和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

第1回菜の花忌。

2014-03-31 | 本棚並べ
「司馬遼太郎が語る日本 未公開講演録愛蔵版Ⅱ」に
第1回菜の花忌シンポジウムの鼎談が掲載されていて、
そのはじまりの井上ひさしさんの言葉が、印象深い。

そこで、1976年に井上さんがオーストラリアの国立大学の客員教授に呼ばれ出かけた時のことが語られております。「1ヵ月で日本が恋しくなりました」と語ったあとに、司馬さんがオーストラリアに取材にこられたことに触れておられます。
司馬さんから宿題を出されて、それに答えることなどが語られたあとでした。

「こうして二日間があっというまに終わりまして、
司馬さんのご一行をキャンベラ空港へお送りしました。
司馬さんの乗った飛行機が機首をぐっと上げたとき、
思わず私はこう言ってしまいました。
『ああ日本が行っちゃう』と。
司馬さん自体が日本、それもとても良質な日本という感じがあり、
二日の間で私のなかでは、なにか司馬さんが日本そのものになってしまった。
その人が飛行機に乗って遠くへずっと行くときに、
日本そのものがどこかへ去っていく、
そんな非常に寂しい気持ちになったのを覚えています。
去年のきょう、やはり同じ気持がしました。
日本がどこかへ行ってしまうと。
日本のいちばん大事な良質な部分が、
もう帰ってこないという無力感、絶望感がありました。
もっとも・・・・・
作品を読みに読むならば、そこに司馬さんがいて、
日本があるというところへ、
やっとこのごろ落ち着きました。」(p289~290)


うん。このシンポジウムでの
井上ひさし氏の最初の言葉と、
そしてシンポジウムの〆の言葉と、
どちらもが、印象に残ります。
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立ち上げたい。

2014-03-30 | 本棚並べ
「おそらく菅直人という人は、
総理大臣として史上最低と言っていいでしょう。
宇宙人と言われた鳩山由紀夫の時も『史上最低』
と言ったような気がするが、それを下回る。
攻撃型の野党党首としてはそれなりの
存在感があったと思いますが、
政権与党のトップとして、これほど無能な人はいません。
特に今回のような国難に際して、
何をどうすればよいのかがまったくわかっていない。
統治能力がまったくない。
経済のメカニズムもまったく理解していない。」
 (月刊「WiLL」2011年7月号)

以上の引用は
三宅眞著「愛妻納税墓参り」(p204)から、
三宅久之氏による文です。

ASP(安倍晋三再生プロジェクト)の呼びかけ
 (WILL7月号)に

「今、日本をなんとかしたいという高い志を感じる政治家は、
安倍元総理の他に見当たりません。
本人は自分から手を挙げるにはまだ遠慮があるようだが、
求める声が大きければ、それに応える意欲は充分に
持っていると思う。ぜひ『安倍晋三再生プロジェクト』を
立ち上げたいと思っている人は多いのではないか。
まず、党外から賛同者を募り、党内の賛同者とも一緒に
機運を盛り上げていけばいいのではないか。・・・」
 (「愛妻納税墓参り」p189)

「2011年7月4日。都内某ホテルに志を同じくして
集まった人たち。議員では下村博文さんを中心として、
民間では平川祐弘さん、日下公人さん、小林正さん、
すぎやまこういちさん、金美齢さん、故米長邦雄さん、
花田(紀凱)さんにご賛同いただきました。」(p192)

うん。
三宅眞著「愛妻納税墓参り 家族から見た三宅久之回想録」を
小川榮太郎著「約束の日 安倍晋三試論」(幻冬舎)(幻冬舎文庫)
小川榮太郎著「国家の命運 安倍政権奇跡のドキュメント」(幻冬舎)
と並べて本棚に置くことに。

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75歳くらいかな。

2014-03-29 | 短文紹介
三宅眞著「愛妻納税墓参り 家族から見た三宅久之回想録」(イースト・プレス)をパラパラ読み。そこに、山口もえさんが登場しております。

「山口さんが父に、『おいくつの時が一番充実していましたか?』
と質問された時、父はこう答えます。
『七十五歳くらいかな、いろいろ学んで、楽しくなってきたのは』
その時の話を引き合いに、その年になると周りが年下ばかりで
どうやら怖いものがなくなってきたみたいですね、
と山口さんが水を向けると、
『そうではなくて、たくさんのことを学んだ末に、
ようやくその境地に達した』
という趣旨だったそうです。」(p96~97)

