きっとそういう場面があるかと思います。
今回は、こんなつながりでした。

関容子著「舞台の神に愛される男たち」(講談社)に
13人の俳優やらが登場しているのでした。
そこに、山田太一氏も出てきます。
そこからすこし、関容子さんの語りを引用してみます。

「・・山田さんの描く浅草がなぜそんなに私の心に沁みるのかと言えば、山田さんは浅草、千束の生まれで、私は隅田川を隔てた本所の生まれだし、山田さんの浅草が本物なのがよくわかるからだろう。もう一つ浅草と私のつながりを言うと、生粋の浅草っ子女優の沢村貞子さんとは生前親しいおつきあいだったが、あるとき沢村家の本棚にズラリと山田さんの本が並んでいるのを見て、やっぱり同郷のよしみでお好きなんだなぁ、と思ったものだった。」(p283~284)

この箇所を読んでから、
新刊の「沢村貞子の献立日記」(とんぼの本・新潮社)をひらくと、
そこには山田太一氏の文章が載っているのでした。

まあ、そこから古本を注文して、
沢村貞子著「老いの道づれ」(岩波書店)を読むと、
どうやら、沢村さんのご主人・大橋恭彦氏が
山田太一氏を褒めていらしたことがわかるのでした。

ということで、
光文社文庫の大橋恭彦著「テレビ注文帖」を
古本で注文

 花木堂書店(愛知県蒲郡市)
700円+送料100円=800円

それが、今日とどく。
「テレビ注文帖」のまえがきに

「・・失意の底にいたある日、思いがけなく『暮しの手帖』の花森安治さんにお目にかかる機会に恵まれた。・・初対面の日から数日後、『うちの雑誌でテレビ番組について何か書いてみては・・』というお勧めをうけた。私は一瞬絶句した。永年、映画ジャーナリストとしてその末席を汚してはきたが、ことテレビに関しては何の知識もない。・・・・私が茶の間のテレビの前で終日坐りつづける孤独で寡黙な生活をはじめたのは、その翌日からである。そして十五年の歳月が流れた。ジャン・ギャバンを魅力的で粋な俳優だったとその死を悼み、相当な映画ファンでもあった当の花森さんも先年、亡くなられた。・・・」


この文庫には、後半に山田太一についての文が続くのでした。
そこから、すこし

「数日前、テレビドラマの優秀作を選ぶ批評家集団の予選があって、山田太一の≪ふぞろいの林檎たち≫が、有力候補にあげられているという話をきいた。・・私もひと足早く、十一月末の時点で東京新聞に書いた年間回顧の小文で、同じ山田作品≪早春スケッチブック≫の斬新なモチーフを、その構成手法の卓抜さなどを高く評価して第一位に推した。」

そして、山田作品を
「発表される一作一作の発想に、きわだった独創性があり、つねに視る者の心をゆさぶり、あつい共感をよびおこし、それが次第にある種の感動にまで高められてゆく――この山田太一のオリジナル・ドラマの作劇術に、もしも秘訣のようなものがあるとしたら、それはなんだろう。私はこの数年、ドラマ好きの一人の視聴者として、そのことを考えつづけてきた。・・」

こうして、「独創・山田太一のドラマ」という文は、
「早春スケッチブック」と「ふぞろいの林檎たち」の場面を再現してゆくのでした。

さて、ここから、「早春スケッチブック」へと、
つい、触手を伸ばしたくなるのですが、
深追いは禁物。ここまで(笑)。
いつか、
「早春スケッチブック」を読みたくなる機会が
くるかもしれませんが。今回は、
この地点から、きびすを返すことに。

コメント (3)
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世論過敏症。

2012-10-29 | 短文紹介
もらってきた読売の古新聞に
「新書論壇」(2012年9月12日)というのがありました。
以前から連載されているのやら、ちょっとわかりません。
竹内洋氏が書かれております。
新書が3冊紹介されております。

 橋本五郎著「総理の器量」(中公新書ラクレ)
 山内昌之著「リーダーシップ」(新潮新書)
 橋本治著「その未来はどうなの?」(集英社新書)



