映画とライフデザイン

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映画「ビッグアイズ」 ティム・バートン&エイミーアダムス

2015-01-31 05:37:12 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「ビッグアイズ」を映画館で見てきました。


ティムバートンが、らしからぬ映画をつくったらしい。主演はエイミーアダムスだし、気になるので見に行く。
大きな目をした少女の絵を描くバツイチ再婚の女性画家が、商才豊かな夫のもとで絵が売れまくるのに、夫は自分が描いたと偽り、妻がゴーストぺインターにされてしまう話だ。ウソで固めた人生を過ごしている人たちが、これを見るとヤバイと思わせる何かがあるかもしれない。昨年は、日本もニセ作曲家が大げさに話題になった。その話に通じるような話でもある。


ダニエルエルフマンの音楽が高らかに鳴り響き、暗黒の世界を描くといったティムバートンの世界とは真逆である。ファンタジータッチで色鮮やかな「ビッグフィッシュ」には若干通じる部分はあれど、色彩設計が普段と全然ちがう。海が見えて、急な坂が多く、チャイナタウンもあり「めまい」や「上海から来た女」「ブリット」など数々の映画の舞台になってきたサンフランシスコやハワイのピンクのホテルや住宅街など自分の目を楽しませてくれる映像である。プール付きの住宅も凝った作りで映像を見ていて非常に心地がいい感じがする。

今回何でこういうノンフィクションをティムバートンが撮る気になった真意は調べてはいない。通常はいわゆる「物語の構造」にしたがって、フィクションの世界を組み立てていく。でもこの映画は実話に基づく。それなりに脚色されているとは思うが、淡々と事実を追っていくのには驚いた。なかなか面白い映画だとは思う。

1958年のアメリカ西海岸エリア、DVの夫に嫌気がさして、幼い娘を連れてマーガレット(エイミー・アダムス)は、家を飛び出す。美大出身のマーガレットは働いたことがない。家具会社に、自分が描いた絵を持参してもぐり込む。同時に、生計をたてようと街で似顔絵を描いている。すぐ横で、パリで絵を勉強していたというウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)が口八丁手八丁で絵を売り込んでいた。一瞬警戒したが、マーガレットはウォルターに惹かれていく。元夫から娘を戻せという手紙が来て落胆したが、すぐさまウォルターがプロポーズして、マーガレットは受け、ハワイ・オアフ島のピンクのロイヤル・ハワイアン・ホテルで結婚式をあげる。

ウォルターは、画廊を経営するルーベン(ジェイソン・シュワルツマン)に、それぞれの絵を売り込む。ルーベンは手厳しい。知り合いのナイトクラブに、絵を持ち込む。トイレへの廊下での展示だが、マーガレットの絵には、一瞥する人もいる。ささいなことから、ウォルターは、ナイトクラブのオーナーと喧嘩になる。このケンカがゴシップ記事として新聞に出る。その記事をきっかけに、マーガレットの描いた絵が評判になる。その時、夫が作者は自分だと偽っていることに気付いたマーガレットは激怒するが、いいように釈明され、財布は一つだからいいじゃないと夫の言いなりになってしまうが。。。


この映画を全く予備知識なしで見せて、ティムバートン監督、ダニエルエルフマンの音楽とわかる人はいないんじゃないかな?ビーチボーイズなどの懐かしいヒット曲やジャズクラブで流れるヴァイヴ主体のジャズはラテンのリズムが混じったもので心地良い。あとはどんな音楽流れていたっけ?といった印象をもつ。グスタフマーラーの交響曲のように鳴り響くダニエルエルフマンがつくる「バットマン」の音楽は刺激的で、他の監督の作品でもダニエルの特徴がよく出るが、ここではそう感じさせない。

1.1950年代から60年代にかけてアメリカ
サンフランシスコの50年代を意識したロケーション映像はいい感じだ。ヒッチコックの「めまい」で映る映像がかぶってくる。キャンベルスープの缶詰っていかにもアメリカの象徴だけど、それを含めたスーパーの陳列がいかにもゴールデンエイジのアメリカを感じさせる。自分は好きだけど、ティムバートンの匂いがすくない。普通のラブコメ系の美術で、暗黒の雰囲気が一部の絵を除いてまったくない。

2.ウソを覆すということ
マーガレットは自分が描いたといえるチャンスを何回も逃す。もともと気が弱い性格だったのであろうか?一度離婚していているのも後がない状況を醸し出す。その弱みに付け込むクリストフ・ヴァルツ演じるウォルター・キーンのパフォーマンスを見て、だんだん憎たらしくなってくる。見ている我々に憎たらしいと思わせるくらいだからうまいんだろう。さすが、アカデミー賞受賞者だけある名演だ。


ウォルターは、ポスターやチラシまで売りさばき、安価な複製画を作る。スーパーの中でも「ビッグ・アイズ」を売る。でも商才があるんだったら、妻が画家で自分はプロデューサーと言いきればいいのに、そういうチャンスあっても戻れない。そうすればハッピーなままだったのにね。無一文で死んだというのは自業自得だね。ウォルターの狂言のような裁判のシーンは呆れてものが言えないといった印象だった。

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