映画「縞模様のパジャマの少年」は第二次大戦中のドイツ軍将校の8歳の息子と同じ年のユダヤ人の少年との友情を描いたドラマだ。
ユダヤ人強制収容所を監督する将校の息子が、有刺鉄線の先にいる収容所内の少年と仲良くなるという設定だ。こんなことありえるのかな?と思いながら、映像を追った。縞模様のパジャマとは、収容所内でユダヤ人たちが着る囚人服のことだ。
無邪気な少年2人は好演だけど、ドイツ軍将校が英語をしゃべるというのはちょっと違和感がある。
そののち「ヒューゴの不思議な発明」で主演を務めるエイサ・バターフィールドの出世作だ。
第二次大戦下のドイツ。
ナチス将校である主人公の父が昇進すると同時に、家族4人はベルリンを離れ郊外へむかった。引越した先は人里離れた大きな屋敷である。その屋敷には軍の関係者が大勢出入りをしており、多くのメイドがいる中にはユダヤ人の使用人もいた。
8歳のブルーノは、縞模様のパジャマを着ている人たちが窓から遠くに見える農場で働いているのに気づいた。昼間に何でパジャマを着るのか不思議に思っていた。裏庭へ出るのを禁じられ、遊び相手もなく退屈していた。学校もないので家庭教師のおじさんがきて姉とともに教えてくれた。そこではドイツ民族の優位性とユダヤ差別も語られていた。
探検好きの少年は裏庭を探索していくと“農場”にたどり着いた。そこは向こう側と有刺鉄線で遮られていた。鉄線の向こうにはパジャマ姿の同い年の少年シュム-ルがいた。話を聞くと自分と同じ8歳だ。引越してから友人のいない主人公はうれしくなった。しかし、彼はお腹がすいているようだ。パンをこっそり家から持ってきて、彼に食べさせた。おいしそうに食べるシュムールを見て何度も寄るようになる。
ある日、主人公がダイニングに行くとシュムールがいるではないか。どうしたのかと聞くと、軍の人間からグラスを磨くように指示されきたのであった。いつものようにお腹をすかしているシュムールに主人公が食べ物を与えていたら、軍人が突然入ってきた。
ユダヤ人の分際でこの家の食べ物に手を出すとは何事かと烈火のごとく怒られた。その時軍人から「何でか」と聞かれ、シュムールは黙っていた。軍人にこの子を知っているかと聞かれ、横にいた主人公は怖くなって「この子のことは知らない」と思わず言ってしまった。少年は連れだされた。
その後主人公は有刺鉄線の前に何度もいったけど、彼は来なかった。どうしたのかと心配していた。しばらくたった後、シュム-ルがいた。シュム-ルの顔はひどく痛めつけられた跡があったが。。。
(加害者の立場から描いた作品)
ホロコーストのことを描いている映画はいくつかある。それぞれが収容所内で被害者が残虐行為を受けることだけが語られるのに対して、最後に近づくまで収容所の外で動いている話だ。被害者でなく加害者の視点から見た映画と言ってもいい。主人公の父母は絵にかいたような模範的なドイツ人夫婦である。母親も収容所で何が行われているのかを具体的には知らない。夫も良いパパを演じている。それが収容所の中ではむごいことをする。恐ろしい話だ。
(ホロコーストの「責任の分散」)
経営学の本で読んだ話だけど、ナチスのホロコーストに関しては、誰かが責任者だったらとてもうまくいかなかった。いわゆる「責任の分散」が最もうまくいった例として取り上げられていたのだ。何百万人というユダヤ人を殺したあの仕組みは、誰かが責任者だったというわけでなく「名簿をつくるだけ」「部屋に連れて行っただけ」「ボタンを押しただけ」のように担当を分散し、誰もが「自分の責任じゃない」状態をつくりだしたから、あれほどの大虐殺ができたと言われている。
あまりに凄い話で驚いたものだ。
この映画は当然フィクションなんだけど、この主人公の父親は実際どうなんだろうか?