すこし引用。

「山内昌之『リーダーシップ』である。菅前首相にいたっては、『退却や責任回避の達人』と、政治家失格の引導が渡されている。
民主党の要人にこのような型無し政治家が多いとみえてしまうのは、『幸福の災い』というべきものだろう。急転直下の政変で、首相や閣僚の要職が棚からぼた餅式でやってきたからではないか。国会議員になれれば儲けものくらいに思っていた人たちが、気がついたら思いもよらぬ官房長官やら閣僚、それどころか首相に上りつめてしまった。・・・軽さだけが透けてみえてきてしまう。」

そして

「民主党は、『世論』民主主義を御旗に登場してきた。野党のときには、与党攻撃の格好の材料になった。しかし、与党になると、習い性は一転して世論の風見鶏という足枷になる。これが決められない政治のもととなる。
迂闊なことをいえば、世論の反発を招くことになるからと、鳩山元首相の普天間飛行場移設問題の迷走がそうであったように、『誰にでも受け入れられる落としどころ』という『マヌケな探し方』をしてしまう(橋本治「その未来はどうなの?」)。世論過敏症はいまでもつづいている。」

さっそく面白そうな、
橋本治著「その未来はどうなの?」を購入。
うん。買ってよかった。
竹内氏が引用した個所は、
新書の最後の章にあり、
読み甲斐があります。
ここでは、第一章「テレビの未来はどうなの?」の
の最後を引用してみます。

「テレビは日本人をどう変えたか?
やたらの数の批評的言辞を弄する人間を生み出して、
しかし言論そのものを活性化することはなかった。
『いい加減であってもいい』ということを習慣的に
マスターさせたが、
『いい加減であってもいい』と『いい加減でいい』
の間にある微妙な差は理解させなかった。
私はこういうことを『大きな変化だな』と思うのです。」

ちなみに、「あとがき」では
ご自身の病気への言及がありました。

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道づれ。

2012-10-28 | 本棚並べ
新潮社のとんぼの本。その新刊に「沢村貞子の献立日記」。
その最初に黒柳徹子さんの文。最後の文は、山田太一。
そのどちらにも紹介されている本に
沢村貞子著「老いの道づれ」(岩波書店)があり注文。

井筒屋古書部(福岡市)
本代300円+送料170円 = 470円

それが昨日届く。
夜寝床で読む。
ふだんは、1~2頁で寝てしまうのに、
この本は最後までスラスラと読める。
夫婦二人のなれそめから、晩年までが
さらりと、よどむことなく綴られておりました。

沢村貞子さんは、文中にこう書いておりました。

「忙しい仕事と家事の間を縫って、二枚、三枚 ―― 。
台所の隅、鏡台の横、寝室の枕もと・・・
あちらこちらに小さいメモ用紙と鉛筆を置き・・・
お米をとぎ、髪を結いながら、
思いついた題材をちょっとしるしておく癖は、
その頃からついたものです。 」(p111)
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のびやかに快く。

2012-10-27 | 本棚並べ
注文してあった古本が届く。

柏光書房(千葉県柏市)
谷沢永一著「ローマの賢者セネカの智恵 『人生の使い方』の教訓」(講談社)
本代630円+送料290 = 920円

先払いでした。
本は新刊同様でした。ありがたい。

さてっと、本のはじめにを引用してみます。
「はじめに」のはじまりは

「人の気分が、明るくゆったり、のびやかに快くなるのは、心のかよいあう親しい友と、なにくれとなく語らいあうときであろう。セネカは、議論をふっかけるのではなく、おだやかに、くつろいで、話しかける。緊張をときほぐして、一緒に考えようと、うながし誘いかける。またと得がたい、親切な話し相手ではなかろうか。・・・一口に言おう。セネカはこよなき人生の師として読み継がれてきたのである。・・・」


うん(笑)。
これで、渡部昇一氏と谷沢永一氏の両者の本を読む、お膳立てはできました。
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それは海に向けて。

