映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」を映画館で観てきました。
映画「トンバン 音楽家加藤和彦とその時代」は愛称「トノバン」の加藤和彦が歩む音楽人生をフォーククルセイダーズ時代から追っていくドキュメンタリーだ。盟友北山修、高橋幸宏、つのだひろをはじめとした音楽仲間やプロデューサーたちのインタビューや貴重な演奏フィルムを通じて加藤和彦の人生に迫る。言い出しっぺは亡くなった高橋幸宏のようだ。
自分が小学生だった時、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットした。小学校の教室でもみんな「オラは死んじまっただあ」と歌っていた。一緒に組むようになるいきさつを北山修が語り、一緒にデュエットした名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」の誕生秘話についても触れる。はしだのりひこはすでに亡くなっている。フォーク全盛時代の吉田拓郎や泉谷しげるのセッションをアレンジャーとして仕切り、まだアマチュアだった松任谷正隆をバックに起用する。
「サディスティック・ミカ・バンド」の演奏は英国でもBBCで放映されて評価される。高中正義や高橋幸宏といったミュージシャンもミカバンドで育っていく。映画に映るBBCの放送での演奏はエキサイティングだ。名プロデューサーだったクリストーマスのインタビューもある。なんとミカと不倫をして、離婚のきっかけを作った話は初めて知る。
ミカと離婚した後に安井かずみと再婚した。加藤和彦はよりハイセンスになり、音楽だけでなくファッションなど多方面にわたって影響力を持つようになる。ファッション界の大御所で安井かずみの親友だったコシノジュンコや料理界の重鎮三国清三シェフもコメントを寄せる。そのころ竹内まりやのデビューにも関わる。そして、集大成としてヨーロッパ3部作を発表するあたりまでを取り上げる。
常に先進的であった加藤和彦の人生がよくわかるドキュメンタリーだ。
最後の「あの素晴らしい愛をもう一度」はすばらしく、歌う老いた北山修の姿を見て思わず落涙してしまった。坂本美雨とウッドベースを弾きながら歌う石川紅奈にも感動した。
小学生の時に見た加藤和彦はのっぽのお兄さんというイメージだった。幼心に一発屋的な印象を持っていたが、「悲しくてたまらない」も名曲でヒットした。その後、ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」や北山修と歌った「あの素晴らしい愛をもう一度」のアコースティック調の歌を作曲してすごい人なんだなあと思っていた。そんな頃からはや50年以上経つが、昨日のことのようだ。
70代前半には加藤和彦は音楽界で一目置かれていたと思う。ミカバンドでの活躍を経て、安井かずみと結婚した後はオシャレの雑誌などに2人が取り上げられる頻度が高くなる。その頃、雑誌で加藤和彦の家が取り上げられて◯千枚のレコードコレクションが写っていた記憶がある。すげえなあと思っただけであったが、そのコレクションのおかげで音楽的素養が広がったとこの映画を観て思う。自分はヨーロッパ3部作の存在を知らなかった。タンゴやオペラなどの素材を取り入れる。これは聴いてみたい。
⒈サディスティック・ミカ・バンド
サディスティック・ミカ・バンド時代が自分にとっては関わりが少ない。典型的なロックンロールのリズムの「サイクリングブギ」は当時聴いたが、普通にミカバンドのLPはじっくり聴いた訳ではなかった。ドラムス高橋幸宏、ギター高中正義の2人に加えて、キーボードの今井裕とベースの小原礼を加えたメンバーのエキサイティングなセッションに改めて驚く。正直言ってミカはお飾りのようだけど、バンドの音色は当時の日本最強だろう。
高中正義はこの後ソロデビューから延々と追い続けていくが、それ以前の世界に及ばなかったことを悔やむ。高中正義の加藤和彦を追悼するギターソロは感動する。
⒉フォークのアレンジャーと竹内まりや
吉田拓郎の「結婚しようよ」のセッションに松任谷正隆が加わっていたのは、松任谷正隆のエッセイを読んで知っていた。加藤和彦が関わっていたバンドコンテストに松任谷正隆が参加して、加藤和彦が誘ったのだ。とんでもない恩人である。泉谷しげるの代表曲「春夏秋冬」のバックをアレンジしたのが加藤和彦で、映画の中ではレゲエを基調にしたアレンジの曲も流れている。ジャンルの幅の広さがよくわかる。当時は加藤詣と言って、若手ミュージシャンが加藤和彦のところへ挨拶に行くことのがよくあったと泉谷しげるが語る。
竹内まりやがデビューする際に、こういう音楽家と組みたいというリストのトップが加藤和彦だった。それが実現して満面の笑みを浮かべる竹内まりやの写真が印象的だ。ミカバンド時代の「サイクリングブギ」を加藤和彦と竹内まりやが並んで歌い、横で高中正義がギターを弾く映像が登場すると思わずワクワクする。20代の竹内まりやがピョンピョン跳ねる。
⒊料理
現役当時は知らなかったが、加藤和彦は料理にもうんちくがある人だったようだ。「料理屋に行った時はいちばん高いものを注文しないとわからない」と。三国シェフは、料理と音楽は似ているとのたまう。いずれも素材の組み合わせが重要だとする。なるほど。加藤和彦の行きつけの京都の料理屋ささきでは太巻が名物だ。これだったら加藤が気にいるだろうというポタージュスープにうなぎを加えた一品が映る。
加藤和彦があらゆることにクリエイティブだったことがよくわかるドキュメンタリーだった。「世間の一歩先でなく、半歩先を目指す」と言っていたそうだ。この映画を観ると、常に現状にとどまらず、ずっと先を常に見据えていたのがよくわかる。