(映画に対する疑問)
主人公は8歳である。少しだけ疑問なのは、子供は無邪気と言っても、ここまでまわりで起こることに対して無知かな?ということ。それと、ユダヤ人の子供も一度裏切られた少年ともう一度会おうとするのかな?ということ。有刺鉄線の境のところに監視の人がいないのかな?こんなに容易に話ができるはずはないと思うんだけどなあ。この映画ちょっと不自然に思うことは多かった。
そんなこと思っていて、アレどうなっちゃうんだろうなあ?と思いつつ進んでいく方向は。。。。
少しだけビックリだ。
ユダヤ人強制収容所を監督する将校の息子が、有刺鉄線の先にいる収容所内の少年と仲良くなるという設定だ。こんなことありえるのかな?と思いながら、映像を追った。縞模様のパジャマとは、収容所内でユダヤ人たちが着る囚人服のことだ。
無邪気な少年2人は好演だけど、ドイツ軍将校が英語をしゃべるというのはちょっと違和感がある。
そののち「ヒューゴの不思議な発明」で主演を務めるエイサ・バターフィールドの出世作だ。
第二次大戦下のドイツ。
ナチス将校である主人公の父が昇進すると同時に、家族4人はベルリンを離れ郊外へむかった。引越した先は人里離れた大きな屋敷である。その屋敷には軍の関係者が大勢出入りをしており、多くのメイドがいる中にはユダヤ人の使用人もいた。
8歳のブルーノは、縞模様のパジャマを着ている人たちが窓から遠くに見える農場で働いているのに気づいた。昼間に何でパジャマを着るのか不思議に思っていた。裏庭へ出るのを禁じられ、遊び相手もなく退屈していた。学校もないので家庭教師のおじさんがきて姉とともに教えてくれた。そこではドイツ民族の優位性とユダヤ差別も語られていた。
探検好きの少年は裏庭を探索していくと“農場”にたどり着いた。そこは向こう側と有刺鉄線で遮られていた。鉄線の向こうにはパジャマ姿の同い年の少年シュム-ルがいた。話を聞くと自分と同じ8歳だ。引越してから友人のいない主人公はうれしくなった。しかし、彼はお腹がすいているようだ。パンをこっそり家から持ってきて、彼に食べさせた。おいしそうに食べるシュムールを見て何度も寄るようになる。
ある日、主人公がダイニングに行くとシュムールがいるではないか。どうしたのかと聞くと、軍の人間からグラスを磨くように指示されきたのであった。いつものようにお腹をすかしているシュムールに主人公が食べ物を与えていたら、軍人が突然入ってきた。
ユダヤ人の分際でこの家の食べ物に手を出すとは何事かと烈火のごとく怒られた。その時軍人から「何でか」と聞かれ、シュムールは黙っていた。軍人にこの子を知っているかと聞かれ、横にいた主人公は怖くなって「この子のことは知らない」と思わず言ってしまった。少年は連れだされた。
その後主人公は有刺鉄線の前に何度もいったけど、彼は来なかった。どうしたのかと心配していた。しばらくたった後、シュム-ルがいた。シュム-ルの顔はひどく痛めつけられた跡があったが。。。
(加害者の立場から描いた作品)
ホロコーストのことを描いている映画はいくつかある。それぞれが収容所内で被害者が残虐行為を受けることだけが語られるのに対して、最後に近づくまで収容所の外で動いている話だ。被害者でなく加害者の視点から見た映画と言ってもいい。主人公の父母は絵にかいたような模範的なドイツ人夫婦である。母親も収容所で何が行われているのかを具体的には知らない。夫も良いパパを演じている。それが収容所の中ではむごいことをする。恐ろしい話だ。
(ホロコーストの「責任の分散」)
経営学の本で読んだ話だけど、ナチスのホロコーストに関しては、誰かが責任者だったらとてもうまくいかなかった。いわゆる「責任の分散」が最もうまくいった例として取り上げられていたのだ。何百万人というユダヤ人を殺したあの仕組みは、誰かが責任者だったというわけでなく「名簿をつくるだけ」「部屋に連れて行っただけ」「ボタンを押しただけ」のように担当を分散し、誰もが「自分の責任じゃない」状態をつくりだしたから、あれほどの大虐殺ができたと言われている。
あまりに凄い話で驚いたものだ。
この映画は当然フィクションなんだけど、この主人公の父親は実際どうなんだろうか?
(映画に対する疑問)
主人公は8歳である。少しだけ疑問なのは、子供は無邪気と言っても、ここまでまわりで起こることに対して無知かな?ということ。それと、ユダヤ人の子供も一度裏切られた少年ともう一度会おうとするのかな?ということ。有刺鉄線の境のところに監視の人がいないのかな?こんなに容易に話ができるはずはないと思うんだけどなあ。この映画ちょっと不自然に思うことは多かった。
そんなこと思っていて、アレどうなっちゃうんだろうなあ?と思いつつ進んでいく方向は。。。。
少しだけビックリだ。