古本を買ったりしてると、波が打ちよせる海岸の砂浜で、
貝殻やあれこれを、ひろっているような気分になります。
はい。初日の出を見に海岸へと行き砂浜で待ちながら、
小石を二つばかりひろってポケットに入れてきました。
波間にサーファーが見える。これは本にたとえると新刊。
そして砂浜に打ち上げられてくるのが、これは古本かな。
はい。新刊もしばらくすれば砂浜へ打ち上げられてくる。
などと思いながら、見なかった初夢のかわりにします。
昨年の古本で私が気になったのが『大菩薩峠』。
もちろん、波打ち際でひろった片言の断片です。
① 津野海太郎著「百歳までの読書術」(本の雑誌社・2015年)
② 扇谷正造著「諸君!名刺で仕事をするな」(PHP文庫・1984年)
はい。まずは①から、
「私の時代が遠ざかる」と題した文のはじまりは
「私と同年輩の知人のなかには、新聞をひらくと
まっさきに死亡欄をのぞくというような者が何人かいる。
とくに年齢と死因。それを確認して、ホッとしたり
不安になったりするのだとか。
いやいやそうしているのではあるまい。
当今のじいさんばあさんは、そこまでナイーブではない。
むしろ毎日の定例儀式として、けっこうそれをたのしんでいるのではないかな
・・・」(p118)
このあとに、4名が列挙されておりました。
〇 丸谷才一、2012年10月13日、87歳、心不全
〇 中村勘三郎、2012年12月5日、57歳、急性呼吸窮迫症候群
〇 小沢昭一、2012年12月10日、83歳、前立腺がん
〇 安岡章太郎、2013年1月26日、92歳、誤嚥性肺炎
最後の安岡章太郎氏についてでした。こうありました。
「・・病名は、この間に安岡さんが押した何枚ものドアの最後の一枚
ということであって、沈黙のうちにすぎた氏の80代のすべてを語って
くれるわけではない。だからといって、しいてそれを詮索する気もない。
ともあれ、そのようにして安岡さんは消えていった。
よおし、これまで何回か読みかけて、そのつど挫折していた
長大な大菩薩峠論『果てもない道中記』に、
もういちど挑戦してみるとするか。 」(p120)
はい。ここに『大菩薩峠』という言葉が出てきておりました。
次は、②です。②の文庫第三部に『大菩薩峠』が登場します。
「たしかフランスの作家だったと思う。・・・
『その生涯において、何度もくりかえしてよみ得る一冊の本を持ち得る人は、
しあわせな人である。さらに、その何冊かを持っている人は至福の人である』
というのを読んだことがある。してみると、私は、
その至福の人にはいるのかも知れない。しかし、それらの中でも、
私にとって≪一冊の本≫というと、何になるのだろうか。
私は、どうも中里介山の『大菩薩峠』じゃあるまいかと思っている。」
「昭和4年・・仙台の二高の明善寮の一室に、私は、
このうち四巻分(「大菩薩峠」)を携えて入った。
昭和7年、東大に入った。そのころ私は、マルキシズムを信奉していた。
しかし、本郷の私の下宿には、ブハーリンの『史的唯物論』や
マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』と並んで、この四冊があった。
たぶん、そのころであったろう。谷崎潤一郎氏が、
この小説(大菩薩峠)の口語体の文章の美しさを激賞しているのを
読んだ時、私は、わが意を得たと思った。 」(p246~247)
最後に、ちょっとこの箇所も引用したくなります。
『赤大根』と題された文で、
就職する際に、松岡静雄先生に紹介状を書いてもらう場面。
「・・私は左翼運動に熱中し・・・
朝日(新聞)にはいる時、紹介状をおねがいしたら、
下村海南副社長(当時)あての手紙には、
『 この学生、いささか、赤いが、それは赤大根程度にて・・ 』
とあった。紹介状をよむなんて不届き千万な話だが、
心配のあまり、私は、湯気をあてて、そっとあけたのである。
一読、驚いた。これはいけないと思った。若さというものはこわい。
私は、鵠沼にでかけ、先生に紹介状の書き直しをおねがいした。
トタンに『 バカもの! 』という雷が頭上に落下した。
『 もう書かぬ。いいか、よく聞きなさい。
お前が赤いか、赤くないかぐらいは、社で調べればすぐわかる。
これは、それを見越しての紹介状だ・・・ 』
私は、つくづく自分がいやになった・・・。
ご恩になった人は、そのほか数え切れない。・・・ 」(p242~243)
う~ん。『赤いか、赤くないか』はべつにして
大地に埋まって根の白さが『大菩薩峠』なのかなあと、
今年、初チャレンジしてみたくなる、本となりました。
とりあえず、『読むか、読まないか』はべつとして
まずもって、今年、古本で揃えてみたくなりました。