2012-10-26 | 短文紹介
兄の家から、
読売の古新聞をもらってくる。
そこに、10月14日の新聞がありました。ありました。
編集委員・尾崎真理子氏による、丸谷才一の評伝が載ってました。
評伝の最後のしめくくりは、

「昨秋の文化勲章受章と同時期に出た小説『持ち重りする薔薇の花』は出足が鈍く、『決して弛緩してないと思うけどね・・・』と弱気を見せた。それでも今年2月初旬、心臓のカテーテル手術後に見舞うと、『君、この学者は有望だよ』と新刊書を薦められた。すっかり身は細っていたが、枕元には本、本、本・・・・。
『表現の自由』『読書の歓び』。そんな言葉を聞く度に、病室の光景を思い出すことになるだろう。」

ちなみに、評伝の最初に今年の8月のことが書かれております。

「・・最後の誕生会は今年8月末、東京都港区のレストランで開かれた。主賓は87歳を迎えた丸谷さんだが『長年、お世話になったから』と、約30人の編集者や新聞記者を招待し、上等なフランス料理と赤ワインを振る舞った。席上、『できるならばあと数年、小説を書き続けたい。それは海に向けて私信入りの瓶を流すように、届く保証のないものですが』。最後まであいさつの名人だった。・・・」

うん。どうやら、これが最後のあいさつだったのでしょうね。
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対談したいな。

2012-10-25 | 前書・後書。
気にはなっていたのですが、買わずにいた
渡部昇一著「賢人は人生を教えてくれる  ローマの哲人セネカの人生論」(到知出版社)がとどく。
うん。渡部昇一・谷沢永一の対談は、毎年楽しみにしておりました。
そのわりには、けっこう読まなかった対談本もあるような気がします。
今度、本棚にお二人の対談本をならべてみたいなあ。

さてっと、届いた本の、まえがきを紹介したいのでした。

「昨年亡くなった谷沢永一さんと私は、『論語』をはじめとするさまざまな古典的な名著についての対談を三十年近く続け、二十数点の対談本をつくりました。その谷沢先生と最後に『対談したいな』と言い合っていたのが、ローマの哲人セネカでした。・・・・谷沢先生ご自身は亡くなられる数年前に、『ローマの賢者セネカの智恵――「人生の使い方」の教訓』という本を講談社から出しておられます。・・入院されてからも、しばしば対談をしたいという意思は谷沢先生から伝えられ、私からも谷沢先生にその希望を伝えました。・・しかし、谷沢先生は病気がよくなられず、最後のときは病院でお弟子さんに口述されたお手紙をいただきました。その最後の最後まで、セネカについての対談ができなかったことを、私に対して詫びておられました。・・・その谷沢先生の思いを引き継いで、今、谷沢先生のご著書をも参照しながら、セネカの『人生の短さについて』を中心に『老年と死について』についても語りたいと思っています。・・・」

 
うん。読む前に、とりあえず、
ネット古本屋へと
谷沢永一著「ローマの賢者セネカの智恵・・」の注文をしたところです。
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村上さん、おめでたう。

2012-10-24 | 本棚並べ
本棚から、
丸谷才一氏の挨拶シリーズをとりだしてくる。

 挨拶はむづかしい
 挨拶はたいへんだ
 あいさつは一仕事

以上出版は朝日新聞社。
  また、「挨拶はたいへんだ」は朝日文庫もあり。

「挨拶はむづかしい」には、
村上春樹『風の歌を聴け』群像新人賞贈呈式での祝辞が
載っておりました。
その新人賞の選考委員のお名前は
丸谷才一・佐多稲子・佐々木基一・島尾敏雄・吉行淳之介の五名。
その祝辞からすこし引用。

「・・実はわたし、この小説は珍しく二へん読みまして、ほかの四人の方は反対でも、自分一人だけはこれを強く推そう、一票だけの少数意見になっても仕方がない、なんて覚悟を決めて出席したのですが、みなさんがこれだとおっしゃるので、いささか拍子抜けしたくらゐでした。まるで若葉の林を吹きわたるさはやかな風のやうな新風でありまして、その点、『風の歌を聴け』といふ題は、『この小説を読め』といふ意味がこめてあるのかと疑ひたくなります。日本文学が曲り角にあるといふことはよく言はれてゐますが、そのことを作品の実質でこれほど納得させる小説は珍しいし、まして新人の第一作となれば、稀有のことではないかと思ひます。・・・とにかく、村上さん、おめでたう。五人を代表してお祝いを申上げます。」

