映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「否定と肯定」レイチェル・ワイズ

2018-07-15 17:50:39 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「否定と肯定」は2017年の英国映画


二次世界大戦中のホロコーストといえば、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺として繰り返し取り上げられる。当時のナチスドイツ幹部は戦後生き延びても捕まって裁判を受け裁かれる。ハンナアーレントの映画では逃げ切れず逃亡先で捕まった元ナチス幹部アイヒマンの裁判がテーマになった。

ところが、アウシュビッツ刑務所でのユダヤ人惨殺が本当にあったのかと異議を唱える学者もいるという。英国の歴史学者デイヴィッド・アーヴィングだ。その学者がホロコーストの悲惨さを訴える学者デボラ・リップシュタットに対して、自分への批判を名誉毀損として訴える裁判を起こすというのがこの映画の主題だ。南京大虐殺があったか?なかったか?という話のドイツ版というべきか。

1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)の講演が行われていた。彼女は自著「ホロコーストの真実」でイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が訴える大量虐殺はなかったとする“ホロコースト否定論”の主張を看過できず、真っ向から否定していた。アーヴィングはその講演に突如乗り込み彼女を攻め立て、その後名誉毀損で提訴という行動に出る。


異例の法廷対決を行うことになり、訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度の中でリップシュタットは〝ホロコースト否定論“を崩す必要があった。彼女のために、英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査に繰り出すなど、歴史の真実の追求が始まった。

そして2000年1月、多くのマスコミが注目する中、王立裁判所で裁判が始まる。このかつてない歴史的裁判の行方は…(作品情報引用)


最初はこんなの相手にするな!と主人公のユダヤ人教授リップシュタットは無視していたら、虐殺はなかったとするアーヴィング教授自身が大学の講義に乱入して反論を述べたり、巧みなマスコミ誘導で主人公に不利な場面をつくる。しかも、訴訟を提起した場所は英国である。英国では被告人が自分の無罪を証明する反証を出す必要がある。相手は手強い。これまでもこういう裁判を乗り越えてきた。一流の弁護団と乗りきる必要がある。手弁当という訳にはいかない。金も必要だ。それでも、全世界に散らばるユダヤ人から援助の申し出がある。入念に準備して裁判に立ち向かう。


悪戦苦闘を描いた映画だ。
映画でも取り上げられるが、アウシュビッツ刑務所内でのホロコーストの指摘に対して、細かい矛盾点をピックアップしながら原告アーヴィング教授は対抗者を論破して乗り切ってきた。被告人であるリップシュタットのもとには自分が証人台に立つという被害に遭われた人たちが訪れる。彼女は証人として被害者を登壇させようとする。しかし、それは原告の思うツボだと言って、弁護団は断固拒否する。当惑する主人公だ。何で被害者を証人申請できないのと訴えてもダメだ。どうやってしのぐのであろう。


法廷劇としては見ごたえがある映画だ。映画「情婦」のチャールズ・ロートンの緩急自在な演技を思わせる法廷弁護士のトム・ウィルキンソンの名演が光る。ただ、どうしても主人公に共感できない。嫌いなタイプの女だ。常に女のいやらしいところばかりさらけ出す。そんなところは苦手だ。
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映画「ギフテッド」 クリス・エヴァンス&マッケナ・グレイス

2018-07-15 08:43:21 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)

映画「ギフテッド」は2017年公開のアメリカ映画


孤児になってしまった数学の天才少女をめぐり、育ての親である叔父とその叔父や実母の親である祖母の間で娘の養育権を争うという話である。誰が育てるのが望ましいという問題提起がストーリーの根底に流れる。

独身のフランク(クリス・エヴァンス)は、フロリダの海辺の町でボートの修理で生計を立てながら、生後すぐに母(=フランクの姉)を亡くした姪のメアリー(マッケナ・グレイス)と、片目の猫と楽しく暮らしている。メアリーが7歳になり学校に通い始めて間もなく、数学の“ギフテッド(天才)”である彼女は問題児になってしまう。周りは特別な教育を受けることを勧めるが、フランクは「メアリーを普通に育てる」という姉との約束を守っていた。しかし、天才児にはそれ相応の教育を望むフランクの母イブリン(リンゼイ・ダンカン)が現れ、フランクとメアリーの仲を裂く親権問題にまで発展していく


小学校に少女が通うようになるが、彼女にとって初歩しか教えない授業は退屈だ。周りは1桁の足し算がやっとなのに、2桁の足し算や掛け算をスラスラ答える。担任は驚く!もっと難しいレベルの問題を担任が与えてもこなす。父親はよくバーでたむろっている優男だ。

担任は名前をネットで追っていくと、同姓に数学の天才女性の名前を見つける。どうやら、その数学の天才女性は少女の母親で、父親と称している男はその数学の天才女性の弟ということがわかる。この親の元で育った方がいいのか?一般レベルに合わせた授業を受けるのではせっかくの数学の才能がもったいないのでは?と担任教師は男性に近づいていく。



数学の才能が天才的でという設定は意外に多い。どれもこれも面白い。ここで他とちょっと違うのは、少女が快活で明るく人の気持ちもわかるということ。映画にでてくるこの手の天才は、人付き合い苦手な自閉症タイプが多い。この辺りがちょっと違うかな?

それにしても、こんな小さな女の子が難しい数式を書くのはたいへんだったのでは?∫∫積分マークにせよ、指数関数 の底eやそのべき乗 など、普通の数字すら書くのがやっとな女の子が普通は書けないよね。微分方程式が好きだなんて出てくる。父親もそれなりの素養があるとはいえ、7歳までほぼ独学でここまでのレベルまで達することができるかどうかは疑問だな。突っ込むとなるとそこだ。

でも、その天才少女を普通に飛び級で大学レベルまでの教育をさせてしまうシステムがあるのが、日本とアメリカの違い。公平という言葉が浸透してしまい、なかなか日本では難しいが、これから先はどうなるのか?


映画にスパイスを与えるのはアフリカ系名女優オクタビアスペンサーだ。どの映画に出ても特別な存在感を示す。隣人で主人公の数少ない理解者だ。そんな隣人がいても母親と息子が争う。その対決を法廷で行うということに別に金がからんでいるわけではない。双方に言い分がある。どちらもごもっともだ。こんなパターンいやだな。

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