このエピソードは、本文のp20~にもでてきております。
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僕は今。

2014-03-28 | 前書・後書。
堀口大學という名があれば、
司馬大学という名もあってもいいかなあ(笑)。
といっても、
これは、第1回菜の花忌シンポジウムの
鼎談で、最後の〆を語った井上ひさし氏の
言葉に登場するのでした。

未公開講演録愛蔵版Ⅱ「司馬遼太郎が語る日本」
にシンポジウムの鼎談が載っており、
その最後の井上ひさし氏の言葉を引用できます。

井上】 僕は今、ハーバード大学のことを考えております。
ハーバード大学の起こりは、
牧師さんの集めた一万冊の書物でした。
その方は自分がこつこつ集めた本を一万冊寄付された。
それをどう整理し分類すればよいか、そして
書物の中に何が書いてあるか、
さらにどう読めばよいのかを考え、
研究しているうちに、同学の士が集まってきて、
やがてそれがハーバード大学になったのだといいます。
・ ・・・・・
司馬さんをどういうふうに読んでいくかということを
やっていくと、自然に一つの大学ができるのではないでしょうか。
べつに財団に大学を建てろと言っているわけではなく、
司馬さんが集められた本、
お書きになった本を私たちが読んでいくことで、
『司馬学』といいますか、とても変わった
おもしろい生き生きした大学のようなものが
自然にできるのではないでしょうか。
きょう午後からずっとぼんやり過ごしているうちに、
だんだんそんな気がしてきました。
僕の中にもすでに『司馬大学』がある――。
会場のみなさんと同じ空気を吸いながら、
いろいろとお話を伺いながら、
なんとなく私はそう考えはじめました。
そんな感想を申し上げることで、
無理やり締めにさせていただきたいと思います。」(p297)
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羨ましいなあ。

2014-03-27 | 地域
丸谷才一著「思考のレッスン」(文藝春秋)の
レッスン1に

「羨ましいなあ。司馬さんは実に条件に恵まれていた。
大坂には立派な図書館がいっぱいあったわけです。
ところが、鶴岡にはそもそも図書館がなかった(笑)。
僕の行った山形県立鶴岡中学校は、
僕の在学中、火事で丸焼けになったんです。
校舎は再建されましたが、本が全部焼けちゃったから、
図書館がない。
市立図書館というものが一応はありましたけれど、
本はまったく貧弱でね。しかも、
図書館の司書が、本を貸してくれない。
あるとき、徳永直の『太陽のない街』という本を
借りようとしたんですね。そうしたら、
女の司書が、『中学生には、これは貸すわけに行きません』
と言って貸さない。横暴な司書だったなあ。
あの頃は、そういう大人が多かったでしょう。
つまり、頭ごなしというか、官僚的というか、
教育的態度なんかまったくない。いや、彼女の場合は逆に
『こんな本を子供に読ませてはいけない』と、
教育的態度が旺盛すぎたのかな。
そんなことじゃあ、僕は諦めない。
別の日、男の司書がいるときに持ってったら、
こちらはすんなり貸してくれました。・・・・
とにかくそういうことがあって、
図書館がそもそも貧弱な上に、本を貸してくれない。
司馬さんとはたいへんな違いだ(笑)。」(p12~13)
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司馬さんと図書館。

2014-03-27 | 本棚並べ
だいぶ前になりますが、
週刊朝日増刊号(1996年)として出た
未公開講演録愛蔵版「司馬遼太郎が語る日本」。
表紙に司馬さんの半身がアップで写っている
魅力の雑誌で、その名の通りの愛蔵版。

そこで語られる「図書館」が印象深い。
愛蔵版で6冊。その最初の冊子に、
「文化勲章受章発表の夜」が載っており、
「京都支局、私の小説、思い出の図書館」
という司馬さんへのインタビューがありました。

そこから、すこし

「御蔵跡(おくらあと)図書館と言って、
当時日本橋三丁目にデパートがあり、
その裏にオランダの農家のような建物
だったのが図書館でした。
結局、兵隊から帰ってきて、
大阪が焼け跡になっていてね、
すぐ図書館に行ったんです。
図書館は南区の小学校に仮住まいをしていました。
そこに行ったら、いつも図書館の受付にいる漱石の
『坊っちゃん』のうらなり先生みたいな先生が、
『あっ、おまえ帰ってきたのか』と、
あまり感動せずにつぶやいた。
それを聞いたときに、ああ帰ってきたなと、
やっと思ったな。