この挨拶シリーズは、
巻がすすむにしたがって、
お別れの会や偲ぶ会での挨拶がくわえられていき・・・。
そして、「丸谷才一さんお別れの会」を待つこととなりました。
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腰のすえ方。

2012-10-22 | 短文紹介
関容子著「舞台の神に愛される男たち」(講談社)をパラパラとめくると、山努氏へのインタビューをしているところに、どういうわけか(笑)、丸谷才一氏が登場するのでした。
それは関さんが「ときどき協力している毎日新聞書評欄の、各界で一流の人に『好きなもの』を三つ言ってもらうというコラムの取材」を山崎努氏へと申し込むことからはじまっておりました。

ここでは、最後の箇所をすこし長く引用して、
丸谷才一氏を偲ぶことに。

「山さんは折にふれて大先輩芥川比呂志のことを思うことがある。
『最後は入退院をくり返していて、亡くなる少し前もちょっと顔を見に寄ると、帰さないんですよね。ひとの演技や作品を面白おかしく褒めまくって、アラは探せばいくらでもあるだろうけど、そっちへは行かないで、面白いことを面白がって楽しんだほうがいい、という精神。とても教えられました。悪口を言うのは下品で貧しいことだけど、褒めることは高貴で豊かでぜいたくなことだな、と思った。それでこの間、偶然丸谷才一さんにお会いしたとき、ふと芥川さんのことを思い出した。僕の好きな先輩たちが、努めて陽気に明るくしているのがすごく好きですね』
このインタビューがキッカケで丸谷さんと山さんが親しく何度か会うことになったのは、最初に山さんが『恵比寿で』と私に場所を指定したからだった。
『突然丸谷さんに会えたときはびっくりしたなぁ。あの人の書く物には、俺がこう思ってこう書いて何が悪い!という腰のすえ方があるでしょう。あの一種乾いた感じと割り切り方は何なのかと思ってて、一度実感したかったんですよ。会ってみて、ウーンと思いました。丸谷さんの大音声は有名だけど、初めは淡々と穏やかで、あれ、と思った。そのうちに少し酔ったらやっぱり大音声になった(笑)。陽気で、スカッとしてるのね。僕はじめじめした日本人が大嫌いなんだけど、あの人はまったく日本人離れしてる。僕もああいうふうにないたいと思いましたね』
別のとき、丸谷さんも言う。
『とにかく彼は知識人。ハムレットが持って出る本がラテン語の本に見える役者は、芥川さん以降は彼しかいないかもしれない。近くでナマの肉声を聞くと本当に渋くて深みのあるいい声なのに、あれを舞台で聞かせてくれないのは実に残念だけど・・・』」(p128~129)



うん。丸谷才一氏と関容子さんの阿吽の呼吸は、
岩波現代文庫に入った関容子著「日本の鶯 堀口大學聞書き」の
「岩波現代文庫版あとがき」と、そのあとにつづく
丸谷才一氏の「解説」に詳しんだよね。
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騙されてもいいや。

2012-10-21 | 短文紹介
今日は日曜日。
毎日新聞の「今週の本棚」をひらく。
丸谷才一関連本がとりあげられております。

鹿島茂選の「この3冊」は
丸谷才一氏の3冊になっておりました。
鹿島氏の文の最後の方にこうあります。

「こうして三冊を挙げたが、あと、エッセイスト・丸谷才一という重要な側面がある。この側面を一冊で知りたい読者には絶版だが『女性対男性』を薦めたい。中身があって面白く、柔ら話でも下品でないエッセイの最初の見本。私は初出の『週刊女性』連載で読んで丸谷エッセイのファンになった。」

