ドキュメンタリー映画「一人っ子の国」は中国系女性監督による中国の一人っ子政策の実態に迫るドキュメンタリーである。Amazon prime で無料で見れる。
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1979年から2015年にかけて、中国では「一人っ子政策」なる計画生育政策がとられた。それにより、中絶手術が頻繁になされたり、生まれたての赤ちゃんが捨てられたり、海外へ養子として売買されることが起きた。
自らの出産を機に、米国に住む中国系女性監督ナンフー・ワンが故郷である中国江西省王村へ向かった。そして、その村の村長やお産婆さんなどに取材する。国家政策に従うため不妊手術や中絶を余儀なくされた女性たちは多い。その村のお産婆さんの証言では5万件以上あったという。
しかし、村の誰もが「仕方なかった」と捉えている。共産党への恨みもない。しかも、男子優先で1985年に生まれたナンフーには1990年に生まれた弟がいる。もし、女の子として生まれていたらこの世に生きてはいないかもしれないと弟は語る。
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捨てられた赤ちゃんも多かったようだ。映像では無残にもゴミのように捨てられた赤ちゃんの写真も映し出す。外にすてられた赤ちゃんを売買していたブローカーがいること、1992年に始まった国際養子制度で海外へ向かった子供たちが大勢いること、それには役人の汚職があったことも語られる。双子姉妹の片割れが米国に渡り、ネット上でつながるシーンもある。
⒈中国経済の遅れと一人っ子政策のスタート
1960年代半ばから始まる文化大革命により、中国経済は30年以上遅れたと言われる。ブルジョワと責められ、失意の中で亡くなった劉少奇元主席をはじめとして、毛沢東思想に従う紅衛兵たちにより糾弾され政府関係者も数多く失脚した。
一度ならず二度も失脚した鄧小平が1976年の毛沢東の死後復権を果たす。権力を握ると資本主義経済原理を取り入れ、現在に至る経済成長の基盤をつくった。それ自体がスタートするのは1977年から79年にかけてのことである。当然文化大革命による経済発展の中断で中国の国民はみんな貧しかった。経済復興が始まるのと一人っ子政策のスタートはある意味一致するのである。
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このまま、人口の増加が続いていると2000年には多くの国民が餓死するという瀬戸際だったのだ。現地の中国人に取材すると、このままだと人食いが始まったり餓死が多発したはずだと誰も仕方なかったという。1970年代後半の経済状態を考慮すると、確かに仕方ないと言えるのではないか。しかし、その後の中国の経済成長を考慮すると、一人っ子政策は2000年前後には終了していても良かったのかもしれないと感じる。
⒉1950年代における日本の中絶
日本では、戦後のベビーブームで昭和20年代前半すなわち1949年までは1年に250万人を超える赤ちゃんが生まれた。昨年2019年の出生数が86万人だったことを思うとものすごい数だ。戦後まもなくは食料事情も悪く、生活に困窮する人たちが多い中での「貧乏人の子沢山」である。
やがて、出生抑制がされるようになり、1949年に経済的理由による人工中絶が認められるようになる。1950年に中絶率10%だったのが、1954年には何と50%にまで上昇する。1955年に116万件、1960年に107万件の人工中絶があったというデータもある。(男女共同参画局HPより)
1955年の出生数が173万人、1960年の出生数が160万人(人口動態調査HPより)ということから見ても多くの赤ちゃんが生まれずにいたのだ。自分と同世代は本当はもっとたくさんいたのだ。
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一人っ子政策というのはなかったけど、昭和20年代後半から30年代にかけての日本もたいして変わらなかったのかもしれない。
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1979年から2015年にかけて、中国では「一人っ子政策」なる計画生育政策がとられた。それにより、中絶手術が頻繁になされたり、生まれたての赤ちゃんが捨てられたり、海外へ養子として売買されることが起きた。
自らの出産を機に、米国に住む中国系女性監督ナンフー・ワンが故郷である中国江西省王村へ向かった。そして、その村の村長やお産婆さんなどに取材する。国家政策に従うため不妊手術や中絶を余儀なくされた女性たちは多い。その村のお産婆さんの証言では5万件以上あったという。
しかし、村の誰もが「仕方なかった」と捉えている。共産党への恨みもない。しかも、男子優先で1985年に生まれたナンフーには1990年に生まれた弟がいる。もし、女の子として生まれていたらこの世に生きてはいないかもしれないと弟は語る。
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捨てられた赤ちゃんも多かったようだ。映像では無残にもゴミのように捨てられた赤ちゃんの写真も映し出す。外にすてられた赤ちゃんを売買していたブローカーがいること、1992年に始まった国際養子制度で海外へ向かった子供たちが大勢いること、それには役人の汚職があったことも語られる。双子姉妹の片割れが米国に渡り、ネット上でつながるシーンもある。
⒈中国経済の遅れと一人っ子政策のスタート
1960年代半ばから始まる文化大革命により、中国経済は30年以上遅れたと言われる。ブルジョワと責められ、失意の中で亡くなった劉少奇元主席をはじめとして、毛沢東思想に従う紅衛兵たちにより糾弾され政府関係者も数多く失脚した。
一度ならず二度も失脚した鄧小平が1976年の毛沢東の死後復権を果たす。権力を握ると資本主義経済原理を取り入れ、現在に至る経済成長の基盤をつくった。それ自体がスタートするのは1977年から79年にかけてのことである。当然文化大革命による経済発展の中断で中国の国民はみんな貧しかった。経済復興が始まるのと一人っ子政策のスタートはある意味一致するのである。
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このまま、人口の増加が続いていると2000年には多くの国民が餓死するという瀬戸際だったのだ。現地の中国人に取材すると、このままだと人食いが始まったり餓死が多発したはずだと誰も仕方なかったという。1970年代後半の経済状態を考慮すると、確かに仕方ないと言えるのではないか。しかし、その後の中国の経済成長を考慮すると、一人っ子政策は2000年前後には終了していても良かったのかもしれないと感じる。
⒉1950年代における日本の中絶
日本では、戦後のベビーブームで昭和20年代前半すなわち1949年までは1年に250万人を超える赤ちゃんが生まれた。昨年2019年の出生数が86万人だったことを思うとものすごい数だ。戦後まもなくは食料事情も悪く、生活に困窮する人たちが多い中での「貧乏人の子沢山」である。
やがて、出生抑制がされるようになり、1949年に経済的理由による人工中絶が認められるようになる。1950年に中絶率10%だったのが、1954年には何と50%にまで上昇する。1955年に116万件、1960年に107万件の人工中絶があったというデータもある。(男女共同参画局HPより)
1955年の出生数が173万人、1960年の出生数が160万人(人口動態調査HPより)ということから見ても多くの赤ちゃんが生まれずにいたのだ。自分と同世代は本当はもっとたくさんいたのだ。
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一人っ子政策というのはなかったけど、昭和20年代後半から30年代にかけての日本もたいして変わらなかったのかもしれない。