――学校が嫌いでも図書館に行っていたんですね。

「一人で何でも選べるしね。
さっきの先生は西藤さんという人で、
強度の近視で、不況時代に東大か京大を出て、
勤め先がないのでそこにいたのかな。
借りる前にその人に聞くと、この本はだいたい何が
書いてあると言ってくれたから、
じゃあ借りよう、じゃあやめようと。
いろいろ教えてくれました。」(p301)

未公開講演録愛蔵版Ⅲ「司馬遼太郎が語る日本」
には、「図書館で教わった本の読み方」(p300~305)。
これも印象深いのでした。

「中学は上本町八丁目にある上宮中学に入りました。
中学でも教室は嫌いなままでした。
講義は聴かなかったし、試験勉強もしなかった。
そうかといってサボりもせず、学校には行く。
中学も、その後に通った大阪外語学校も
上本町八丁目でした。最終学校まで
同じ道を歩いて通ったわけで、二㌔ほどありました。
帰り道、まん中あたりで休みたくなるでしょう。
それが図書館なんです。
結局、図書館に六時ごろ着いて、
空腹だったけれど九時ごろまでいました。
おなかがすくから九時には帰りました。
何を読んでいたが、はっきり記憶していませんが、
図書館にある本の全部といってもいいくらい、
読んでいたのではないでしょうか。
新刊本が多かったですね。何よりうれしかったのは、
現代ふうの開架式だったことです。
子どもにとって開架式は非常にありがたくて、
好きなぐあいに読んでいました。
借り出しは三冊以内でしたから必ず三冊借りました。
一週間以内に返せばよかったのです。
繰り返しますが、志を立てて図書館へ行っているのではなく、
学校がイヤだったから行っていたのです。(笑い)」

ここからオランダの農家のような図書館の建物を
語っており魅力ですが、ここでは省略(笑)。

「閲覧室の雰囲気は非常によかったと思います。
青春の思い出といえば、
ふつう友人との間の思い出でしょう。
そういう意味では図書館が思い出ですから、
いま思い出してもそんなに
ワクワクするようなものではありません。
ただ、自分の十代の間に
何ごとかがプラスになってくれた。
それは、いくら考えても図書館しかないですね。
学校は私にとって影響を与えてくれなかった感じです。」

「私はいつも三冊借り、
そのうち二冊は自分に合わなかったり、
おもしろくなかったりします。
ですから三冊というのは
歩留まりとしてはよかったですね。」

それから、
未公開講演録愛蔵版Ⅵ完結篇に
「古書の世界」として谷沢永一氏と語り合った講演で
古本屋のことが登場しております。


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読書の要訳は。

2014-03-26 | 本棚並べ
地方にいるので、
ちょっと、図書館へという
気軽さはありません。
そんな私に、心強い、
呪文のような言葉がありました。

谷沢永一著「本はこうして選ぶ買う」(東洋経済新報社)に

「図書館の機能について思い違いしている人が少なくない。
図書館は、図書館へ行かなければ見ることのできない本を
利用させてもらうためにあるのであって、
書店で簡単に買える本は自腹を切って
自分のものにするべきである。・・・・
渡部昇一は『知的生活の方法』において、本を買うこと、
の効能を簡潔に説いている。
世に読書論は数多く出ているけれども、
その勘どころをこれほど
的確に指し示した例は他にない。

【 読んだことで興味をひいたことは書きとめておくのが
よいと言われるが、それは限られた目的のほかは、
かえって害がある場合が多い。というのは、
ちょっとしたことをカードにとるだけでも
非常な精神的努力と実際のエネルギーが要る。
だいいち、読書が中断される。・・・・・
この危険からのがれる一つのよい方法は、
精読、あるいは通読するような本は買ってしまうことである。
・・・その本は自分の本だから、自分の好きなように印を
つけたり、ちょっとした感想を書きこむことができる。
このようにしてその本に対する征服感も出たりする。
つまりすっかりわが物にした、という気分である。】