うん。これを古本屋へと注文。

読んでうれしかったのが
木村凌二氏による
「怖い本と楽しい本 『今週の本棚』20年名作選1998~2004」の書評でした。
最初の方にこうあります。

「丸谷才一先生から本書の書評をしてくれ、との御指名だった。個人の書評集なら名のり出る方もあろうが、大勢が書いた書評集などまず手を挙げる者はいないとの判断だろう。」

「宿題のように読みはじめたのだが、とんでもない思いちがいだった。むろん私にも専門もあるし趣向もある。だが、それらにお構いなしに、読めば読むほど神経が高ぶってくる。・・買って読みたい本のリストが増えてくる。・・ただし、これは舞台で演じられる劇がほんとうに心をゆさぶるのか、宣伝文句が巧みなのか、その真偽はわからない。それでも評者に騙されてもいいや、と思わせるとことが凄いの一言。」

と、ここまで引用したので、書評のしめくくりも引用

「ただし、ななめ読みも飛ばし読みも厳禁。数枚の原稿に凝縮された知の塊なのだから、熟読するしかない。デルフォイの神託『己自身を知れ』が湧き出てきて、自分の世界がちっぽけに見えるだろう。」

うん。本も読まずに、ただ書評にワクワクしていた私の季節は、この書評をひとくぎりに、一旦幕にしたいものです。
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ではなかったか。

2012-10-20 | 短文紹介
朝日の古新聞をもらってくる。
10月16日の池澤夏樹氏の追悼文「ゴシップ通し市民描く」を読めてよかった。
その最後がいいなあ。
こんなことほかに誰もいっていないし、
なんせ僕はしらなかった。

「夏目漱石から吉行淳之介まで、日本の近代小説には高等遊民と放蕩者と芸術家しか出てこなかった。丸谷さんはそこに職業を持つふつうの市民を呼び込んだ。身勝手な自分語りではなく、一歩離れて人と人の仲を書いた。それが作家丸谷才一のいちばんの日本文学への貢献ではなかったか。」

うん。池澤氏の追悼文のはじめも引用しなきゃ。

「2010年の2月に丸谷さんは病気で入院された。・・・・お見舞いに行った。エレベーターを降りたとたんに、まだ病室は遠いのに、丸谷さんの声が聞こえた。よかった、お元気なのだとぼくは安心した。丸谷さんは美声であり、かつ声が大きかった。文壇三大音声(おんじょう)の一人と言われた。・・・」

10月7日の読書欄に
後藤正治氏がドナルド・キーン著「正岡子規」の書評を書いております。
そのはじまりも引用。

「明治が生んだ最大の詩人、正岡子規を描く評伝である。生涯と作品を丁寧に探索していく。筆致は抑制的であるが、考察の跡が選び抜かれた言葉にうかがえ、子規の全体像がよく伝わってくる。」

うん。
ゆっくりと丁寧にドナルド・キーン著「正岡子規」を読み直そう。
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どういう枠組みを。

2012-10-19 | 短文紹介
気になってた本を注文してあって、
昨日届く。
松岡正剛著「3・11を読む」(平凡社)
岡康道・小田嶋隆対談「人生2割がちょうどいい」(講談社)
ついでに注文したのが
関容子著「舞台の神に愛される男たち」(講談社)
上原隆著「こんな日もあるさ」(文藝春秋)
など。

今日、雑誌「新潮45」11月号を、持ってきてもらう。
「人生2割がちょうどいい」の最初の方に、

小田嶋】 俺は細かい技巧の最後の詰めみたいなところが、たぶん得意なんだよ。でも、本当の根本的なアイディアというのは、最後の仕上げ工程の完成度じゃなくて、どういう枠組みを与えるか、というような、言わば、課題を考え出す能力なんじゃないかな。それを岡は持っていた。その手のものを書くだけじゃなくて、いつも思わぬことを考え出す。(p21)


ちなみに、新潮45の11月号をひらくと、
最近、コラムニスト・テクニカルライター小田嶋隆の文が載っているのでした。
11月号の文のはじまりは

「ニュースが面白くない。新聞を開いても、週刊誌をめくっていても、15分で飽きてしまう。・・・別の言い方をするなら、何かを見て面白さを発見できない人間は、つまるところ、老人なのである。とここまで予防線を張っておいて、再度同じことを言わなければならない。ニュースが面白くない。そうだとも、私の目には、ニュースがまるで面白くない。・・」