映画「トンバン 音楽家加藤和彦とその時代」は愛称「トノバン」の加藤和彦が歩む音楽人生をフォーククルセイダーズ時代から追っていくドキュメンタリーだ。盟友北山修、高橋幸宏、つのだひろをはじめとした音楽仲間やプロデューサーたちのインタビューや貴重な演奏フィルムを通じて加藤和彦の人生に迫る。言い出しっぺは亡くなった高橋幸宏のようだ。
自分が小学生だった時、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」が大ヒットした。小学校の教室でもみんな「オラは死んじまっただあ」と歌っていた。一緒に組むようになるいきさつを北山修が語り、一緒にデュエットした名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」の誕生秘話についても触れる。はしだのりひこはすでに亡くなっている。フォーク全盛時代の吉田拓郎や泉谷しげるのセッションをアレンジャーとして仕切り、まだアマチュアだった松任谷正隆をバックに起用する。
「サディスティック・ミカ・バンド」の演奏は英国でもBBCで放映されて評価される。高中正義や高橋幸宏といったミュージシャンもミカバンドで育っていく。映画に映るBBCの放送での演奏はエキサイティングだ。名プロデューサーだったクリストーマスのインタビューもある。なんとミカと不倫をして、離婚のきっかけを作った話は初めて知る。
ミカと離婚した後に安井かずみと再婚した。加藤和彦はよりハイセンスになり、音楽だけでなくファッションなど多方面にわたって影響力を持つようになる。ファッション界の大御所で安井かずみの親友だったコシノジュンコや料理界の重鎮三国清三シェフもコメントを寄せる。そのころ竹内まりやのデビューにも関わる。そして、集大成としてヨーロッパ3部作を発表するあたりまでを取り上げる。
常に先進的であった加藤和彦の人生がよくわかるドキュメンタリーだ。
最後の「あの素晴らしい愛をもう一度」はすばらしく、歌う老いた北山修の姿を見て思わず落涙してしまった。坂本美雨とウッドベースを弾きながら歌う石川紅奈にも感動した。
小学生の時に見た加藤和彦はのっぽのお兄さんというイメージだった。幼心に一発屋的な印象を持っていたが、「悲しくてたまらない」も名曲でヒットした。その後、ベッツイ&クリスの「白い色は恋人の色」や北山修と歌った「あの素晴らしい愛をもう一度」のアコースティック調の歌を作曲してすごい人なんだなあと思っていた。そんな頃からはや50年以上経つが、昨日のことのようだ。
70代前半には加藤和彦は音楽界で一目置かれていたと思う。ミカバンドでの活躍を経て、安井かずみと結婚した後はオシャレの雑誌などに2人が取り上げられる頻度が高くなる。その頃、雑誌で加藤和彦の家が取り上げられて◯千枚のレコードコレクションが写っていた記憶がある。すげえなあと思っただけであったが、そのコレクションのおかげで音楽的素養が広がったとこの映画を観て思う。自分はヨーロッパ3部作の存在を知らなかった。タンゴやオペラなどの素材を取り入れる。これは聴いてみたい。
⒈サディスティック・ミカ・バンド
サディスティック・ミカ・バンド時代が自分にとっては関わりが少ない。典型的なロックンロールのリズムの「サイクリングブギ」は当時聴いたが、普通にミカバンドのLPはじっくり聴いた訳ではなかった。ドラムス高橋幸宏、ギター高中正義の2人に加えて、キーボードの今井裕とベースの小原礼を加えたメンバーのエキサイティングなセッションに改めて驚く。正直言ってミカはお飾りのようだけど、バンドの音色は当時の日本最強だろう。
高中正義はこの後ソロデビューから延々と追い続けていくが、それ以前の世界に及ばなかったことを悔やむ。高中正義の加藤和彦を追悼するギターソロは感動する。
⒉フォークのアレンジャーと竹内まりや
吉田拓郎の「結婚しようよ」のセッションに松任谷正隆が加わっていたのは、松任谷正隆のエッセイを読んで知っていた。加藤和彦が関わっていたバンドコンテストに松任谷正隆が参加して、加藤和彦が誘ったのだ。とんでもない恩人である。泉谷しげるの代表曲「春夏秋冬」のバックをアレンジしたのが加藤和彦で、映画の中ではレゲエを基調にしたアレンジの曲も流れている。ジャンルの幅の広さがよくわかる。当時は加藤詣と言って、若手ミュージシャンが加藤和彦のところへ挨拶に行くことのがよくあったと泉谷しげるが語る。
竹内まりやがデビューする際に、こういう音楽家と組みたいというリストのトップが加藤和彦だった。それが実現して満面の笑みを浮かべる竹内まりやの写真が印象的だ。ミカバンド時代の「サイクリングブギ」を加藤和彦と竹内まりやが並んで歌い、横で高中正義がギターを弾く映像が登場すると思わずワクワクする。20代の竹内まりやがピョンピョン跳ねる。
⒊料理
現役当時は知らなかったが、加藤和彦は料理にもうんちくがある人だったようだ。「料理屋に行った時はいちばん高いものを注文しないとわからない」と。三国シェフは、料理と音楽は似ているとのたまう。いずれも素材の組み合わせが重要だとする。なるほど。加藤和彦の行きつけの京都の料理屋ささきでは太巻が名物だ。これだったら加藤が気にいるだろうというポタージュスープにうなぎを加えた一品が映る。
加藤和彦があらゆることにクリエイティブだったことがよくわかるドキュメンタリーだった。「世間の一歩先でなく、半歩先を目指す」と言っていたそうだ。この映画を観ると、常に現状にとどまらず、ずっと先を常に見据えていたのがよくわかる。