読書の要訳は、本を自分のものにすること、これである。
理屈ではピンとこないであろうが、実行してみれば、
そのありがたさがただちにピンとくるであろう。
自分の本には体温が乗り移る。・・・・・
自分で自分用の小図書館をつくることが
どれほど有意義であるか、
ぜひとも実行されるようお勧めする。」(p86~88)


うん。遠い図書館を利用する労力を考えると、
私は、谷沢さんの意見に賛同するものです(笑)。
こころ強いのが、ネット書店、ネット古書店。
本の補給路確保の、ありがたさ。
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読まない度胸。

2014-03-25 | 本棚並べ
丸谷才一著「思考のレッスン」(文藝春秋)の
レッスン3(思考の準備)に
「本の読み方の最大のコツ」が語られておりました。

「本の読み方の最大のコツは、
その本をおもしろがること、
その快楽をエネルギーにして進むこと。
これですね。・・・・・・
逆に言えば、『おもしろくない本は読むな』。
誰から勧められた本でも、
読みはじめておもしろくないと思ったら、
そこで止める。
よく『必読書百選』といった類があって、
読んでないとどうも具合が悪い
思いをすることがあります。
でも、おもしろくないと思ったら、
断固として『これは読まなくてもいい』と
度胸を決める。
それが大事ですね。」(p104)

うん。この旗印はいいですね。
思わず、ついて行きたくなる(笑)。

そういえば、ちくま文庫に
丸谷才一の本で「快楽としての読書」(日本篇)(海外篇)
がありました。その文庫の帯の文をここに引用。

「小説、エッセーから詩歌、批評、辞書や
絵本まで、読めば本屋さんまで走りたくなる」
「花やかな読書案内」
「決定版!自選書評集」。
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アホな若旦那。

2014-03-24 | 短文紹介
雑誌「WILL」5月号がポストに届く。
さっそく読むのは、「蒟蒻問答」(笑)。

いろいろ引用したいのはやまやまなれど、
今回は、ここかなあ。

久保】 「河野談話」を一言でいってしまえば、性悪女(韓国)の口車に乗せられて、まんまと証文を書かされたアホな若旦那(日本)ってとこでしょう。産経新聞の特ダネや石原信雄の証言を見ても、奴らの手口がいかにエゲつなく、理不尽であるかは一目瞭然。・・・・実はこの騙しの手口は、朴正煕から娘の朴槿惠に至るまで、歴代政権が繰り返しやってきた韓国の伝統芸です。人のいい日本は、性懲りもなくその都度、煮え湯を飲まされてきた。つまり、「性悪女」とは朴槿惠一人ではなく、韓国の国柄そのものという意味です。安倍がいくら「河野談話」の検証と見直しをやったとしても、奴らは一旦、騙し取った証文を反古にするようなことはない。根っからの詐欺師とはそういうものです。(p110~111)

う~ん。全文読みたければ、雑誌を覗いてみてください。
うん。「アホな若旦那」。
馬齢を重ねた自分を思うと、
身につまされる(笑)。
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薄い本ですが。

2014-03-23 | 本棚並べ
丸谷才一著「思考のレッスン」を
本棚からとりだしてくる。
ぱらりとひらくと、

「わが鶴岡」という箇所に、

「鶴岡は、江戸から明治にかけて、
全国に誇ることのできる二冊の名著を生んでいます。
一つは、元禄時代に書かれた『徂徠先生答問録』。
これは、鶴岡の侍である水野弥兵衛と疋田族(ひきだやから)
の二人が、荻生徂徠に質問状を出して、
それに徂徠が答えたものをまとめた本です。
漢文じゃないから読みやすいし、
徂徠のものの考え方がとてもよくわかる
素晴らしい本です。
ずいぶんいろんな質問をしているんだけど、
それが実にいいんだなあ。
たとえば、『私は母がお墓参りするのを禁じました』
なんてことを誇らしげに書いてるんです。
すると徂徠先生は、
『そういうことをするのは無用である。
お墓参りはさせるほうがいい。
仏教なんてものは力のないくだらないものだから、
何をしようと害にはならない。
孔子も、人間は何もしないでいるよりは、
博打であろうと何かするほうがいいと言っている』(笑)
と小気味のいいことを答えるんですね。
薄い本ですが、徂徠のエッセンスがつまっている。
読んでいて、荻生徂徠その人と直接会って
話を聞くような、気持ちのいい本です。」(p30)