さてっと、このコラムニストの文の最後の詰めは、ご自分でお読みください。

この雑誌には曽野綾子さんの連載「人間関係愚痴話」が第18回目。
そこに、
「私は週に六冊の週刊誌と、一日五紙の新聞を読む。もちろん隅から隅までというわけにはいかないが、たいていの雑事はざっと知っている。ただ私はスポーツ面を全く読まない・・」

さりげなくも、気になったのは

「最近の日本には、ただでごちそうになっておいて『復興を願って』などと言える人たちが現実には増えたのである。」(p18)うん。その前後は省略。
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他人事。

2012-10-18 | 地域
産経新聞が気になります。
(他の新聞がどうかは知らず)

10月13日の産経新聞総合欄の5ページでした。
その全文。

「前原誠司国家戦略担当相は12日、BS朝日の番組収録で、石原慎太郎東京都知事が沖縄県・尖閣諸島の購入を目指したことを『海上保安庁も自衛隊も持っていないのに気合だけで言ってもらっては困る。(購入計画は)はったりだ』と強く批判した。中国で反日デモが広がったことについても『もともと石原氏が(尖閣購入を)言い出さなかったら問題は起きていない』と中国側の反発の矛先を石原氏に向けた。
国有化前の8月19日に首相公邸で行われた石原氏と野田佳彦首相の秘密会談も『石原氏は「(中国との)戦争も辞せず」というような話をして首相はあきれた。都が所有しては大変なことになると首相は思った』とやり取りを明かした。」

これに対する言葉を読みたいと思っておりましたが
10月14日の産経抄を読んで、溜飲を下げ。
10月18日の一面、古森義久の「あめりかノート」、
その「中国の無法を糾弾せよ」を読めて安堵したのでした。
どちらも、文全体を読まなければいけませんので、
ここでは、引用しないことにします(笑)。
ただ、いつでも読み返せるように、
日付と記載箇所を、こうして書いておくしだい。


うん。産経抄と古森義久氏の文とを読めてよかった。
ここに、言葉があってよかった。


本を読まないので(いつものことですが)、
本棚の整理にと、スチール棚を組み立て、
並べたのでした。読んだ本を段ボール箱にしまいこみ。
未読本を並べてあったのですが、
これは、いけないと、整理のたびに気づかされます。
そういえば、来月の11月1日年賀はがき発売。
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どんな声を出すか。

2012-10-17 | 本棚並べ
桑原武夫氏の「中国について」に
「郭沫若氏の一面」に触れた箇所があったので、
さっそく、桑原武夫著「人間素描」(筑摩叢書)を
本棚から取り出してくる。
そのはじまりは、
「私は本をよむことを職業にしているが、
実をいうと動かぬ活字より動く人間に興味がある。
そして、死んでいる活字を生き生きと躍動させる
すぐれた思想なるものは、どういう人間の身体と
結びついて生まれてくるのだろうか、と考える。
・・・生きている偉い人に会ってみたいのも、
その人がどんな身体つきをして、どんな声を出すか
をじかに見聞して、それと思想との関係を憶測する
手がかりをえたい、という気持ちがあるからだ。
それは大てい好奇心の満足におわって、そこから
思想と身体との結びつきについて何らかの説明の
いとぐちがつかめる、といったことはめったにないのだが、
それでもよいのである。・・・」

そういえば、新聞をひらき
丸谷才一氏の追悼文を読むと、
その会った際のことが語られている箇所に
どうしても注目してしまいます。

ここでは、引用のみ。

「作家の丸谷才一氏が13日、心不全で世を去った。『多少、小説の書き方が分かってきた気がする。最後まで現役の作家でいたいなあ。ハッハッハッ・・・』。昨年10月、8年ぶりの長編小説『持ち重りする薔薇の花』について取材したとき、ふだんと同じように豪快に笑った姿が印象に残っている。」(産経10月14日社会面・海老沢類)