う~ん。
この箇所が気になってたのに、
結局、この薄い本を、まだ読んでなかったなあ(笑)。

「思考のレッスン」には、さらに

「コツの一つは書評を読むことですね。
そうすれば、かなり本選びのカンがわかります。
と言ったって、普通は書評の読みっぱなしでいいんですよ。
『ちょっとおもしろそうだ』ぐらいでみんな読もうとしたら、
とても身が持たないもの(笑)。
うんと感心した書評があったら、読んでみる。
そして、もう一つ大事なのは、
その書評を書いた人の本を読んでみることです。
この二つをやるととても具合がいい。
別の言い方をすれば、
ひいき筋の書評家を持つことですね。」(p120)


う~ん。
丸谷才一氏は、
私にとって、ひいき筋の書評家とはいえないなあ(笑)。
それでも「思考のレッスン」は、
楽しかったのだよね。
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宋名臣言行録。

2014-03-22 | 本棚並べ
「宋名臣言行録」 中国古典百言百話 PHP
 丹羽隼兵
1260円+送料290円=1550円
花島書店(札幌市手稲区新発寒)

「宋名臣言行録」 中国古典新書 明徳出版社
 諸橋轍次・原田種成
1000円+送料300円=1300円
あかしや書房(大阪府吹田市千里丘上)


三浦國雄著「王安石」中国の人と思想7 集英社
400円+送料290円=690円
古本センター(福岡県飯塚市若菜字奈木野)


以上注文したのが今日揃う。

渡部昇一・谷沢永一
「『貞観政要』に学ぶ上の立つ者の心得」到知出版社
を以前に読んで、それ以来、貞観政要を読まねばと、
思っていたのですが、私には、歯が立たない(笑)。
歯が立たないままに、すっかり忘れておりました。

急がば回れで、
渡部昇一・谷沢永一の
「組織を生かす幹部の器量 宋名臣言行録に学ぶ」到知出版社
から読もうと、そこに参考文献として載っていた
3冊を注文したのでした。まずは、こちらから(笑)。
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そうありたい。

2014-03-21 | 本棚並べ
本棚から「桑原武夫集」の10をとりだす。
パラリとひらけば、「文章作法」のページで、
そこに、こうある。

「・・教訓するのでもなく、
雄大な世界観を展開するのでもないかぎり、
文章とくに短文は、人を知的におもしろがらせる
遊びの要素が必要なわけです。
といっても軽口やじょうだんでなく、
知的な話題になりうるような事実を
提供するのがよいのです。」(p334)

う~ん。
桑原武夫集全10巻(岩波書店)は
函入りで、装丁もしっかりしているのに、
表紙が淡い黄色の布張り。
古本になると、きっとどれもが、
そこに無数の茶色シミ。シミの生態観察には
うってつけなのでしょうが、残念です。
こういう装丁は、やめましょう。
という見本になります。
うん。これは軽口。

さてっと、
せっかく桑原武夫の「文章作法」を
ひらいたので、この箇所も引用。

「私は戦争直後にだいぶきつい文章を
いろいろ書きました。それを『現代日本文化の反省』
と題して、本にまとめました。その本の
『あとがき』に次のようなことを書いています。

『ここ一年あまり、私は本業の余暇のほとんど
すべてをあげて、これだけの仕事をした。
説の当否は時によって、やがて厳しく
さばかれるだろうが、
その結果いかんにかかわらず、
私に悔いはない。
そして万一、五十年後に本棚の片隅に
この本をふとみつけた人が、
1946年ごろにはもうこんなにも自明なことを
力説していた人間もあったのかと笑って、
この本を焚きつけにでもするとしたら、
地下から私は満足の笑みをもらすだろう。
そうありたい。』・・・」(p277)

ところで、
岩波書店版の「桑原武夫集10」は
1981年に出ておりました。
今年で、まだ33年しかたっていない。
焚きつけにするのは、ちと早い(笑)。
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おそらくそれは。

2014-03-20 | 本棚並べ
本棚を整理したので、すくない蔵書でも、
本棚近辺は、スムーズに取り出せる(笑)。
ということで、
今回は、狐さんの本を数冊だして、パラパラ。
たとえば、狐著「野蛮な図書目録」(洋泉社)。
その題名を見て、そうなんだと思います(笑)。
書評本って、図書目録なんだ。
それを見て、ネット古書店に注文できる。
古書店で品切れでも、それは図書館で、
誰か先客が貸し出して手に入らないようなもの。
そのうち、古書店に並んでいることもあります。