その豪快さを読売新聞10月16日の編集手帳は、こう記しておりました。

「丸谷才一さんが音楽学校で英語を教えていた頃の逸話が、まことしやかに伝わっている。丸谷さんの声があまりに大きいので、隣の教室で合唱の授業をしていたクラスが離れた教室に避難したという。合唱も打ち負かす伝説の大声をじかに浴びたのは、3年ほど前である。食事をご一緒した折、質問をした。村上春樹さんの小説が芥川賞の選に漏れたとき、丸谷さんは選考委員でしたな。いま顧みて、『しくじった!』という感想をお持ちですか?『僕が!僕が、ですか?』空気が震え、グラスのワインが波立った。・・・『Aが村上の才能を恐れて受賞に反対した。僕と吉行(淳之介)はAに抵抗したが、力が及ばなかった』。30年も前の選考会を昨日のように振り返り、血を滾(たぎ)らせる。日ごろ穏やかな紳士だからこそ、大音声の爆発がサマになった。・・・」

その同じ日の読売文化欄には辻原登氏が追悼文を寄せておりました。
その最後の方に

「・・・怒る丸谷さんの想い出をひとつ。
14年前、私がある文学賞を受賞したときのこと。
その年、小説部門の受賞者は二人だった。
六つの部門があって、授賞式での挨拶は各々、
三分以内でと主催者から言い渡されていたのだが、
最初に立った小説家の挨拶が二十分を超えてしまった。
数百人の出席者はみな立ったままである。
会場が騒めきだした。ようやく終わって、
次が私の番。
私は用意したとおりの三分間のスピーチを行った。
パーティが終わって、私の受賞を祝う銀座の
二次会の会場に移った。丸谷さんはその文学賞の
選考委員で、私の作品を強く推してくれ、
二次会にも出席して下さったが、
私が少し遅れて着いて、丸谷さんの隣の席につくと、
あの大声がひびきわたった。

『きみのあの挨拶は何だ!
ああいうスピーチのあとは、
ありがとうございました、
のひと言で引き下がるべきだ。
それが批評というものだ。
きみには全く機知も批評も欠如している』

本気で怒っているのである。
しかも、なかなかおさまらない。
周りの人たちが丸谷さんを宥(なだ)める。
みな、私を気の毒がって声を掛けてくれる。
最初は驚き、しょげ返ってしまったが、
やがて大きな喜びが湧き上がってきた。
丸谷さんの怒りは正しいし、その言葉は丸谷文学、
いや文学そのものではないか。
喜びが感謝の念に変わった。」

え~と。つい最後の方を全部引用してしまいました。
う~ん。新聞は全紙にあたっていないので残念。
そう、今日の産経新聞文化欄には鹿島茂氏の追悼文。
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一つだけはずして。

2012-10-16 | 本棚並べ
以前買った古本が本棚から出てきました(笑)。
桑原武夫と加藤周一の対談「中国とつきあう法」(潮出版社)。
とりあえず、桑原武夫という名にひかれて買ったまま、
忘れておりました。
表紙は共通の先輩高田博厚氏のもの。
その表紙は、赤い花が一輪。
対談の最初に、
1977年の桑原武夫氏の「中国について」という13ページほどの文が、まず載せられております。その頃は、どういう時代だったかも、さりげなく語られおります。それがちょうど「赤い花」を語っている箇所なのでした。

「現代日本では言論は自由でありますけれども、同時にまた誤解の自由も行きわたっておりまして、たとえば私が『ここに赤い花が咲いている』と言いますと、それは私が赤い花の存在に気づいたというだけのことですが、それが赤い花に関心をもっており、したがってそれの存在を肯定しているにちがいない、というふうに受け取られることがあるのであります。・・それで以下申し上げることは、中国をほめ、あるいはけなすという目的があるのではなく、皆さんの討論のネタを供給するというだけの意図として受け取っていただきたいのであります。」