「水曜日は狐の書評」(ちくま文庫)を
ひらくと、丸谷才一著「思考のレッスン」を
取りあげている箇所(p60~61)が、
輝いて見えました。

あらためて、引用。

「丸谷才一の長所は、
読み手が日常的に応用して役に立つ智恵を
語ってくれるところにある。
世の書き手には秀才が多いが、
また秀才くずれというものも多い。
この二つのタイプはどう違うか。
世のため、人のためになる発見や工夫を
ケチケチして教えてくれないのが秀才くずれだ。
読み手に決して幸福感を与えてくれないのである。
少なくとも本書の著者としての丸谷才一は
秀才くずれではない。
それが評論的な著作となると、
微妙に感触が異なってくる。
『忠臣蔵とは何か』という本では・・・・・   
大胆にして華やかな仮説が目をひく・・しかし
読み手の感動はあまり長つづきしないように思う。
幸福感もたいして味わえない。
おそらくそれは、秀才くずれでも書けることであるからだ。
本書はちがう。
・・・丸谷の美質がもっともよく表れた読み物の一つ。」

う~ん。
丸谷才一の「思考のレッスン」を
楽しんで読み返していた者の一人として、
この書評は、ありがたく、思わず拍手。

うん。黄色の線がひかれているので、
以前に読んだことがあるのに、
もうすっかり、忘れておりました(笑)。
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ふと思い出して。

2014-03-19 | 地域
とりあえず、古本購入(笑)。

中島敦全集全3巻 
 2500円+送料630円=3130円
 キリン書房(岩手県盛岡市内丸)

中島敦研究
 3000円+送料340円=3340円
 三鈴書林(高石市羽衣)


中島敦については、
向井敏氏が何か書いていたような気がしたのですが、
見つからず。
それならと、「水曜日は狐の書評」(ちくま文庫)を
ひらけば、p250~251に
「ふと思い出して中島敦を読むことの幸福」
という書評がありました。

いつか、買いたいなあと
思っていたので、この機会に。
すぐに、読まないのにね(笑)。

ちなみに、
「中島敦研究」に吉田健一氏の文があり、
ゆっくりと読んでおります。


そうだ。
吉田健一氏の文は、
活字が大きな本で読みたいという
気持ちになります。
谷崎潤一郎「文章読本」は
昭和9年に出ておりますが、
大きな活字で、ゆったりと読める喜びがあります。
どうして、活字がこうも
せせこましくなってしまったのでしょうね。

詩集みたいに、大きな余白はなくてもいいから、
大きな活字で、読みたいなあ。
絵本みたいに、絵がなくてもいいから、
大きな活字で、読みたいなあ。

と、この頃、思います。


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値札はなんと。

2014-03-18 | 短文紹介
産経新聞3月16日(日曜日)の一面左に
加地伸行氏の「古典個展」があり、
そのはじまりが印象に残ります。

「老生、古書店だけは縁が切れない。
前を通ると、買いもせぬくせに、つい立ち寄る。
先日、某古書店の前を通ったときのこと。
道路に面したショーウインドーを覗いてみた。
全集物がそれこそ山と積まれていてなかなかおもしろい。
その中に『桑原武夫集』「全10巻(岩波版)」があった。
値札はなんと『2500円』。
しばし『2500円』という朱筆にくぎ付けとなった。
1冊が250円ではないか。その値段なら、
書店の前に置いた縁台の上に並べられている
程度の本ということだ。
・・・・・・・」


加地氏の文は、つづくのですが、
私は、この箇所しか、興味をひかなかった。
全10巻で2500円なのか(笑)。

この岩波版は、
以前に私も購入しました。
本棚の上に並んでおります。

でも、この値段なら、
また、買ってもいいなあ。
と、最初の感想。

う~ん。この
惜しげもなく読み捨てられる。
という誘惑(笑)。
実際、
しばらくの間、買おうかどうか、
迷いました。いまも、
また、迷ってもいいかなあ、
と思いはじめます(笑)。

いやいや。
持ってる本を読みつぶそう。
朝日新聞社版もあることだし。

ちなみに、梅棹忠夫・司馬遼太郎編の
「桑原武夫伝習録」(潮出版社)は
ネット古書店で600円から。
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