「中国が原爆、さらに一般的に原子力エネルギーの研究、実験をしているのは新疆省だろうと思えます。死の灰はイデオロギーを超えてコミュニストにもファシストにも同じように有害な作用を及ぼすものですが、新疆省に市民の反対運動があるという報道を聞いたことはありません。報道の管制というより実際ないのではないでしょうか。私は日本の過激派の学生が新疆省へアジりに潜入したりすることに反対ですが、このことを一つ考えても、中国と日本とがどのように国情が違うかが明らかなわけです。」


私に興味深かった箇所は

「中国と日本との基本的な相違――日本人が強く意識しない、あるいは意識することを好まない相違は、中国人の政治性と日本人の非政治性ということであります。日本のインテリは、私は政治はわかりませんとか、私は政治は嫌いですとかよく言います。それがカッコよく受け取られるのですが、中国風に考えると、人間が社会生活を営むものである以上、その人間の扱い方、つまりポリティックというものがあるのは当然で、それをじょうずに行なうことは必要であるけれども、それを無視ないし拒否するなどというのは人間的でないということになるでしょう。それなのに政治は嫌い、政治はわからないなどと平気でいうのは、公開の席で私はインポテンツだと言っているようなもので、むしろおかしいのではないかということになります。陳舜臣さんが指摘していますが、日本は中国文学をみごとに摂取したけれども、その際、一つだけはずして移入しようとしなかったものがある、それは中国文学に本質的な政治性だと言うのです。・・・」

この文は、桑原武夫集10巻に掲載されており、一度読んだような気がするのですが、すっかり忘れておりました。この文は「中国そのものについてというよりむしろ日本人の現代中国にたいする見方、あるいはそれとのつきあい方ということについて若干の点を・・」とあり、今読んでも基本を押さえて、新鮮さがひろがります。

ちなみに、あとがきは加藤周一氏。そこに
「『中国とつきあう法』という本の題は、中野重治氏の『本とつきあう法』に負うている」とありました。それにしても、この二人の対談というのは、最初思い浮かばなかったのですが、桑原武夫氏の懐の深さに思い至りました。
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先輩の恩恵。

2012-10-14 | 短文紹介
今日の毎日新聞10月14日一面に
「丸谷才一さん死去 87歳」とあります。
13日午前7時に心不全のため死去とあります。

死亡記事が、日曜日の「今週の本棚」の日と重なる。
その日の一面コラム『余禄』の最後を引用します。

「『今週の本棚』創設にあたって丸谷さんは新聞書評の革新を提唱した。書評委員会の合議制を排して文筆家個人の責任で書評する。書評1本あたりのスペースを格段に広げる。何よりも書評そのものが読者を魅了する読み物でなければならないというのが原則だった。文芸評論でもない。単なる本の紹介でもない。『この本面白いよ』と知人に伝える心の弾み、どう面白さを書けば伝わるかという知的興奮、それらを行間に秘めた文芸の一ジャンルとしての書評こそ丸谷さんが求めたものだった。『一席の歓』を共にする書評である。本の楽しさを心ゆくまで味わい、喜びを共にするパーティーのような書評文化は今ではさまざまな広がりを見せる。そこで説教好きの挨拶や、独りよがりの長広舌をあまり耳にしなくてすむようになったのは、天国の丸谷さんのおかげだ。」


最後の挨拶にふれているのは、このコラムが丸谷さんの挨拶からはじまっていたからなのでした(笑)。
さてっと、
社会面では池澤夏樹氏の追悼文は
「世の中にはあまりに当たり前になってしまったから気づかないことがある。作家としての丸谷さんの業績などもそうだ。若い作家たちはたぶんこの先輩の恩恵を知らない。」と書き出されていました。

社会面の記事には毎日新聞らしく『今週の本棚』への署名記事。
井上卓弥氏が書いておりました。そこからも引用。

「・・『書評はそれ自体、優れた読み物でなければならない』との信念に基づいた紙面作りは『程度の高い案内者が、本の内容を要約して読者への道案内をする』という、新しい書評となって結実した。書評の分量を最大で原稿用紙5枚(2000字)に大幅拡充したほか、書評執筆者名を書名や著者名の前に掲げ・・・」

うん。丁寧に読ませていただきました。
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